メディア報道

【NHK沖縄】240717沖縄戦79年 “戦跡の活用の見直しを”

▼ニュース動画あり
(5’45”~ 池田恵美子が登場します)

https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20240717/5090028669.html

沖縄戦当時、旧日本軍の野戦病院として使われた南風原町にある陸軍病院壕。17年前に戦争遺跡として公開され、平和学習の場にもなっていますがもっと活用できるのではないかという指摘も出ています。模索する動きを、西銘むつみ記者が取材しました。

沖縄戦で住民の4割以上が命を落とした南風原町です。
住宅の塀に残る弾痕は、激しい戦闘をいまに伝えています。

町内の高台にある緑地帯、黄金森です。ここには旧日本軍の野戦病院、沖縄陸軍病院の壕がおよそ30か所、造られました。

この「沖縄陸軍病院南風原壕」の中で、唯一、公開されているのが、20号と呼ばれる壕です。

学芸員の保久盛陽さんに(34歳)案内してもらいました。

(保久盛陽さん)
「発掘調査をした際に出てきた医薬品類の一部をこちらに展示しています」

病院壕では軍医や看護婦、衛生兵、それに、ひめゆり学徒隊が、戦場から運ばれてくる負傷兵の看護にあたりました。

(保久盛陽さん)
「ちょうど私たちがいるこの十字路から出口側ですね。向こう側を下っていくところが患者の病室として使ってた。真っ黒になっているものは、恐らくの米軍の火炎放射器、全面が真っ黒になってますので攻撃のすさまじさがよく分かるのではないかなと思います」

黄金森に点在するおよそ30の病院壕。1990年、町は、その一部を文化財に指定しました。

第2次世界大戦の戦争遺跡を自治体が文化財に指定したのは全国でも初めてのことで、注目を集めました。

文化財指定から17年。緻密な調査や発掘を経て、ようやく病院壕の1つ、20号が公開されたのです。

南風原町は病院壕の近くに展示施設を建設。壕の説明や内部の再現を通して沖縄戦の記憶の継承に力を入れてきました。

いま、病院壕が公開に至るまでの取り組みを紹介する展示会が開かれています。

当時のことを語れる人が激減している中、保久盛さんは、戦争遺跡が持つ重みと向き合い、その活用方法を地域の人たちと見つめ直そうと考えたのです。

(保久盛陽さん)
「現場で調査して体験者からも聞いて、調査の内容と証言をきちんと検証していくという、すり合わせていくという、積み上げていくということを本当にみっちりとやっている時代ですよね。それがやっぱり今はもう難しくなる。より、そういう意味ではきちんとやっぱり考古学的な調査の積み上げと、今まであった体験談をきちんと整理していくという、僕はもう将来、必要になると思います」

(保久盛陽さん)
「本日は当シンポジウム『沖縄陸軍病院南風原壕のこれから』にご参加いただき誠にありがとうございます。よろしくお願いします」

さらに、保久盛さんは同僚と戦争遺跡の専門家などを招きシンポジウムを企画。

戦争遺跡の第一人者の吉浜忍さんは、文化財指定という先進的な取り組みをした南風原町だからこそ、もっと踏み込んだ対応をしてほしいと呼びかけました。

(吉浜忍さん)
「南風原の平和行政は停滞しているんじゃないか、ダイナミック性がない。まず案内板の設置、壕と壕を結ぶ遊歩道の整備、たこつぼ壕跡の整備。黄金森は、皆さんお分かりですよね、壕だけじゃないんだよ、黄金森全体をどう活用するか」

20号の発掘調査を行った専門家は、壕内の堆積物など考古学の視点から調査することで体験者の証言を科学的に裏付けられるとして、今後、ほかの壕の調査が進むことに期待を寄せました。

(池田榮史 元南風原町文化財保護委員)
「考古学的な発掘をやれば、壕を作る時の情報、使っていた時の情報、廃棄した時の情報、そして戦後の時間の経過の中で埋まっていくプロセスというのが全部、分かることになります」

戦争遺跡に関心を持ってもらうため、史跡や観光と組み合わせて案内する千葉県館山市と地元のNPO法人の取り組みも、先進事例として紹介されました。

NPOの共同代表、池田恵美子さんは市内に南風原町と同様に旧日本軍の壕、「赤山地下壕」があると説明。

さらに、江戸時代の長編小説「南総里見八犬伝」のゆかりの地で、多くの城跡があることを示しました。

(NPO法人 池田恵美子共同代表)
「(館山市は)南総里見八犬伝のモデルになる大名、里見氏が170年にわたって治めていました。そして、多くの城跡があります。狭い半島の先端部に城跡群と戦跡群が重層的に重なっていることが、だいご味といえます。市の構想は赤山地下壕を核として、関連史跡や観光施設などをネットワーク化し、そして、3つのエリアをつないで滞在型の観光を目指すというものです」

保久盛さんはいま、館山市のように、南風原町も地域にあるさまざまな資源を結びつけることで、沖縄戦について関心を高めてもらうことができないかと考えています。

(保久盛陽さん)
「戦争遺跡という1つの内容だけですると、注目する人や知りたい人はどうしても限られてくる。黄金森も実はやっぱり虫とりに来る子どもたちがたくさんいるし、お散歩する方々もたくさんいるというところで、さらに今でも、お祈り、拝所として機能している使われている場所もありますので、そうした、いろいろな地域の暮らしとか自然だったりって事もうまく組み合わせると、裾野を広げることができるということはあるのかなと思う」

【取材後記】
暮らしの中にある戦争遺跡に気づいてもらうことで、沖縄戦を遠い過去の出来事で終わらせないようにしたいという保久盛さんたちの取り組み、大切な視点だと感じました。

 

【沖縄タイムス】240717 南風原病院壕 活用探る

南風原病院壕 活用探る
地域と関わり議論
現地入り平和学習に効果

(沖縄タイムス2024.7.17付)

南風原町の沖縄陸軍病院南風原壕のこれからと、戦争遺跡の活用の可能性を考える「壕シンポジウム」(主催・町、自治総合センター)が14日、町内で開かれた。病院壕の保存・活用に至る歩みを振り返った他、別の地域で取り組まれている事例の報告があった。

(社会部·當銘悠)

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【琉球新報】240717 南風原でシンポ

沖縄戦「現場で追体験を」

南風原でシンポ 病院壕活用考える

(琉球新報 2024.7.17付)

1990年に全国で初めて南風原町が戦争遺跡を文化財として指定した沖縄陸軍病院南風原壕(病院壕)の保存・活用に関する取り組みを振り返り、課題や目指すべき活動を考える「壕シンポジウム」が町立中央公民館で開かれた。関わってきた研究者らは「前例のない取り組みだった」と町の主体的な取り組みを評価。複数からなる壕群のうち、埋没している24号壕の整備公開や黄金周辺の戦跡の保存活用を求める意見が相次いだ。町と一般法会員治総合センターの主催で、約150人が参加した。

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【房日寄稿】240612_アワビとハリウッド千倉も忘れないで(鈴木政和)

(房日新聞 2024.6.12.付)

野球で今、全米ファンの心を虜(とりこ)にしている選手がいる。大谷翔平選手である。ダルビッシュ有選手は先発投手として日米通算200勝を達成し、他の日本人選手も輝かしい活躍で、日米の野球ファンを魅了している。大谷選手はドジャースに移籍し、ロサンゼルス市議会から、5月17日は大谷翔平の日と定められた。素晴らしいことである。 続きを読む »»

【房日寄稿】240517_教育とは~母親大会からの学び(本明明香)

「教育とは?~母親大会からの学び~」
.. 本明明香(母親大会実行委員/南房総)

(房日 2024.5.17付)

昨年12月に開催された第29回安房地域母親大会では、映画『夢みる小学校』上映会と、世田谷区立桜丘中学校の西郷孝彦前校長のトークセッションを行いました。映画には未来の教育のヒントがたくさんあり、西郷先生のお話では、子どもの気持ちに寄り添う改革に感動しました。桜丘中学校では、合理的配慮の結果、校則、定期テスト、宿題廃止となりました。

昨年度、わが子の不登校を通じてさまざまなご縁があり、学校教育について多角的に考える機会となりました。学校の意義とは何でしょう。教育すべきことは何でしょうか。

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【房日】240428_「大神宮の森」でフォーラム

「大神宮の森」でフォーラム
オンラインで全国の130人に配信

(房日新聞 2024.4.28.付)

館山市の安房神社の周囲の森に、縄文時代に由来する道や集落などを再現して次の世代につなぐ取り組み「安房大神宮の森コモンプロジェクト」を広く知ってもらうことを目的とした「安房の森 風土・歴史フォーラム」が27日に開催された。関係者約40人が集まった館山市の館山野鳥の森多目的ホールから、事前に申し込んだ全国の約130人にもオンラインで配信された。

最初にプロジェクトの代表で、館山市の「森づくり大使」を務める高田宏臣さん(54)が、構想の内容やこれまでの活動を報告。館山市と南房総市をまたぐ約55ヘクタールの森にはかつて集落が点在し、人々が自然と向き合いながら農耕などを行っていたことを紹介し、通り道や集落を復元して自然や野生動物とともに暮らす環境をつくることで、人間の心の豊かさを取り戻したい、と訴えた。

続いてプロジェクトの運営委員会に加わっている同市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」共同代表の池田恵美子さんが「逆さ地図から見る安房の地」と題して講演したのに続き、高田さんと池田さん、26日まで5日間にわたり森の中で行われた企画「縄文集落&縄文小屋をつくろう!」で棟梁(とうりょう)を務めた「縄文大工」の雨宮国広さん(55)が対談。

人間の共有物としての森を守り、育てて次の世代へ受け継いでいくことの意義と、広くコストを負担してプロジェクトを支えることへの理解と協力を呼び掛けた。

関係者らはフォーラムの後、実際に森の中に足を運び、豊かな自然が残っている状況や、プロジェクトの一環で高田さんらが一般参加も呼び掛けて復元している縄文時代の道や掘っ立て小屋の様子を見学した。

【東京新聞】240425_「安房大神宮の森」守り育み次世代へ

(東京新聞 2024.4.25付)

森は先人からの預かりもの

「安房大神宮の森」を守り、育み、次世代へ

NPO法人・高田さんがプロジェクト

 

縄文時代からの先人に学び、山と人が永続的に付き合うモデルの森にしよう-。自然環境の再生に取り組むNPO法人「地球守(ちきゅうもり)」の高田宏臣さん(54)=千葉市若葉区=が、安房神社(館山市大神宮)の周辺に広がる森で「安房大神宮の森コモンプロジェクト」を始めた。同志を募りながら古道や水場、集落を再生し、次世代に手渡す取り組み。土地に合った再生に向けて地域の歴史などを学ぶ連続講座も開催。第1回が27日、オンラインで開かれる。(山本哲正)

 

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【房日】240425_縄文集落&小屋をつくろう!

(房日新聞 2024.4.25付)

「縄文集落&小屋をつくろう!」 館山・大神宮の森で26日まで

館山市の「大神宮の森」で、縄文時代の小屋や集落を再現する企画「縄文集落&縄文小屋をつくろう!」が行われている。26日まで。期間中、関東地方を中心に関西や東北などから延べ約180人が作業に参加する。

豊かな自然が残る安房神社周辺の森を次の世代につなぐ活動に当たる市民団体「安房大神宮の森コモンプロジェクト」(高田宏臣代表)が、「JOMONさん」の愛称で親しまれる山梨県在住の元宮大工で「縄文大工」を自称する雨宮国広さん(55)を「棟梁」に招いて企画した。

竹やぶを切り開いて整地した長さ約8メートル、幅約4メートルの区画に直径約20センチ、深さ約60センチの柱を立てる穴を12カ所掘る。そこにスギやヒノキ、竹を資材にして小屋を建てる。

代表の高田さん(54)は今回の取り組みについて、「土地に負担をかけない暮らし方、人間が忘れてしまった暮らし方を実践したい」と話す。今後も月に1回程度、参加者を募り、徐々に道を延ばし、森の各所に同様のつくり方で小屋などを建てる取り組みを続ける。

雨宮さんは2017年に、石川県能登町の真脇遺跡で今回と同様のつくり方で縄文式の竪穴式住居をつくった。この建物は、今回の能登半島地震の揺れにも無傷だったことから、地元で驚きの声が上がったという。

雨宮さんは今回の取り組みに賛同した理由について「全ての生き物が幸せになる暮らしづくりという趣旨は、私が目指しているものと一緒」と話す。今後も自分の活動の合間に大神宮の森に足を運んでプロジェクトに関わるという。

今回のイベントでは、参加者から参加費(一般で1日7000円)を募った。材料の実費や昼食代、保険代の他、森を維持、管理するコストをみんなで負担し合い、広く森を共有するためだ。今後も、森を整備するさまざまなイベントを実施する計画で、高田さんは費用負担への理解と多くの参加を呼び掛けている。

⇒ 詳細はこちらへ。

【房日】240420_「大神宮の森」を次世代に 理解求めオンラインでフォーラム

(房日新聞 2024.4.20付)

館山市の安房神社の周囲に広がる大神宮の森に、縄文時代に由来する古道や集落などを再現し、次の世代につなごうという計画が、4月から動き出した。

この活動に取り組むNPO法人などでつくる「安房大神宮の森コモンプロジェクト運営委員会」が、取り組みの内容を広く知ってもらうためのフォーラムを、27日午前10時~正午にオンラインで開催する。定員500人。参加者を募集している。

無料だが、活動資金を応援する1000~5000円の寄付つきチケットもある。希望者は専用フォーム=二次元コード=から申し込む。

⇒ 第1回安房大神宮の森 風土・歴史フォーラム

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【房日寄稿】240206-10 新資料からみる戦時下の安房高女①~⑤

⇒ 全文:論文データベース:愛沢伸雄
「新資料からみる戦時下の安房高等女学校」

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房日寄稿 ① 2024.2.6付
房日寄稿 ② 2024.2.7付
房日寄稿 ③ 2024.2.8付
房日寄稿 ④ 2024.2.9付