連載コラム「館山まるごと博物館」010(2021.7.27)
青木繁『海の幸』誕生の漁村・布良
EICネット「エコナビ」一般財団法人環境イノベーション情報機構
001「24年にわたるウガンダと安房の友情の絆」
002「ピースツーリズム(1)-巨大な戦争遺跡・赤山地下壕-」
003「『南総里見八犬伝』と房総の戦国大名里見氏」
004「海とアートの学校まるごと美術館」
005「ピースツーリズム(2)-本土決戦と「平和の文化」-」
006「令和元年房総半島台風の災禍」
007「女学校の魅力的な木造校舎を未来に」 -旧安房南高校の文化財建築-
008「百年前の東京湾台風とパンデミック」
009「明治期に渡米した房総アワビ漁師の古文書調査」
010「青木繁『海の幸』誕生の漁村・布良」
戦跡ガイドに参加して
(房日新聞:展望台2021.7.20)…⇒印刷用PDF210720房日展望台(戦跡ガイド)
42年ぶりに故郷の館山にUターンしたが、あまり地元のことを知らない自身を自覚する。NPO法人安房文化遺産フォーラムが主催する戦跡ガイド講座があると聞き、早速参加した。参加者は15人。市外から3人、館山への移住者が4人、高校生2人の他、小学生2人も。
座学から始まる。館山市内には47もの戦跡があるという。うち公開されているのは赤山地下壕だけだそうだ。ここだけが市の所有地。昭和30年代から約40年の間キノコ研究者が住み、利用していたため、保存状態が良好だった。
講義は戦跡に限ることなく地形の成り立ち、戦争に至るまでの歴史など多岐にわたる。とても覚えきれない。2度目の参加者もいる。
1時間半の講義の後、地下壕に入る。この日気温は30度近く、湿度は52%。壕の中に入るとひんやりする。ガイドが身に着けている寒暖計を見ると19度を指している。湿度は72%。内部は非常にきれいで想像していたより広い。すぐにでも住めそうだ。資料が残っていないため、この壕がつくられた年代についてさまざまな説がある。館山市教育委員会の看板によると、終戦が差し迫った1944年以降だとされている。壕内は、金網を張った上にモルタルが塗られている箇所があり、大部分は丁寧な素掘りである。果たして終戦間際の混乱時期に、こんなに丁寧な作業ができるものなのだろうか。「赤山は真珠湾攻撃前から掘り始められた」。赤山の近くで生まれ育った元館山市教育長の高橋博夫氏の証言も残る。
壕の壁にはうねるような地層とともに、断層もいくつか確認できる。地学的な見どころもふんだんにある。
館山市およびその周辺に多く残る城跡。遺産群として保存し、歴史から学ぶ「平和・交流・共生」のまちづくりを進められたら、と講師は語る。「移住してきて6年。館山のことをまだまだ知らない中で非常にためになる経験をした」と参加者は話す。
赤山は標高が60メートル。城山同様、赤山も整備して歴史を感じる散策コースにしたらどうだろう。頂上からの眺めはさぞかし良いことだろう。「しろ」と「あか」。面白そうだ。
青木繁≪海の幸≫誕生の家と 記念碑を保存する会
副会長の 島田𠮷廣さんが、
病気療養中のところ 71歳で
令和3年6月27日午後2時38分永眠されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
・通夜=7月2日(金)18:00~ ヤマト本社斎場
・告別式=7月3日(土)8:30~ ヤマト本社斎場
・火葬=7月3日(土)10:30~ 安房聖苑
…⇒ 房日210430
*房総アワビ移民研究所(3年目)
「房総アワビ漁師移民の古文書研究と漁村文化のまちづくり」
台風の復興状況を視察
熊谷知事就任後初、3首長と直接意見交わす
(房日新聞2021.4.29)‥⇒印刷用PDF
熊谷俊人知事は27日、おととしの台風15号で大きな被害を受けた館山市、南房総市、鋸南町の被災地を訪れ、復興状況を視察した。知事就任後、安房地域を訪れるのは初めて。各市町の首長の説明を聞きながら、住宅修繕や農家の現状を把握した熊谷知事は、「市町村と一緒に、安房地域の被災地にもう一度人が戻ってくるようなまちづくりをしていくことが重要だと実感した」と語った。
熊谷知事は午前、館山市内で最も被害が大きく、約8割の住宅が被災した富崎地区を視察。神輿蔵が倒壊し、神輿が大破する被害のあった布良崎神社や、周辺の住宅の復旧の様子を見て回った。
午後は、出荷の最盛期を迎えている南房総市富浦町青木のビワやカーネーションの農業用ハウスに足を運んだ。熊谷知事がビワを試食し、「おいしい」と笑みをこぼす場面も。ビワ農家の岡本正さん(71)は「出荷量は被災前の1割にも満たない。元の状態に戻るには10年ぐらいはかかる」と説明。被災後、安房地域のビワ園の約2割が栽培を諦めたといった深刻な状況を聞き、熊谷知事は「ぜひ生産を続けて、おいしいビワを全国に出荷していってください。しっかりバックアップします」とエールを送った。
その後、約7割の住宅が被災した鋸南町では、特に甚大な被害を受けた岩井袋地区を訪問。町の担当者から、「岩井袋では、被災後に地区外へ移り住むなど、被災前と比べ世帯数が2割減少している」などと説明を受けていた。
視察後、記者団の取材に応じた熊谷知事は「8~9割、復旧復興が進んできている」と話し、被災により加速した人口減少を食い止めるために、雇用の重要性を強調。「農業も含めた経済の活性化、雇用の確立に力を入れていきたい」と抱負を語った。
さらに、熊谷知事が目指す「防災県」の確立について、「2市1町の市長町長からも話があったのは、情報の部分。被災地の実情を県庁がすぐに把握して、機動的に動けるような体制を普段から構築しておくことが重要」と述べた。
戦跡ガイド講座 参加者募集
(房日新聞2021.4.27付)
NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、5月1日と15日に、館山市宮城の豊津ホールで、ガイドの後進指導と拡張のための戦跡ガイド講座・基本コースを開く。
ガイド経験者・未経験に問わず、実際にガイドとして語ることを目的に、座学で赤山地下壕と掩体壕を学ぶ。サポートスタッフとして運営補助に当たりたいという人も参加ができる。
時間は午前9時から正午まで。両日とも講座の内容は同じで、参加は無料だが、同NPOへの入会(正会員1万円、準会員2000円)が必要。定員は15人まで。
申し込み、詳しい問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(0470-22-8271)へ。
・月刊社会教育11月号*赤山地下壕跡
・エコレポ「館山まるごと博物館」
・ピースツーリズム①「赤山地下壕」
・ピースツーリズム②「本土決戦」
・YouTube「南房総の戦争遺跡」
・戦争遺跡と平和学習
・「戦後70年」証言・調査記録集
・戦跡の調査研究(愛沢論文)
県知事にあす就任、熊谷氏に単独インタビュー
安房の復興・活性化へ今後のビジョンを語る
(房日新聞2021.4.4)‥⇒印刷用PDF
先月21日に投開票された県知事選挙で、史上最多の140万票を獲得し初当選した元千葉市長の熊谷俊人氏(43)。あす5日付で新知事に就任するのを前に、房日新聞の単独インタビューに応じた。インタビューでは、プライベートでも毎年のように足を運んでいるという安房地域への思いや、安房地域の現状を踏まえた今後のビジョンを語ってくれた。
【鋸南で第一声上げる】
Q. 開票結果を受けて
これだけの票を頂くのは当初想定していなかったので、それだけ県民の皆さんの期待が大きいということ。特に、おととしの災害とコロナがあって、知事という職種に対する県民の危機感、期待感がこういう形になったと思っている。
Q.選挙戦初日には、まず安房地域に入り、鋸南町岩井袋で第一声を放った。その真意は
知事選の立候補を決意した理由の一つが、あの災害からの復旧復興。そして、安房や銚子といった地域を活性化させたいという思いが立候補の原動力なので、決意した時点で第一声は安房で行うと決めていた。
Q.実際に安房を見て、どんなことを感じた
空き家が増えている状況で台風があり、今もブルーシートが残っている。ブルーシートをどう解消するか、弘次事業者待ち、お金の問題、空き家といったそれぞれの状況に応じて、各市長たちと意見交換をして、復旧復興につなげていきたい。
【自身が安房のファン】
Q.安房地域の活性化には何が必要か
まず一つ目は、雇用と産業をどうつくっていくか。県として、安房地域の土地の状況を見て、可能性のある土地があるか、そこにどういう産業を呼び込むのか検討していく。
二つ目は、観光業として日帰りではない「宿泊型」をどう増やしていくか。観光面にもっと力を入れて、滞在日数を増やし、落ちるお金を多くするために、県としても支援していきたい。
三つ目は、もっと富裕層に来てもらい、お金を落としてもらうような展開をしていったら方がいい。1週間のうち2,3日安房で暮らすスタイルを含め、そういう人たちを取り込んでいかなければならない。
私自身、毎年旅行に行くほど安房地域のファンなので、その魅力にふさわしい評価を受けるようにしたい。
Q.プライベートでも安房へ
かなりの頻度で言っている。家族で宿に泊まって、のんびり海を見て過ごす。妻にプロポーズしたのも、館山の北条海岸。妻も私も美術が好きなので、鋸南の菱川師宣記念館、布良の青木繁「海の幸」記念館に行ったり、勝浦、鴨川から館山、鋸南までを回ったり。
本来持っている土地の魅力は一級品。館山は三方が生みに囲まれて、日本のダイヤモンドヘッドのよう。観光地として成功しているところは、仕掛ける人が外の人なので、外の意見が一定量入るようになれば、自然とあか抜けていくと思う。
【地域の魅力向上へ】
Q.どんな知事を目指す
首長で大事なことは「ハブ」になること。その地域のためにいろんな人の力を結集する。東京、日本、世界の人など、安房のためになんとかできる人をどんどん連れてくる。地元の人たちももっと立ち上がって、エネルギーが一つになるよう、私自身現地に何回も行って、可能性を探っていきたい。単に安房地域のためだけではなく、この地域の魅力が上がることで、千葉県全体の魅力が上がると思っている。