旧千葉県立安房南高校 木造校舎見学会2023
〔令和5年度 千葉県立安房南高等学校旧第一校舎一般公開事業〕
…⇒ 木造校舎の紹介(動画・パンフレット)
100年前に発生した関東大震災の教訓をもとに、古くからの日本の木造建築と、新しい西洋建築の要素を融合させて、1930(昭和5)年に建てられました。左右対称に大きく羽を広げたようなデザインの木造校舎は、千葉県指定有形文化財です。貴重な地域遺産を未来に手渡しましょう!
日時:2023年11月19日(日)
10:00~15:00
会場:旧千葉県立安房南高等学校
(館山市北条611)
※ 事前予約の必要はありませんが、混雑状況により入場制限を行う場合があります。
同校卒業生によるセーラー服人形や絵画・書画なども展示します。
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「かにた婦人の村」建替工事チャリティ企画
現代国際巨匠絵画展
ピカソ、シャガールから東山魁夷、平山郁夫、藤田嗣治まで120余点を展観・販売。「かにた婦人の村」利用者が制作した陶芸や手芸作品も即売します。
⇒ 公式サイト
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ウガンダのNGO代表来日
支援活動続ける市民と交流
(房日新聞 2023.9.29.付)--301x400.jpg)
旧安房南高校の生徒らが1994年に始め、安房地域の高校生らに引き継がれてきたアフリカ・ウガンダの支援交流で、交流を続けているNGOウガンダ意識向上協会の代表、スチュアート・センパラ氏が来日した。交流30年の節目の記念式典に出席した他、館山市内各地を訪問して関係者らと交流を図った。
安房の高校生が主体となって活動をしている「安房地域のウガンダ支援交流」。NPO法人安房文化遺産フォーラムが支援の窓口となっており、同NPO主催でセンパラ氏の来日に合わせて30周年記念式典や展示を行った。
来日中は、旧安房南高校舎訪問、城山公園や渚の駅たてやまなどの市内観光、館山ロータリークラブとの卓話、安房西高校訪問などを行い、各所で支援者と再会を果たすなど充実した時間を過ごした。
旧安房南高校から始まった支援活動を、現在引き継いでいるJRC部がある安房西高校では、全校生徒に向けて30年の交流の歩みを語る講演を行った。
センパラ氏は、「安房の生徒たちが支援を続けているおかげで、ウガンダの子どもたちに技術指導や教育を行い、自立支援をすることができている。この30年で多くの人たちから頂いた支援に感謝したい」などと話していた。
同校JRC部9人と懇談会の時間も設けられ、センパラ氏と対面した内海響部長(2年)は「今回の講演を聞いたことで、これまでの交流を深く知ることができた。今抱えている現地の問題も知れたので、さらに寄り添った支援をしていけたら」と活動に意欲を見せていた。
支援交流30年で21日に記念式典 館山
(房日新聞 2023.9.13付)
旧安房南高校の生徒らが1994年に始め、安房地域の高校生らに引き継がれてきたアフリカ・ウガンダの支援交流で、長年交流を続けてきたNGOウガンダ意識向上協会の代表、スチュアート・センパラ氏が来日する。
来日に合わせ21日、支援交流が始まって30年の記念式典を館山市コミュニティセンターで開催し、講演会を行う。20、21日には展示会を実施する。
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故・溝口七生さんの絵画5点をモントレーに寄贈
(房日新聞 2023.9.10付)-371x400.jpg)
明治時代に安房地域から渡米し、モントレーでアワビ産業を興した移民に関する交流、調査研究などを長年続けているNPO法人安房文化遺産フォーラムの共同代表、池田恵美子さん(62)と、英会話スクールを主宰する溝口かおりさん(58)が訪米し、歴史交流を行った。
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安房地域では、高校生と市民活動が一緒にウガンダの孤児や貧困集落へ国際協力の手を差し伸べています。NGO代表の来日にあわせて30年記念式典をおこないます。多くの皆さんの参加を歓迎いたします。⇒ 詳細はコチラ。
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千葉県指定文化財である旧安房南高校木造校舎の
環境整備(草刈・掃除)に力を貸してください。
9月9日(土) 8:30~10:30
雨天の場合は、翌日に順延です。
みんなで木造校舎に磨きをかけましょう!
ご参加・ご協力よろしくお願いします!
参加希望者は問合せフォーム、あるいは、
FacebookやTwitterからDMでお願いします。
安房高等女学校木造校舎を愛する会
事務局:NPO安房文化遺産フォーラム
<関東大震災100年>
安房震災史 記された「地域の誇り」
朝鮮人も恐怖 十分の保護を
流言飛語打ち消し騒動回避--360x400.jpg)
(東京新聞 2023.9.1付-web)
関東大震災(1923年)から1日で100年。現在の千葉県館山市では、ほとんどの家屋が倒壊や焼失で失われ、727人が亡くなる甚大な被害があった。「安房震災誌」(26年)には、東京などで朝鮮人虐殺が起きた一方、当時の行政トップらが住民に対して不穏なうわさを打ち消し、騒動を回避したことがつづられている。地域史を研究する人たちからは「地域の誇り」との声も上がる。(山本哲正)
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