お知らせ

050127~28中野淑子さま*千葉退職教職員の会(全退教関東ブロック学習交流集会)

南房総の発展に寄与するNPOの活動に期待


「こころ豊かで平和な地域社会の創造・再生」を目指して、足もとの歴史・文化・先人の知恵等を掘り起こし、市民が主役となる地域おこしや、青少年の健全育成に寄与する」…なんと優しく遠大な目標であろう。

それがしっかりと地域の人々の間に根付き、実践されている有様を目の当たりにした。私達千葉退職教職員の会は、200余名の人達をたてやま夕日海岸ホテルにお迎えした。「全国退職教職員関東ブロック学習交流集会」である。

1日目、愛沢先生の講演は、生徒の授業を潰さないように午後4時頃からに変更した。前半、池田さんが繋いで下さったが、急いで駆けつけた愛沢先生は汗をぬぐう暇もなく、熱のこもった口調で話され、聞き入る人々を感動の渦に巻き込んだ。真に郷土を愛し、平和への願いを地元館山から世界へ発信したいという想いが体中に溢れていた。1時間足らずの講演は皆に惜しまれ、「もっと聞きたい」の声が頻りだった。

そしてまた2日目、戦跡巡りではNPOの方々の活躍が素晴らしかった。先ず驚いたのが、綿密なスケジュールである。7台のバスに分乗した人々を実に効率的にスムーズに安全に配慮しながら見学させてくださったのである。加えて、ガイドさんたちの懇切丁寧な説明、職業訓練校の生徒さんたちの迅速な行動、オプショナルツアーの途中下車の人への適切な処置など、皆さんがNPO活動の趣旨をよく理解し、咀嚼し、体で実践している感じだった。しかも生き生きと楽しそうに—。館山の町のすべてを誇りに思い、生きている館山から平和を、そして地域おこしをアジアに、世界に発信しようという想いが、話しぶりや表情に滲み出ていた。皆、自信に満ちていた。

参加者からたくさんの感想が寄せられた。NPOの方々への感謝の言葉やら、館山に点在する戦争の「生き証人」を大切に保存して欲しいという願いやらである。

これほどまでに地域を巻き込んだ愛沢先生の偉大さもさることながら、その熱意に応えた町の人々や行政も素晴らしいと思う。アジア・世界に繋がる平和な町、南総・館山の発展の原動力となるNPOの未来を心から期待すると同時に、皆で支えていきたいと思う。本当にありがとうございました。感動の2日間でした。

0501 東葛看護専門学校

館山では貴重なあ話をお聞かせ頂き、本当に嬉しく、ありがたく思っています。

私たちは、館山で学んだことやイラク戦争、日本の戦争の歴史を自分たちで知り、その学びを深めました。その中で、クラスのみんなと話し合い、今、私たちが出来ることは何だろうかということを考えました。

お忙しいとは思いますが、大変寒いので、御身体にお気をつけください。

041229杉原和男さま*京都市青少年科学センター

年末のお忙しい時期,また,荒天の厳しい中,安房科学塾の参加者のために「館山の戦跡」案内をしていただき,とても感謝しています。ありがとうございました。お礼が遅くなり,申し訳ございません。

愛沢さんや池田さんからお話を伺い,胸が熱くなるとともにたまらない衝撃をうけました。できるだけ多くの方々に伝えなければと思い,まずは知人にメールで連絡しております。

戦跡巡りがどのような内容なのかがよくわかっていなかったこともあり,参加を遠慮された方も多くありました。これではいけないと,次年度も企画しようという意見も出ています。また,お願いする事になるかもしれません。

京都でも戦跡を学習コースにする活動があります(今は,どうなっているのか?

ですが…)。また,大規模な要塞跡として和歌山の「友ケ島」があり,3回訪れました。瀬戸内海の「大久野島」にも行きました。

こういった各地の連携もネットで進むといいですね。利用できるメディアをどんどん利用して,ますますフォーラムが発展することを期待しています…というより,そうならないと我が身が,そして子どもたちの将来が危ぶまれる事態です。

041204林田秀孝さま*歴史博物館友の会

この度は歴博友の会の研修旅行では大変お世話になりました。

皆様のお蔭で、予定していた見学個所もほぼこなすことができ、

有意義な研修になりました。

懇切丁寧なガイドをしていただいた佐藤ご夫妻、岡崎ご夫妻

臨場感のある語り部の松苗さんとスタッフの皆様にも感謝、感謝です。

天候も一時はどうなることかと思いましたが、

文字通り波瀾万丈の変化を見、鏡浦であれほどの波も初めてでした。

帰途にはオレンジ色の夕陽の中で富士山がきれいなシルエットを

描いていました。ありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

041120青沼智子さま*鶴見女子高校

昨日は、私どもに、貴重な館山に存在する戦争の遺跡を巡る機会を頂きありがとうございました。戦争体験のない私たちですが、あらゆる点で現在進行中の戦争の無意味さを改めて感じます。私たち以上に余りにも平和で、物のあふれた社会で、生まれてからずっと生きてきた生徒たちに(若者たちに)どのように戦争の悲惨さを伝えてゆくのかが私たち大人の使命と考えています。

本当にありがとうございました。ほか5名の者もよろしく申しておりました。

昼食後に、体験した「ウミホタル」の言葉に言い表せない美しさの感激を全世界の人々が体験したら、きっと。。。と思いました。

041005鷲田勇さま*年金者組合小平支部

5・6日の私たち年金者組合小平支部の旅行の際には、いろいろご配慮いただき本当に有り難うございました。夕日海岸ホテルで見せていたがいたウミホタルの幻想的な光には全員が感嘆の声をあげていました。「これを見ただけでここに来た甲斐があった」との声も出ました。戦跡めぐりはあいにくの雨の中で、ガイドの方も大変だったと思います。でも、メインの赤山地下壕は雨に煩わされることなくゆっくりと見学することが出来ました。当時の支配勢力が戦争という国家的プロジェクトにかけた「妄想の産物」なのでしょうか。往路は東京湾横断アクアラインを利用しましたが、これもまた国家プロジェクトの「妄想の産物」でしょう。時代が変わっても支配勢力の発想は、「山を掘るか、海の下を掘るか」程度の違いにすぎないのでは、と思いました。ともあれ、参加者全員、「ガイドさんの説明がなければ、ただの洞穴の中に入っただけに終わっただろう。ガイドのお陰でいろいろと知ることが出来、勉強になっ

た」と、異口同音に感想を話していました。年金者組合安房支部のみなさんとの懇談も大変有意義でした。私たちの小平とは違った環境の中で活動されている経験を聞かせてもらえ参考になりました。6日は、前日とは打って変わった青空で、三浦半島の先端や大島、富士山がくっきりと見えました。道路も空いていましたので予定より半時間早く帰着出来ました。

「また機会があれば訪ねたね」との声も出ていました。

みなさんによろしくお伝え下さい。


ウミホタルの採取に中学生が動員されたというお話は鑑賞会で聞きました。当時、戦争には文字通りすべての国民が総動員されました。私は、岡山県の片田舎で「国民学校2年生」のときに敗戦を迎えたのですが、終戦の前年にドングリ、松の根、ヒガンバナの球根、こんな物の採取に動員されました。松の根は油を採る、ヒガンバナの球根からは糊を作ると聞きました。ドングリは何に使う目的だったのでしょうか。こんなものを集めるようでは戦争に勝てるわけなどありません。私の父などは、開戦当時から「アメリカと戦争して勝てるわけがない」と言っていたようで、「そんなことを言うと捕まるぞ」と、親せきからたしなめられていました。だから8月15日、「敗戦」と知っても、さして驚きはありませんでした。

敗戦の年に入ると、校舎・校庭が軍隊に接収されました。校舎は兵舎になり、校庭には軍馬の小屋ができました。子どもたちは部落にある芝居小屋などに分散して集まり、そこに時々先生が回ってきていましたが、もちろん勉強はできませんでした。軍は山中に壕を掘っていました。その壕がどうなったのか。先年訪れる機会がありましたので、記録が残っていないか調べてみましたが、分かりませんでした。もちろん、赤山のような規模のものではありません。敗戦後、そこに隠匿されていた物資を取りに住民がゾロゾロと押し掛けました。私も父とリヤカーを引いていくらか持ち帰った記憶があります。軍で蓄えていたローソクなどだったと思います。

有事法制が成立した今、戦前と同じように国民を動員することが法的には可能になってしまいました。これを実施させない状況をどうつくるか。切実な課題です。そうしたことからみると、みなさんのNPOの活動は重要なお仕事です。ご健闘ください。

【赤旗】040823=新たな戦跡つくらない〜全国シンポ・願いをアピールに

◎新たな戦跡つくらない

…全国シンポ 願いをアピールに

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20日から千葉県館山市で開かれている第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会(主催・同千葉県実行委員会、戦争遺跡保存全国ネットワーク)は22日、全体集会を開き大会アピールを採択し閉会しました。

アピールでは、国や地方自治体によって史跡・文化財(指定文化財・登録文化財)となった戦争遺跡は九十六件に増加するなど、「戦争遺跡が21世紀に継承すべき国民の財産として広く認知された」とし、さらに国の追加調査や、自治体独自に史跡・文化財への指定を積極的に行うことを要望しています。

イラク戦争や憲法九条「改正」が主張される日本の現状に「強い危ぐを覚える」と表明。新たな戦争遺跡をつくらないことを共通の願いとして、「戦争遺跡保存運動への支援と参加」を呼びかけています。

シンポジウムでは「戦争遺跡保存運動の現状と課題」「調査方法と保存整備の技術」「平和博物館と次世代への継承」の分科会が開かれました。

市民運動による戦跡の調査・保存活動が行政を動かした地元・館山市の例など、自治体との共同で平和学習の拠点づくりを進める例が報告された一方、都市化や乱開発による戦跡破壊の進行や、国の「三位一体改革」で地方自治体の文化財保護予算の削減を危ぐする声も寄せられました。

全体集会では、作家の早乙女勝元氏が「平和の語り部としての戦争遺跡」と題して記念講演。「過去の戦争を弱者の立場で語り継ぐことが戦争を阻止することにつながる」と語りました。

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しんぶん赤旗サイトはこちら。

【赤旗】040822=女性の目から見た平和

◎女性の目から見た平和/千葉・館山

…行動する人の輪広げよう/戦争遺跡保存全国シンポ分科会

南房総で活躍する3氏が報告

20日から千葉県館山市で開かれている第八回戦争遺跡保存全国シンポジウムで21日、特別分科会「南房総平和活動シンポジウム」が開かれ、南房総地域で平和の問題で活躍する女性3氏が、自らの体験や活動を報告・交流しました。

報告したのは、環境・平和ジャーナリストのきくちゆみさん(鴨川市在住)、アイヌ布絵作家の宇梶静江さん(鴨川市在住)、婦人保護施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子さん(館山市在住)。

アメリカの「対テロ戦争」を食い止めようと日本とアメリカで活動するきくちさんは、米軍のアフガン爆撃のビデオを映写しながら「ブッシュ政権は『正確に爆撃』というが、実態はまったくのウソ。アメリカやそれに加担する国が垂れ流す情報をうのみにしてはいけない」と訴えました。

天羽さんは、戦前育った満州(中国東北部)が日本の「加害の地」だったことや、施設に入所していた一人の元従軍慰安婦の女性の勇気ある告白で「鎮魂の碑」が建てられた経過を紹介。「日本は加害の歴史にどうして痛みを感じないのか。過去を隠すことにきゅうきゅうとする国は変えなければなりません」と語りました。

宇梶さんは、アイヌへの差別の解消を行政に訴え、布絵の活動に至った人生の歩みを切々と語り、「就職や結婚で差別される同胞には、『アイヌのアの字が怖い』という人もいます。アイヌの神のシマフクロウを意味する布絵で、解放される道を示していきたい」とのべました。

最後にきくちさんは、「いま、教育基本法や平和憲法の改悪が日程にのぼり、戦争のがけっぷちにあります。シンポジウムをきっかけに、平和のために行動する人の連帯を広げたい」と呼びかけていました。

(2004年08月22日「赤旗」)