●NPOが企画まちかどミニ博物館に
〜館山の商店に鉄道グッズ
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準急案内板、機関車のライト、駅の掛け時計…
●NPOが企画まちかどミニ博物館に
〜館山の商店に鉄道グッズ
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準急案内板、機関車のライト、駅の掛け時計…
◎戦後生まれが語り継ぐ
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もう13年も前になるだろうか。当時、高校教諭だった愛沢伸雄さんと知り合い、南房総いったいの戦跡の案内を受けた。「震洋特攻基地」の穴、草むした「特攻桜花」のカタパルト発射台、掩体壕やあ香山地下壕などでも、息を呑んだ。一日案内してもらい、房州の戦跡の多さに驚いたものだ。突然の訪問に近所の人からも不審がられもした。
愛沢さんはその後もずっと、戦跡調査を続け、埋もれていた〝負の遺産〟を世に知らしめた。最初はたった一人の地道な活動だった。私財を投げ打ち、個の時間を費やしてまで、没頭した。世界史が専門で、子どもたちに平和教育をするには、こうした調査が必要だった。学徒出陣50年、戦後50年などの節目を経て、愛沢さんの調査は拍車がかかる。やがて池田恵美子さんという賛同者も現れ、一昨年にはNPOも立ち上がる。現在、赤山地下壕は平和教育の拠点として、大勢の人を受け入れていて、館山市指定文化財にもなった。平和のために、ひたすら歩んだ愛沢さんの動きは、けっして蟷螂(とうろう)の斧ではなかったのである。
点滴穿石。当初は行政サイドにも煙たがられたが、やがてNPOの存在が地元にとって必要不可欠となる。戦跡ガイドも30人になった。この地域の活性化を考えるとき、このNPOのパワーはけっして小さくない。
池田さんはもちろん、愛沢さんも戦後生まれである。戦争を知らぬ世代が、戦跡を調査し、その保存を訴える。失礼ながら違和感はないかと、問うてみた。2人は一笑に付した。愛沢さんは言う。「確かに最初はコンクリートの施設跡や残骸の調査だった。当時のことを知る世代の方が詳しいに決まっている。だがわれわれは、地元の人がこの戦跡とどう関わったかを織り交ぜながら語り継いでいる。体験の有無の問題ではない」。体験者でなければ語れないのなら、この世には伝えられないことが山ほどある。すでに戦後生まれが日本人の4分の3を占めている現在、戦後生まれが動かなければ、平和への道は開けまい。
愛沢さんと池田さんは口をそろえる。「地元の人がどう戦争に関わり、どう平和に導いたか。地元文化を含めてそれを伝えていきたい」。NPOの名は「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」という。名称からして遠い将来を見据えている。愛沢さんはNPOの後継者として、自身の長女(25)を1年かけて説き伏せた。
きょう8月15日は終戦の日で、平和への思いを刻む日。戦跡調査は孤軍奮闘から、千軍万馬の輪となった。房州の未来はけっして暗くない。
●情報大ステーション2006「戦跡をめぐって知る郷土」の制作
この作品は、東京情報大学の学生たちが、「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の案内で、房総半島に遺された戦争遺跡を訪ね、自分たちの郷土の歴史と文化を考えたものである。
「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」は、地域の自然や歴史、文化遺産を活用して心豊かな地域社会を創造しようという目的のもとに活動している。
番組は、中国から東京情報大学に留学してきた趙理さんと、その仲間たちが、房総の大房岬を訪れる場面から始まる。美しい緑の公園の中を進むと、その一角にトンネルが出現する。真っ暗なトンネルの奥に進むと、そこは行き止まりになっている。戦争当時、ここには巨大なサーチライトが格納されていたといわれるが、大学生たちには、その姿が想像できない。
大学生はその夜、県立大房岬少年自然の家に宿泊し、勉強会を開く。戦争前から戦争中にかけて、房総半島には、帝都、すなわち東京を守るための重要な軍事施設が多数構築されていることがわかり、そのほかの戦争遺跡についても調査していくことになる。
翌日から、大学生たちは、「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の佐藤さん夫妻をガイドにお願いして、房総の戦争遺跡を訪ねて歩く。まず、赤山といわれる小高い山に掘られた巨大な地下壕に入る。この地下壕は発電機室、倉庫や治療所などとして使われていたのではないかといわれている。壕の壁には60年前のツルハシの跡が鮮やかに残っている。大学生たちは冷えた地下壕の中で、戦争中の人々は何を考え、何をしていたのかに思いをはせる。
壕を出た大学生は、弾薬庫の跡や巨大な砲台跡を歩き、つぎに洲ノ崎海軍航空隊が作ったとされる地下壕へ向かう。地下壕の奥の部屋の天井にはコンクリートで制作された龍のレリーフが浮かび上がり、その力強い姿に、大学生たちは思わず息を呑む。この龍がどのような意図で制作されたのかは謎だという。
次に向かったのは洲崎海軍航空隊の射撃基地跡。標的となった壕の壁には、今でも弾丸の跡が遺されている。射撃場からほど近い場所には戦闘機を隠すための掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる格納庫がある。かつて、この掩体壕にはゼロ戦が格納され、出撃に備えてエンジンが唸りをあげていたのであろう。
続いて向かったのは、震洋(しんよう)と呼ばれる特攻艇の発進用の滑り台の跡であった。震洋は250キロもの爆薬を積んで乗員もろとも敵艦に特攻するための高速のベニヤ製のボートであった。しかし、震洋の出撃態勢が整ったときは終戦を迎え、この場所から震洋が出撃したということはなかった。震洋の発進基地は、説明を聞かなければ古い船着き場のようにしか見えず、現代の風景に馴染んでいる様子が逆に印象にのこる。
次に、桜花(おうか)と呼ばれる特攻機のカタパルト(発射台)の跡を訪ねる。この施設の完成間近に戦争が終わり、ここから実際に発進した桜花はなかったという話を聞き、大学生はほっとする。
最後に、「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の事務局長、池田恵美子さんと、戦後の米軍の上陸地点である海岸に立って、同フォーラムの意義や活動についてお話しを聞き、大学生たちは戦争という時代の人々の営みに思いをめぐらし、現在の平和の意味について深く考えることとなる。
この番組を通じて、あまり知られていない房総の戦争遺跡というものについて、視聴者が関心を持ってくれればいいと思った。作品の評価としても、「一般公開されていない遺跡の映像を観ることができて良かった」、「NPOの方が、戦争遺跡を活用した地域文化活動に取り組んでいる様子に感銘を受けた」などの感想が多かった。戦争遺跡が千葉にあることを初めて知った人も少なからずいた。このような評価があったのは、第1に戦争遺跡そのものに映像的なインパクトがあったこと、第2に戦争を知らない大学生が、現地を取材してこのような番組を制作したことで、視聴者にとって新鮮な驚きや情報を与えたためではないかと思われる。反省点としては、限られた時間の中でたくさんの戦争遺跡を紹介したことで、やや詰め込みすぎの感のあることで、やはり14分間では説明しきれない部分が多かった。放送時間に限りのあるテレビ番組というものの難しさを痛感した。
番組の中での演出上の工夫として、戦争遺跡の現場に、特攻艇や特攻機の模型を置いて、レポーターと同じカットの中で撮影した”イメージ映像”を数カット挿入した。このような兵器のことを知らない若い視聴者にも具体的なイメージを抱いてもらうための配慮であったが、この手法の是非については、視聴者の評価が分かれるところであった。
この作品で伝えたかったことは、戦闘や空襲といった戦争体験だけが戦争だったのではなく、このような戦争のための施設が、房総半島に無数に設けられていった時代があり、多くの人々の営為があったということを、千葉に暮らす若者としても、しっかりと知ることの大切さである。このような遺跡の存在は、とりもなおさず、房総半島の地政学的重要性を示すものであり、長い歴史をふりかえってみれば、この土地での豊かな文化交流の足跡を見いだす`よすが’ともなるものなのである。そして、実はこのような歴史遺産は、どこの土地にも必ずあり、私たちに今もさまざまな問いかけを発しているのである。そのことに気がついたとき、私たちは郷土についてより深く考え、郷土を愛することができるようになるのだと思われる。
※本文中の「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」は「安房文化遺産フォーラム」に改称。
先日は、館山での平和学習にご尽力をいただき本当にありがとうございました。
まだ、生徒達からアンケート等はとっておりませんが、
きっと満足度の高いものになったと思います。
これもひとえにNPOの皆様のご協力があってのことだと思っております。
本当にありがとうございました。
また、来年度もどうぞよろしくお願いいたします。
取り急ぎ、お礼まで。
(舘野信彦先生)
里見ガイドサークル〜館山市立博物館のガイド勉強会
銀座ふれあいまつり〜北条まちなか発見ウォーク
安房平和フェスティバル2006〜子どもたちに平和を手渡そう!
小高記念館オープニングイベント
NPO連絡懇談会
赤山地下壕無料ガイド
第10回戦争遺跡保存全国シンポジウム群馬大会
平安をお祈りいたします。
以前に教会の研修で館山に行った時、かにた婦人の村に地下壕があることを知りました。教会員で、かにた婦人の村に実習で学生を送っている大学教師の秋山胖(あきやまゆたか)さんが教えてくれました。
ていねいにご案内と学びの時を準備してくださってありがとうございました。集まった青年たちも働いている人が多く、事前学習会などを持てませんでした。その意味でも、座学は参加した一人一人にいろいろなことを思い出させ、これからの歩みの方向によき指針となったのではないかと思います。そして、実際に戦争をし、その備え(本土防衛、地上戦)の跡を見て、教えられ、考えることが、私にも、そして参加者にも多い時でした。
深津文雄牧師の志したことが今も生きていること、それが今もなくならないことの罪深さなどに思い至りました。
慰安婦の碑では、深津先生のご長女が仕事を中断して、後方のゲストハウスを案内してくださいました。ゲストハウスができたいきさつ、キリシタン禁制の札等々。
私個人としては、沖縄、松代、今回の館山と、地下壕は三回目になります。沖縄の人たちがなぜ地下壕に逃げなければならなかったのか、この3つの地下壕を見て、体験する時、よく分かってくるように思います。ガイドしてくださった方々にも、よろしくお伝えください。
なお、座学の時にベンポスタのお話がありましたが、私が見たビデオは「ベンポスタ共和国」—青池憲司監督、恒松龍兵さん(市川市国分在住)がカメラ撮影をした作品です。龍兵さんのお父様、恭助さんは「ちろりん村とくるみの木」の原作者で、館山の兵役につかれた方です。「礼拝と音楽」というキリスト教の小さな冊子(1995年)には、恒松龍兵さんがベンポスタについて書いています。コピーを同封しますので、参考にしてください。
長々と書いてしまいました。これからもお働きが地域のよき発信となり、一人一人が今生きていることの意味と、生きる方向性を示すことができていきますよう、祝福を祈ります。感謝まで。敬具
先日は大変お世話になりました。勉強交流会も食事時間を忘れるほどに、
熱意あふれるお話や豊富な経験を聞かせていただき有難うございました。
皆さんの情熱にはとても及びませんが、行政との交渉、運動へ巻き込み方など、
原則はしっかり持ちながら柔軟に対応されている様子など、
私たちはとかく行政追求型の運動になりがちですので、とても参考になりました。
また翌日には三平さんにはさまざまなご説明や、お世話になり、足の悪いものがおりましたので、
山の上まで車でいってもらうなどのご配慮や、赤山地下壕はもとより、
射撃練習場、掩体壕、米軍上陸地点、従軍慰安婦の碑、128高地の地下壕、四面石塔まで案内いただき、
多面的な戦争遺跡、世界につながる歴史的な遺跡を見せていただき、十分に満足して帰ってきました。
「ウミホタル」CDも早速拝聴し、ちいさな命さえ無意味に殺してしまう戦争の悲惨さを見事に表現され、
コンサートにまで積み上げひろげておられる運動に感動しました。
愛沢理事長の労作論文集も読ませていただきとても素晴らしい運動への指針を与えられた思いです。
まずは散り急ぎ御礼までにて、皆様の更なるご活躍をお祈りします。
これを機会に、またいろいろとご教授ご交流をお願いいたします。
本日は、大変お世話になりました。代表してお礼を申し上げます。
小学生の頃から住んでいる千葉県で、館山にも何度も行ったことがありましたが、
千倉のお花畑の印象が強く、そのお花栽培の禁止があったとは本当に驚きました。
これから、ゆっくりといただいた資料を読み返し、お話を思い出しつつ
理解を深めて行きたいと思っております。
機会がありましたら是非教会の中高生等にも学びをさせたいと一同話しました。
暑い中、熱心にガイドしてくださった君塚様にもよろしくお伝え下さい。
有意義な1日を、ありがとうございました。
この度は大変お世話になりました。
短い時間でしたが、内容の濃いフィールドワークになりました。
とりわけ赤山地下壕での紫金草合唱団の歌には心を動かされ、
「かにた婦人の村」の従軍慰安婦の碑をめぐる話には悲しみに
胸がいっぱいになりました。
昼食後のワークショップもとっても良かったです。
解かりやすく、そしてNPOの意図が明確に伝わる説明でした。
平和がいかに大切なものかを実感しました。
館山で学んだことをこれからの運動に生かしていきます。
ありがとうございました。
素晴らしいツアーでした
微妙なリアルさの狭間を歩み
奥行きの深い中に
さまざまな手法を持ち
愛沢さんと池田さんの名コンビが
市を動かし
観光ホテルまでを味方につけての
したたかさ
それでいて自分を売っている風もなく
自らを最大限活かし
生き生きと活動している様は
見ていて気持良く
元気を頂く事が出来ました
しかも小沢さんたち
あわがいどさんの誇りは
NPOによって町の人の魂が揺れ動かされはじめている
なによりのごちそうでした
そして地下壕で聞く
♪うみほたる
時空を超え圧巻
どうもありがとうございました!!!
違う仲間を連れてお伺いいたします
♪合唱