青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

《海の幸》

青木繁 1904年

石橋美術館所蔵



青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

1904(明治37)年夏、22歳の青年画家・青木繁は画友の坂本繁二郎・森田恒友・福田たねとともに房州布良(千葉県館山市富崎地区)の漁家・小谷(希録)宅に滞在し、名画≪海の幸≫を描きました。大海原に照りつける熱い陽射し、マグロ延縄漁で活気づいた漁村の風景のなかで描かれたこの絵は、西洋画として日本で最初の重要文化財となりました。

現在、布良・阿由戸の浜には、四角いアーチ型の石柱が立っています。これは、28歳で逝去した青木繁の没後50年を記念して、1962(昭和37)年の館山ユースホステル開業に伴い、当時の田村利男館山市長をはじめ坂本繁二郎、辻永ら画壇の著名人らが発起人に名を連ね、熱心な募金活動によって建立されたものです。

ときが流れ、ユースホステルが廃業となったとき、国有地に立つ記念碑は撤去命令を受けましたが、富崎地区コミュニティ委員会や地元区長らの強い熱意により、記念碑はまもられました。

青木繁が滞在した小谷家住宅は、明治20年代の漁村を代表する建造物として価値が高いことが判明し、現在、館山市文化財審議委員会にて市指定文化財に向けて諮問がなされたところです。

未来を担う子どもたちに夢と希望をつなぐ文化遺産を後世にのこすべく、「青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会」を設立することとなりました。

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑の保存・管理にかかわる活動や、名画誕生の地である館山市富崎地区の自然・歴史・文化をまちづくりに活かす活動等をすすめるために、多くの皆様の温かいご支援をお願いしております。なかでも、保存・管理は多額の経費が必要となるため、ぜひとも格別なるご支援を賜りたく存じます。

募金は、1口1,000円をお願いしておりますが、できましたら複数口のご協力をいただければ幸いです。なお、会の活動や募金の収支等は、ホームページ上で随時ご報告します。

 

● 郵便払込口座 ●
00150-6-616201
青木繁「海の幸」記念館