お知らせ

040822八木直樹さま*第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会

アフガニスタン・イラクと、アメリカのしかけた戦争に引きずられるように、日本の自衛隊派兵が拡大し、平和憲法の改正までもが堂々と公言されるようになりました。私は、日本がだんだん戦争を仕掛ける国へと変わってゆくようなこの流れに危機感を抱き、60年前の戦争について改めて考えてみようと思い、今回館山市で開かれたシンポジウムに参加しました。


振り返ってみれば、私は過去の戦争について学校で教わった記憶がほとんどありません。アメリカと戦争をして負けたこと、広島に原爆が落とされたことぐらいだったと思います。1985年私が二十歳のとき、そのころ横浜市に住んでいましたが、神奈川新聞に連載記事がのりました。私と同い年の在日韓国人二世の女性を追ったものでした。

なんで日本に生まれ育ち僕と同じ時代を過ごしてきたのに彼女は外国人登録証を持ち指紋押なつをしなければならないのか、なぜ彼女の住む川崎市には在日韓国・朝鮮人が多いのか、そんな疑問が過去の戦争の歴史を学ぶきっかけとなりました。その年はちょうど戦後40周年の節目のとしでした。当時は、戦争の傷跡を風化させてはならない、平和な社会を大切にしよう、そんな空気がマスコミにも社会にもあったと思います。(指紋押なつは1992年、永住者に限って廃止)


さて、シンポジウムに参加して初めて知ったことなのですが、館山市には47ヶ所もの戦争遺跡があり、さらに私の住む三芳村にもわが家から何㎞も離れていないところに、特攻機「桜花」のカタパルト発射台跡が残っているのです。

南房総は東京湾の入口にあたり、「本土決戦」が現実的な状況になってきた戦争末期に最も重要な地帯として位置づけられて、7万人に近い軍隊が配備され、さらには住民、学生、朝鮮人の強制労働も投入されて、燃料タンク基地、地下壕、航空機を隠す掩体壕(えんたいごう)、水中特攻兵器「海竜」基地、水上特攻艇「震洋」基地3ヶ所、魚雷発射基地4ヶ所、航空特攻機「桜花」発射基地などが建設され、8月15日の終戦までにすでにいつでも戦える態勢をほぼ終えていたということです。実はアメリカ軍は1946年3月1日に「コロネット作戦」と呼ばれる関東上陸作戦を予定していました。ですから、終戦がもし遅れたならば、房総半島南部は、1945年3月〜6月の3ヶ月間に日本兵約7万人、住民約1万人が亡くなった沖縄戦と同じ状況になったに違いありません。


房総半島で、本土決戦の準備が進められているのと同じころ、1944年10月に長野県松代(まつしろ)町(今は長野市)で延べ10キロあまりの巨大な地下壕の建設が始まりました。これは松代大本営と呼ばれています。大本営とは、戦時中に天皇が統師した軍の最高統師機関です。本土決戦に備えて、大本営と政府の主要機関を避難させる計画でした。そのうち天皇・皇后の居る場所は御座所と呼ばれて、一般には全く物のなかった時期に特別な建築材料が使われていました。終戦直前の1945年7月末には松代への移転の準備もできていましたが、実現しないまま終戦を迎えました。

前戦の兵士や住民を犠牲にして天皇や軍の指導者達はひたすら生き残ろうとした歴史的事実を示す場所として貴重な遺跡であるとの考えから、現在松代では保存運動と見学者へのガイド活動がすすめられています。


横浜市港北区日吉でも戦争遺跡の保存運動が行われていますが、マンション建設のため危機にさらされています。慶應義塾大学日吉キャンパスの下に延べ2.6㎞もの地下壕があります。地下壕とつながった地上の寄宿舎には連合艦隊の司令部が置かれ、地下の電信室では1944年9月から終戦までの海軍の作戦状況が手に取るようにわかっていたそうです。

慶應義塾では約3千人の学生が出陣して2千人以上が亡くなったといいます。


私たちは農業で暮らしています。農業は届けた作物を食べている人たちの平穏な日々を支える仕事だと思います。一方で年で暮らす人たちは、非常事態となれば日々の食事をとることさえ困難になることは、戦中戦後の歴史が教えてくれます(だからこそ現在の日本の食糧自給率40%は大変危ういことであって、年に暮らす人たちこそ、衰退する日本の農業の現実とこれからどうしたらいいかということを考えて欲しいと思うのです)。そんなわけで、農業の現場にいると戦争と平和について考えてしまいます。

過去の歴史事実と現在の政治の動向に無関心でいると、いつの間にか言いたいことも言えない世の中になってしまうのではないか、そんな心配をしています。皆さんも子どもたちの未来に責任を持つため、一緒に考えませんか。

【韓国ハンギョレ新聞】100819日中韓青少年キャンプ

2010年8月4〜9日に、第9回日中韓青少年キャンプin安房が開かれ、

三国から160名の若者が集い、フィールドワークと熱い討論を交わしました。

⇒参照:Blog安房国再発見http://ameblo.jp/awabunka1/theme-10025918716.html

.

このたび、韓国ハンギョレ新聞に紹介されました。

印刷用PDFは最下段の添付ファイル参照 ↓↓

=⇒翻訳は黄色の吹き出しにカーソルを合わせてください。

NPOだより№36〜2010.8.15

NPOだより№36-1NPOだより№36-2

印刷は最下段の

添付ファイルから

↓↓↓↓

 

■知恵袋講座

・8/24(火)石神正義氏「筆頭・立て直し人、その人生」

・9/28(火)梅園忠氏「安房の地域医療の歩みと現状」

■ウミホタル合唱団・安房

・8/17、8/26、9/9、9/16(木)館山市中央公民館

■フィルム上映会「終戦直後のアメリカ占領軍、館山上陸シーン」

・9/3(金)13:30〜館山地区公民館

.

■東アジア100年、南房総・安房から平和と交流の21世紀を〜

第9回日中韓青少年歴史体験キャンプ、安房を舞台に大成功!

…⇒詳細レポートは、Blog安房国再発見へ。

8/15藤沢『赤い鯨と白い蛇』上映会

■映画『赤い鯨と白い蛇』上映会&あべともこトークショー

【日時】2010年8月15日(日)13:30〜16:30

【会場】神奈川県藤沢市民会館第一展示ホール

【入場料】前売:500円/当日:600円

【内容】 ⇒ 詳細はコチラ

…映画上映

…対談:あべともこ議員と池田恵美子(NPO法人安房文化遺産フォーラム)

【問合せ】あべともこ事務所0466-52-2680

レポートはブログから

【房日】100730*池田匠君、タカラガイ図鑑に

小6が地元で集めた宝物
館山の池田匠君
宝貝をオリジナル図鑑を

.

館山市長須賀の池田匠君(11)=北条小6年=が、同市を中心とした海岸で拾い集めたタカラガイのコレクションをまとめたガイドブック『館山のタカラガイ図鑑』を発行した。南房総で見つけることが可能なおよそ50種類のうち36種類を掲載。「この図鑑を手に収拾を楽しんでもらえれば」と池田君。

丸みを帯びた卵のような形状が特徴のタカラガイ。池田君が魅せられたのは、小学2年生の時に参加したイベントがきっかけ。海辺で活動するNPOや収集家から「タカラガイの形から貝という漢字ができたことや、世界で200種類があり館山周辺では50種類ほどが拾える」ことを教えてもらい「ワクワクして興味がわいた」。

そして父の保之さんら家族の協力で本格的な収拾活動をスタート。一時は、週末になると市内から南房総一帯の海岸に足を運び、夢中になって海岸に打ち上げられたタカラガイを探し歩いたという。

これまで集めたコレクションは36種類。中には巻貝のような形態が現れた、収拾マニア垂涎の貴重な変型フリークもある。北条小が実践している「マイプラン」と呼ばれる個人の自由研究でもテーマにしており、今でも自他ともに認める立派なタカラガイコレクターだ。

そんな池田君が不便に思っていたのが、ガイドブックがないこと。「世界中のタカラガイを紹介する本格的な図鑑ではなく、持ち運びができて、館山周辺の種類は一目でわかるものがあれば」と考えた。

◇NPOがガイドブックに仕上げる

インターネットのアルバム作成サイトを使い、全コレクションをまとめて、全20冊をつくってみたところ、コレクターやNPO法jん安房文化遺産フォーラムが高く評価。同NPOが版権を譲り受け、ローカルなガイドブックに仕上げた。

「集めたタカラガイは僕の宝物。出版してもらい小学校生活の記念になった。海岸でこの図鑑を持った人と会えたらうれしいです」と池田君。

「今度は生きたタカラガイの飼育や違う種類の貝の収拾にも挑戦しようかな」と夢を膨らませている。

A6判、64ページのポケットサイズ。カラー写真と簡単な解説で36種類のタカラガイと2つの変形フリーク、そのほかの貝やイルカの耳骨の化石なども紹介している。600円で宮沢書店と松田屋書店で販売。

(房日新聞2010.7.30付)

 

書籍紹介はコチラ

【房日】100729*安房地方公民館連携講座

赤山地下壕や四面石塔見学

安房地方公民館連協講座に市民70人

.

安房地方公民館連絡協議会の講座「見たり聞いたり安房の国」が24日午前10時から館山市コミュニティセンターでスタートした。3市1町の公民館が連携し、年間を通し全4回で開催する講座。1回目のテーマは「館山市の戦争遺跡とハングル『四面石塔』」で、70人が参加した。

NPO安房文化遺産フォーラム事務局長の池田恵美子氏が講師となった。午前の座学では、池田氏が市内にある赤山地下壕跡や大巌院の四面石塔などについて開設した。

午後からは2班に分かれて見学し、大巌心では、石川龍雄住職が寺の成り立ちや文化財などを紹介。赤山では文化遺産フォーラムのメンバーが地下壕を歩いて説明し、参加者は興味深げに見入っていた。

鋸南町から参加した男性は、「地元のことでさえ興味なければ知らない。ましてや館山だと初めて知ったことばかりで良かった」と話した。

.

(房日新聞2010.7.29付)

100724安房連携講座

「見たり・聞いたり 安房の国」アンケート(H22.7.24館山市開催)

◎ 午前の講座

・NPO立ち上げの経過とか、建設当時の人たちへの聞き取りなど、いろいろご苦労されたことが良く分かりました。

・大変解りやすく、戦争を知る者にとっては懐かしく、ちょっと終戦が遅れてくれば房州はなかったのではないかと思い、運の良さをつくづく有難いと思います。有難うございました

・館山近辺の戦争遺跡、大巌院にまつわるいろいろのお話、解りやすく楽しく聞かせていただきました。話の中で、八犬伝にまで及ぶ事柄は予想外で、大変面白く感じました。

・大変解りやすい説明とお話に引き込まれてしまい、ためになりました。

・池田講師は聞きやすく、丁寧で大変良かった。

・初めてこの講座に参加して感心しました。講師の素晴らしいお話に、もっともっと詳しく聞きたい気持ちです。有難うございました。

資料は、家に帰ってゆっくり読ませていただきます。

・ボランティアの方なのに、とても良く研究されていて弁舌さわやか、間髪いれずにさわやかな話し方に2時間の講義もあっという間に終わりました。

館山のボランティアの方々の中でも代表してお話してくださる方なので、遺跡の概要も「四面石塔」のお話も午後の学習に繋がりました。

・池田会長の語りに引き込まれてしまい、あっという間の2時間でした。楽しかったのですが口調が早かったので、もう少し、ゆっくりとお話していただけると更によかったと思います。

・逆さ地図を使用したユニークな話し、又、中国、韓国等の文化など広い視点、視野からの説明も大変良かった。

・学校の授業よりどれだけ面白いか。各中学、高校にお話に行かれているのか?

 

 

◎ 午後の講座

・ボランティアガイドさんがいろいろ勉強されていて、解説が良かったのでよく分かりました。

・赤山地下壕を見学しての感想

赤山地下壕については、以前から断片的な情報を聞いており、一度見学したいと思っておりましたが、今回この講座に参加し、思いが叶ってよかったと思います。

実際に地下壕を見て、見る前に想像していたよりも規模が大きく非常に驚きました。よく、戦前直前の物資の無い時に、これだけの規模の壕を掘った人達の苦労を思うと感無量です。

私事ですが、私も現在74歳で、あの終戦の時は9歳で東京浅草から宮城県の松島へ集団疎開の最年少組でした。色々なことがありましたが、その頃はまだ幼くて戦争のことは良く解りませんでしたが、成人して戦争について様々なことを知り、なんと愚かなことをしたんだと慙愧に耐えません。

最近も、大戦中フランスのユダヤ人がフランスの官憲によって数千人が強制収容所に送られ、ガス室で殺害されたという実話の小説を読んだばかりだったので、特に感慨深いものがありました。

今後とも、この種の戦争遺跡等を修復し、保護し、後世の人達への戒めとして残していくことが必要だと痛感いたしました。

・今日のお話は、ただ驚くばかりでした。

戦跡については、身近なところで密度の高いことが行われていたこと、人知れずどのようなものか知って73部隊の人が真菌の研究をされ、社会に役立たれたとお聞きし、人間の平和は世界共通でなければならないと強く感じ、いかに人間教育の大切さを強く強く思います。

・現地にてよく説明していただき、よく解りました。

・ユーモア等交えて、説明上手で大変良かった。

・赤山地下壕を始めて見学しました。地層をしっかり見ながら、壁の鶴嘴の跡がしっかり残っており、これだけの大きさ・長さを掘るのにさぞ大変だったろう、延べ人数はどのくらいの人達が関わっていたんだろうかと思いました。会議室、事務室、病室等々あったとのこと、ただ驚くばかりでした。この地下壕は、永遠に残して戦争の悲惨さを語りついでほしいと思います。お話をしてくださった皆様有難うございました。

・壕の見学、戦前に造られたとの話を伺い考えさせられました。私も昭和19年に疎開してきて安房は東京より安全と思っていましたが元空隊があったので、あの壕が造られたと知りびっくりしました。でも、平和になり考えさせられる事が沢山ありました。説明してくださった方の心のこもったお話にも感動しました。

・近隣の市町村に住んでいながら初めて赤山を訪れた。戦跡が多く残ることを知り安房の歴史的価値の高さを実感した。

 

 

◎ あなたが関心を持っているテーマや聞きたい話、その他お気づきになられたことをご記入ください。

・房総の地質及び火山帯はあるのか、いつか地震は起きるのか

・房総に在る昔話等(各地区に)地域との関連等知りたいと思います。

・歴史、里山歩き、地形など

・平和を願うこと、再び戦争をしてはいけないこと、郷土を、そこに住む人達で大切に守り伝承していくこと

・NPO会員募集について、特色やメリット等についてパンフレットの内容を具体的に話されて方が、効果が上がると思う。

 

 

 

【房日】100722*赤山地下壕に大型バス駐車場完成

赤山地下壕の駐車場完成

大型バスのスペースも

.

館山市の戦争遺跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡(通称・赤山地下壕跡)」の見学者用に、同市が今年3月から整備を進めていた駐車場が完成、供用を開始した。要望が多かった大型バス用の枠も確保しており、「学習旅行やツアーなどでの見学者増につなげたい」と同市。

赤山地下壕跡は、全長約1・6㌔と全国的にみても大規模な防空壕で、市の史跡にも指定されている。平成16年4月から一部を公開しており、年間1万5000人前後、昨年は個人と団体合わせて1万7000人余りが見学に足を運んでいる。

マイカーなどの見学者については、これまで豊津ホールの駐車場を提供していたが、十分な広さとはいえず、大型バスをとめる余裕も無し。地下壕の認知度が高まり団体の見学者が増加する中、専用駐車場の整備が求められていた。

完成した駐車場は、ホール東側にあった高台の駐車スペースを改良して広げたもの。土手を切り取り約1000平方㍍の平地を造成、アスファルト舗装を施して、乗用車18台分、大型バス2台分の駐車枠を設けた。

また、駐車場から地下壕入り口まで、約120㍍のアプローチ道の所どころにあった未舗装部分も、「雨天時には、ぬかるんで足元が悪い」などと不評だったことから、アスファルト舗装で解消した。

総工費は約2140万円で、地域活性化・経済危機対策臨時交付金を活用した。今後、市では案内看板なども設置していく予定。

【写真説明】大型バスのスペースも設けた駐車場=館山

(房日新聞2010.7.22付)