大会アピール

●あらゆる戦争に反対し、戦争の真実を語り継ぐため

.戦争遺跡保存の運動をさらにすすめましょう!


2004年8月21・22日の2日間、私たち参加者400名は全国から千葉県館山市につどい、「第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会」を開催しました。シンポジウム開催にあたり、館山市、館山市教育委員会をはじめ、共催・後援をいただきました皆様に心より感謝いたします。

開催地の館山市を中心とする南房総一帯は東京湾の入口にあたり、かって帝都東京を防衛するための要塞地帯として、また「本土決戦」の上陸地点として多くの軍事施設設けられた地点です。館山市周辺には、館山海軍航空隊、館山海軍砲術学校、洲ノ埼海軍海軍航空隊など47余の戦争遺跡が残されています。

館山市は「地域まるごとオ-プンエア-ミュ-ジアム・館山歴史公園都市」構想に基づいて館山海軍航空隊赤山地下壕跡を保存・公開し、観光交流・平和学習の拠点としての活用をすすめています。また、市民団体として「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォ-ラム」が調査・研究、案内活動にあたっています。自治体と市民団体が互いに協力して戦争遺跡を国民的な文化遺産として保存・活用する館山市の先進的な取り組み(経験)を学ぶことができた今大会は、全国各地で同様の運動をすすめて来た私たちにとって大きな成果となりました。

文化庁は2002年8月、「近代遺跡(軍事)調査」の詳細調査対象50件を選び、2003年度に調査を実施しました。調査は、短日時の現地確認を主としたもので歴史的意義を含めた正確な把握がなされているのか疑問が残るものになっています。しかし、その結果により国史跡指定への道を開くものととして期待し、その動向に注目するものです。

「近代化遺産総合調査」の進展の結果、国・地方自治体によって史跡・文化財(指定文化財・登録文化財)となった戦争遺跡数は96件に増加しました。戦争遺跡に関する出版やマスコミ報道も格段に増えています。1990年、沖縄県南風原町の陸軍病院壕が町文化財の指定を受けて以来わずか15年間で生まれたこうした状況は、戦争遺跡保存運動の成果であると同時に、戦争遺跡が21世紀に継承すべき国民の共有財産として広く認知されたことをしめしています。

しかし一方で、神奈川県横須賀市の海軍航空技術廠の解体問題をはじめとして、都市開発による破壊、安全面を理由にした取り壊しなど、憂慮すべき事態も数多く生まれています。特に詳細調査対象から漏れた戦争遺跡については改変、消滅が急速にすすむ心配があります。私たちは、文化庁に対して調査結果の公表と一日も早い史跡指定を要望するとともに、今回調査対象から漏れた多くの戦争遺跡についてさらに追加調査を実施するよう求めるものです。また、地方自治体にあっては国の決定を待つことなく、独自の調査、保存、史跡・文化財への指定を積極的にすすめることを要望します。

2003年3月20日に始まったイラク戦争は、日々新たな犠牲と文化財の破壊・掠奪行為を生み出しています。日本政府はイラクに自衛隊を派遣し、暫定政府成立後も「多国籍軍」の一員として駐留を続けています。また国内では、日本国憲法第9条の「改正」が堂々と主張されるようになっています。私たちは、戦争が現実問題となってしまった現在、日本を戦争のできる国にしようとする風潮に強い危惧を覚えるものです。

私たちは、館山大会でかってこの地が軍事施設の集中する要塞地帯として、「機密保護」の名のもとに厳重な監視下におかれ、目と耳をふさがれていった状況を学びました。この歴史の教訓と重ねあわせた時、日本を再び戦争をできる国にしてはならないとの思いを強くするものです。

「新たな戦争遺跡をつくらない」ことを共通の願いとして全国から集まった私たちは、2日間のシンポジウムを通じ、戦争遺跡保存運動の意義と役割について学び、改めて確信を得ることができました。今回のシンポジウムで得られた成果を全国各地でいかしながら、私たちの運動をさらに広げていくことをここに決意します。平和を願う多くの皆さんに、戦争遺跡保存運動への支援と参加を訴えてアピ-ルとします。


2004年8月22日

第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会

戦争遺跡保存全国ネットワ-ク