お知らせ

【房日寄稿】190502*海とアートの学校まるごと美術館

海とアートの学校まるごと美術館‥⇒案内チラシ

池田恵美子(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会)

(房日新聞=寄稿2019.5.2付)‥⇒印刷用PDF

古くから多くの画家が来遊し名画を描いたことから、館山市布良は「美術界の聖地」と呼ばれています。今年のゴールデンウィークの10連休には、旧富崎小学校の空き校舎を活用し、「海とアートの学校まるごと美術館」を開催しています。

布良の海を愛した画家たち-青木繁・寺崎武男・倉田白羊-の複製画や原画を展示し、地域の魅力や誇りを再発見する企画です。入場無料で、毎日お楽しみイベントやバザー、フリーマーケットなども出店します。ぜひご来場し、誇れる安房の文化をお味わいください。

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◎青木繁(あおきしげる)

1904年夏、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業した青木繁は、友人や恋人の福田たねと布良を訪れ、40日にわたり小谷家に滞在しました。神話に造詣の深かった青木は、海や神話をテーマに多くの作品を描きました。

なかでも、西洋画として日本最初の重要文化財となった『海の幸』は、布良崎神社の神輿がイメージソースとなって描かれたと考えられています。もう1作の重要文化財である『わだつみのいろこの宮』は、布良の潜水体験から構想し3年がかりで完成したと国民新聞に寄稿しています。

主催の「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」は、富崎幼稚園の廃園を契機に地域活性化を目指して設立され、NPO法人安房文化遺産フォーラムが事務局を担っています。その後、小谷家住宅は館山市指定有形文化財となり、保存・活用に賛同した全国の著名な画家の皆さんとともに、館山市ふるさと納税を通じて保存基金を集めました。

修復を終えて、青木繁「海の幸」記念館としてオープンし、3周年を迎えました。市民ボランティアによる民間運営のため、通常は毎週土・日曜日のみ見学日ですが、GW期間中は毎日開館しています。

布良在住で特殊印刷技術を有する島田吉廣氏が制作した青木繁の複製画5作品は、期間中「海とアートの学校まるごと美術館」の会場(旧富崎小学校)に展示されます。なかでも、迫力ある玄界灘の海を描いた遺作『朝日』は、このたび佐賀県重要文化財に指定された作品で見ごたえ十分です。

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◎寺崎武男(てらさきたけお)

青木繁より3年遅れて1907年に東京美術学校を卒業した寺崎武男は、農商務省実業講習生としてイタリアに留学し、フレスコ画やテンペラ画、エッチングなどの多彩な技法を学びました。版画家の山本鼎らと日本創作版画協会を設立するとともに、壁画・版画・テンペラ・エッチング・水彩画・油彩画など様々な技法を研究し、日本美術史に大きな影響を与えました。

日本人初のヴェニス・ビエンナーレ国際展に入賞し、法隆寺の金堂壁画が焼失したために国宝の輪堂に壁画を描き、明治神宮の聖徳記念絵画館には『軍人勅諭下賜ノ図』が収蔵されています。

先に移住していた彫刻家・長沼守敬(ながぬまもりよし)を慕って館山を訪れるうち気に入って別荘を建て、スケッチに来遊し、その後館山に定住。戦後は、旧安房第一高校(現安房高校)から美術講師として、館山の若者たちに芸術の大切さ伝えました。

安房開拓神話に惹かれ、安房神社や諏訪神社(館山市波左間)、下立松原神社(南房総市白浜町)などに多くの神話作品を残し、とくに布良崎神社(館山市布良)には鳥居型に額装した『天富命布良上陸』』などが奉納されています。

このたびご遺族から多数の作品を寄贈されたので、神話シリーズのほか戦争と平和など約40点を公開します。6号の原画をもとに拡大模写された巨大な舞台幕「ヴェニスの一夜」や、回顧展に寄せられた三島由紀夫のメッセージなども展示します。

また、スケッチなども描いてある手帳には、青木繁や横山大観などに関わる記述もあり、調査を進めているところです。東西の文化の融合を願い、画材や技法を緻密に研究し、精力的に作品を制作していた様子が明らかになってきています。

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◎倉田白羊(くらたはくよう)

日本近代洋画の先駆者・浅井忠の親戚にあたり、早くから指導を受け、1901年に東京美術学校を卒業しました。学生時代より房総を来遊し、1910年、写生旅行中に根本村(南房総市白浜町)の小谷英子(こだにひでこ)と出会い、結婚しました。館山に居住し、富崎小学校はじめ安房の児童自由画教育に尽力し、千葉師範学校(現千葉大学教育学部)でも研究会を開催しました。

自由画教育の先駆者である山本鼎(かなえ)に招かれて長野県上田市に移住し、日本農民美術研究所の副所長として活躍しています。その後も、全国で自由画教育を実践しました。今でも佐倉市立美術館には、倉田の指導した児童たちの自由画作品が収集されています。

また、森田恒友や山本鼎、坂本繁二郎らが発行していた美術雑誌『方寸』第5号では、倉田夫婦が青木繁追悼特集の編集にあたりました。妻の英子にとっては、となり村の布良で、旧姓と同じ小谷家に滞在した青木繁は、少なからず縁深く感じたに違いありません。

英子の兄は、米国モントレー湾域に渡ったアワビ漁師の小谷源之助・仲治郎です。仲治郎の旧宅(南房総市千倉町)には、倉田の描いた襖絵が残されており、今回の学校まるごと美術館で公開しています。

毎日のお楽しみは次のとおり。

4/27(土)

11:00防災寺子屋講座

「地震津波の避難所の心得」

13:30歌byふーたむ♪

4/28(日)

13:30南京玉すだれ

4/29(月)

10:30俳句吟行会

13:30手品&絵巻語り部

4/30(火)

13:30漁村ウォーキング

10:30貝みがきアート体験

5/ 1(水)

13:30上映「日曜美術館・青木繁」

5/ 2(木)

12:30健康相談

13:30太極拳講習会

5/ 3(金)

11:30剣がつなげる2020PT

13:30殺陣演舞by魂刀流南総青剣会

5/ 4(土)

13:30神話の浜ウォーキング

5/ 5(日)

13:30手品&紙芝居「八犬伝」

5/ 6(月)

13:30歌byえ〜ころ♡バーバンズ

 

案内チラシ

【エコレポ】館山まるごと博物館003=『南総里見八犬伝』と房総の戦国大名里見氏

連載コラム「館山まるごと博物館」

[003]『南総里見八犬伝』と房総の戦国大名里見氏

EICネット「エコナビ」一般財団法人環境イノベーション情報機構

‥⇒リンクはこちら

・房総里見氏の登場

・海の戦国大名・里見氏

・八犬伝のふるさと・里見のまち館山

‥⇒シリーズ一覧

【房日】190501*絵画100点が来場者魅了

絵画100点が来場者魅了

旧富崎小 6日まで「学校まるごと美術館」

(房日新聞2019.5.1付)‥⇒印刷用PDF

安房ゆかりの画家たちの名画を集めた「海とアートの学校まるごと美術館」(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会主催、房日新聞社などが後援)が、館山市の旧富崎小学校で開かれている。日本美術史に影響を与えた洋画家の青木繁や寺崎武男、倉田白羊の絵画など100点以上が展示され、閉校となった校舎が“美術館”としてにぎわっている。6日まで。

展示されているのは、明治37年に友人らと布良を訪れた青木繁の代表作「海の幸」の複製画や、昭和24年から4年間、現在の安房高校で美術講師を務めた寺崎武男のびょうぶ絵など。体育館には大型作品、教室には漁具や富崎地区のパネルなどが並んでいる。

期間中は毎日午後1時半から、学校周辺でのウォーキングなどイベントを企画。体育館では、寺崎のエッチング画を拡大した舞台幕の前でコンサートもあり、観客を魅了していた。

訪れた實方堯年さん(72)=南房総市岩糸=は「画家と地域とのつながりが分かり、歴史を感じることができた」と感慨深げだった。

【房日】190425*安房ゆかりの名画展示

安房ゆかりの名画展示へ、27日から旧富崎小

学校まるごと美術館

(房日新聞2019.4.25付)‥⇒印刷用PDF

安房ゆかりの画家たちの名画を集めた「海とアートの学校まるごと美術館」(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会主催、房日新聞社など後援)が27日から5月6日まで、館山市の旧富崎小学校で催される。日本美術史に影響を与えた洋画家の青木繁や寺崎武男、倉田白羊の絵画など100点以上が展示される予定で、関係者は「画家の聖地とも言われている富崎地区の魅力を知ってほしい」と来場を呼び掛けている。

展示されるのは、明治37年に友人らと布良を訪れた青木繁の代表作「海の幸」の複製画や、昭和24年から4年間、現在の安房高校で美術講師を務めた寺崎武男のびょうぶ絵、旧富崎小などで自由が教育を実践した倉田白羊の襖絵など。同会の愛沢伸雄事務局長は「富崎地区は多くの画家を魅了した場所。日本の美術史に影響を与えた画家がこの地域に住んでいたことを知ってほしい」と話している。

会場では平成29年に閉校した富崎小で、校舎の利活用を目的に企画。体育館や教室に作品が展示され、海の写真や漁具なども並ぶ。富崎地区の歴史の紹介もある。

期間中は、毎日午後1時半から学校周辺でのウォーキングや殺陣の演舞などのイベントも企画している。入場無料。

近くにある青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅は通常、土日のみ開館しているが、期間中は毎日開館し、関連の展示を行う。

問い合わせは、事務局のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田さん(090-6479-3498)へ。

【房日】190418*美術散歩ツアーに20人

美術散歩ツアーに20人

安房に点在、画家・彫刻師の作品・足跡巡る

(房日新聞2019.4.18付)‥⇒印刷用PDF

青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会とNPO法人安房文化遺産フォーラムが共催した「安房の美術散歩ツアー」がこのほどあり、同保存する会のメンバーを中心に約20人が参加し、江戸期から昭和にかけての安房にゆかりのある画家や彫刻師などの作品や足跡を巡った。
ツアーでは、まず鴨川市郷土資料館で同市生涯学習課の石川課長課長から、外房の風景を多く描いた洋画家の安井曾太郎や波と龍を彫らせたら関東一と名を轟かせた彫物師・波の伊八についての講義を受けた。
その後、安井が滞在し「外房風景」を描いた、画家ゆかりの宿と呼ばれる同市太海の江澤館を見学。
続いて、南房総市白浜地区の下立松原神社で寺崎武男絵画館、「海の幸」を描いた青木繁と恋人の福田たねが滞在した館山市伊戸の円光寺では、波の伊八の欄間彫刻「波と龍」を見て回った。
ツアーの最後には、アロハガーデンに立ち寄り、入り口の門扉レプリカ「海の幸」を眺め、美術散歩を締めくくった。

【房日】190414*寺崎武男の遺族200点寄贈

寺崎武男の遺族200点寄贈

27日から「安房ゆかりの名画展」で公開へ  (房日新聞2019.4.14付)‥⇒印刷用PDF

⇒ YouTube「学校まるごと美術館」

安房ゆかりの画家たちの名画を集めた海とアートの学校まるごと美術館(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会主催、房日新聞社など後援)が27日から5月6日まで、館山市の旧富崎小学校で催される。展示を前にこのほど、館山に定住した洋画家・寺崎武男の遺族から、寺崎の絵画など200点以上が同会に寄贈され、関係者は展示に向けた準備を進めている。

寄贈されたのは、洋画や手帳、手紙など200点以上。洋画は、安房開拓神話や、戦争と平和を題材にしたものが多く、西洋古典画法のテンペラや油絵、銅版画など、多彩な技法で描かれている。11日は、会のメンバーらが寄贈された作品を広げ、どれを展示するか選ぶなど準備にいそしんでいた。

日本創作版画協会を設立するなど日本美術史に影響を与えた寺崎は、別荘のあった西の浜(同市)に拠点を移し、昭和24年から4年間、現在の安房高校で美術講師を務めたという。美術部で指導を受けた同会の嶋田博信会長(85)は、「子どもの時には分からなかったが、今になって先生の偉大さを感じている」と感慨深げ。「地域のことを描いたたくさんの素晴らしい作品がよく残っていた。ぜひ大勢の人に見てもらいたい」と話している。

会場は、平成29年に閉校した富崎小学校。校舎の利活用を目的に企画され、3月には地区住民ら延べ100人が、3回にわたり校舎内を清掃した。

寺崎の他に、洋画家の青木繁や倉田白羊の作品も並ぶ予定で、学校周辺でのウオーキングなどイベントも企画している。入場無料。

問い合わせは、事務局のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田さん(090—6479—3498)へ。

【写真説明】寺崎武男の作品を広げるメンバーら=旧富崎小学校で

 

●「海とアートの学校まるごと博物館」の詳細はこちら
【房日】190414*画家たちの聖地巡る俳句吟行会

画家たちの聖地巡る吟行会

29日に富崎地区、希望に応じてレクチャーも

(房日新聞2019.4.14付)

館山市俳句連盟(庄司風樹会長)は、「画家たち(青木繁・寺崎武男・倉田白羊)の聖地を巡る銀行句会」を29日、旧富崎小学校(同市相浜282-1)で開く。富崎界隈(かいわい)を各自巡り、俳句をつくる。参加費は500円(子どもは無料)で、雨天決行。

「青木繁《海の幸》誕生の家」と記念碑を保存する会主催の「海とアートの学校まるごと美術館」に協賛した吟行会。俳句が初めての人も大歓迎という。希望に応じて簡単なレクチャーもある。

選者は庄司会長、滝口照影し(房日俳壇選者)、石崎和夫氏(富浦俳句会選者)。

受付は午前10時から30分間、旧富崎小学校で。昼食は各自済ませる。(図書室使用も可)。

投句締め切りは正午。投句数は富崎地区を巡り詠んだ3句。句会場は旧富崎小学校図書室。句会開始は午後1時、終了は3時の見込み。

連絡先は、滝口氏(0470-22-8601)、石崎氏(23-6677)。

【房日】190412*イエローレシート

イオン館山とイオンタウン黄色いレシート運動

16団体に31万円分助成

(房日新聞2019.4.12付)

地域のボランティア団体などの活動を支援する「イオン幸せの黄色いレシートキャンペーン」で、イオン館山店とイオンタウン館山の平成30年度分の贈呈式が7日、イオンタウンであり、16団体にイオンギフトカードが贈られた。

毎月11日に発行される黄色いレシートを、買い物客が団体名が書かれた専用ボックスに投函(とうかん)。そのレシート金額の1パーセントをイオンギフトカードにチャージし、各団体に贈る仕組み。

今回の助成額は計31万5400円で、福祉や動物愛護、文化財保護などに活動する団体に贈呈された。式では、イオンタウン館山の越智義則モールマネージャーが、各団体代表にギフトカードを手渡した。

【佐賀新聞】190328*青木繁『朝日』県重文に

青木繁『朝日』県重文に4件

文化財保護審答申

(佐賀新聞2019.3.28付)‥⇒印刷用PDF

佐賀県文化財保護審議会は27日、洋画家の青木繁(1882〜1911年)が唐津市滞在時に描いた「朝日」や公益財団法人鍋島報效会が所蔵する明治時代の「小袖地(こそでじ)ドレス」鳥栖市の「藤木(ふじのき)遺跡」から出土した弥生時代後期(期限1世紀)の石製青銅器鋳型4点の計3件を重要文化財に、武雄市の「御船山(みふねやま)楽園」を文化財の件名勝にそれぞれ指定するよう答申した。県名勝の指定は初めてとなる。

「朝日」は、1940年の作品で青木の油彩画の絶筆とされる。代表作で奔放な筆致の「海の幸」とは対照的に、波のうねりと雲海のかなたの太陽が穏やかな画風で描かれている。佐賀の洋画壇発祥の契機となった作品と捉えられ、近代美術史に大きな影響を与えた。

小袖地ドレスは、イタリア公使を務めた佐賀藩最後の藩主鍋島直大(なおひろ)の妻の榮子夫人が着たと伝わり、西洋文化導入期の1880年代に制作された武家階級の女性が着用した小袖地を転用し、欧米で流行していたバッスル・スタイルを取り入れた和洋折衷のドレスで、優雅さや華やかさが表現されて希少性も高い。

藤木遺跡では、飾り金具の「銅釦(どうこう)」を鋳造した鋳型1点が国内で初めて出土。銅釦の製作地は国内か国外化で意見が分かれていたが、一部が国内で生産されたことを裏付けた。「銅鏃(どうぞく)」や「銅釧(かなくしろ)」の鋳型も見つかり、鳥栖地域では青銅器生産が弥生時代中期から後期まで継続したことも示した。

御船山楽園は国登録記念物で、江戸時代後期に佐賀藩武雄領主鍋島茂義が京都から狩野(かのう)派の絵師を招いて造った楽園を基礎とする。桜や紅葉など四季折々に趣があり、ツツジの開花期にはじゅうたんを敷き詰めたような花と背景の断崖絶壁が調和した景観が見られる。

4月以降に4件が指定されると、県の指定文化財は合計で322件となる。

(山本礼史)