千葉県中小企業家同友会 機関紙に紹介されました。

一般社団法人千葉県中小企業家同友会の広報紙
月刊「経営革新」8月号 に紹介されました。PDF

<戦後81年> 終戦記念日企画
「日本経済の自主的・平和的な繁栄をめざす」

中小企業家同友会の3つの目的の中に、中小企業をとりまく外部環境の改善と共に、「日本経済の自主的・平和的な繁栄をめざす」ことを掲げています。中小企業経営の安定と繁栄は平和な世の中でなければ実現できないという戦中の痛切な教訓を生かしたいという同友会の先達の強い想いが反映されています。

千葉県南部の安房地域で活動する「NPO法人安房文化遺産フォーラム」のスタディツアーガイドに参加し、館山の戦争の歴史と「平和の文化」について学びました。

館山に刻まれた戦争の記憶と、市民が守り抜いた文化遺産
~歴史を守り続け、未来へつなげる平和の願い~

館山の海岸線に残る戦争の痕跡

東京湾の入口に位置する館山・南房総は、帝都防衛の重要拠点だったため、多くの戦争遺跡が残っています。今回同友会事務局にて、館山湾の北側に広かる大房岬要塞群をめぐりました。

自然公園の遊歩道を進むと、円形の花壇(写真①)があります。これは艦船の「砲塔砲台」を陸上へ移設した砲台跡で、射程距離は三浦半島まで届く約18キロメートルとのこと。砲台上部は撤去されましたが、台座部分は非常に頑丈で壊せず、現在は花壇として残されています。すぐそばには、分厚いコンクリートで覆われた半地下の弾薬庫跡があります。上空の敵機から見つかりにくいように、大きな木でカモフラージュされています。

直系2メートルの探照灯(大型サーチライト)か設骰されていたという照明座跡(写真②)が、地下式コンクリート施設の奥にあります。昇降させ、東京湾を約9キロメートル先まで照らしていたといわれます。展望台からは、すぐ目の前に三浦半島が見えます。

海岸まで降りると、人間魚雷「回天10型」が配備された特攻基地跡があります。使用されることはありませんでしたか、今も海中に残る発射用レールを見ることができます。

また、その海岸は高さ100メートル近い垂直の絶壁(写真③)で、海軍の秘密部隊がここを登る特殊訓練を行ったそうです。上陸困難な場所から敵地へ侵入するための過酷な訓練であり、墜落して命を落とした隊員もいたといいます。

市民の力で守られた文化遺産

戦跡巡りのあと、近くのビジターセンクーの会議室で、「館山まるごと博物館」というテキストを使った座学を聞きました。

後にNPO法人安房文化追産フォーラムの代表となる高校の世界史教師かはじめた戦争逮跡の調査や平和教育が、公民館溝座から市民の保存運勁へ広がったとのこと。一方、1996年に里見氏稲村城跡は道路建設計画によって壊されることが決まり、そこから保存運動が始まります。安房地方に残る城はすべて、険しい山や丘陵の地形を巧みに利用して築かれた山城です。この地域では、「城」と「戦争遺跡」という二つの文化財を守る市民運勁が同時に進められました。その成果として、大房岬要寒群は2000年に旧富浦町の文化財に指定され、赤山地下培跡は2004年に般公開され、翌年に館山市の指定史跡となりました。

文化財は、国や自治体が自動的に指定してくれるものではなく、価値に気づかなければ残すことばできません。市民が声を上げ続けた結果、戦争逍跡は15年、稲村城跡は17年という長い年月を経て指定に至りました。無指定の状態から指定史跡へ押し上げた取り組みは全国的にも高く評価され、戦後80年を迎えた軍事施設の保存の薙しさにも注目が集まりました。こうした市民の運動を支えに、同NPO法人は館山市全体を一つの博物館と捉え、文化遺産の調査・保存、スタディーツァーの実施など多岐にわたるエコミュージアム活勁を続けています。地域の活性化と戦争遺跡の保存を両立させる姿勢は、地域の文化を守り未来へつなぐ大きな力となっています。

海のまちに刻まれた戦争の記憶と平和の誓い

東日本の玄関口として重要な役割を果たした房総半島南部は、古くから海を通じて多くの国と交流し、共に生きてきた地域です。1624年に建立された四面石塔」(写真④)は県指定文化財で、塔の四面には和風漢字・中国篆字・インド梵字・朝鮮ハングルの4カ国の文字で「南無阿弥陀仏」と刻まれています。豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に連れて来られた被虜人が刷還事業により帰還した際、「二度と戦争か起きないように」という平和への祈りを込めて建てられた供養塔ではないかと考えられています。

一方、戦争末期には本土決戦に備えて7万人もの兵上が送り込まれました。食糧供出のため「花作り禁止令」が出され、花畑を芋畑に変えるよう命じられ、花の種を持つことさえ禁じられました。違反者は非国民として処罰されるほど厳しいものでしたが、命かけで花の種を守り続けた農民がいました。戦後、彼らが守った種から再び花が咲き、「花の房総」がよみがえりました。南房総には、こうした交流の歴史と、戦争の時代に花を守った人々の思い、平和を願い統けてきた地域の姿が受け継がれています。

終戦の影で館山に敷かれた「直接軍政」

日本では8月15日を終戦記念日としていますが、国際的には9月2日が終戦の日とされています。この日は、三浦半島沖に停泊していた米軍艦ミズーリ号で日本の降伏文書調印式が行われた日です。GHQは、その翌朝に「日本語禁止・日本円禁止・反抗者は処罰」という厳しい措置を日本中に発布しようとしていました。しかし外務省の官僚がひと晩かけて直談判して朝6時に保留となり、さらに重光外相がマッカーサー元帥へ直談判した結果、正午に取り消されました。これが「幻の三布告」と呼ばれるものです。

その6時間の問に、館山では重大な出来事が起きていました。3日午前9時頃、アメリカ占領軍3,500名が館山に上陸し、本土で唯一「直接軍政」が敷かれたのです。「米軍ニヨル館山湾地区ノ占領」の指令を出し、あらゆる施設やインフラの様能停止を命じました。この措置は4日間続いたあと徐々に解除され、最終的には歴史に埋もれてしまいました。この事実か明らかになったのは、同NPO法人代表が中学校の教務日述を調べたとき、9月3日から生徒が出校しておらず、7日にようやく出校していたのです。疑問を抱き調査を進めた結果、真相が明らかになったといいます。

過去を学び、「平和の文化」を未来へつなぐ

国連は、2000年に「平和の文化国際年」を宣言し、紛争を防ぎ、対話を広げる取り組みを世界に呼びかけました。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ事件により、その理念は十分に広がりませんでした。

それでも館山では、同NPO法人のスタディツアーガイドを通して「平和の文化」を伝えようとする動きが続いてきました。戦争遺跡の保存だけでなく、交流や共生の歴史を学ぶことを大切にしながら、地域に受け継がれてきた平和への願いを未来につなげています。

 

地域の人々が戦争の歴史を守り続けてきたことで、「平和の文化」を未来へつなぐことができています。多くの人か命がけで平和を願ってきた積み重ねの上に、今の私たちの暮らしがあります。その思いを受け継ぐためにも、歴史を守り続けていくことが大切だと感じました。

(事務局 米田)