【東京新聞】220601_渡米アワビ漁師の旧宅で手紙発見

南房総から米カリフォルニア州へ
明治期に太平洋渡ったアワビ食文化

「乾鮑」技術が橋渡し
千葉・南房総市の旧宅で手紙発見

小谷源之助・仲治郎兄弟
米国の漁に器械式潜水具導入

(東京新聞2022.6.1付)WEB印刷用PDF

 千葉県南房総市の旧宅のふすまの下張りから、明治期の房総半島から米カリフォルニア州にアワビの食文化を伝えた背景を示す手紙類が多数見つかり、調査が進んでいる。なぜ南房総から米国に伝わったのか。その背景には、中華料理の三大食材の一つで、中国への輸出品だった乾鮑かんぽう(干しアワビ)にかかわる高い加工技術などがあったようだ。(山本哲正)

 手紙類は数年前、現・南房総市白浜町出身の小谷仲治郎(1872~1943年)宅の解体を機に見つかった。仲治郎は兄・源之助(1867~1930年)とともにカリフォルニア州に渡り、アワビ漁にヘルメット型の器械式潜水具を導入して成功。アワビステーキやアワビ缶詰など米国の食文化に影響を及ぼしたとされる。
 2019年2月、市民団体「房総アワビ移民研究所」(南房総市)と、NPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)が本格調査を開始。「手紙はちぎられて不要な紙とともに何層も張り合わせられていた。どうつながるか、パズルのようだった」(同研究所の粕谷智美さん)という作業を経て復元した約530点の解読を進めてきた。
 その中に、仲治郎の父で海産物問屋「金澤屋」を営んでいた小谷清三郎が妻に宛てた手紙があった。自作の乾鮑が横浜の中国人貿易商から「塩かげんと言へかたちといへ申分なし」と評価された、とある。ここから、高い加工技術があったことがうかがえる。実際、清三郎の商品は1883年の国内水産博覧会で表彰されていた。
 清三郎らは新潟県佐渡島や秋田県など各地で、アワビに関わる仕事や技術指導にも取り組んでいた。「源之輔(助)君にも佐土(渡)地において大勝利」「単独にして遠征を試みるの勇気あるすら、実に感激之至」。清三郎の知人から送られた手紙は、源之助の活躍ぶりをたたえていた。

 当時の農商務省水産調査所のアワビ研究に、小谷家が協力したことを示す手紙もあった。このころカリフォルニアに入植した日本人が現地で大量のアワビを見つけ、同省に漁の専門家の派遣を頼み、仲治郎らが渡米を促されたとされる。同フォーラムなどはこれらの手紙から「小谷兄弟が選ばれた背景に、アワビ漁を通じた深い関係や、加工技術と水産知識に対する信頼があった」とみている。

 今回の調査に着手して間もない19年9月、台風15号が房総半島を直撃し、史料を保管していた事務所が全壊。紙質や筆跡で分類していた手紙類が水没し、散逸する不運に見舞われた。回収後、かびなどを防ぐため冷凍保管したことなどから、調査を再開できたのは20年4月だった。
 このほど中間まとめにこぎ着け、今年2月には米国の歴史学者や小谷兄弟の子孫らへの報告会をオンラインで開いた。同フォーラム共同代表の池田恵美子さんは「まだ分からないことも多いが、一歩進んだ。引き続き調査していきたい」と話している。