⇒※詳細はコチラ。
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いま、「旅人」が求めるのは「出会い」です。その土地、そのとき、その人に出会うことで、その旅が生涯忘れら
れないものになる…。あなたの住むまちにもすばらしい人や場所、流れる時間がきっとあるはず。まちの魅力を
知っているのはあなた自身です。あなたが、あなたのまちを演出しませんか?
「旅のもてなしプロデューサー」は「地域(まち)の人々による文化にふれる創造的な旅を企画し、演出する人
です。あなたが、あなたの街のセールスマンとして認定される資格です。
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■日 時= 平成23年9月10日(土)〜11日(日)
■場 所= 聖徳大学生涯学習社会貢献センター(10号館)5階
(千葉県松戸市松戸1169 松戸駅東口徒歩1分)
■参加費= ¥36,000-
★今回限りのお得な割引制度★
NPO法人全国生涯学習まちづくり協会会員 ¥26,000-
後援団体会員 ¥30,000-
再受講生 ¥10,000-
■主 催= NPO法人全国生涯学習まちづくり協会
■共 催= 財団法人日本余暇文化振興会 近畿日本ツーリスト株式会社 聖徳大学生涯学習研究所
■後 援= NPO法人関東シニアライフアドバイザー協会 まつど学びの旅推進協議
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NPO 法人全国生涯学習まちづくり協会・財団法人日本余暇文化振興会・近畿日本ツーリスト株式会社・聖徳大学生涯学習研究所の4機関・団体が連携して、着地型観光の担い手として「創年」の仕事づくりの視点から開発し、確立した旅行数進の新しい認定資格です。
「旅のもてなしプロデューサー」は、旅行者の受け入れプランを立案し、接待するために必要な専門的な知識とマインドを取得した人を示す、新しいタイプの「旅のナビゲーター」資格です。そのまちならではの魅力を発見し、新しい旅行プランを提案できる人材を資格取得者として認定します。
また、この資格取得者は「国内旅程管理主任者(国家資格)」研修の受講が可能となります。
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プログラム
9月10日(土)
10:30 開会 オリエンテーション
11:00 講 義① 「サスペンスドラマの事件は、なぜ小京都で起こるのか
〜観光まちづくりともてなし力〜」
福留 強(聖徳大学生涯学習研究所長・NPO法人全国生涯学習まちづくり協会理事長)
12:00 特別事例「おもてなしの心と技」
伊藤博(まつど学びの旅推進協議会)
開催地である「松戸」を実際に歩いてまわり、着地型観光
のあり方について学びます。
15:00 講 義②「観光政策と地域政策」
福井善朗(株式会社ティーゲートニューツーリズムコンサルティング部)
16:30 講 義③「ボランティアツーリズムのあり方」
9月11日(日)
9:00 講 義④「観光振興政策と旅行の現状」
中嶋與正(財団法人日本余暇文化振興会常務理事)
10:30 事例研究「景観と色彩を考える」
花見保次(NPO法人商業施設情報交流会理事)
12:00 演 習「観光における集客プラン」
福留 強(聖徳大学生涯学習研究所長
NPO法人全国生涯学習まちづくり協会理事長)
15:30 討 議⑤「旅のもてなしプロデューサーとして出来ること」
16:20 研修のまとめ
16:40 閉講(解散)
※都合により、講師・内容が変更になる場合があります。ご了承ください。
青木繁「海の幸」モチーフは安房神社と布良崎神社の神輿説
館山 フォーラムで2日が力説
(房日2011.9.3付)
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近代洋画家のひとり、青木繁の没後100年を記念した「青木繁《海の幸》フォーラムが、このほど館山市の南総文化ホールで開かれ、市民らが講演や、討論に聞き入った。
有志でつくる青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が主催した。
講演では、ブリヂストン美術館学芸員の貝塚健氏が、「布良という聖地〜《海の幸》が生まれた場所」と題し、作品の構図や、なぜ布良に行ったのかなどを解説。さらに青木は「海の幸」「山の幸」を制作するつもりだったこと、絵はデッサンして東京で仕上げられたことなどを語った。
海の幸のモチーフについいては、青木が安房神社の古事記歴に人間の根源的な生命観を感じていたこと、明治37年夏に布良に滞在していた青木が、安房神社の例祭を見逃すはずがないこと、神輿の担ぎ手がつくる2列縦隊は、青木の脳裏に強烈に焼きついたであろうことなどから、安房神社神輿説を唱えた。
貝塚氏のあとに登壇したNPO法人青木繁「海の幸」会の吉岡友次郎氏が、青木が滞在した布良の小谷家を、当時の姿に復元し保存していくことの重要性を語り、保存運動への参加を呼びかけた。
このあとの井戸端会議では、布良崎神社神輿世話人の島田吉廣氏が、海の幸のモチーフについて、下絵の状況などから布良崎神社神輿説を力説するなど熱の入った討論が行われた。
■ NHK-BS歴史館で紹介された
映像でみる「アメリカ占領軍による館山の直接軍政」
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日時=平成23年9月3日(土)10:00〜12:00
会場=館山地区公民館
主催=NPO法人安房文化遺産フォーラム
参加費=無料
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1945年9月2日に戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式があり、その日の午後4時、終戦連絡事務所に対して、翌3日午前6時から「三布告」(①英語を公用語②米軍B円軍票を日本法貨③違反者を軍事裁判で処罰)による直接軍政を告示した。驚いた岡崎勝男終戦中央連絡事務所長官がこの日の未明に命がけの交渉をおこない正午に延期させると、朝8時からは重光葵外相がマッカーサーに直談判して正午実施の「三布告」を中止させたのであった。だが、「空白の6時間」、館山には占領軍3500名が上陸し、本土で唯一「直接軍政」が敷かれたのである。歴史から消えていたこの事実が、旧制安房中学(現安房高校)の教務日誌のなかに記載されていた。この直接軍政が「4日間」で解除となった直後には、館山病院で英語教室が始まり、市内には外国人向けのスーベニアショップ(お土産店)が開かれたという。
この史実を特集したテレビ番組『BS歴史館』を鑑賞しながら、その裏付けとなる証拠書類や証言を紹介しながら、戦後日本のスタートとなった館山の歴史を学ぶ機会です。
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◆新刊本を販売します。
『一度は訪ねてみたい戦争遺跡 本土決戦の虚像と実像』
⇒チラシ印刷用PDF
■日時=2011年9月25日(日)13:30〜16:30
■会場=館山市コミュニティセンター第一集会室
■入場料=無料
【オープニング】
・郷土の音楽物語『花とふるさと』
【第一部】基調講演
・福留強さん「克災のまちづくりと創年の市民活動」
【第二部】私のチャレンジ(活動紹介)
・幸田右子さん「旅館女将の心がけ」
・櫟原八千代さん「鯨料理で町おこし」
・笠井美智子さん「安房で始める、安房から始める」
・コーディネーター:池田恵美子さん
【まとめ】
・意見交換
・房州弁「憲法97条」
*主催:第17回安房地域母親大会実行委員会
(構成団体=新日本婦人の会館山支部/新日本婦人の会鴨川支部・市町職員組合連絡協議会安房地区女性連絡会・/全日本年金者組合安房支部・NPO法人安房文化遺産フォーラム)
*後援:館山市・鴨川市・南房総市・鋸南町各教育委員会 房日新聞社
講演会(主催・里見氏稲村城跡を保存する会)
テーマ「里見氏研究のあゆみ」〜川名 登先生を偲んで〜
講師:岡田 晃司氏(郷土史家)「大野 太平氏について」
講師:滝川恒昭氏(千葉城郭研究会会員)「川名 登氏について」
本年6月、1996年稲村城跡保存運動がスタートして以来、今日まで大変お世話になった千葉経済大学名誉教授川名登先生が逝去されました。つきましては故川名登先生への追悼をこめ、講演会「里見氏研究のあゆみ」を下記のとおり開催することにしました。多数の皆様方のご参加をお待ちしております。
9 月 11 日 (日)
時 間 午後1時30分〜3時
場 所 館山市中央公民館(コミセン)
1階第1集会室
連絡先
里見氏稲村城跡を保存する会(世話人代表・愛沢伸雄)
館山市小原15-5 ☎ 0470(27)6350 (夜間)
房州舫 2011企画 vol.3
災害対策講演会 〜被災地から学ぶこと
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未曾有の大震災が起きた今だからこそ、
当地域で備えるべきことを一緒に考えてみませんか。
是非ご参加ください。
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・日 時= 2011年9月10日(土)午後2時〜午後4時
・場 所= 南房総市千倉公民館
・内 容
①講演:被災地での活動
〜津波被害に対して、行政・市民が備えるべきこと〜
講師:亀田綜合病院 地域医療支援部 部長 小野沢滋氏
②意見交換
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・対象者= 地域住民・行政関係者
・問合せ先= いのちといのちをつなぐー房州舫(もやい)
・事務局 TEL/FAX. 0470-44-1780
2011年8月27日(土)千葉県南総文化ホールで
青木繁《海の幸》フォーラムが開かれました。
来場者は300名。
詳細は、館山生涯学習ブログ「たてやま発見伝」をご照覧ください。
http://tateyamals.blogspot.com/2011/08/827_28.html
青木繁《海の幸》への想い
館山美術会 顧問 船田正廣
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信州上田生まれの私は、人生の半分以上を安房の地で美術の教鞭をとってきた。私にとって大学の大先輩である青木繁が、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業した明治37年夏、布良という海岸で名画《海の幸》を描いたということは知っていたが、その漁村こそ私の住んでいる館山市内だということは随分長い間気づかなかった。近代西洋画として第一号の重要文化財となった《海の幸》は、私のみならず多くの美術家に影響を与えてきたといっても過言ではない。
素っ裸で隊列を組んで、大きなサメを担いで砂浜を行進するということは、実際に布良の漁師がしていたとは考えにくい。美術学校で、人体美学や美術解剖学を学んだばかりの青年青木繁が、布良の男らしい漁師と荒々しく担ぎゆかれる大魚を見て、人間の労働における身体美、裸で平等に躍動する人体の憧憬に感動したのではないだろうか。この衝撃的な体験と、学校での机上の学問を融合していったとも思われる。男たちの歩く先には大きな夢が満ちているし、目指す先は永遠にあるという確信に満ちた大ロマンを感ずる。
還暦を迎えて県立高校を退職し私立安房西高校の非常勤講師となったとき、私はあらためて《海の幸》とじっくり向き合う時間をもつことができた。私は彫刻家として、彼とはちがうが、彼と同等の衝撃的体験を共有することは出来ないだろうか…と。
そして感じたことは、青木繁は彫刻家以上に彫刻的な絵を描ける画家であるという結論だった。それなら、この絵から必ず彫刻が生まれると確信出来た。なるべく絵画《海の幸》に近い形で、原画と同寸大で彼の感動に迫ってみようと思い、粘土によるレリーフ(浮き彫り)に取りかかった。
1年、2年は制作に行き詰った。その度に、彼の描いた骨組みや筋肉表現に行きつけず頭が下がった。自分の才能も、もういくら頑張ってもこれ以上のものは出て来ないと感じた。3年目に入ったある日、彫塑のヘラを置いた。完成作品の撮影をし、写真の右下に写し込まれた2004.7.31の日付を見たとき、私は身震いがした。青木繁が布良に滞在し《海の幸》を描いた1904年夏から、ちょうど百年目の夏だったのである。私の『刻画・海の幸』はこうして誕生した。その後、この感動に共感してくださった安房西高校の理事長によりブロンズ鋳造され、同校に展示していただいている。
先ごろ布良崎神社神輿世話人である島田吉廣氏は、《海の幸》の構図は神輿の御浜下りから着想したものではないかと自説を披露された。小谷家に隣接している布良崎神社の祭礼は、当時8月1日に行なわれていたという。だったら、7月中旬から布良に滞在していた青木が、漁師たちの神輿が海に入り、また海から上がってくる様子に衝撃を受けたと考えてもおかしくない。さらに10日後には相浜で、安房神社神輿の御浜下りと続く。神話世界を具現化したいと願っていた青木繁にとって、恰好の素材であったに違いない。
8月27日に南総文化ホールで開かれる「青木繁《海の幸》フォーラム」が楽しみである。多くの館山市民、安房の市民にご来場いただき、一緒にこの感動を共有したいと願っている。