お知らせ

【房日】230517_赤山入壕者が前年比26%増

(房日新聞 2023.5.17付)

館山市教育委員会は、市を代表する戦争遺跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」の令和4年度の入壕者数をまとめた。入壕者数はトータルで2万8248人(前年度比26%増)と約6000人増えた。

全長約1・6キロと全国的にみても大規模な地下壕で、平成16年度に開壕。平和学習の他、観光で訪れる人も多く、29年度には3万8248人の来場があった。

しかし、令和2年2月以降、新型コロナウイルスの外出自粛の影響などで入壕者数が激減。緊急事態宣言で長期間にわたり閉壕したこともあり、入壕者数は2万人台前半まで落ち込んでいた。

昨年度は徐々に回復傾向となり、前年度から大幅に増加した。地域別の入壕者数は市内は1225人、県内(館山市以外)が1万1028人、県外が1万5995人だった。

累計の総入壕者数は今年2月に40万人を突破。4年度末時点では、40万835人を数えている。このゴールデンウイーク期間中(4月29日~5月7日)も1416人が訪れるなど人気を集めた。

市教委では、今後の施設活用の参考とするため、入壕者向けのアンケートも始めており、さらなる魅力向上を目指していきたいとしている。

 

【房日】230517_米国の学生20人が安房で歴史や文化体験

(房日新聞2023.5.17付)

館山市でアメリカの大学生ら20人による短期留学が9日から行われている。館山の歴史や文化を体験する内容で、14日には同市神余地区の水田で田植え体験が行われ、学生らはコメづくりを学んだ。

短期留学しているのは、ミネソタ州のメトロポリタン州立大学、大坪寿美子博士の学生ら。日本のポピュラーカルチャー史の授業の一環として、館山を中心にフィールドワークや文化体験地元英語塾の生徒らとの交流などを繰り広げている。

今回の留学は、同市の地域おこし協力隊の荒垣由以子さんがアメリカの大学在学時の恩師(同大人文学部長)とのつながりで実現。期間中の体験プログラムの企画、開発を荒垣隊員が担った。

この日の田植え体験は、NPO法人おせっ会の協力で実施。学生らはまず古民家で稲作文化について学んだ後に、近くの水田へ。初めて体験する農作業に最初は戸惑いながらも楽しそうに苗を植えていた。

稲作を体験した学生らは「(田んぼは)深くて最初は怖かったが、とてもエキサイティングな体験だった。きょうは1時間くらいの作業だったけれど、中腰で何時間も作業するのは大変だってことが分かった」

「アメリカのスーパーマーケットで売っている食材は効率を重視してつくられたものばかり、生産者の顔なんてこれまで考えてこなかった。こうやって丁寧に作業することで食に対する意識が変わった」などと感想を話した。

コーディネートをする荒垣さんは「学生らはとても好奇心旺盛で、スムーズに作業が進んで良かった。短い期間だが館山の歴史や文化をたくさん吸収して、この先に生かしていってほしい」と話した。

短期留学は29日まで赤山地下壕跡や野島埼灯台、大房岬でのフィールドツアー、房州うちわづくり、お遍路体験といった文化体験をする予定で、27日午後には関係者を招いて報告会が行われるという。

報告会の詳しい問い合わせは、荒垣さん(080―7933―5393)へ。

【房日投稿】230430_寺崎裕則氏の訃報に寄せて

(房日新聞2023.4.30付

 過日、南総文化ホールで開催した「房州とイタリアを愛した画家・寺崎武男生誕140年」の事業において、作品資料展は420名、シンポジウムは130名が来場されました。三男の寺崎裕則氏より託された2000枚のハガキと数十冊の手帳やスケッチ帳を分析調査し、明らかになったことを報告書にまとめ、発表することができました。ご支援くださった多くの皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。

その直後の4月7日、寺崎裕則氏が天寿を全うし、ご逝去されました。昭和8年生まれの裕則氏は、日米開戦前に東京赤坂から館山市西ノ浜へ移り住み、父武男が美術講師をしていた同時期に安房高校に在学していたといいます。学習院大学から文学座演出部へ入り、後に三島由紀夫とともに劇団浪漫劇場を立ち上げました。おもにオペラと歌舞伎の演出を手がけ、日本オペレッタ協会を設立しました。父武男の描いたベネツィアの風景画をもとに巨大な舞台幕を製作し、南総文化ホールでオペレッタ『ヴェニスの一夜』を上演しています。父子二代にわたり、東西文化の融合を目ざすとともに、裕則氏は父武男に関する研究者でもありました。

私たちは氏の想いを受け継ぎ、ご生前のうちに調査研究の成果を報告できたことに安堵しています。この報告書は、オンラインショップ「館山まるごと博物館」で販売していますので、引き続き、館山ゆかりの芸術家を多くの方に知っていただければ幸いです。

あらためて、心よりご冥福をお祈りするとともに、感謝を捧げます。

 

(NPO法人安房文化遺産フォーラム 共同代表 池田恵美子)

 

【房日】230426*アワビがつなぐ日米交流

房日新聞 /⇒ 印刷用PDF

明治期に房総から渡米しアワビ事業を行った、南房総市白浜町根本出身の漁師、小谷源之助の子孫ら4人が21日、一族のルーツを求めて米国から来房。館山・南房総副市長への表敬や地域のアワビ移民の研究団体と交流を図り、房総での先祖の暮らしぶりに思いをはせた。

小谷源之助は、明治期に弟・仲治郎と米・カリフォルニアに渡り、モントレー湾で器械式潜水によるアワビ漁事業を行い、アワビの缶詰、ステーキなどでアワビを広め、米の食文化に影響を与えた。

今回訪れたのは、カリフォルニア在住の源之助の孫、ミア・コダニさん、夫のグレンさん、ミアさん夫婦の友人で母親が南房総市出身のアユミ・ミヤザキさん、ハワイ在住の源之助のひ孫のアリエル・ステネックさんの4人。

ミアさんらは、昨年2月にオンラインで開かれた房総アワビ漁師移民研究の日米調査報告会(安房文化遺産フォーラムなど主催)に参加したのをきっかけに、「先祖、源之助の暮らしぶりなどのルーツをたどろう」と来房した。

館山市の渚の博物館を訪問した一行は、館内に展示されている器械式潜水器具、万祝などアワビ漁に関連する資料について、市職員の説明を受けながら見学。その後、南房総地域で房総アワビ漁師移民について研究している、安房文化遺産フォーラムの会員らと交流した。

会員らは「小谷兄弟は、無計画で渡米したわけではなく、しっかりとした計画があって海を渡った。2人のうち源之助は事業家的な役割で、仲治郎は学者的な役割があった」などと研究の成果を報告。

話を聞いたミアさんは「館山に来たことで、これまで知らなかった新しい発見や意外な一面を知られて良かった。この後さっそくファミリーに報告したい」と話していた。

一行は、22日には白浜と千倉にある先祖の墓参りとゆかりの地などを巡り、房総を後にした。

【房日寄稿】230330-31_寺崎武男生誕140年

(房日寄稿2023.3.30-31)

(房日寄稿) 房州とイタリアを愛した画家・寺崎武男生誕140年

NPO法人安房文化遺産フォーラム 共同代表 池田恵美子

 2019(令和元)年のGW、旧館山市立富崎小学校で開催した「海とアートの学校まるごと美術館」では、館山ゆかりの3人の画家(青木繁・倉田白羊・寺崎武男)を紹介しました。この模様は安房文化遺産フォーラムのユーチューブから動画を見ることができます。

寺崎武男は1883(明治16)年3月30日に東京赤坂で生まれ、東京美術学校を卒業後、国の留学生としてイタリアに渡りました。ヴェネツィアの美術アカデミーで人体・彫刻・建築・版画の4科を卒業し、ドイツベルリンの大学で壁画科や宗教哲学科・歴史科を修めました。ヴェネツィアを中心に国内外をめぐり、フレスコ画やテンペラ画・エッチング・壁画・版画など様々な技法を学び、日本に紹介しました。特にルネサンス壁画の描画や保存方法を研究しながら、「芸術の本質とは何か」を探求し、百年後まで変わらない絵画という課題に取り組みました。

留学初期に出会った『天正遣欧使節』の行跡に感銘を受け、16世紀に日本から海を渡り、ローマ法皇に謁見して外交を果たしながらも、禁教から鎖国へ向かう時代に翻弄された少年たちの姿を後世に伝えようと、生涯にわたりをこのテーマを描き続けました。

また、横山大観が中心となった「羅馬開催日本美術展覧会(イタリア政府主催・大倉喜七郎後援)」では、寺崎が通訳兼コーディネーターを務めています。同時期に、観音を描いたテンペラ作品『幻想』は、ヴェニス・ビエンナーレ国際展で日本人初の入賞を果たし、イタリア政府の買上となりました。長く日本語講師を務め、『日本のことば』『日伊会話』なども発行しています。東西文化の融合を目ざし、三度の渡欧で多年にわたる日伊交流の功績から芸術名誉賞はじめ、イタリア国王や政府からコメンダトーレ賞など多数の勲章を授与されています。

一方日本国内でも、第11回文展で入選したフレスコ画『飛鳥朝の夢』はじめ、精力的に作品を製作しています。テンペラ画『黄帆船図』は大正天皇の病室に飾られ、崩御後は東京帝室博物館の買上げとなり納められました。日本創作版画協会やテンペラ画会、壁画協会などを設立したほか、東京大学病院や日本医師会館、目黒サレジオ教会などに壁画を描きました。

明治神宮奉賛会より絵画館開設のために壁画調査を依頼されて再渡欧し、イタリア各地で模写をしながら画材や画質の研究をし、7回の報告書を提出しています。聖徳記念絵画館には『軍人勅諭下賜ノ図』が納められました。

早くから法隆寺の壁画研究に取り組み、防火設備のないことを危惧する論文を大正期に書いています。後に、彼の懸念どおり火災が起きて金堂壁画が焼失してしまいましたが、寺崎は9年がかりで法隆寺輪堂の壁画を描き上げました。

海外で高い評価を得て、日本美術史にも大きな影響を与えた寺崎ですが、その画績はあまり知られていない〝幻の画家〟です。親交のあった三島由紀夫は、「無理解と孤立には少しも煩はされずに、悠々と、晴朗に、芸術家たるの道を闊歩していた。あくまで走らず、跳ばず、悠揚たる散歩の歩度で。氏こそ、真の意味で、芸術家の幸福を味わった人ではなかろうか」と回顧展にメッセージを寄せています。

館山には、美校の師でありイタリア留学の先輩である彫刻家・長沼守敬(ながぬまもりよし)が先に移住していました。彼を慕って訪れるうちに、館山の西ノ浜に別荘を建て、やがて定住しました。房総の神話を多く描き、安房神社や下立松原神社などに奉納しています。なかでも布良崎神社に奉納されたテンペラ画は、鳥居型に額装された貴重な作品です。

大正期には東京女子美術学校洋画科主任を2年勤め、戦後には安房高校の講師となり、若者たちに情熱あふれる美術指導を授けました。安房高校では兵藤益男校長の理解ある支援のもと、テラコッタ(土焼)で『自由の女神像』を制作し、生徒も教職員も驚いたといいます。翌年の校長交代に伴い、取り壊しが命じられたものの、懇意にしていた千倉の七浦中学の栗原幸太郎校長の配慮で移転させ、解体はまぬがれました。しかし残念なことに数年後、側溝工事の際に重機で破壊されてしまったとのこと。また、安房高校の修学旅行で法隆寺に立ち寄り、壁画の制作を見学した生徒もいたようですが、あいにく現在は公開されていません。

私たちは遺族から多数の作品とともに、膨大な書簡と数十冊の手帳やスケッチ帳等の寄贈を受けており、資料の分類整理・解析調査に取り組んできました。現在500枚を超えるハガキの解読が進み、国際的に活躍した寺崎家のファミリーヒストリーや壮大なネットワークが見えてきました。

寺崎家は儒学者渡辺崋山と交流があったといわれ、祖父・助一郎は幕末、長崎奉行の役人として外国要人の通訳に従事しました。父の遜(ゆずる)は英国留学で学んだ電信技術を全国に広めた人物のひとりで、後に山縣有朋の洋行随員や山縣内閣総理大臣秘書官まで務めましたが、武男の美校入学直前に亡くなっています。長兄の渡は林学者で、渡欧留学で林業を研究し、寺崎式間伐技術を考案しました。次兄の熊雄は弁護士となりました。母セツは夫亡きあと、武男の進学・留学を支えたゴッドマザーです。その実家松澤家からは金融業・政治家・弁護士、そして一高水泳部で極東金メダリストの松澤一鶴などを輩出しています。

寺崎の友人もそうそうたる顔ぶれです。城郭研究やルネッサンス史の第一人者で歴史学者の大類伸。文展帝展に7度入選している画家であり何度もノーベル賞候補にあがった医師の呉建。美校の同期で、ロンドンに学んだ南薫造やニューヨークで修業を重ねた平井武雄。フランス文学者で美術研究に造詣が深く、松方コレクションのアドバイザーとなった成瀬正一。

こうした家族や友人らと交わした書簡は、互いへの尊敬と芸術への情熱にあふれ、西洋画の研究に没頭した寺崎のバッグボーンが読み取れます。

そこで、館山市立博物館の生誕120年記念展から20年を経た今春、安房ゆかりの先人を顕彰する機会として、「房州とイタリアを愛した画家・寺崎武男生誕140年」を企画しました。当NPO愛沢伸雄代表の調査報告「手帳と書簡から見える寺崎武男の世界」、大阪芸術大学の石井元章教授による基調講演「日伊交流における寺崎武男」を紹介します。4月1日(土)2時より南総文化ホール小ホールにて、入場は無料、資料代500円です。多くの方のご来場をお待ちしています。

また、同ギャラリーで開催中の展覧会では、大正期のフレスコ壁画『ヴェニスの女』や、終戦の翌年に描いた屏風絵『平和来たる春の女神』をはじめ、風景画や神話・宗教画なども紹介しています。ルネサンス壁画を研究した寺崎の作品は、画面の対角線の7倍離れた距離から見ると焦点が合い、奥行きや立体感を感じるといいます。どうぞお楽しみください。

【房日】230328_寺崎武男の生誕140年展 4月5日まで 館山

(房日新聞2023.3.25付) ⇒ 詳細はコチラ。

明治から昭和にかけて活躍した安房地域ゆかりの芸術家、寺崎武男の生誕140年に関連した催し、「房州とイタリアを愛した画家寺崎武男・生誕140年」(NPO法人安房文化遺産フォーラム主催)の展覧会が、館山市の南総文化ホールで始まった。

寺崎の絵画や資料約40点以上が展示されている。4月5日まで。

寺崎は、1907(明治40)年にイタリアへ渡り、ヨーロッパ美術の技法を研究し、日本に紹介した近代絵画の先駆者。大正末期からは館山市に暮らし、戦後は安房第一高校(現安房高校)の美術講師としても後進の育成に努めた。

展示されているのは、「平和来たる春の女神」やフレスコ壁画「ヴェニスの女」などの大型の絵画の他、イタリアや日本国内でのスケッチ、作品の下絵など、作品だけでなく寺崎の交遊関係の一部が分かるはがきなど、貴重な資料も展示している。

訪れた南房総市の50代男性は「安房神社で見るぐらいしかなく、『なぜ館山に』という思いだったが、寺崎武男と館山の関係がよく分かる展示だった」と感想を話した。

同NPOでは「美術史的にも研究者が少なく、まだまだ分からないことが多い。寺崎武男について少しでも知ってもらうきっかけになれば」と来場を呼び掛けている。

時間は、午前10時~午後4時(最終日3時)。月曜日休館、入場無料。

4月1日午後2時からは、寺崎に関するシンポジウムも開かれる。同NPOの愛沢伸雄代表による調査報告「手帳と書簡から見える寺崎武男の世界」、大阪芸術大の石井元章教授の「日伊交流史における寺崎武男」と題した基調講演が予定されている。

資料代として500円。問い合わせは、安房文化遺産フォーラム(0470―22―8271)へ。

【東京新聞】230325*寺崎武男生誕140年展きょうから

館山ゆかりの「幻の画家」に焦点
近代絵画先駆け 安房高で講師も

(東京新聞2023.3.25付) ⇒ 詳細はコチラ。

 

千葉県館山市ゆかりの画家・寺崎武男(一八八三〜一九六七年)の生誕百四十年を記念して作品資料展「房州とイタリアを愛した画家 寺崎武男・生誕140年」が二十五日、県南総文化ホール(同市北条)で始まる。「国際的に活躍したにもかかわらず、あまり知られていない“幻の画家”。あらためて顕彰し、地域の誇りとして次世代へ継承したい」とNPO法人安房文化遺産フォーラムが主催する。四月五日まで。(山本哲正)

寺崎武男(安房文化遺産フォーラム提供)

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【房日】230309*寺崎武男の功績次世代へ 生誕140年で25日からイベント

(房日新聞2023.3.9付)

作品資料展&シンポジウム

明治から昭和にかけて活躍した安房地域ゆかりの芸術家、寺崎武男の生誕140年に関連した催し、「房州とイタリアを愛した画家寺崎武男・生誕140年」が館山市の南総文化ホールで開催される。NPO法人安房文化遺産フォーラムが主催し、25日から4月5日までの間で展覧会、1日にはシンポジウムが開かれる。

寺崎は、1907(明治40)年にイタリアへ渡り、ヨーロッパ美術の技法を研究し、日本に紹介した近代絵画の先駆者。大正末期からは館山市に暮らし、戦後は安房第一高校(現安房高校)の美術講師としても後進の育成に努めた。

同NPOでは、2019年に寺崎に関する多数の作品や手帳、スケッチ帳、はがきなどを遺族から寄贈され、それらの資料から交遊や芸術への情熱などの調査分析を続けている。

生誕140年を迎えた今年、安房で活躍した寺崎について改めて認知を広げ、地域の誇りとして次世代に伝えていきたいと、調査報告などの催しを開催することになった。

展覧会では、終戦の翌年に描かれた屏風画「平和来たる春の女神」や1926(大正15)年の第1回聖徳太子奉讃美術展覧会出品のフレスコ壁画「ヴェニスの女」など約40点の展示を予定。

シンポジウムでは、同NPOの愛沢伸雄代表による調査報告「手帳と書簡から見える寺崎武男の世界」、大阪芸術大の石井元章教授の「日伊交流史における寺崎武男」と題した基調講演が行われる。

展覧会は、午前10時~午後4時(最終日3時)、月曜日休館、入場無料。

シンポジウムは、午後2時~4時、資料代として500円。

⇒ 詳細はこちら。