秀吉の朝鮮侵略後、平和を願った供養塔
ハングル「四面石塔」400年記念 コンサート&シンポジウム
(東洋経済 2024.11.1)
平和のメッセージを伝える「四面石塔」
(東洋経済 2024.11.8.)
千葉県館山市の浄土宗大巌院にあるハングルが書かれた「四面石塔」(千葉県」指定有形文化財)は、豊臣秀吉の朝鮮侵略と関連した平和祈願をこめた供養塔と推測される。400年前の先人に思いを馳せ、東アジア世界お善隣友好を育むイベント「ハングル『四面石塔』400年記念コンサート&シンポジウム」が9日、千葉県館山市の浄土宗大巌院で行われる。 続きを読む »»
館山・大巌院の「四面石塔」
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11月にNPO法人安房文化遺産フォーラム
(房日新聞2024.9.12.付)
館山市大網の寺院、大巌院の境内にある「四面石塔」。江戸時代初期のものといわれ、今年で建立から400年になる。安房地域の自然や文化財などを生かした地域づくりを進めるNPO法人安房文化遺産フォーラムがこの秋、記念行事を計画している。
大巌院は、現在の千葉市にある大巌寺の3世住職、雄誉霊巌(おうよれいがん=1554~1641)が、安房国主だった里見義康の帰依を受けて江戸時代初期の1603年に開いた浄土宗の寺院。
県教育委員会のホームページ(HP)によると、石塔は玄武岩で造られているとみられ、高さは2・19メートル。石に刻まれた記録から、元和10(1624)年に建てられたとみられている。北を向いた面にインドの梵字(ぼんじ)、西面に中国の篆字(てんじ)、東面に朝鮮のハングル、南面に日本の古い漢字で、それぞれ今の日本の漢字にして「南無阿弥陀仏」と刻まれている。
このうち、ハングルは15世紀につくられた「東国正韻式」という古い文字で、100年ほどで消滅した。今の韓国国内にもあまり残っていない文字で、石塔が建てられた当時、すでに朝鮮半島でも使われていなかったと言われる。
石塔が建てられた年は、豊臣秀吉の朝鮮侵略から三十三回忌に当たる。このため、石塔は平和への願いを込めた供養塔と推測されるという。1969年に県の有形文化財に指定された。
安房文化遺産フォーラムの代表で、高校の世界史教員だった愛沢伸雄さんが、石塔を授業の教材にしたことを研究集会などで発表し、日韓の歴史教育者の間で注目されるようになった。
日韓の国民交流年だった2002年に館山市で開催された日韓歴史交流シンポジウムの際、来日した韓国・東国大学校の張榮吉(チャン・ヨンギル)教授は、石塔の東面に刻まれた文字は、古いハングルと漢字が併記された阿弥陀経の本が参考にされたとの見方を示した。この本は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に朝鮮半島に持ち込まれたとみられるという。
愛沢さんは「雄誉と里見氏の関わりや、江戸幕府の外交政策を見つめ直すことで、四面石塔から朝鮮との関係が見えてくるかもしれない」と話している。
記念行事は、11月9日にフォーラムが主催して行われる。第1部は、午前10時から大巌院で四面石塔の見学(無料)と、東京出身の在日コリアン2世の歌手、李政美(イ・ヂョンミ)さんの奉納コンサート(参加費1000円、定員60人)が行われる。
第2部では、午後2時から県南総文化ホールで歴史シンポジウム(資料代1000円、定員300人)が開かれる。「四面石塔の謎をさぐる」と題して、里見氏研究者の滝川恒昭・敬愛大学特任教授や、石造文化財研究者の早川正司氏、大巌院の石川達也副住職ら6人が登壇する。
シンポジウムは予約不要だが、李さんのコンサートは予約が必要。詳しくは、安房文化遺産フォーラムのHP=二次元コード=へ。
ハングル「四面石塔」400年記念 コンサート&シンポジウム
(斎藤大宙)
(房日新聞 2024.8.30.)
館山市内にある文化財の保存と活用に向け、同市教育委員会は市文化財保存活用地域計画の作成作業を始めた。第1回計画作成協議会を開催し、委員13人を委嘱した。2026年7月の文化庁認定を目指している。
文化財保護の方針や具体的な事業の実施計画など定める計画。県内では現在、9市の計画が文化庁認定を受けている。安房地域では鴨川市がすでに計画作成作業を進めている。
少子高齢化などを背景に、地域の貴重な文化財を後世に保存、伝えていく担い手の確保などが課題となる中、計画を通して地域の文化財への関心を高め、地域一体となって文化財の保存、活用を進めていこうという。
館山市には、小網寺の梵鐘や金銅密教法具(いずれも国指定重要文化財)、茂名の里芋祭(国指定重要無形民俗文化財)など国、県、市の指定文化財が101件、国、県の登録文化財が16件ある。計画ではこうした指定文化財だけでなく、未指定の文化財の把握なども進め、保存・活用につなげていく。
計画作成協議会は、学識経験者や文化財所有者、商工、観光、行政関係者らで構成。市役所であった初回の会議では、石井浩己教育長が各委員に委嘱状を交付し、計画作成への協力を求めた。
会長には、千葉経済大学教授の菅根幸裕氏、副会長にはNPO法人安房文化遺産フォーラム共同代表の池田恵美子氏を選出。その後、計画作成の目的や運営方法、今後のスケジュールについて話し合った。
今後、来年度までの2年間で5回の会議を開催し、26年3月に計画を完成させ、同年7月の文化庁認定を目指している。
また、計画に多様な意見を反映するため、市民や市にゆかりのある人を対象にアンケートも実施する。アンケートは専用フォーム=二次元コード=からか、市役所本館、市立博物館本館、市コミュニティセンターで配布しているアンケート用紙からも回答できる。期間は9月30日まで。
⇒ 文化財保存活用のためのアンケート
▼ニュース動画あり
(5’45”~ 池田恵美子が登場します)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20240717/5090028669.html

沖縄戦当時、旧日本軍の野戦病院として使われた南風原町にある陸軍病院壕。17年前に戦争遺跡として公開され、平和学習の場にもなっていますがもっと活用できるのではないかという指摘も出ています。模索する動きを、西銘むつみ記者が取材しました。
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南風原病院壕 活用探る
地域と関わり議論
現地入り平和学習に効果
(沖縄タイムス2024.7.17付)
南風原町の沖縄陸軍病院南風原壕のこれからと、戦争遺跡の活用の可能性を考える「壕シンポジウム」(主催・町、自治総合センター)が14日、町内で開かれた。病院壕の保存・活用に至る歩みを振り返った他、別の地域で取り組まれている事例の報告があった。
(社会部·當銘悠)
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沖縄戦「現場で追体験を」

(琉球新報 2024.7.17付)
1990年に全国で初めて南風原町が戦争遺跡を文化財として指定した沖縄陸軍病院南風原壕(病院壕)の保存・活用に関する取り組みを振り返り、課題や目指すべき活動を考える「壕シンポジウム」が町立中央公民館で開かれた。関わってきた研究者らは「前例のない取り組みだった」と町の主体的な取り組みを評価。複数からなる壕群のうち、埋没している24号壕の整備公開や黄金周辺の戦跡の保存活用を求める意見が相次いだ。町と一般法会員治総合センターの主催で、約150人が参加した。
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(房日新聞 2024.6.12.付)
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野球で今、全米ファンの心を虜(とりこ)にしている選手がいる。大谷翔平選手である。ダルビッシュ有選手は先発投手として日米通算200勝を達成し、他の日本人選手も輝かしい活躍で、日米の野球ファンを魅了している。大谷選手はドジャースに移籍し、ロサンゼルス市議会から、5月17日は大谷翔平の日と定められた。素晴らしいことである。 続きを読む »»
「教育とは?~母親大会からの学び~」
.. 本明明香(母親大会実行委員/南房総)
(房日 2024.5.17付)-310x400.jpg)
昨年12月に開催された第29回安房地域母親大会では、映画『夢みる小学校』上映会と、世田谷区立桜丘中学校の西郷孝彦前校長のトークセッションを行いました。映画には未来の教育のヒントがたくさんあり、西郷先生のお話では、子どもの気持ちに寄り添う改革に感動しました。桜丘中学校では、合理的配慮の結果、校則、定期テスト、宿題廃止となりました。
昨年度、わが子の不登校を通じてさまざまなご縁があり、学校教育について多角的に考える機会となりました。学校の意義とは何でしょう。教育すべきことは何でしょうか。
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市部瀬の惨劇
84歳 記憶は薄れず
恩人の使者「アンドウさんの情報知りたい」
(房日新聞 2024.5.2.付)
鋸南町下佐久間で、米軍戦闘機P51が列車を機銃掃射、死者13人、負傷者46人を出した「市部瀬の惨劇」(1945年5月8日)で、当時、館山に疎開していた男性が、父親の依頼で列車に乗車していて被害に遭った人の情報を探している。惨劇から80年になるが、関係者の記憶は薄れない。
埼玉県朝霞市に住む、早川通夫さん(84)。父・兼通さんは海軍の軍医で中佐。一家は北海道登別に住んでいた。早川さんらきょうだいは戦火が激しくなった43年から、館山の知人宅に身を寄せていた。東京大空襲後、関東地方もいよいよ危険となり、早川さんは父のいる北海道に呼び寄せられる。きょうだい合わせて6人で北海道へ向かうことに。
軍人で忙しかった父の使者が「アンドウ」さんという男性。早川さんによると、父の部下ではなく、登別温泉の関係者らしい。複数で列車を乗り継いで館山に向かい、鋸南町で当該列車に乗り合わせ、銃撃に遭ったとみられている。
世はインターネット時代。早川さんは検索するうちに、NPO法人安房文化遺産フォーラムの情報にたどりついた。同NPOの紹介もあり、本紙記者との接触となった。
NPO関係者の身内が、当時の勝山町の助役だった。明確な回顧録が残されており、当時の町役場は、行政として銃撃に遭った人の対応に追われた。回顧録によると、被害者は胸の名札で住所が判明したが、自由にきっぷを買える時代ではなく、死者、負傷者の名簿もつくられなかった。
従軍記録のように長年保管される公文書ではなく、あの列車のアンドウさんがどんなふうに亡くなったのかの記録はない。きょうだいは、この使者グループの行動によって、館山から登別に引っ越し、戦後の生活につながった。
市部瀬の恒久平和の祈念碑を訪れた早川さんは、石碑に頭(こうべ)を垂れて、合掌した。現地の石碑には「死者13人」と刻まれているが、14人という説もある。これはアンドウさんが、現地ですぐに火葬されたという事情からだろうと早川さんは推測する。90歳になる早川さんの姉の記憶では、母親が夜に出掛け、遺骨を抱いて帰宅したという。「アンドウさんの『1人』が数字の差ではないか」と、早川さん。戦時中の混乱は記録の数字さえも狂わせる。
亡くなったアンドウさんは、当時5歳の早川さんを迎えに来た命の恩人。父の使者というだけで、どういう人なのかも分からない。名字の漢字も不明だ。「当時の情報はないに等しい。アンドウさんがどんな人物で、どんなふうに亡くなったのか。少しでも当時の情報があれば、知りたい」と早川さん。
(房日新聞 2024.4.28.付)
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館山市の安房神社の周囲の森に、縄文時代に由来する道や集落などを再現して次の世代につなぐ取り組み「安房大神宮の森コモンプロジェクト」を広く知ってもらうことを目的とした「安房の森 風土・歴史フォーラム」が27日に開催された。関係者約40人が集まった館山市の館山野鳥の森多目的ホールから、事前に申し込んだ全国の約130人にもオンラインで配信された。
最初にプロジェクトの代表で、館山市の「森づくり大使」を務める高田宏臣さん(54)が、構想の内容やこれまでの活動を報告。館山市と南房総市をまたぐ約55ヘクタールの森にはかつて集落が点在し、人々が自然と向き合いながら農耕などを行っていたことを紹介し、通り道や集落を復元して自然や野生動物とともに暮らす環境をつくることで、人間の心の豊かさを取り戻したい、と訴えた。
続いてプロジェクトの運営委員会に加わっている同市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」共同代表の池田恵美子さんが「逆さ地図から見る安房の地」と題して講演したのに続き、高田さんと池田さん、26日まで5日間にわたり森の中で行われた企画「縄文集落&縄文小屋をつくろう!」で棟梁(とうりょう)を務めた「縄文大工」の雨宮国広さん(55)が対談。
人間の共有物としての森を守り、育てて次の世代へ受け継いでいくことの意義と、広くコストを負担してプロジェクトを支えることへの理解と協力を呼び掛けた。
関係者らはフォーラムの後、実際に森の中に足を運び、豊かな自然が残っている状況や、プロジェクトの一環で高田さんらが一般参加も呼び掛けて復元している縄文時代の道や掘っ立て小屋の様子を見学した。