<歴史シンポジウム>
柏北部を街ごと博物館に
~エコミュージアムの提案
2014年2月22日(土)13:00~17:00
会場:柏の葉アーバンデザインセンター
2014年2月22日(土)13:00~17:00
会場:柏の葉アーバンデザインセンター
福原有信は、1848(嘉永元)年に安房神社に近い松岡村(館山市)に漢方医の孫として生まれる。17歳で医学を志して上京、西洋医学を学び、医薬分業を提唱。1872(明治5)年23歳で日本初の洋風調剤薬局「資生堂」を銀座に開業。長女の嫁いだ館山病院の支援をはじめ、帝国生命保険や安房銀行(後の千葉銀行)を設立に関わり、日本と安房の近代化に大きな貢献を果たす。松岡八幡神社の鳥居には、明治44年に寄進した福原有信の名前が刻まれている。
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【見学会】
10:30〜11:30安房支援学校前集合
松岡八幡神社=福原家跡=小塚大師(福原之墓)
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【シンポジウム】
13:30〜16:30 南総文化ホール小ホール
講演会
・佐藤朝美氏(資生堂企業資料館)
座談会
・福原勇
・早川萬専
・早川政義
・吉田茂徳
・天野努
・愛沢伸雄
・池田恵美子
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【主催】
福原有信を語り継ぐ会、松岡区、NPO法人安房文化遺産フォーラム
【後援】
館山市・同教委、神戸地区コミュニティ委員会、神戸区長会
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【関連行事】
・2月16日(日)=ヘリテージ見学会〜椿の館・小原家庭園
・2月16日(日)=シンポジウム「館山まるごと博物館」
・3月1〜3日(土日月)=ヘリテージ見学会〜青木繁ゆかりの小谷家住宅
・見学会
・講演&座談会
・見学会(椿の館・小原家庭園)
・講演&シンポジウム
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□明治大学平和教育登戸研究所資料館企画展「本土決戦と秘密戦」
□シンポジウム南房総・館山「小さな旅」
□シンポジウム柏北部を街ごと博物館に〜エコミュージアムの提案
◆ツアーガイドのスケジュール
◎かにた婦人の村バザー
(房日2010.1.28)
安房神社の成立のもとはどういうことだったのかを考古資料から考えていく。
文献資料では忌部広成が書いたといわれる「古語拾遺」と、天皇の食膳を担当していた高橋氏による「高橋氏文」の2つの氏族伝承がある。今までは「古語拾遺」が多く語られていたが、最近の文献史学では新しい史料が発掘され、「高橋氏文」は史実を反映しているものだとされるようになった。
「高橋氏文」では▽安房のカツオと貝がセットで天皇の食膳に提供されていること▽高橋氏の祖先が天皇から「大伴部(おおともべ)」と呼ばれる部民を賜ったこと▽安房大神(あわのおおかみ)を御食都神(みつけかみ)として大膳職の祭神としていたこと—などが書かれている。
これまでの記述を証明するものはなかったが、731年の「類聚三代格」という文書の中に、「安房地方で安房大神を祀っていた女性たちが上京して宮中の御食都神を祀ることを命令されていた」ことを示す内容が見つかった。当時は安房神社は、安房大神と言われていたようだ。
これを考古学の資料からみるとどうなるか。
安房の漁村型集落遺跡の沢辺遺跡(南房総市白浜町)では、7世紀ごろの疑餌針が出ている。カツオの骨とウロコもたくさん出てきた。カツオ漁が行われていたのは確かで、「高橋氏文」の内容と符合している。
出土した貝はサザエが多いのだが、アワビオコシの道具も出ている。
平城京跡などから出土した木簡には、安房の「大伴部」がアワビを献上したことが記されている。出土木簡に書かれている「大伴部」姓は安房の人以外にはなく、このことからも「高橋氏文」の内容は史実だと考えられる。
一昨年、昨年と千葉大学の考古学研究室が、安房神社の境内にある安房神社洞窟を再調査した。洞窟のある場所は、6000年前の縄文海進で海が一番高くなった「沼1面」にあたる。出てきた一番古い土器は縄文前期。縄文海進が終わって陸化し、その段階で洞窟になっていたところに人が住み始めている。
安房神社の境内でも以前、縄文時代の土器が採取されたという。安房神社のある所に古くから人が住んでいた場所だ。
境内から出土して、安房神社が今も所蔵している高坏、5世紀のもので市の文化財に指定されているが、これが館山市沼の大寺山洞穴遺跡から出たものとまったく同じ特徴を持つ。安房神社のものは祭祀に使われたと考えられている。
大寺山の高坏は舟形木簡の副葬品だった。時代は同じ。形がまったく同じ高坏は、この2ヶ所以外では出ていない。大寺山では他に鉄の兜、短い鎧が出ている。これも5世紀のもの。短い鎧は房総では珍しいが、ふつうは古墳から出てくる。それが海岸近くの洞窟から出てきた。この遺跡に葬られた人々は、安房の海人集団の首長だと考えられる。
房総半島の中で、祭祀遺跡は(古代の)安房郡=注:現在の館山市、旧白浜町を主とする地域=に集中する。白浜の小滝涼源寺遺跡は4世紀後半からの遺跡だが、石製模造品と言われている剣や鏡が伴っている。祭祀が早い段階で行われていた。房総にはヤマトタケルの伝承もあるが、大和朝廷の東北支配にかかわる遺跡ではないかと考えられている。
5世紀の遺跡になると、土器を使った祭祀品が出てくる。
安房の地域には古代からの漁労民の集落があり、祭祀遺跡や洞穴遺跡がある。特に大寺山遺跡と安房神社境内に同様の出土品がある。安房神社のある場所というのは海人の首長に崇拝される、地域の人にあがめられる、そういう場所だったのではないか。
神社が形を持ってくるのは、天武天皇の時代の7世紀後半から。安房は5世紀ぐらいに大和朝廷の支配下に入っていく。当時の漁労種族、房総半島を回るときの水先案内人のような人々がいて、その中心的崇拝地が安房大神、それが安房神社になったのではと考えられる。
(本稿は平成22年1月23日に館山市コミュニティセンターで行われた同研究会公開講座の内容を要約・再構成したものです)
地域の自然遺産や文化遺産を「まるごと博物館」と見立てるエコミュージアムの手法が、市民による生涯学習として全国的に広がりを見せる中、館山市での取り組みを検証するシンポジウムが2月16日、市内のたてやま夕日海岸ホテルで開催される。この分野の第一人者による基調講演やパネルディスカッションをとおして、取り組みがどんな未来を創造できるのか、その可能性と課題を探る。
20年にわたり文化財保存運動を展開してきた「館山まるごと博物館」の取り組みは、実践的なモデル事例として注目されている。〝平和・交流・共生〟をまちづくりの理念として、文化遺産の保存・活用を呼びかけてきた同博物館の活動は、地域住民の絆を育むとともに、共通の歴史をもつ地域間の連携として、広域「まるごと博物館」のまちづくり交流に発展している。
その活動の中心的役割を担ってきたNPO法人安房文化遺産フォーラムと、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が主催し、シンポジウムを企画。横浜国立大学大学院教授で日本エコミュージアム研究会前会長の大原一興氏を迎え、広く世界を見てきた同氏から「文化遺産を活かしたエコミュージアムのまちづくり」と題して基調講演してもらう。
この後、林浩二(県立中央博物館学芸員)、チョン・イルジ(神奈川大学助手)、杉江敬(館山市教育委員会生涯学習課文化財係長)、愛沢伸雄(安房文化遺産フォーラム代表)の4氏をパネリストに話し合う。
午後1時半〜4時までで、参加無料で興味関心のある市民の来場を呼びかけている。
シンポジウムに先立って、同日午前10時から「椿の館」として知られる同市南条の小原家庭園の見学会が開かれる。参加希望者は、同所の観音寺前に時間までに集合する。
小原家は、築160年の和風建築で、離れは映画「赤い鯨と白い蛇」のロケにも使われた。三代前の当主・小原金治(1859〜1939)は、明治期に県議や衆議院議員を務め、安房銀行(千葉銀行の前身)や房総遠洋漁業株式会社の設立と経営に関わり、安房の近代化に大きな役割を果たした。
その孫の謹治(1910〜1999)は、館山市花となったツバキを700種類育てた研究者として世界に知られ、作付した新種は「布良」「相の浜」「山王」などと名付けられ10種類にのぼる。
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【基調講演】
・大原 一興 (横浜国立大学大学院教授)
「文化遺産を活かしたエコミュージアムのまちづくり」
【パネルディスカッション】
・林 浩二(千葉県立中央博物館学芸員)
・チョン・イルジ(神奈川大学助手)
・杉江 敬 (館山市教育委員会生涯学習課文化財係長)
・愛沢 伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム代表)
・コーディネーター:池田 恵美子(同事務局長)
世界遺産(ワールドヘリテージ)をめぐる旅が人気となり、地域の自然遺産や文化遺産が見直されています。特に、1971年にフランスで提唱された「エコミュージアム」という考え方は、地域全体の魅力的な自然遺産や文化遺産を「まるごと博物館」と見立てて、市民による生涯学習まちづくりの手法として全国に広がっています。
なかでも、20年にわたり文化財保存運動を展開してきた「館山まるごと博物館」の取り組みは、実践的なモデル事例として各方面から注目されています。房総半島南部の地域像を見つめ直してみると、海を通じて先人たちが培った〝平和・交流・共生〟の精神が見えてきます。「館山まるごと博物館」ではこれをまちづくりの理念として、文化遺産の保存・活用を呼びかけてきました。この活動は、地域住民の誇りと絆を育むとともに、共通の歴史をもつ地域間の連携として、広域「まるごと博物館」のまちづくり交流に発展しています。
少子高齢化がすすむ地域社会において、「館山まるごと博物館」の取り組みは何をもたらし、どんな未来を創造することができるのでしょうか。広く世界を見てきたエコミュージアムの研究者や博物館の学芸員の話を伺いながら、その可能性と課題を探り、ともに話し合いましょう。
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【関連行事】
・2月15日(土)=ふるさと館山松岡の偉人・福原有信を語る会
・2月16日(日)=ヘリテージ見学会〜椿の館・小原家庭園
・3月1〜3日(土日月)=ヘリテージ見学会〜青木繁ゆかりの小谷家住宅
【参考】
~高評価得た館山の実践~地域まるごと博物館シンポで
【集合】10時:観音寺前(館山市南条)〜徒歩5分
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築160年の和風建築で、離れは映画『赤い鯨と白い蛇』のロケに使われました。三代前の当主・小原金治(1859~1939)は、明治期に県議や衆議院議員を務め、安房銀行(千葉銀行の前身)や房総遠洋漁業株式会社の設立に関わり、安房の近代化に重要な役割を果たしました。その孫・小原謹治(1910~1999)は、館山市花となったツバキを700種類育てた研究者として世界に知られ、作付した新種は10種類あり、「布良」「相の浜」「山王」「ケー・オハラ」などと名づけられています。
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【場所】小谷家住宅
【アクセス】JRバス「安房自然村」停留所から徒歩3分
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青木繁《海の幸》誕生の家・小谷家住宅は、画壇の聖地と呼ばれる布良の、築130年の和風建築(館山市指定文化財)です。全国の画家によって保存運動が進められており、まもなく修復工事が始まる予定です。桃の節句の見学会として、おひな様を飾って特別公開します。
【関連事業】
・2月15日(土)=ふるさと館山松岡の偉人・福原有信を語る会
・2月16日(日)=シンポジウム館山まるごと博物館
・アクセス:JRバス「安房自然村」停留所から徒歩2分
※個人住宅のため、いつもは公開していません。
館山市大巌院には、雄誉霊巌上人が建立した「四面石塔」(千葉県指定有形文化財)があります。高さ219cm。東西南北の各面に、朝鮮ハングル・中国篆字・和風漢字・インド梵字で「南無阿弥陀仏」と刻まれています。韓国からも注目され、訪れます。改めて地域資源を見聞する機会です。
【日時】2014年1月17日(金)13:30〜15:00
【集合】漁師料理たてやまP(信号寄り)
【参加費】無料
【定員】30名
【主催】館山体験交流協会ビジターセンター事業
【協力】NPO法人安房文化遺産フォーラム
【申込】0470-22-2530
※房日新聞2013.9.7付=館山に韓国視察団、地域資源と観光振興探る
http://bunka-isan.awa.jp/News/item.htm?cid=w&iid=836
※韓国洪城新聞
・韓国語=http://www.hsnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=60607
・日本語翻訳=http://www.hsnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=60607
(房日新聞2011.12.29付)‥⇒印刷用PDF
アフリカのウガンダ共和国で支援活動を続ける県立安房高校JRC(青年赤十字)の生徒22人がこのほど、同校社会科室で平成20年度卒業の河辺智美さんから「ウガンダ現地実習報告」を聞いた。
河辺さんは、東洋大学国際地域学部国際地域学科で、国際協力について学んでいる。今年9月にゼミナール研修でウガンダ共和国に約2週間滞在した。報告会では、河辺さんが滞在中に体験し感じたことなどを発表。子どもたちの就学についてや電力の供給状況など生活環境についても説明があった。生徒からは、「停電が頻発するといった生活環境の実情を知り驚いた」といった声が聞かれた。
同高は、旧安房南高校の生徒会とボランティア委員会の活動として行っていたウガンダ支援バザーを、学校統統合後も継続し収益金を毎年送金している。支援は、ウガンダ意識向上㈶(CUFI)を通じて行っており、同財団は86年に設立され国際的な支援が始まった。これまで支援金により「安房南高校洋裁学校」が開設されており、河辺さんは、支援活動が現地の子供たちに役立てられていることも報告した。