<2025年 戦後80年>
「寺崎を知り、作品見て 平和考えて」
「館山に敵入る」城の絵に一筆
“渚の駅”たてやまで企画展
(東京新聞 2025.5.28.付)@-279x400.jpg)
千葉県館山市ゆかりの画家・寺崎武男(1883~1967年)が45(昭和20)年9月1日に描き上げた城の絵に、小さく「館山に敵入る」と書かれている。直前の同年8月30日には、米占領軍の先遣隊が館山に上陸していた。作品を所蔵するNPO法人安房文化遺産フォーラムは、この書き込みに注目。“渚(なぎさ)の駅”たてやま(同市館山)で開かれている戦後80年企画展の目玉にした。(山本哲正) 続きを読む »»
<連載:旅する・見つける>
平和問う「首都防衛最前線」
千葉 館山・南房総の戦跡
被害と加害の歴史、思いはせ
(毎日新聞 2025.5.21.付)-400x379.jpg)
館山市、南房総市周辺は海に面した温暖な気候から海水浴やマリンスポーツが盛んなイメージがある。一方で、戦時中は首都防衛の最前線となり、要塞や地下壕などの跡が市内に点在している。いまなお残る大戦の遺構をたどり、戦後80年に思いをはせた。
【上東麻子】 続きを読む »»
戦後80年企画「寺崎武男・平和の祈り展」
館山市の渚の駅で17日から
(房日新聞 2025.5.16.付)-400x344.jpg)
戦後80年企画として「寺崎武男・平和の祈り展」(NPO法人安房文化遺産フォーラム主催)が、17日から館山市の渚の駅たてやまで始まる。平和を願った館山市ゆかりの画家・寺崎武男(1883~1967)の作品とともに、館山の戦争遺跡などを紹介する。6月10日まで。
寺崎武男は、1907年にイタリアに渡り、伝統的な西洋美術の技法を研究し、日本に紹介した近代絵画の先駆者。大正期から館山市に別荘を持ち、後に定住した。同NPOによると、寺崎はヨーロッパで第一次世界大戦を経験し、その後暮らした館山では自宅近くに館山海軍航空隊が開かれた。そうした背景もあり、平和を願いながら祈りの作品や宗教画を数多く描き残したという。
今回の展示は、そうした寺崎の平和への思いを感じ取ってもらおうと戦後80年に合わせて企画。寺崎の房総開拓神話の作品や宗教画など約20点と、赤山地下壕(ごう)跡などの館山の戦争遺跡や資料をパネルで紹介する。
展示される作品の一つ「天守閣(城)桃山時代」は、城を描いた作品だが、右下隅に小さく「館山に敵入る昭和20年9月1日」と書かれている。同NPOでは「その2日前の8月30日には、アメリカ占領軍の先遣隊116人が『館空』へ上陸している。物々しい状況を目の当たりにし、画家として何かを描かずにいられない衝動があったのかもしれない」と推測。
作品には城の堀を越えて城内に侵入するたいまつの集団も描かれており、「目撃した占領軍を写実として描くわけにいかず、空想画のように描いたのでしょうか」と思いを巡らす。その他会場には、同NPOの所蔵だが現在東京・目黒区美術展に貸し出し中の寺崎の大作「平和来たる春の女神」「天照皇大神永遠の平和」の複製なども並べられている。
5月18日と6月1日の午後1時半からは、同NPOの池田恵美子共同代表によるギャラリートークもあり、多くの来場を呼び掛けている。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(0470・22・8271)へ。
市部瀬の惨劇から80年
献花式で40人が鎮魂の祈り
平和願いコンサートも 鋸南
(房日新聞 2025.5.10.付)-277x400.jpg)
終戦間際、鋸南町下佐久間で米軍機が列車を機銃掃射し、13人が死亡、46人が負傷した「市部瀬の惨劇」。犠牲者を慰霊し、歴史を後世に伝えようと、「明日の鋸南町を考える会」が8日、現場に建てられた恒久平和祈念の碑で、恒例の献花式を行い、参列した約40人が花と鎮魂の祈りをささげた。終戦80年の節目である今年は、道の駅「保田小学校」も協力し、同所でプロピアニストによる無料コンサートもあり、聴衆約40人が美しい調べに聴き入り、平和への思いを深めた。 続きを読む »»
<語り継ぐ慰安婦 二つの碑が立つ安房から>(下)
支援続く「かにた婦人の村」 やまぬ性暴力 女性の受難 今も
(東京新聞 千葉版 2025年5月7日)
「ぼくは彼女の生徒にすぎない。泥沼から立ち上がった人間の持つ英知をさずけてくれる」-。1人の牧師は、元慰安婦の故・城田すず子さん(仮名、1921~93年)に促されて86年、館山市に「噫(ああ)従軍慰安婦」の碑を建てた。困難に直面する女性たちの居場所づくりに生涯取り組んだ、深津文雄牧師(09~2000年)だ。 続きを読む »»
<語り継ぐ慰安婦 二つの碑が立つ安房から>(中)
みんなが帰る場所 建立を
(東京新聞 千葉版 2025年5月6日付)
千葉県館山市の小高い丘に、「噫(ああ)従軍慰安婦」と刻字された碑が立つ。高さ約2メートル。元慰安婦の故・城田すず子さん(仮名、1921~93年)が「かつての同僚」のためにと強く願い、86年に建てられた。今も8月15日には、慰霊碑前で鎮魂祭が執り行われ、参加者たちは「戦争と性搾取の歴史を繰り返すまい」と誓う。 続きを読む »»
<語り継ぐ慰安婦 二つの碑が立つ安房から>(上)
供養されない霊 慰めたい
(東京新聞 千葉版 2025年5月5日)
千葉県鴨川市内の寺に、古びた慰霊碑がある。高さ約2・5メートル、表に「名も無き女の碑」と大書されている。
名も無き女とは、戦争時の慰安婦たち。碑にまつわる逸話を広めてきた元中学美術教諭の松苗礼子さん(88)=館山市=は「建てるに当たり、周囲からは『汚らわしい女の慰霊碑なんて』と反対の声も上がり、場所も二転三転して、現在地に決まったそうです」と話す。 続きを読む »»
『世界一の夕陽と生きる』撮影現場から (26)(27)
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房日:世界一の夕陽㉖
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房日:世界一の夕陽㉗
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<2025年 戦後80年>
市部瀬の惨劇 もう二度と
動けぬ列車に機銃掃射…阿鼻叫喚
市民ら 記憶つなぐ活動
(東京新聞 2025.4.24.)-374x400.jpg)
1945年5月8日午前11時50分ごろ、多くの民間人を乗せて旧勝山町の下佐久間(現在の千葉県鋸南町)を走行中の7両編成列車が米軍戦闘機に機銃掃射され、13人が死亡、46人が重軽傷を負った。地域の名から「市部瀬(いちぶせ)の惨劇」と呼ぶ。「『二度と再び、戦争をしたり戦争に加担したりしてはならない』と伝えたい」と語り継ぐ市民グループは80年の節目となる今年も、その日に献花式を開く。(山本哲正)
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『世界一の夕陽と生きる』
撮影現場から (25)-400x376.jpg)
(房日新聞 2025.4.17.付)
戦争の傷跡
映画を作るには、多くの人たちの協力がなくては難しい。特にドキュメンタリーは、被写体となる人を見つけるため、下調べ(映画作りでは、シナハンとかロケハンとかいう)が重要だ。
この映画の舞台となる南房総、館山地域の過去、現在、未来はどのようになっているのか? 調べなくてはならない。 続きを読む »»