米占領軍上陸と「直接軍政」

1945(昭和20)年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリ号において、降伏文書調印式が行われた。翌3日午前9時20分、カニンガム准将に率いられた米軍第8軍第11軍団の3,500名は、上陸用舟艇を使って館山に上陸してきた。上陸写真は「館空」水上班滑走台跡で、湾の対岸に見える山が館山市の船形山と比定できる。東京湾口に位置する房総半島南部の館山は、戦略上の最重要地点であったため、本土決戦が想定されていただけでなく、敗戦直後はアメリカ占領軍本隊による初上陸地点となったのである。

日本側では占領軍の折衝窓口として、外務省館山終戦連絡委員会が設置された。上陸直後、軍人や市民たちの妨害を警戒した占領軍は、館山において「4日間」であるが、本土で唯一の「直接軍政」をおこなった。

下の写真は、赤山地下壕内に書き残された「USA」の朱文字。本土初上陸後、施設を接収した米兵によって書かれたものではないかと推察されている。アメリカの作家ノーマン・メイラー(1923〜2007)は、終戦直後の進駐軍として館山に上陸し、その後銚子に移動したと証言していた。

【参考書籍】
「戦後70年」証言・調査記録集
『館山海軍航空隊・赤山地下壕建設から米占領軍の直接軍政』
https://awa-ecom.jp/bunka-isan/section/books-06/

【参考論文】

「4日間」の直接軍政が敷かれた館山

赤山地下壕内の壁面に描かれたUSAの朱文字

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