南房総平和フェスティバル2005〜子どもたちに平和を手渡そう!
虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすんだ日米交流=報告
・合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』初演コンサート
・ライドンツアー
「戦後60年」平和事業を振り返って
南房総平和フェスティバル2005〜子どもたちに平和を手渡そう!
虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすんだ日米交流=報告
・合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』初演コンサート
・ライドンツアー
「戦後60年」平和事業を振り返って
(ちばコープの市川や柏の組合員)
深まりゆく秋を感じる今日この頃ですが、お変わりありませんか?
9月には、たいへんお世話になりました。
遅くなりましたが、9月13日のまとめができましたので添付させていただきます。
つたない表現でお恥ずかしいですが、あの日見聞きしたことを記録しておくことと
参加された方たちが館山で感じられたことを伝えていくことができれば…と思います。
今回、廻ることができなかった場所、また戦跡だけではなく自然観察などでも
館山にうかがうことができれば、と思います。
ちばコープでも、現在身近な地域の戦跡めぐりコースの掘り起こし、年明けには
平和のつどいの開催などをすすめています。
平和を願う地域の組合員さんのいろいろな活動は、日々のくらしのかたわらに自然なこととして
受けとめられ、少しずつ広がっているような実感があります。
みんなの胸にある灯火を大切に育てていけたら…と思います。
また今度、お目にかかるのを楽しみにしています。
季節の変わり目でもあります、お体に気をつけて…
会の発展、みなさんの活動の充実を願っています。
ガイドさんにもよろしくお伝えください。ありがとうございました。
【感想】
* 館山にこんな戦跡があったことに驚きでした。赤山地下壕を若者が整
然と掘った事に慄然とさせられ、彼らの青春が埋没させられた悲しみと
苦悩が伝わりました。
*南房総の温暖で平和な町に多くの軍事施設があったことを知りませんでし
た。帝都防衛のためにだったのですね。掘られた壕が実際に使われなく
て本当に良かった。
*実際に訪れるまでは「戦跡」の具体的なイメージが持てずにいたが、案内
してもらい当時の様子が再現されるようで、とてもリアルに感じました。
4日間の軍政下での気持ちはどうだったかなどの疑問も湧いてきました。
*千葉県にこんな多くの戦跡があり、ここが戦争の重要な拠点であった事を
初めて知りました。生まれてからずっと千葉県に住んでいますが、学校
でこのようなことを学習した記憶がありません。
*ウミホタルは聞いていたのと違い、小さな生き物でそれが出す液体が発光
する事、その光さえ戦争に使われていた事を知り驚きました。
*館山の戦跡も戦時の事も、国や自治体でなく民間の方が掘り起こして行っ
たという事もすばらしいと思った。
【伝えたいこと】
◇ 戦争のことは知りたいけど積極的には知りたいと思ってなかったけど、実
際に目で見る事は大事だと思った。その場で説明を聞くのも大事。そし
て戦争の事を何か感じてもらえれば・・と思う。住んでいる柏の地域の
戦跡を調べるのもいいんだなと思った。
◇ 日々の平和を取り戻しているかに見える館山、そこには今も自衛隊の守り
があり、いつでも動けるように活動している。人類の戦いは昔も今もず
ーっとある。どうして戦わなければいけないのか、ひとがひとを傷つけ
ている。歴史から見てもその教訓が生かされていません。「戦争はしては
いけない」平和の大事さを見たままを伝えていきたいです。
◇ 戦争の跡を追うことは、もちろんそれが悲惨で繰り返してはいけないとい
う事を考える事なんだけど、それだけでなく世界に目を向けて自分たち
がどういう方向に進むべきかを考える事なんだと思います。次代を担う
子供たちにも悲惨さのみ押し付けるのではなく、そんな視点で見せてあ
げたらいいと思います。
◇ やはり平和! 戦争をしないだけでなく、みんなが仲良くできる世界にな
ってほしい。
◇ 時間を掛けてつくられていく意識や風潮はほんとうに怖いな〜と思いま
す。日常の中で「何か変」と感じる事を見落とさない、違和感にならさ
れることのないようにしたい・・・それが今の時代に生きる私たちの責
任の一つだと思います。
◇ 戦争の非情さや正義のための戦争はない事等を伝えて生きたいと思いま
した。
◇ 「いのち どう たから」(沖縄の言葉)そのものです。争いは力に頼る
事で解決しない。話し合いを大切に。相手の側に自分を置き換えてみる
こと、そこに戻って考えてみよう。戦争はどんな形でもいけない。
昨日は本当にありがとうございました。
突然のお願いで、しかも少人数で
勝手なお願いだったと改めて思いましたが、
丁寧に対応していただき、ありがとうございました。
私たちだけでは、やはり現場にたどりつけなかったと思いますし、
理解できなかったと思います。
案内してくださった方、お名前を失念して失礼してしまったのですが、
どうぞくれぐれもよろしくお伝え下さい。
とても分かりやすく丁寧に説明してくださって、皆とても喜んでいました。
赤山壕で思ったことを一つ。あれを誰が掘ったのかということです。
今新宿の高麗博物館で朝鮮人強制連行の展示をしていて、
10日にシンポジウムがあって参加しました。
サハリンの炭鉱、常磐炭鉱、相模湖ダム建造のために朝鮮から連れてこられた人達のことを聞きました。
あの大きな赤山壕の美しい地層を見ながら、ここにもそういう人達がきたのだろうか、
何か資料はあるのだろうか、と思い巡らしていました。
また機会を作って伺いたいと思います。貴重なお働きがますます盛んになり、
平和のためにこのことが用いられますようにお祈りいたします。お元気で。
アワビが結んだ交流
講演や対談
日米市民ら900人が聴く
アワビがむすぶ日米交流
潜水漁法伝えた小谷源之助ら紹介
米研究家と堂本知事の対話も
「戦後60年」の今年、諸団体と手をつなぎ、「南房総平和フェスティバル2005〜子どもたちに平和を手渡そう」というネットワークをつくってきました。
安房反核フェスティバル、安房地域母親大会、朗読劇『この子らの夏』…などなど、これまで地道に活動を続けてきたグループはじめ、その輪はどんどん広がりました。終戦記念日の「平和の集い」や、「安房・平和のための美術展」など多彩なプログラムが充実した夏でした。
この一連行事のクライマックスとして、9月3日(土)13時半より、南総文化ホールにて「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」(入場無料)をおこないます。
平和は世界恒久の願いです。教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないように、という意図で設立されたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という精神が謳われています。
国連本部をはじめ世界中に設置されている「世界平和の鐘」は、毎年9月の国連総会開会日(国際平和の日)に鳴り響いているといいます。
戦後まもなく、全国に先駆けて館山ユネスコ協会を立ち上げ、半世紀にわたってユネスコ精神を実践してこられた本多かおる先生が、今回の催しを「虹のかけ橋」と名づけ、実行委員長の任を引き受けてご尽力くださっていることを、この場を借りてご報告します。
「平和フェスティバル」では、埋もれていた安房の歴史にもとづく、市民による草の根の国際親善事業に取り組んでいます。その一つは、「たてやま日韓子ども交流」でした。
今年は、韓流ブームの高まりに反比例するかのように、歴史認識のズレによる反日感情の高まりもありました。その影響で、日韓国交正常化四十年でありながら、記念交流行事の中止が各地で相次いだのです。
そんななか、韓国・浦項(ポハン)製鉄西初等学校の児童20名を館山に迎えられたのは、とても意義深いことでした。浦項と館山の子どもたちは、館山の歴史・文化を学び、音楽や自然体験を通じて、友情を深めました。
なかでも、館山の大巌院にあるハングルが刻まれた「四面石塔」の前で、両国の歴史を学んだ子どもたちからは、「もっとお互いの国を知って、仲良くしたい」という発言もありました。音楽会では、両国の言葉でユネスコ平和宣言が唱和され、「平和の鐘」の儀式もおこないました。
多くの市民や文化関係など諸団体のご協力のおかげで、子どもたちによる「善隣友好」に貢献することができました。
太平洋をはさんで位置する日本とアメリカ。指をさすように向かい合う房総半島とモントレー半島。友情と戦争。安房の海に生きるウミホタルとアワビ。…さまざまなキーワードで出会った人びとの想いは、「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」として結実しました。平和宣言都市・館山においておこなうこの催しは、地域から国際親善に寄与する小さな一歩です。
100年前に、安房からアメリカへわたったアワビ漁師たちの話に、私はワクワクしています。
明治という時代に、どんな思いで、太平洋へ漕ぎ出したのでしょう。言葉も通じず、生活習慣も文化も違う異国の地で、どのように信頼を得て、ビジネスを成功させていったのでしょう。そして何より驚いたのは、アワビの大きさです。人の顔より大きなアワビのステーキって、どんな味なのでしょう。興味は尽きません。
不安な要素の多い現代、安房の先人たちの歴史は、私たちに夢と希望を与えてくれています。同時に演奏される館山発祥の合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』も、聞くたびに感動し、心が温かくなります。私は、このワクワク感をたくさんの人と分かちあいたいと望んでいます。
当日は、『太平洋にかかる橋〜アワビがむすぶ南房総・モントレー民間交流史』の冊子と『ウミホタル』の楽譜を、特別価格500円で頒布いたします。ご来場をお待ちしています。
⇒ 寄稿連載①愛沢伸雄2005.8.31付
⇒ 寄稿連載 ②船田正廣 2005.9.1付
ウミホタルは小さい、その子どもたちはもっと小さい、しかし、3億年も光り続けてきたという。館山の生きた化石、生きた文化財と言える。ウミホタルが光る色は精いっぱいで美しい、だが、なんとも名状しがたい。作詞家の大門高子さんは、それを「コスモブルー」と言いきった。世界中の色名帳にも無いと思うが、みごとである。
そのウミホタルが、戦時中、子どもたちによって採取されていたということを、私は知らなかった。地域史の研究をしている愛沢伸雄さんが、旧制安房中学の日誌のなかで「海蛍採集」という記載を見つけたことから調査をすすめ、その事実を明らかにしてきたという。この10数年、館山にある戦争遺跡の調査をコツコツと続け、「館山海軍航空隊赤山地下壕」の一般公開と史跡化を実らせた立役者である愛沢さんから、昨年秋の市民音楽祭の会場で声をかけられた。
「船田先生、ウミホタルの合唱組曲が出来たんです。館山で初演をやりたいんですが、力を貸してもらえませんか」と言う。
聞けば、NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムの戦跡ツアーに参加し、ウミホタルに感動した音楽家によって、2年がかりで誕生した歌だという。そのとき、情熱的に語る愛沢さんから、1冊の楽譜を手渡された。
作曲は藤村記一郎さん、有名なミュージカル『ぞうれっしゃがやってきた』の作曲家だ。表紙をめくると、序章『夕日の海』に始まり、第1章『ウミホタルの光』、第2章『戦争へのシナリオ』、第3章『子供たちの小さな戦争』、第4章『戦場のウミホタル』、第5章『宇宙(そら)の子守唄』、第6章『光の海』、そして番外編『レッツゴー沖ノ島』…と続く。家に帰って、素人ながらひと通りハミングしてみる。うん、なかなかいい感じだ。
最後に記されている作曲者のメッセージを読んだとき、心が動いた。静かな入江の砂浜の海、とりわけ館山に多く棲息するウミホタルの放つ光を実際に体験した音楽家から生まれたこの名曲は、館山で初演するのが最も相応しいと強く感じた。微力の我が身をかえりみず、初演実行委員長という大役をお引き受けしていた。
初演日は2005年9月3日と決まった。合唱指導者の本橋朋子さんと一緒に、音楽関係者へ賛同を呼びかけて回った。願いが届いたかのように、まず9名の音楽指導者を含む23名の市民が名乗りを上げてくださった。次には、館山音楽鑑賞協会の本多かおる先生が副実行委員長として、若輩の私を支えてくださった。その後、さらに合唱団員を募集したところ、4月の初練習には約80名(内、子どもたちが26名)も集まった。
月に2回の練習のたびに知らない顔が増え、現在108名になっている。「合唱は初めて」という人も少なくない。普段着の気分で参加できる合唱団、市民が主役の手づくり合唱団、これが合唱団『ウミホタル』の魅力かもしれない。
いよいよ初演本番までカウントダウンが始まった。これまでにもはるばる名古屋から練習指導に来てくださった藤村先生が、当日の指揮をとってくださるという。なんと光栄なことだろう。全国に先駆けた『ウミホタル』の初演には、鴨川混声合唱団、合唱団プリマベーラ、千葉愛合唱団、紫金草合唱団なども駆けつけて、友情出演してくださることになっている。総勢181名の大所帯だ。
初演は、9月3日(土)13時半より南総文化ホールで行なわれる「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすんだ日米交流」の第1部として上演する。アメリカからこの日のためにおいでになる42名の皆さんは、『レッツゴー沖ノ島』を日本語で練習してきて、一緒に歌いたいと言っている。まさに、太平洋にかかる「虹のかけ橋」である。入場無料なので、ぜひ、多くの皆さんにご来場いただきたい。
⇒ 寄稿連載①愛沢伸雄2005.8.31付
⇒ 寄稿連載③池田恵美子2005.9.2付
【第一部】
・合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』初演コンサート
=作詞:大門高子/作曲:藤村記一郎 ⇒【音源】
【第二部】
・スライドによる講演・日米対談
=サンディライドンVS堂本暁子千葉県知事
明治時代、南房総のアワビ漁師たちは、宇宙服に似たヘルメット式潜水器を漁業に導入しました。その漁法は太平洋をわたり、南房総の海岸風景によく似たアメリカ・カリフォルニア州モントレーの地で、新たなビッグビジネスを生みだしました。排日の機運の高まりのなかで、アメリカ人投資家と共同でアワビ事業を起こした南房総の兄弟-小谷源之助・仲治郎。彼らの事業は干鮑に始まりアワビ缶詰や鮑ステーキへと続くなかで、「アワビ」は徐々にアメリカ人の家庭に浸透していきました。カリフォルニア州政府は、その地元への貢献を称え、日系移民100周年にあわせて、彼らが活躍した地を「コダニ・ビレッジ」と公式に命名しました。
千倉町七浦出身で戦前にハリウッド俳優となった早川雪洲も、モントレーへ渡航経験のあった兄の関係で渡米したといわれています。また、「宵待草」の詩で一世を風靡した竹久夢二や憲政の父とも称される尾崎行雄ら日本からの文化人、政治家が小谷たちの地を訪問するなど、日米交流に重要な役割を果たしました。
現在、この同じテーマで調査研究を進めてきた日本とアメリカの人びとの交流により、これまで埋もれていた地域の歴史が明らかになってきています。モントレーの日系移民史研究の第一人者サンディ・ライドン名誉教授は、かつて日系人が排斥された時期に、高い潜水技術が評価されていた房総のアワビ漁師だけは、日米両国の政府から特別に渡米が許されていたという歴史事実を明らかにしました。
一方、戦時中、東京湾要塞地帯にあった館山は重要な軍事拠点であり、終戦直後の1945(昭和20)年9月3日にはアメリカ占領軍3,500名が上陸した地でもあります。この事実を知ったライドン名誉教授は、「戦後60年」の節目である2005年9月3日に平和を祈念し、南房総とモントレーの真の友好を願って、40名のモントレーの人たちとともに来日することになりました。
アメリカと房総にゆかりの深い堂本暁子千葉県知事もこの席に加わり、ライドン名誉教授とともに、地域から未来に向けての新しい日米民間交流の夢を語り合います。
・房日新聞 2005.8.18 館山で知事と対談
・千葉日報2005.9.4アワビがむすぶ日米交流
・堂本知事からの感謝状 2005.10
私たちNPOはこの地の魅力を掘り起こし、「いまある」ものの歴史・文化を活かしたガイド事業を通して、「平和・交流・共生」の理念が生きる地域づくりを目ざしています。
その想いを共感する人びとの出会いによって、安房の宝であるウミホタルとアワビに隠された歴史が明らかになり、いま、新しい地域文化が生まれようとしています。
それは、「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」として実を結ぶことになりました。館山発祥の合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』の初演コンサートを第1部、サンディ・ライドン氏(カブリオ大学名誉教授)によるスライド講演「太平洋をわたった房総のアワビ漁師たち」を第2部として、9月3日(土)13時半より南総文化ホールで開催します。
戦時中、館山の子どもたちは軍事目的のために、ウミホタルを取らされていました。館山の海に輝く小さな生物にまつわる平和祈念の合唱組曲が、作曲家藤村記一郎氏と作詞家大門高子氏から、私たち市民にプレゼントされました。
この楽曲に心を動かされた百数十名が合唱団を結成し、初演に向けて練習に励んできました。21世紀にふさわしい平和の贈り物として、安房の地から世界に発信していくことを私は願っています。
1945(昭和20)年、東京湾上のミズーリ号で降伏文書調印式が行なわれた翌9月3日、約3,500名のアメリカ占領軍が館山へ上陸しました。この上陸シーンの写真は、私たちNPOが作成したガイドブック『戦争遺跡』の表紙になっています。
昨年、館山市在住の溝口かおりさん(英会話講師・通訳)を通じて、この冊子を受け取ったライドン氏は、
「アメリカでは、8月15日と9月2日で戦争の歴史は終わっている。私の研究テーマに関わる南房総の館山に、アメリカ占領軍が上陸したということは知らなかった。この知られていない歴史的出来事から60年目にあたる2005年9月3日に、戦後日本のスタートとなった館山で、平和を考える集いを日米合同でやれないだろうか」
というメッセージを私たちに伝えてきました。この申し出により、今日の催しが生まれました。
明治期に、小谷源之助・仲治郎兄弟たち安房のアワビ漁師たちは、この地からカリフォルニア・モントレーにわたりました。ライドン氏はその研究をしている歴史学者ですが、日本でも館山市在住の水産学者大場俊雄氏が約40年前から同様の研究をしています。
近年では、安房の人びとによって、さらに調査が進められ、新しい資料や写真が発掘されてきました。戦時中、アメリカでは日系人が強制収容所に隔離された際に、写真や手紙などは廃棄、焼却されてしまい、ほとんど残っていないそうです。打合せのために来日したライドン氏は、安房に残る貴重な資料や写真を見てとても驚いていました。
戦争によって一度は途切れた日米民間交流が、いままた新たに始まりました。同じ想いを分かちあった仲間たちによって、冊子づくりが進められています。また、資料パネル展も、たてやま夕日海岸ホテルで開かれています。
今回、ライドン氏とともに42名の人びとが来日し、安房に4泊、京都・奈良に8泊、安房に再訪し4泊します。ともに「地域の歴史から世界をみる視点」をもつ私とライドン氏は、お互いの地域を学び合うことの重要性と可能性について話し合いました。
一行は、アワビダイバーのふるさと白浜・千倉、館山の戦争遺跡やハングルの刻まれた「四面石塔」、八幡祭礼、鴨川の大山千枚田、鋸南の鯨塚…などを見学し、南房総と世界のつながりや日本の歴史・文化を学ぶ予定です。
9月3日には、カリフォルニア生まれの堂本暁子千葉県知事とライドン氏が、国境を超えた相互理解と友好の歴史を築いた先人に学び、新しい国際交流のあり方を語り合います。
「戦後60年」の今夏、この日米交流が、安房の地から太平洋にかける新しい橋となることを願い、多くの皆様のご来場をお待ちしております。入場は無料です。
⇒ 寄稿連載 ②船田正廣 2005.9.1付
⇒ 寄稿連載③ 池田恵美子2005.9.2付
平和の組曲合唱
〜懐中電灯の代替に軍事研究されたウミホタル
…秘話題材に来月3日館山市民ら
(毎日新聞2005.8.31付)
戦時中の千葉県館山市で、青白く光るミジンコの一種「ウミホタル」の光を本土決戦の夜間戦の明かりに利用しようとした秘話を題材に、合唱組曲「ウミホタル~コスモスブルーは平和の色」が完成した。歌は終戦直後に連合国軍が館山に上陸し、軍政を始めた9月3日にあわせて同市の県南総文化ホールで披露する。
体細胞中の物質が海中の酸素と反応して発光する体長約3ミリのウミホタルは、太平洋戦争末期に懐中電灯の代替として軍事利用が研究された。館山市では子供たちが採取を命じられ、終戦の前捻の1944年夏、同市の安房中(現安房高)の生徒だった利渉義宣さん(74)は「ひもにブリの頭をつけて海に垂らすと、たくさん寄ってきた。採取の目的は深く考えなかった」と振り返る。
歌は03年夏に同市を訪れた東京都北区に住む作詞家、大門高子さん(60)がウミホタルを巡る秘話を聞き、「戦争と今をつなぐ歌を作りたい」と作詞。「ぞうれっしゃがやってきた」で知られる音楽家、藤村記一郎さん(53)=愛知県日進市=が「平和の歌として全国に広めたい」と作曲を担当し、「夕日の海」「戦場のウミホタル」などからなる演奏時間約35分の合唱組曲に仕上がった。
合唱には、館山市民をはじめ東京都内のアマチュア合唱団などから約150人が参加する予定で、館山二中の鈴木喬子さん(13)は「戦争を考えつつ、明るく歌いたい」と話している。問い合わせは実行委員会(電話 0470・24・0224)。
【森禎行】