お知らせ

【ちば~教育と文化】誌 No.96(201225)~「台風の災禍」池田恵美子

 ~令和元年房総半島台風の災禍(池田恵美子)

『ちば~教育と文化』誌 No.96(2020.12.25)

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第2回 青木繁「海の幸」オマージュ色紙展

第2回 青木繁「海の幸」オマージュ色紙展
~ チャリティ・オンライン展覧会 ~

【期間】2020.12.28 ~ 2021.2.28

【開催概要】 青木繁「海の幸」記念館の管理運営の一助として、全国の美術家の皆様のご協力により企画され、コロナ禍のためオンライン開催となりました。詳細はインターネットでご鑑賞下さい。販売代金は各1万円(額なし)です。会期終了後、複数希望者が重なった場合は抽選で購入者を決定しお知らせしますので、希望作家名を第三順位までご指定下さい。作品発送時に振込伝票を送付しますのでご入金をお願いいたします。

*コチラから⇒https://awa-ecom.jp/aoki-shigeru/1652/

【エコレポ】館山まるごと博物館=008 百年前の東京湾台風とパンデミックp
連載コラム「館山まるごと博物館」008(2020.12.15)
百年前の東京湾台風とパンデミック

‥⇒リンクはこちら

EICネット「エコナビ」一般財団法人環境イノベーション情報機構

・はじめに
・鋸南町史にみる東京湾台風
・安房高女の記録にみる東京湾台風
・安房高女の記録にみるパンデミック

 

‥⇒シリーズ一覧【館山まるごと博物館】
001「24年にわたるウガンダと安房の友情の絆」
002「ピースツーリズム(1)-巨大な戦争遺跡・赤山地下壕-」
003「『南総里見八犬伝』と房総の戦国大名里見氏」
004「海とアートの学校まるごと美術館」
005「ピースツーリズム(2)-本土決戦と「平和の文化」-」
006「令和元年房総半島台風の災禍」
007「女学校の魅力的な木造校舎を未来に」 -旧安房南高校の文化財建築-
008「百年前の東京湾台風とパンデミック」

 

【房日】201209*館山総合高校1年生99人が「観光の学び」

館山総合高校1年生99人が「観光の学び」
NPOの案内で地域巡る

(房日新聞2011.12.9付)‥⇒印刷用PDF

館山総合高校(渡辺嘉幸校長)の1年生99人がこのほど、学校の魅力づくりを目指した学習「観光の学び」として、館山市内で校外学習を展開した。NPO法人安房文化遺産フォーラムのガイドで、地域の魅力を学んだ。

各校の魅力を高めようと、県が平成24年度から取り組んでいる学校再編事業「県立学校改革推進プラン」の一環。

同校では、27年度から授業分野「観光の学び」を導入した。地域の自然や産業、文化を観光資源として学習することで、観光産業の意義や役割を理解し、地元への愛着と誇りを持てる人材を育てることを狙いに行われている。

同NPOによる事前学習後、校外へ。同市の▷赤山地下壕(ごう)▷青木繁「海の幸」記念館▷阿由戸の浜と記念碑▷布良?神社―などを巡った。ガイドの説明に耳を傾け、地域の文化や、戦争の歴史、昨年の台風といった災害からの復興への思いに触れた。

旧安房南高校の木造校舎では、見学とともに、教室で貝磨きのワークショップも実施。磨いた貝を使って、ペンダントをつくった。生徒らは楽しそうな表情を浮かべ、「かわいい校舎なので、大切にしたい」などと話していた。

【房日寄稿】201125*ウガンダコーヒー月間のお礼とご報告

房日新聞寄稿(珈琲キャンペーン御礼と報告)(2020.11.25)

このたびは、ウガンダ支援金付きコーヒーキャンペーンにご協賛いただき、ありがとうございました。3回目を迎えた今年、ウガンダコーヒーを楽しみにご来店くださるお客様がいらっしゃったなど、嬉しいお声も聞かれ、コーヒーの魅力とともに、コーヒーによる支援の輪が広がっています。皆様のご尽力で、「10月はウガンダコーヒー」のキャンペーンが安房地域に浸透しつつあることを感じております。

おかげさまで、ウガンダコーヒーの流通による支援金74,100円寄付19,312円が寄せられました。これらは今夏に開催された「安房・平和のための美術展」のチャリティ基金と合わせて、ウガンダ意識向上協会に送らせていただきます。

新型コロナウイルス感染症の危機に伴い、人びとの生活環境はますます厳しくなっているようです。現地の安房南洋裁学校の運営や子どもたちの教育・生活支援のほか、さまざまな緊急支援にも使われることとなりますので、改めて御礼とご報告を申し上げます。

★CUFI代表 スチュアート・センパラ ‥⇒ 「ご挨拶と感謝の言葉.pdf
★NPO安房文化遺産フォーラム代表 愛沢伸雄 ‥⇒ 「キャンペーンのお礼と報告.pdf

また、キャンペーン期間中、安房南洋裁学校の生徒たちが作った小物入れやエプロンをはじめ、牛の角を素材にした動物ストラップ等を、数店舗で試験的に販売しました。色鮮やかなアフリカ布や小物のかわいさなどが好評を得たため、追加で仕入れを検討しています。入荷次第、通信販売サイト「館山まるごと博物館ショップ」等で販売予定です。お取り扱いを希望される場合にはご相談いただければ幸いです。

これからも末永く安房とウガンダの友情が継続しますよう、引き続きご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします。最後になりましたが、新型コロナウイルス感染症の収束と、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

‥⇒「ウガンダコーヒー月間」キャンペーン2020

月刊社会教育11月号*館山海軍航空隊赤山地下壕跡

『月刊社会教育』2020年11月号
日本の戦争遺跡シリーズ⑮ ~館山海軍航空隊赤山地下壕跡

文責:池田恵美子(NPO法人安房文化遺産フォーラム)

日本地図を逆さに見ると頂点にあたる館山は、明治から東京湾要塞の拠点となりました。関東大震災で隆起した館山湾を埋め立てて、一九三〇年に開かれた館山海軍航空隊は通称「陸の空母」と呼ばれ、艦上攻撃機パイロットの実戦訓練などがおこなわれていました。

〇戦跡保存の軌跡

館山市では一九八九年から市民による戦跡調査と平和教育の実践が始まり、公民館講座を通じて保存運動が広がりました。これを受けて行政当局では二〇〇二年に、「戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究」に取り組みました。その報告書によると、将来文化財として保存活用が見込まれる戦跡は市内に四十七確認され、その大半はAランク(近代史を理解するうえで欠くことができない史跡)やBランク(特に重要な史跡)に評価されました。

そこで、戦跡を組み入れた都市づくりの目標像として、「地域オープンエアーミュージアム・館山歴史公園都市」構想が示されました。市有地である赤山地下壕跡は、平和・学習拠点として整備され、二〇〇四年から一般公開が始まり、翌年には館山市指定史跡となりました。

〇謎の多い地下要塞

赤山地下壕は大半が素掘りで、網の目状に約一・六キロ掘られています。凝灰岩質砂岩の内壁には、美しい地層の模様と丁寧に掘られたツルハシの跡が鮮明に浮かび上がっています。建設時期について、市の文化財解説看板には「昭和十年代のはじめに、ひそかに建設がはじまったという証言もあります」とする一方で、「昭和十九年より後に建設されたのではないかと考えられています」と記されており、はっきりとした資料はありません。

内部には、自力発電所・格納庫・応急治療所・奉安殿などがあります。標高六十メートルの頂上にも壕やコンクリート設備もあり、小山に縦穴をくり抜いた巨大な燃料タンク跡も二つあります。戦争末期の突貫工事で作られた防空壕ではなく、大震災後の地質を調査し場所を選定したうえで、早い段階から専門部隊により掘り始められではないかと推察できます。

赤山の近くで生まれ育った元教育長の高橋博夫氏(一九二七年生まれ)は、真珠湾攻撃前から地下壕の建設が始まっていたと証言しており、掘り出した土砂はトロッコで海に運び、埋め立てて岸壁にしたといいます。

〇本土唯一の直接軍政

ミズーリ号降伏文書調印式の翌日、米占領軍三千五百名が上陸し、館山は本土で唯一「四日間」の直接軍政が敷かれました。戦後日本の占領政策を考える試金石だったのではないかと考えられます。

米国テキサス軍事博物館には館山に上陸した司令官の報告書があり、「完全な地下海軍航空司令所が館山海軍航空基地で発見され、そこには完全な信号、電源、他の様々の装備が含まれていた」と記されています。そして今なお、赤山地下壕内には「USA」と書かれた朱文字が残っています。

 

【参考資料】

*エコレポ「ピースツーリズム①赤山地下壕跡」
https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/live/524

*「戦後70年」証言・調査記録集
『館山海軍航空隊・赤山地下壕建設から米占領軍の直接軍政』
https://awa-ecom.jp/bunka-isan/section/books-06/

201103*千倉アワビ街道ウォーキング
渡米アワビ漁師たちのふるさとをたずねよう

昨年のウォーキング

日   時  2020年11月3日(火祝) 10~12時
集   合  9:50 七浦診療所駐車場
(南房総市千倉町大川638)
参加費  無料
申   込  090-5812-3663(鈴木)
内   容 ・ウォーキング(七浦診療所~長性寺:片道約1km)
・寺子屋講座「渡米したアワビ漁師たち」「古文書調査の状況報告」

【渡米アワビ漁師たちの歴史】
明治時代、小谷源之助・仲治郎兄弟ら南房総出身のアワビ漁師たちは、米国のカリフォルニア州モントレーに渡りました。その多くは、千倉町千田出身です。
漁師たちはヘルメット型器械式潜水具を使ったアワビ漁で一大産業を築き、アワビ缶詰やアワビステーキなど、アメリカの食文化に多くの影響を与えました。アメリカの人々とも友好的に暮らし、日系人のコミュニティもできました。
戦争により交流が途絶え、渡米アワビ漁師たちの歴史は忘れ去られてしまいましたが、戦後に残った数少ない資料から、その歴史が明らかにされてきています。
2018年末には、仲治郎旧宅の襖より大量の古文書が見つかりました。昨年の台風の被災を経て調査を再開し、解読と分析を進めています。
※古文書の調査活動についてはコチラから。
【房日寄稿】201101*千倉アワビ街道ウォーキングのお誘い

千倉アワビ街道ウォーキングのお誘い
~渡米したアワビ漁師のふるさとを歩こう~

房総アワビ移民研究所 所長 鈴木政和

(房日寄稿2020.11.1)‥⇒印刷用PDF

私たちは、明治期に南房総から渡米したアワビ漁師たちの歴史文化について調査研究を進め、歴史を共有するカリフォルニア州モントレー湾域の人びとと15年にわたり交流をしています。

アワビ移民のリーダーは、長尾村根本(南房総市白浜町)出身の小谷源之助・仲治郎兄弟です。ヘルメット型の器械式潜水具を導入し、寒流の海でアワビ漁を行いました。兄の源之助は米国に留まり、缶詰工場などのアワビ事業に成功しました。日米開戦後は強制収容所に移送され、移民の歴史は幕を閉じましたが、戦後50年を経て源之助の功績は米国で顕彰され、かつてが住んでいた土地は「コダニ・ビレッジ」と公式に命名されています。

一方、弟の仲治郎は帰国し、七浦村千田(現南房総市千倉町)に住み、水産界のみならず様々な産業や教育・文化にいたるまで、安房地域の発展に幅広く関わっていったと考えられます。さらに同じ集落の人びとを中心に潜水士を養成して、アメリカに送り込みました。兄に比べるとあまり知られていませんでしたが、私たちは仲治郎の活躍に注目していました。

近年、仲治郎の旧宅を解体することとなり、私たちは遺族から管理を任された際、許可を得て屋内の資料等を調査しました。そこで、襖の下張りとして使われていた大量の古文書が見つかりました。旧宅は大正期に建てられたもので、見つかった古文書は実家の水産問屋・金澤屋に関わる勘定書類や、家族や友人らと交わした書簡、七浦尋常小学校に関わるものなど、ほとんどが明治期の資料でした。当時不要となった紙類を襖の下地に再利用したために、古文書は千切られた断片になっていますが、貴重な歴史資料の大発見となりました。

昨年度より南房総市の市民提案型まちづくりチャレンジ事業に採択され、「アワビがむすぶ南房総・モントレー民間交流史研究」に取り組んできました。大量の古文書を紙質や筆跡別に分類し、封筒に仕分けして目録を作成する作業を進めていた矢先、台風15号の直撃により、資料を保管していた建物は全壊してしまいました。私たちは、散乱し水没した資料を1枚ずつ拾い集め、「千葉歴史・自然資料救済ネットワーク」の専門家の指導により冷凍・圧縮・乾燥の手順を繰り返して原状回復し、半年かけて古文書レスキューに成功しました。

今年度は、さらに4枚の襖から新たに古文書を取り出して分類しています。研究チームは、くずし字の解読と専門家の添削の後に、データ入力・目録作成と作業を進めています。今のところ150枚ほどが完了しましたが、まだ半分くらい残っています。

これまでのところ、根本の金澤屋に関わる書簡から、布良にも支店があったことや、新潟の佐渡や秋田の能代などに出向いて漁業をしていたこと、とくに対清国への乾鮑貿易に関わる製造指導のやり取りなど、これまで知られていなかった安房の水産業者の姿が明らかになっています。また、水産伝習所(現・東京海洋大学)の卒業生や農商務省関係者との交流をはじめ、金澤屋と水産加工業・貿易関係者との商取引の書簡は、明治期の殖産興業を考えるうえで重要な内容を伝えるものになっています。

さらに教育熱心な小谷家では、明治初中期の段階で、兄の源之助は慶応義塾幼稚舎に、弟の仲治郎は水産伝習所に就学させています。金澤屋当主であり兄弟の父・小谷清三郎と母・たよの多数の書簡からは、夫婦で水産業に取り組んでいた姿や子供たちの教育に対する考えも見えてきます。

来たる11月3日(文化の日)には、渡米したアワビ漁師のふるさとをめぐるウォーキングを開催します。10時に旧七浦小学校(現・七浦診療所)駐車場を出発し、仲治郎の菩提寺である長性寺で墓参と寺子屋講座を開催します。寺子屋講座ではアメリカで紹介されたNHK番組と視聴と、古文書研究の状況を報告します。参加希望者は、健康に留意しマスク着用のうえご集合ください。