南房総の美 ギャラリーに
館山の石造倉庫 改装、3姉妹 父の夢実現
(読売新聞2022.4.5付)⇒ 印刷用PDF
-316x400.jpg)
南房総の自然を描き続け、2019年に亡くなった洋画家の溝口七生(かずお)さんのギャラリーが娘33人の手で館山市船形に整備され、9日にオープンする。房州石の石造倉庫を改装し、誰もが立ち寄れるようにするため、カフェも併設した。長女の佐生かおりさん(57)は「ギャラリーは父の夢。大久の人に作品を見てもらいたい」と話している。
(中略)施設名はギャラリー&カフェ「船形倉庫」。金曜日~日曜日の3日間午前10時から午後5時30分までが営業時間。入場無料。
アワビ漁師渡米の背景など紹介 南房総で31日まで
(房日新聞 2022.1.28付)‥⇒印刷用PDF
「太平洋を渡った房総アワビ漁師と渡米前の資料調査&絵画展」が、南房総市岩糸のギャラリーMOMOで始まった。近年見つかった古文書の解読から、明らかになりつつあるアワビ事業の背景が、パネルや写真を通して解説されている。31日まで。
南房総市市民提案型チャレンジ事業に採択された房総アワビ移民研究所と、NPO法人安房文化遺産フォーラムの共催。
アワビ事業は、明治期に旧白浜町根本出身の小谷源之助、仲治郎兄弟がカリフォルニアに渡米し、モントレー湾で器械式潜水のアワビ漁に成功。同郷のハリウッド俳優、早川雪洲も兄がアワビ漁に参加していたことなど、海を越えた壮大なストーリーで知られる。
平成30年、仲治郎が帰国後に住んだ旧千倉町千田の旧宅から、同団体らが古文書数百枚を発見。31年から内容の調査を開始するが、保管していた建物が令和元年房総半島台風で全壊に。その後、関係者の尽力で約500枚の書簡などの復旧や解読が完了したという。
今回は、解読から新たに分かった実家の海産物問屋「金澤屋」の事業や兄弟に施した教育、明治期の水産業などを紹介。パネル13枚と、倉田白羊、故・溝口七生氏などゆかりの画家の作品4点、写真資料、機械式潜水具のヘルメットなどが展示されている。
同NPOの粕谷智美さんは、「これまで活躍した人々に注目されていたが、渡米の背景となる漁業者らの姿が明らかになりつつある。ぜひ多くの人にご覧いただきたい」と来場を呼び掛けている。
時間は、正午から午後4時まで。火、水、木曜日は休廊。問い合わせは、ギャラリーMOMO(0470―28―4621)へ。
連載コラム「館山まるごと博物館」012 (2022.1.18)
東京養育院安房分院と館山病院の転地療養 -渋沢栄一ゆかりの館山の人びと-
‥⇒リンクはこちら
(EICネット「エコナビ」一般財団法人環境イノベーション情報機構)
‥⇒シリーズ一覧【館山まるごと博物館】
012「東京養育院安房分院と館山病院の転地療養 -渋沢栄一ゆかりの館山の人びと-
011「館山の空を飛んだ落下傘兵・秋山巌
010「青木繁『海の幸』誕生の漁村・布良」
009「明治期に渡米した房総アワビ漁師の古文書調査」
008「百年前の東京湾台風とパンデミック」
007「女学校の魅力的な木造校舎を未来に」 -旧安房南高校の文化財建築-
006「令和元年房総半島台風の災禍」
005「ピースツーリズム(2)-本土決戦と「平和の文化」-」
004「海とアートの学校まるごと美術館」
003「『南総里見八犬伝』と房総の戦国大名里見氏」
002「ピースツーリズム(1)-巨大な戦争遺跡・赤山地下壕-」
001「24年にわたるウガンダと安房の友情の絆」
安房地域母親大会
~女性の人権と戦争を考える
(房日新聞2022.1.16)⇒印刷用PDF@-290x400.png)
1月22日(土)1時半より館山市コミュニティセンターで、第27回安房地域母地域づくりを目ざし、老若男女だれでも参加できる話し合いの広場です。不安の多いコロナ禍において、就労困難や貧困、DVや学力格差などはますます厳しくなっており、ジェンダー男女平等指数では日本が世界120位という状況にあります。
今大会はシンポジウム「女性の人権と戦争を考える」と題して、「かにた婦人の村(通称かにた村)」の名誉村長・天羽道子さんと、「希望のたね基金(通称キボタネ)」の代表理事・梁澄子(やんちんじゃ)さんをお迎えし、お話いただきます。
かにた村は、様々な障害により自活困難な女性たちを支えるために、売春防止法にもとづく婦人保護長期入所施設として1965年に開設されました。館山の自然豊かな環境で大家族のように寄り添いながら、農園・洗濯・手芸・調理などの作業をとおして、自分らしさを回復し、生きる喜びを分かち合っています。
そうした生活のなかで癒やされた一人の女性(城田すず子さん)が、戦後40年を経たときに従軍慰安婦だった過去を告白し、仲間を慰霊してほしいと懇願しました。こうしたことが二度と起きないようにと祈りをこめて、施設内の丘上に「鎮魂の碑」と墨書された檜の柱が建立され、翌年「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑になりました。「噫(ああ)」という文字は、声にならない苦しみを表しています。国内ただ一人の証言者となった城田さんの苦痛を受け止め、支えてこられたのがディアコニッセ(奉仕女)の天羽さんでした。
一方、キボタネは日韓の若者が「慰安婦」問題について共に学び、意識ギャップを埋めて、「終わらせる」のではなく、「記憶・継承」するために設立されました。性暴力のない、平和な社会づくりを目ざして、セミナーやスタディツアー、留学支援などの事業に取り組んでいます。
奇しくも梁さんは、戦前の安房に韓国済州島から出稼ぎに来た海女たちの聞き取り調査をおこない、『海を渡った朝鮮人海女-房総のチャムスを訪ねて』という本を34年前に上梓しています。
また、実行委員会に所属するNPO法人安房文化遺産フォーラムは、社会科教員であった愛沢伸雄氏が「かにた村」を訪れ、「噫従軍慰安婦」の碑や施設内にある戦争遺跡に出会ったことが活動の原点です。これらを教材化して、当時の安房南高校で平和学習を実践したことから、赤山地下壕の見学ガイドやウガンダ支援活動などに繋がっていきました。
安房地域母親大会は1996年に始まり、27年目を迎えます。初代実行委員長は、天羽さんが務めて下さいました。当時の実行委員長挨拶文を一部ご紹介します。
「常々私は人間の生き方について、社会の在りようについて、大きくは地球(環境)について考えて参りましたが、今日の社会があまりにも人間を問うことなしに進んでいることに危惧の念を抱き、ある意味では戦後の悲惨より、より深刻な悲惨を見る思いが致しております。… それはますますスピード化し、人間の本来の姿が見失われてしまっているのではないか。そして、それは1つにバランスが失われている結果ではないかと思って参りました。このバランスを正常にし、一方的に回り続ける歯車にブレーキをかけて見直すために、母親の発想と母親の声が発せられなければならないと思うのでございます。」
まるで現代社会を見越したかのような内容です。現在95歳になられた天羽さんは、講演も取材も一切ご辞退しているそうですが、母親大会だけは特別とご快諾下さいました。縁あるお二人から意義深い実践を学び、「女性の人権と戦争を考える」1年の幕開けにできれば幸いです。
なお、感染者が増加傾向にあるため、当日は第2会場を用意し映像視聴をしていただく可能性もありますので、ご了解のほどお願いいたします。
22日に館山コミュニティセンターで安房地域母親大会
(房日新聞2022.1.14付) ⇒詳細はコチラ。
-320x400.png)
第27回安房地域母親大会(同実行委員会主催)が22日午後1時半から、館山市コミュニティセンターを会場に開催される。今回は「女性の人権と戦争を考える」をテーマにシンポジウムが行われる。参加費無料で、資料代500円。定員75人で先着の予約制。
大会では、婦人保護長期入所施設「かにた婦人の村」・名誉村長の天羽道子さん、一般社団法人「希望のたね基金」代表理事の梁澄子さんを招き、第1部では2人のミニ講演、第2部では副実行委員長の池田恵美子さんをコーディネーターに対談を予定している。
館山市にあるかにた婦人の村は、キリスト教の深津文雄牧師が、知的障害や精神障害を持ち自活困難な女性たちの生活を支えるため、売春防止法に基づく婦人保護長期入所施設として1965年に開設。天羽さんは、深津牧師の後を継ぎ、長く施設長を務め、現在名誉村長。従軍慰安婦だった過去を告白した女性の生活を長く支え、第1回の母親大会の初代実行委員長も務めた。
梁さんが代表理事の希望のたね基金は、日韓の若者が慰安婦問題についてともに学び、意識ギャップを埋めて、「終わらせる」のでなく「記憶・継承」することで、二度と同じような被害者を生まないよう2017年に設立。平和な社会づくりを目指し、セミナーやスタディーツアーなどさまざまな事業に取り組んでいる。
申し込み、問い合わせは、実行委の関さん(090-5762-5956)か、池田さん(090-6479-3498)へ。
「館山まるごと博物館」の挑戦 ~「平和の文化」のまちづくり
安房文化遺産フォーラム 池田恵美子さんに聞く
(ちば民報2021.12.5付)‥⇒ 印刷用PDF

千葉県館山市では、戦争遺跡(以下、戦跡)をはじめとする自然や歴史・文化遺産を「館山まるごと博物館」と見立てて、市民が主役のエコミュージアムまちづくりを進めている団体があります。NPO法人「安房文化遺産フォーラム(以下、フォーラム)」です。エコミュージアムとは、市民が主体的に研究・展示・保全などの活動を通じて活性化を図るまちづくりの手法です。
フォーラムは、高校世界史教諭だった愛沢伸雄さんが戦跡を活用した平和学習を契機として、市民による文化財保存運動を経て設立されました。長く事務局長を務めた池田恵美子さんは、今年度より共同代表になりました。
今回、池田さんが千葉県立館山総合高校の1年生を対象に「観光の学び」の講義をするというので、同席して聴講し、お話を伺いました。
・平和学習の戦跡ガイド
講義では、安房地域の自然や歴史、文化が語られました。逆さ地図で見ると、日本列島の頂点に位置する館山は、重要な軍事拠点として中世の城跡や戦跡が多いのだといいます。特に戦跡については、真珠湾と館山湾、沖縄県と千葉県、本土侵攻計画「コロネット作戦」と大本営の本土防衛など、地図を比較しながら説明されました。
なかでも館山を代表する赤山地下壕(市指定史跡)は、資料が少なく建設時期は不明で、市の解説看板には戦争末期と書かれていますが、フォーラムの調査や証言では日米開戦前から掘り始めていたと推察されるそうです。
印象的だったのは、沖縄戦に続き関東一円をターゲットとする「コロネット作戦」では、その中心地が館山を指していることでした。さらにミズーリ号の降伏文書調印式の翌日(9月3日)には、館山に米占領軍3500名が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたといいます。
生徒たちはこうした事前学習とともに、館山の海で拾える貝殻を磨くアクセサリー作りをしたり、赤山地下壕と戦闘機を格納する掩体(えんたい)壕のほか、文化財である旧安房南高校木造校舎、〝渚の駅たてやま〟などをめぐる校外学習を体験しました。
・活動の原点
池田さんは小学生のころ、赤山地下壕を探検したことがあり、トンネルを抜けたら巨大な広場に出て、見上げると吹き抜けの空が見え、とても驚いたそうです。現在の見学コースにはありませんが、海軍が山をくりぬいて作った縦穴の燃料タンクだとのことです。
12歳の時には、ハワイのジュニアスクールに参加して自然や歴史・文化を学んだことがあり、「多くの人にも体験してほしい」と思ったことが学校外の教育を志した原点となり、今の活動に繋がっているといいます。
大学卒業後は東京で金融業、社会教育の仕事を経て、2000年に館山へUターンし、愛沢さんと出会いました。人は自分の住む地域を知ることで誇りが生まれ、自己肯定感が育まれるという教育実践に共感し、二人三脚でNPO活動を始めました。
国連はユネスコの提唱を受け、2000年を「平和の文化国際年」と宣言し、翌年から「世界の子どもたちのための非暴力と平和の文化10年」と定めました。「平和の文化」とは、対立を暴力によらず、対話によって解決していこうとする価値観や行動様式のことです。ところが、アメリカ同時多発テロ事件により、「平和の文化」は風前の灯火となりました。
「平和の文化」を社会に実現するためには、ピースツーリズムという平和産業の構築が急務だというユネスコの考えに賛同した愛沢さんと池田さんは、これをフォーラムと活動理念としました。
近年、愛沢さんは心臓病と脊椎の難病を患ってしまい、今は自宅療養をしながら調査研究を進めています。フォーラムは池田さんが中心となって取り組んでいますが、メンバーには愛沢さんの教え子も多く、授業づくりからまちづくりへ広がってきた活動を支えているそうです。
・市民が主役のまちづくり
フォーラムでは、全国から訪れる団体のニーズに合わせ、多様なスタディツアーガイドを行っています。その活動は「平和・人権・地域づくり」へと広がり、年月とともに深められていると感じます。
少子高齢化が深刻になった布良(めら)という漁村の活性化を目ざし、地区コミュニティ委員会と協働で「青木繁『海の幸』誕生の家と記念碑を保存する会」を立ち上げました。全国の画家とともに保存基金を集めて「小谷家住宅(市指定文化財)」を修復し、青木繁「海の幸」記念館を開館しています。
学校統合によって使われなくなった県立安房南高校旧第一校舎(県指定文化財)を維持するために、「安房高等女学校木造校舎を愛する会」を発足して、草刈りや掃除の環境整備、年に一度の公開事業を支援しています。
安房南高校の平和学習が契機となって始まったウガンダ支援交流は、県立安房高校、私立安房西高校へと活動のバトンが渡され、27年目を迎えました。首都カンパラには「アワミナミ洋裁学校」と命名された職業訓練校も開かれ、友情が続いています。この活動に賛同した「安房・平和のための美術展」や、喫茶店25店舗の協賛によるウガンダコーヒー月間の取り組みなどに広がり、高校生から始まった支援交流の輪は様々な形で地域に根づいています。
フォーラムは多様な市民活動を繋ぐコーディネーター役です。「館山まるごと博物館」として地域資源に磨きをかけるだけではなく、そこに住む一人ひとりが得意分野の知識や技術を活かし、いきいきと活躍する場を提供しているのです。
全国から来訪するスタディツアーの皆さんは、単に戦跡めぐりで終わるのではなく、「館山まるごと博物館」をヒントにしてまちづくりを進め、ネットワークの手を繋ぎましょうと池田さんは言います。お互いの事例を学び合い、地域間のまちづくり交流が盛んになることは、住みやすい地域社会への一歩かもしれません。
▼安房文化遺産フォーラム
館山市北条1721-1
電話:0470-22-8271
(写真キャプション)
・高校で「他観光の学び」の講義
・館山市長から感謝状を受けるフォーラムメンバー
明治のアワビ漁師に思いはせ
南房総千倉の旧家など散策
渡米した足跡探る
-233x400.jpg)
旧家を見学しながら、およそ二キロの散策ルートを楽しんだ。(山田雄一郎)
ウオーキングを開催したのは、地元のNPO法人安房文化遺産フォーラムなど。歴史を知り、先人たちの姿から地域活性化のヒントを探ろうと、南房総市の市民提案型チャレンジ事業として行われた。同フォーラム関係者がガイドを務め、太平洋沿いの国道近くに立ち並ぶ旧家を見て回った。
ある旧家では、モントレー湾から持ち帰ったアワビの大きな貝殻が軒先で示され、ふだん目にする地元のアワビとは違った大きさに参加者は驚きの表情を見せ、手に取って確かめた。散策ルート上には、兄がアワビ漁師として渡米した、日本人初のハリウッド俳優早川雪洲の旧家も。近くのミニ博物館では、日米親善の国旗が描かれた大漁祝い着「万祝(まいわい)」やモントレー湾での様子などを撮影した写真に目を留めた。
東京都内の大学に通う佐野一成さん(21)は館山市出身。NPOの運営などに関する卒業論文をまとめるため、ウオーキングに参加した。アワビ漁に携わった旧家が密集して残る様子に触れ「昔の地域コミュニティーの在り方が分かって面白かった」と振り返った。
同フォーラムによると、一八九七(明治三十)年、根本村(現・南房総市白浜地区の一部)出身の小谷源之助(一八六七〜一九三〇年)・仲治郎(一八七二〜一九四三年)兄弟らがモントレー湾の豊富なアワビ漁に注目し、渡米。アワビステーキや缶詰などで成功を収めた。漁師たちは日本人コミュニティーをつくり、ゲストハウスには尾崎行雄、竹久夢二ら政治家・芸術家が訪れ、日米親善に寄与した。仲治郎は帰国し、現在の南房総市千倉地区で潜水技術者を養成し、米国に住む源之助のもとへ送り込んだ。