地域教材と平和学習③〜「噫従軍慰安婦」の碑は平和を心に刻む

「噫従軍慰安婦」の碑は平和を心に刻む〜日本国憲法「平和主義」を考える

愛沢伸雄=『子どもが主役になる社会科の授業』(千葉県歴史教育者協議会編 国土社 1994年)

 

【1】従軍慰安婦問題と平和学習

1993(平成5)年3月3日、日本人としてただ一人、その体験を明らかにした元従軍慰安婦が千葉県館山市で亡くなった。この女性は、1965(昭和40)年深津文雄牧師が社会復帰の難しい元売春婦たちのためにつくった、世界でもめずらしい日本では初めての、婦人長期収容施設「かにた婦人の村」の一員であった。従軍慰安婦であることを長いこと心に秘めて苦しんでいた「城田すず子」さんは、戦後40年にして深津牧師にうちあけた。1985(昭和60)年8月15日、牧師は従軍慰安婦たちのために、鎮魂の碑を村の丘に建てた。

本稿は現代社会の日本国憲法平和主義学習の教材として、半世紀になってやっと今日的問題となった従軍慰安婦問題をとりあげた業実践である。今日平和主義について様々な議論がされているが、授業では従軍慰安婦問題を糸口に生徒たちが日本国民の一員として、主体的かつ民主的に平和主義の意義を考えるということにある。教材とした石碑は生徒たちの身近なところに、天を突き刺すように存在している。「噫 従軍慰安婦」と刻まれた石碑がなぜ館山にあり、この碑の存在が今どんな意味をもっているかをしっかりと生徒たちの心に刻ませ、日本国憲法の平和主義のもつ重みを実感させることをねらいとした。

主体的で民主的な主権者の意識を育てるための授業には、どんな平和学習の教材が求められ、また生徒の平和認識や問題意識を変容させながら、さらにそれらが深まるような教材をどのように組み立てたらよいかなどを探った。「教育内容を設定し、それを子どものものとして実現していくには、それに適した教材を選定しなければならない。子供は、直接的にはこの教材と接することによって、教育内容に近づけるのであり、従って教材論は授業づくりの中心をなす」(安井俊夫『福島・喜多方事件と授業づくり』千葉歴教協『子どもがたのしくわかる社会科』第20号1989年)という視点を踏まえ、生徒たちの実態やその状況を配慮しながら、目の前にいる生徒たちの気持ちにフィットする平和学習の地域教材使用と授業方法を試みた。

 

【2】平和を心に刻む地域教材

本稿の授業実践の生徒たちは、授業参加の面をみると、発表では消極的な姿勢であったり、社会的問題の関心のなさが気になるが、全般的には真面目に取り組む。小・中学校で何らかの平和教育を受けてきた生徒たちであるが、意識の底には「日本は平和」でよかったという漫然とした認識がある。

そんな生徒たちに真実をぶつけてみる。従軍慰安婦問題は生々しい事実である。性に関する問題を含んでいるので、自己と他者の関係を鋭く問うものに向かう。あまりにもショッキングの内容なので、生徒たちの見解には多様で個性的な意見がでるであろう。いままでの判で押したような「かわいそうに」「悲惨だ」の一線をこえる、戦争の事実の重さとその真実をどう心にうけとめるかを課題にしたい。そこではありきたりの言葉で平和をいったり、かわりばえのしない表現で悲しみをいうのではなく、「心がこう動かされたのでこのように表現した」とか、また従軍慰安婦という衝撃的な事実を「このように咀嚼して、自己の心にこう位置づけた」とか、さらにはこの事実の前に「こんな自分を発見した」とかを表現することを、一人ひとりがつくる授業の原点にした。そこで授業方法は生徒の実態を考え討論方式ではなく、それぞれのテーマにそって課題を書かせる方法をとりながら、一人ひとりの感想を深めるようにした。

授業の導入はまず地域に住む城田すず子さん(仮名)の証言記録からはじまる。そこには、アジア太平洋諸国への侵略行為とそのなかでの女性たちの悲痛な叫びをも聞くことができる。この証言を聞き、生徒たちは強く心を動かされる。「城田さんは大変だったが、今はそんなことがなくて、平和でよかった」と受けとめるものがやはりでてくる。この過去と現在とを切りはなす考え方や今日を単純に、平和だとみる生徒の認識が、従軍慰安婦問題でどう変容するのだろうか。そのためのも授業の展開のなかで、問題の事実と意味をじっくり提起するとともに、アジアや世界の人々が今の日本をこの問題でどうみているかを知らせる教材を投げかけたい。そのなかで生徒の立場であっても、当然ひとりの日本人として、この今日的課題の解決へむけて重い責任があることを認識させたい。

ここで取り上げた地域教材としての「かにた婦人の村」には、どんな意味があるのか。この施設は日本の恥部ともいえた公娼制度のもとで、この社会から見捨てられた女性たちの存在からはじまったという。またここを作るうえで、世界の人々の支援や元慰安婦の城田さんの夢が大きな役割をはたしたこと、あるいはこの敷地が、戦争の傷跡を残している旧海軍施設の跡地の払い下げにより作られたことなどを考えると、「かにた村」は地域の歴史的な存在といっていい。にもかかわらず特異な存在ゆえ、地域社会からは十分に理解されなかった。しかしこの村が、平和運動・福祉運動にかかわりながら、地域の人々と積極的につながっていたことを見逃してはならない。平和や文化の創造の取り組みのなかに、城田さんがいたのである。

彼女の勇気ある証言は、この地域から日本人やアジアの人々に向かって発せられた。元従軍慰安婦としての平和の表明は、生徒たちの住む館山の「かにた村」を発信源として日本・世界の良心的な人々に共感を呼び起こし、大きな運動になったことを生徒たちに知らせたい。これらのことは生徒たちに典型的な戦争加害である従軍慰安婦問題を、どのように解決していくべきかの国際的な視点を提起すると思えた。

 

【3】授業のながれ

9時間の特設授業には、次のようなテーマを設定した。

・1時間目=私たちの身近にこんな大事な問題があった
—いまなぜ「従軍慰安婦」問題か—
・2時間目=「城田すず子」さんの心の叫びをきこう
・3時間目=なぜ従軍慰安婦が誕生したのか
・4時間目=「かにた婦人の村」から世界へ訴える
・5時間目=いま韓国ではどんな動きがあるか
・6時間目=なぜポンギさんは祖国に帰らなかったのか
・7時間目=いままで学習したことをまとめてみよう
・8時間目=従軍慰安婦問題をどう考えるか
・9時間目=従軍慰安婦問題をどう償っていくか

各テーマにそって授業では、証言やラジオ番組のテープ、テレビ番組のVTRなど視聴覚教材を中心に、文献・新聞・雑誌・週刊誌から引用したプリント資料を多数準備した。学習教材が従軍慰安婦問題の歴史的事実としての掘り下げになるものであり、また今日的問題として日本の戦後認識を深めていくようなものとして、段階的な認識を踏まえて授業展開に適宜使用した。そこで各テーマのねらいが具体的にイメージされる資料内容を提供するよう努めた。

ところでこの実践では、生徒たちがプリント資料だけでなく、視聴覚教材を通じて深津牧師や城田さん、ペ・ポンギさんと触れることができるので、その資料ごとにイメージを修正できる。プリントを読んだときの「城田」像、テープを聞いてイメージしたもの、そして画像で本人の顔と言葉を確認しながら、従軍慰安婦問題の重みを徐々に感じていくであろう。城田さんの苦しみからペ・ポンギさんのさらに重い苦しみを証言記録から読み取ってほしい。そして二人を見守ってきた深津牧師や韓国のユン・ジョンオクさんなど、平和を求め行動している人々の理念や連帯の輪を知らせるなかで、アジアのなかの日本として戦争責任や戦後補償のあり方を生徒なりに考察させるようにした。

 

【4】授業展開の内容と生徒の動き
(1)「私たちの身近にこんな大事なことがあった」(1時間目)

■導入

授業の第一声に「かにた婦人の村を知っているかな」と問う。26年前からあるこの福祉施設は館山にいても、近くに住むもの以外ほとんど生徒に知られていない。(館山ではここ数年心ある人々によって、反核フェステバルという催しものがおこなわれており、「かにた婦人の村」の人々も職員とともに参加し、地域の平和運動に貢献していることを紹介する。)

教室から「かにた婦人の村」のある双子山がかすかに見える。指をさしながら「今日から数時間『かにた婦人の村』を舞台に平和のことを考えていこう」と目を一斉に一点に集めた。「かにた村」の近くに住む生徒に、どんな施設でどんな人がいるかとを問うと、「よくわからないが年をとった女の人がいる」「変な感じの人たちがぞろぞろ歩いている」程度のことぐらいである。

後の感想に「私は以前かにた村のやまのすぐふもとに住んでいました。夏になると家の前を散歩していた。ただそういう過去を背負った人だとも知らずに見ていました。そのころ子供のあいだでよくないうわさもながれていました」

■展開

「かにた婦人の村」設立の主旨をこの村を作った深津牧師と城田さんのかかわりから説明する。城田さんが自分の過去を語り始めるのには長い時間がかかったことを確認しながら、深津牧師にあてた手紙を読む。結果として鎮魂の碑が作られたこと、城田さんの人生の一時期、従軍慰安婦であったことを新聞資料でみる。食い入るようにプリントをみて、じいっと話を聞いているので教室の雰囲気がやや重苦しい。次に深津牧師の声を5分程度テープで聞き、城田さんと鎮魂の碑設置にかかわる証言を知る。

■まとめ

「いまなぜ従軍慰安婦問題か」このことに関する最新情報を簡単につたえ、今ごろになってこの問題が突然登場したかのように感じられるが、実は地道でいきの長い活動や運動があったことを知らせる。

生徒の感想では「全く知らなかった。始めて資料を読んで『こんなことあったの?』とよくわからない気持ち」(川名)というのが多い。「前の日にTVのニュースでこのことをやっていたけれど、なんの事だか全然わからなかったが、次の日の授業でこういうことであったかと知ってなんだか大変なことをしたんだな」(金崎)「初めて聞くことで、戦争の影でこんなことがあったことに驚い」(吉田)ている。

「ただただ考えてみれば見るほど信じられないと思うばかりだ。想像なんかできない。その苦しみはそれを経験した人しかわからない」(鈴木・明)「戦争といえば男性が戦場で国のため戦ったというイメージをもっていたけれど、女性もいつどこで死ぬかわからない。男性のため国のためなんて、とても信じられない。誰がこんな事を考え、実行したのだろうか」(和田・奈)「『うそでしょ』という言葉しかない」(若王子)と思うのも当然である。

「この人たちと似たような人の本を読んだ事がある。こんなつらい事を経験した人々はたぶんに口には出せない。四〇数年たった今なぜこの問題が取り上げられたのか。やはり慰安婦の人たちの証言や運動がなければ、相手にされなかったかもしれない」(座間)と、この問題の本質をつく。

 

(2)「『城田すず子』さんの心の叫びをきこう」(2時間目)

■導入

深津牧師とあるジャーナリストとデイレクターとのかかわりを伝える。

■展開

テープ視聴TBSラジオ『石の叫び』。ちょっと長いので生徒の反応が気になったが、城田さんが登場しているので、教室には張りつめている雰囲気がある。聴き終わるとフーとため息を吐いたような声も聞こえた。

■まとめ

もう一度、城田さんの人生を確認する。

生徒は「多分この人の苦しみを知らなかったら、けいべつしていただろう」(黒川)「戦争の恐ろしさ戦争の実態を見たような気がした。十代の娘が「兵を慰める」ということで売春をさせられ、戦場で殺されたのに、なぜ兵になって人を殺した人が日本では尊敬され、ほめられ、その兵を慰めろと言われむりやり売春をさせられた女性が白い眼でみられ」(平野)のかと率直に述べている。そして「こんなことがあったのかと。ラジオを聞いて本当の叫びを知り」(小林)「実際その経験をした人の話はぞくぞくする。消したくても、消せない過去を持ってしまった人々、訴えることもできず自分の心の中でうらみを持ち続けていたことであろう」(座間)という意見に代表される。

さらに「これを聞いて、すごく生々しくていやになりました。でも城田さんのおかげで私たち戦争を知らないものたちでもこんなことがあったと知ることができた」(宮房)「こんなことを40年以上秘密にしておいてよかったのか。もっと早く話さなければならなかったように思える。原爆で罪のない人が何十万死んだのと同じくらい、すさまじいこと」(渡辺)と戦争の影にあった生々しい事実に驚く。

「昔は国や天皇が絶対だったし何も抵抗できなかったことを考えると、私の頭はくやしくて、ぐちゃぐちゃになりそうだった。自分が『もし』って考えたら、頭の中がパンクしちゃうそう」(和田・貴)「あらたに戦争の悲しみを知った。私だったら絶対に言えないし耐えられない。戦争は誰も彼もが傷ついていく。そして傷ついていくのはいつも民衆なのではないか」(石井)「勇気を出して自分の過去を話したことによって、社会問題へとつながっていった」(高橋・由)ことなど、この問題の重みを自らの気持ちで表現している。

 

(3)「なぜ従軍慰安婦が誕生したのか」(3時間目)

■導入

今までの政府の対応や姿勢について簡単に説明し、今回見つかった慰安所設置、慰安婦募集に軍がかかわっていたことを示す資料を確認する。

■展開

岩波ブックレット『朝鮮人従軍慰安婦』(鈴木裕子著)を使用し、まず戦前の天皇制体制の下での軍隊(皇軍)のあり方から、従軍慰安婦の誕生の背景を理解させる。前時のTBSラジオ『石の叫び』を思い出させながら、プリントの内容を説明する。そして「皇軍将兵への贈り物」がなぜ朝鮮の娘たちでなければならなかったか、そこでのすさまじい「慰安婦狩り」によって戦地では朝鮮女性が8割にのぼったことを確認する。

■まとめ

プリントにしめした宮沢訪韓で「なぜデモがおこるのか」考えさせる。新聞記事のなかで韓国挺身隊問題対策協議会という団体に注目させる。

 

(4)「『かにた婦人の村』から世界へ訴える」(4時間目)

■導入

前時で話した「韓国挺身隊問題対策協議会」の共同代表のユン・ジョンオクさんと「かにた婦人の村」のかかわりについて知らせる。ユンさんは1980(昭和55)年から北海道、沖縄、タイ、ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、その取材記が1990(平成2)年1月ソウルの新聞に連載されたことから、この問題の口火がきられた。1988(昭和63)年8月の来日では「かにた村」の従軍慰安婦石碑を訪ねた。これがのち韓国KBSテレビによるドキュメンタリー制作につながっていった。

■展開

VTR視聴(40分)韓国KBSテレビ『太平洋の魂〜従軍慰安婦』。ここで初めて生徒たちは城田さんの素顔に接する。今まで学習したことが映像でまとまっていることもあり、食い入るようにみている。ここではとくに沖縄の元慰安婦の朝鮮女性が画面では、顔が消されていることに注目させる。深津牧師と「噫 従軍慰安婦」碑が画面に登場するが、生徒たちには石碑のもつ意味と日本人としての心の痛みを知ってほしい。

■まとめ

感想をみると、「言葉でしかわからなかったことをこの放送で深く勉強した。戦争で勝った負けただけではなく、慰安婦問題とかこういう誰でもがかくそうとしていることを次の世代に伝えることが『歴史』だ。だからテレビを通じてこの問題を知ることができてうれしいというか、大切なことを知った。このことを誰かが伝えなかったら、またいつかこれ以上の問題がおきるかも知れない」(吉田・亜)というように多くのものが真剣に受けとめ、事実の重みを感じたようだ。ゆえに日本や日本人のあり方を問うものが多くなる。「従軍慰安婦のことを家の人に聞いてみたが、一人も知っているものがいなかった。今この問題を忘れて日本人は幸せに暮らしている。張本人の日本人が知らん顔をしていいのか。」(黒川)「初めて授業をうけたとき、館山に「かにた村」があることすら知らなかった。私は今回慰安婦の問題を初めて知りましたが、今の若い人たちはこの存在さえ知らない人が多い」(平野)「日本人の残酷な姿をおもいしらされとてもつらい気持ちになった。もし私が戦時中に韓国にいて慰安婦として日本兵の相手をさせられていたとしたらきっと恨み続けていたと思う」(松崎)「日本とって戦争が過去のことでも、韓国の人々にとっては今でも続いている」(羽山)「今も後遺症で苦しんでいるというのに、それを知らず平和に今まで暮らしてきた自分達がにくらしく思えてきた」(小宮)と自己にも問いかけている。

 

(5)「いま韓国ではどんな動きがあるか」(5時間目)

■導入

朝鮮民衆の民族独立の意欲を挫折させ圧殺させるための政策として、若い未婚の女性を慰安婦にすることで民族の消滅を図ったのではないかという説などを紹介する。では今の韓国の人々はどう見ているのか。

■展開

VTR視聴(35分) テレビ朝日『ザ・スクープ』特集「従軍慰安婦問題」(12月6日)。韓国の元慰安婦3名が日本政府に対して訴訟を起こしたことと、この問題について韓国の人々が今どのように思っているかを街頭インタビユーや慰安婦を主人公にしたテレビドラマの反応からみる。また歴史教育のあり方について日韓の違いを確認する。そして元慰安婦として若い青春時代を奪われた女性の涙ながらの証言を心から受けとめてほしい。

■まとめ

韓国KBSテレビで顔を消されていた人物がプリントにあるペ・ポンギさんであることを知らせる。次時で彼女の人生を考える。

ここにきて、個性的で多様な視点をもつ感想が増えた。自己の問題として「と泣きながらいった女性。こういった本人の口からでたことばほど頭に入りやすい。私には感想とはいっても、どう書いていいかわからないくらい難しく書き表せないほどの苦しみ、眼をそむけたくなるようなことだけど、これが事実である。過去のことではなく『今』の問題なのだ」(川名)「私たちは一般にテレビを見てかわいそうだとか感情をいうだけで、ちっとも自分から何かしょうという気をおこしていない。この問題では、自分から『何か私でもできることがあるかな』と思わなければいけない」(池田)と前向きな立場を表明したり、「日本で従軍慰安婦のことをインタビューした時ほとんどの人が、その言葉さえ知らなかった。しかも高校生だと思うけど『それ中国語ですか』と答えたとき『ばっかじゃないか』と思ったが、もしかすると私たちがインタビューされてても同じことをいっていたかも知れないと思うとなんか恐ろしくなった」(生稲)と自分の位置を相対化する。

さらに今の歴史教育にもふれ「原爆や戦後の日本が中心で、朝鮮のことがあまりふれられていない」(和田・貴)し、「私たちがこの問題についていろいろ考えていくことによって、慰安婦たちへのせめての償いにもなるのではないか」(小宮)「日本の政府は必死にかくそうとしているが、韓国の政府や人々はこのつらすぎる過去をきちんと知っている」(石井)「今でもそのことで苦しんでいる人がいるわけだから、ちゃんとに戦争のことを教えてもらいたい」(高橋)と強く要望するものが多くなる。

 

(6)「なぜポンギさんは祖国にかえらなかったか」(6時間目)

■導入

「韓国KBSテレビのインタビューではぺ・ポンギさんは取材拒否の態度をとり、顔を消させていたのに、テレビ朝日の『ザ・スクープ』では顔が映っていたがどうしてだろう」と質問する。

■展開

雑誌『世界』に川田文子さんは「遺志は引き継がれた」の一文をよせ、ポンギさんの思い出を語っている。ポンギさんの人生はどのようなものであったか。またなぜポンギさんは祖国に帰らなかったのかを理解させる。とくに沖縄復帰のなかで不法在留者となり、強制送還の対象だったことやサトウキビ畑の小屋での人を避けた生活のなかでの閉ざされた心が、その後どのように変わっていったかを知らせたい。

VTR視聴(10分)テレビ朝日『ザ・スクープ』特集「従軍慰安婦問題」。プリントに書かれている内容が画面に登場するので生徒は真剣である。磨き込まれた調理用具のなかにペ・ポンギさんの思いを探らせたい。

■まとめ

ポンギさんの「わしもそのうち死んでいくだろうけど、いつかきっちり謝ってほしいさねえ」という言葉をしっかり心に刻んでほしいものである。

多くの生徒はポンギさんを通じて自己・日本・日本人のあり方を問いなおし、さらに今の日本の現状を批判する観点を持つようになった。「家で一人で読んだり見たりすれば、きっと泣いていただろう。また一人でじっくり読んでいろいろと考えてみたいと思う。」(松村)「私たちは本当に何も知らないないんだと思った。」(谷)「『だまされて連れてこられて、知らん国にすてられてるさね』という言葉。その過去の出来事を一言で述べているような気がする。償いは何もうけずに死んだ。だがこの問題はまだまだいき続ける。ポンギさんの心の中の訴えも、ほかの女性に手でまだまだいき続ける」(川名)「戦争も終わっても帰れない、お金もないから売春婦として働いたポンギさんを何一つ日本の政府は助けることさえしなかったなんて最低だ。日本は戦争の責任をとらねばいけない」(伊勢田)「日本人で慰安婦になった女性も苦しい思いをしてきたが、朝鮮の女性はそれよりもっと苦しい思いをしてきたように思える。お国のためとか、天皇のためとかいってだまし、今になって知らん顔をするのはなんてひどいことか」(永田)とそれぞれの感想の言葉に鋭さがでてきた。

そしてこの問題を一歩進めて「私はポンギさんの遺志を自分よりしたの世代の人たちに伝えたいと思う。従軍慰安婦たちの存在が私たちと今の日本を変えていくものだ」(宮房)ととらえた生徒がいたことに感動した。

 

(7)「従軍慰安婦問題をどう考えるか」(8時間目)

■導入

「20万人とも!『朝鮮人従軍慰安婦』の慟哭を聞け」(週刊現代2月8日号)のプリントを配布する。週刊誌で読みやすいので生徒はよく読んでいる。テレビ朝日『ザ・スクープ』の冒頭で紹介された、日本政府に訴訟をおこした原告の一人金学順(67歳)さんの証言がある。また今なお後遺症に悩まされている元慰安婦たちことも知らせる。

■展開

今まで学習してきたことを思いださせながら、韓国の人々の日本政府への要求について確認する。とくに公開書簡の「こうした過ちを再び繰り返さないために、歴史教育の中でこの事実を語り続けること」という要求についてどう思うか考えさせた。このことに関してドイツの歴史教科書作成についての事例をあげるとともに、国家的犯罪としてのユダヤ人虐殺の償いと責任を今までどうとってきたか、今はどうしているかを簡単に紹介する。

■まとめ

ユン・ジョンオクさんの「従軍慰安婦問題は過去のことではない」の一節を読む。「過去を認めない国は過ちを繰り返す恐れがある。そんな政府を持つかぎり、責任は日本人全部にあることになります。」という言葉をどのように受けとめるべきか、次時まで考えるよう指示した。

 

(8)「従軍慰安婦問題をどう償っていくか」(9時間目)

■導入

今日の授業で、この問題のとりあえずのまとめにする。

■展開

「この問題をどう償っていくべきか」を2つの新聞投書を参考に自分の意見をまとめる。

意見で多いのは、お金だけでこの問題を解決してはだめだということである。ではどうあるべきかを彼らは自己の問題として、戦後責任のとり方に、さらに歴史教育のあり方も含めて模索した。「慰安婦の苦しみは何億つまれても償えるものではない。お金だけで解決しょうというのは一番よくない。しかし今にいきる私たちが補償しなければ何ひとつ始まらない。『従軍慰安婦?何それ?』などと日本の国民一人でも言うことのないように、歴史の一ページとして残すべきだ。とにかく私は日本人として、また同じ女として慰安婦たちに償いたい。」(池田)「教科書で習ってきた戦争と裏に隠された本当の戦争とはあまりにもイメージが違いすぎる。本当のことを教えてくれなければ謝ることにならない。私たちの先輩がおこした問題だけではなく、やはり日本がおこした問題なのだ」(鈴木・明)「過去は今へ、今は未来へと歴史は受け継がれていくべきだ。この問題も例外ではない。戦時中日本がおこなってきたことは私たち今の世代の人々にも責任がある」(石井)「この問題をやってから、少しづづ考えが変わってきた。『償う』という言葉だけではなく、ほかに『何か私にできたらいい』」(真汐)と歴史の主体者としてどうあらねばならないのかを意識して、この問題を見つめている。

現代の社会状況をさらに追求するものは「ドイツのようにずうっと償わなければならない。ところで日本人は同じ人種でないとひどい扱いをする。アジアとか来ている出稼ぎの労働者に対して低賃金や強制的に扱っている。こういう面でも日本人は償わなければならない。今でもそうなので、慰安婦のことは時効にできない問題だ。」(谷)「今の日本はお金を増やすことに夢中になっている。ほとんどの人たちは考えもなくして、お金で何でも解決できると思っている。人の心はお金ではなおせない」(吉田・文)「過去のこととして忘れ去ろうとする事は、日本全体が他国から白い眼で見られる」(平野)と、この問題からの今日的な視点を把握している。

ところで「昔の人の責任は昔の人にとってもらうのが一番である。政治家はこの問題を簡単に考えるな」(生稲)「補償となれば今の若い世代が巻き込まれる。どうして関係ない人たちがこのような問題をかかえなければいけないんだ」(高橋・美)「日本が悪いかもしれないが、お金だけで解決するとなると日本は一生お金を払い続けなければならなくなる。そんなことになると今度は日本がダメになってしまう」(鈴木・陽)など全体からみると少数の意見であるが貴重である。このような視点から戦後責任の処理のあり方に問題を提起する生徒たちを中心に討論授業もしてみたかった。

 

【4】生徒たちは「平和主義」の学習をどう捉えたか

まとめとして、この従軍慰安婦問題を通じて「この平和学習からあなたはどのようなことを学んだか」を課題テーマにした。そこでは生徒たちの言葉で、さまざまな平和に対する意見が出された。そのなかの代表的なものをあげる。

「一番強く感じたのは『戦争がなくても平和とはいえない』ということだ」「日本の本当の姿を知った。過去をみればどの国よりもきたなく思えてきたが、この過去から逃げず、今からでも見直してほしい」「平和は戦争をしないだけじゃなくて、自分の思っている事を自由に言えたり人種差別で悲しい思いのする人たちもいない、心がやすらいで生活できる事だ」「平和とは国民一人一人がささえているもので、その国民が自覚しなければいつでも崩されていくものだ。権力者のおごりやたかぶりで戦争が起こるのだ」「昔よりは平和になったといわれるが、今だってソ連崩壊や湾岸戦争、環境問題など将来何が起こるか不安だ。これも発展のことばかり考えているからではないか」と若者らしい豊かな平和感覚が健在であったことが、私にはうれしかった。

9時間をかけた従軍慰安婦問題の授業を振り返ると、この授業実践から跳ね返ってきた生徒のレポートに心を揺り動かされた。彼らが心を躍らせたり、怒ったり、悲しみながら学びながら、主体的に授業とかかわるなかでこそ社会科のめざす理念や学力とつながるのではないかと考えざるを得ない。それにしても生徒たちが社会科ぎらいとか、社会的なことに無関心であると決めつけるまえに、教師側の授業内容や問題提起のあり方が無関心にさせていたと問うことがいまこそ必要ではないかと思った。