お知らせ

071009ふるさと探検隊〜海とともに生きるまち(4コース)

ふるさと探検隊〜海とともに生きるまち

(自然体験活動〜トム・ソーヤースクール企画)

日本地図を逆さまに見てみると、館山は「へ」の字型の頂点にあたります。館山は、海上交通の要所として、重要な歴史や文化がたくさん詰まった「地域まるごと博物館」です。この夏、館山の歴史・文化をたずねてみよう。


■日時=2007年10月9日(火)9:30〜16:00


【A】まちなかエリア

テーマ:産業振興と震災復興

転地療養と医療伝道

まちなかの路地に残るサイカチという大木は、元禄津波で登った人の命が助かったといういわれがあるばかりでなく、いざというときに食用・薬用に役立つ。98%壊滅した関東大震災の後、力を合わせてまちを復興し、商店を興した人びとはどんな苦労があったのだろう。

東京・霊岸島と海路で結ばれ、観光や保養の地として人気があった。一方、不治の病であった結核に有効な大気安静療法、海水浴療法などの適地として、山村暮鳥や石川啄木夫人など多くの療養者も訪れていた。その陰には、酪農・果樹など栄養価の高い食物のほか、キリスト教医師らの医療伝道があったことを忘れてはならない。


【B】城山エリア

テーマ:房総里見氏の城とまちづくり

『南総里見八犬伝』の世界

館山城は、房総半島南部(安房国)を170年間統治した里見氏の最後の居城。堀切・切岸・曲輪・土塁・御殿跡など、当時の城を物語る遺構が今も残るが、アジア太平洋戦争では頂上を8m削られ、砲台とされた歴史もある。

海路を通じて東日本の玄関口だった館山は、支配者にとってその湊が重要だった。里見氏は対岸の後北条氏と海の支配権をめぐって40年争った後、交易の和平策に転換したが、1614年、江戸湾口部の外様大名として排除され、伯耆国に国替となった。館山から里見氏がいなくなってから200年後、江戸深川に生まれた曲亭馬琴が日本最長の小説『南総里見八犬伝』を書いたのである。

@。

【C】赤山エリア

テーマ:赤山地下壕(戦争遺跡)

米軍上陸地と平和学習

東京湾要塞の拠点として館山湾を埋め立ててつくられた館山海軍航空隊は、戦闘機の開発とパイロットの養成を担い、通称「陸の空母」と呼ばれていた。近くの赤山に掘られた巨大迷路のような地下壕は、誰が、何の目的でつくったのだろうか。

第二の沖縄戦が想定され、戦争末期には7万の軍隊が配備され、空・海からの特攻基地が造成された。終戦直後には、アメリカ占領軍3,500名が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたことは世界史的な出来事といえる。

戦時下、農民は花づくりを禁止され、子どもたちは軍事利用のためのウミホタル採取を命じられていた。人びとはどんな思いで生きてきたのだろう。


【D】北下台エリア

D.北下台(ぼっけだい)エリア

テーマ:近代水産業発祥の地

海洋民の交流の歴史

館山湾(鏡ヶ浦)の浜は、地引網漁と交易の湊として江戸期より栄え、明治期以降は遠洋漁業や捕鯨漁の基地として栄えた。その中央に位置する北下台は古くは北下崎と呼ばれ、海に突き出た小岬だったが、繰り返し起きる地震の隆起によって陸続きの高台となった。

北下台には、近代水産業と発展と水産教育に貢献した関澤明清の顕彰碑や正木燈台の痕跡、遭難船の供養碑のほか、古代の海食洞穴や、中世に武士や僧侶の墓として作られた「やぐら」など、海とともに生きた人びとの遺跡が多く残る。

安房水産高校のハワイ・マグロ実習船「千潮丸」の体験乗船と、ロープワークを実践してみよう。

071006都庁職養育院支部女性部*野本惠美さま

土曜日は、ありがとうございました。

お陰様で充実した”平和ツアー”になりました。

参加者からも

「勉強になりました」とか

「戦跡を巡り、平和のありがたさに感謝しています」

「戦争を知らない世代ですが、これで子供達に戦争の悲惨を語れます」

「語り部の方の話に引き込まれました」

「NPOの方達がこのような活動をしているのを初めて知りました」

等々、沢山の喜びや、感謝の言葉をいただきました。

池田さんには何から何まで、お世話を頂きありがとうございました。

心より感謝致しております。

また、愛沢先生には、お忙しいなか御挨拶を頂き

ありがとうございました。

「愛沢さんからこの運動を進めていくうえでの苦労話や、

我々が協力出来る事についての話をもっと聴きたかった」

という参加者からの言葉もありました。

それから、「赤い鯨と白い蛇」の上映会の希望もありました。

私個人ですが、この連休にレンタルショップでDVDを借りて見てみました。

噂にたがわず、素晴らしい映画でした。

大げさに平和を語る訳でないのに、心に染み入るものを感じました。

各世代の女性の気持ちが繊細に綴られていて、あっという間の時間でした。

最後の宮地真緒演じる孫娘が赤ちゃんを抱いている姿に

命をつないでゆく、女性の素晴らしさを感じました。

何かの機会をとらえて、上映会をしたいと思っております。

その時は、またお世話をおかけしますが、よろしくお願いします。

ところで、私達が名乗っている「養育院」は悲しい事にもはや存在しないのです。

組合の支部名にのみ残っている状態です。

養育院は百年以上もの歴史を持つ東洋一の福祉施設だったはずなのですが

昭和47年に美濃部都政のもと、介護・医療・研究の三位一体で

老人福祉(30年以上も前に、老人問題)に取り組んだ頃をピークに

徐々に、養育院は解体されていってしまいました。

特に石原都政になってからは、国にならって民で出来る事は民でと

どんどん公社化、民営化されて今直営で残っている老人病院も

まもなく行政独立法人になる予定です。

全ての人が幸せに暮らせる福祉こそが、平和の礎と思うのですが

福祉が切り捨てられて行くのを目の当たりに見て本当に悲しくなります。

今回ツアーに参加してくれた方達は、この厳しい状況のなかで、

医療や介護を担っている方達なのです。

参加者の中には夜勤あけで参加してくださった看護士の方もいました。

せっかく御案内していただいたのに、充分に時間がとれなかったのは

このような事情なので、どうかお許し下さい。

でも、皆、また行きたいね!と話しています。

今度は、ゆっくりとお訪ねしたいと思います。

お礼のメールが愚痴めいたメールになってしまいました。

お許し下さい。

最後に、池田さんのお心配りに心より感謝致しております。

本当にありがとうございました。

【房日】071003*『赤い鯨と白い蛇』③川上和宏

映画『赤い鯨と白い蛇』を観て

千葉大学教育学部 川上 和宏

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私は、教育を志す千葉大学の学生です。3年前に習志野市において、生涯学習まちづくりを目指し、〝さんまぷろじぇくと〟という活動団体を立ち上げました。〝さんま〟の意味は、「仲間・空間・時間」という3つの〝間〟であり、さまざまな世代の住民が集い交流できる場を創るという目的をもって活動をおこなっています。

生涯学習まちづくりを実践し、地域の活性化に貢献しているNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムをゼミの教授から紹介された縁で、この1年間に4回館山を訪問しました。NPOの主催する事業に参加させていただくことを通して、世代も、住んでいる場所も違う方々と交流し、思いを共有できたことは、私たち学生にとってこの上ない喜びでした。

また、生涯学習まちづくりの拠点のひとつとして、館山市が一般公開している赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡を案内していただきました。戦争も貧困も経験したことのない世代の私にとって、戦争というものを身近に感じ、それに向き合う良い機会となりました。もし終戦が延びていれば、この美しい南房総が「第二の沖縄戦」の場になっていたかもしれないということや、終戦直後には本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたということもはじめて知り、大きな衝撃をうけました。戦争がもたらす痛み、悲しみ、悲惨さ、そしてくだらなさを、私は考えるようになりました。殺人事件が日常的に報道されるようになってしまった現代社会において、子どもたちに命の重みをどのように伝えていくかは、教育の緊急課題です。戦争遺跡は、単に平和教材というだけではなく、命の教育においても重要な学習の場であると思いました。

そんな折、館山の戦跡を舞台に撮影された映画『赤い鯨と白い蛇』を鑑賞しました。戦地に赴く男性を見送ることしかできなかった〝女性〟に焦点を当て、せんぼんよしこという〝女性〟の監督が描いた映画です。もちろん戦争だけがテーマとはいえず、女性としての生き方に関わってくる描写がたくさんあり、男性の私としては、想像の域を脱しないというか、すんなり理解できないところもありました。けれどもこの映画は、私にまったく別の価値観を与えてくれました。

映画の後半、ひとりの女性がこう語ります。「私があの人のことを忘れたら、彼は二度死ぬことになる」…戦争で残された女性が、亡くなった人を思い続けることしかできないというのは、あまりにも悲しすぎます。愛する人を守るために、他国へ行き、誰かを殺し、自分も死ぬというのは、戦争を美化した幻想にすぎません。この映画を観て、私にはある決意が芽生えました。それは、どんなに後ろ指をさされようが、どんなに非難されようが、愛する人とともに生きる手段を考えたいという願いです。

また青年将校は、「自分に正直に生きてほしい」というメッセージも女性に残しています。たくさんの人間の人生を大きく巻き込み、翻弄させてしまう戦争という時代の中で、自分に正直に生きるということは難しかっただろうと思います。それでは、現代はどうでしょう。私自身はとても困難な時代だと感じています。自分に正直に生きることができる社会とは、一体どのような社会なのでしょうか。それは、国家や世間が作り出した一定の価値基準の中でしか生きられないのではなく、一人ひとりがもつ多様な価値観や生き方を尊重できる社会だと思います。これも、現代社会で教育に課せられた大きな課題といえるかもしれません。

この映画は、館山を舞台に撮影されたこと、そして館山に存在している戦跡を用いたことに大きな意味があると感じます。それは、戦時中の館山で女学生だったという監督ご自身の、ふるさと館山に対する愛情があふれているからです。それと同時に、実際に私が館山の戦跡でNPOのガイドを受けていたからこそ、この映画の内容がリアルなものとして実感できたところも否めません。つまりこの映画は、館山での平和学習をした人にとっては効果的な〝復習教材〟であり、これから訪れる人にとっては〝予習教材〟になるということです。

人と人とのつながりが希薄になったと言われる昨今、もっとも重要なことは、性別も、生きた時代も異なる世代の、多様な価値をもった人びとが集う〝交流〟の場なのかもしれません。映画では、5人の女性たちが導かれるようにかつて暮らした古民家に集い、語り合い、思いを共有する中から、それぞれが次の一歩を踏み出しました。人々が支えあって生きていかれる社会を目指すうえで、この映画にはたくさんのヒントがあるように思えます。私はこの映画からそんな希望をもらいました。

070930茂原南町野球部(茂原東ロータリークラブ)*佐藤政平さま

拝啓

錦秋の候、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。

過日は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

歯切れの良く、解り易い座学をして頂きまして勉強になりました。

最初は、座学より見学をしたいと思いましたが、間違っていました。

座学を受講して本当に良かったと思いましたのは、私ばかりでは有りませんでした。

又、雨の中、真面目に解説してくださったガイドさん、本当に有難う御座いました。

帰りのバスの中、『赤い鯨と白い蛇』が茂原で上映されましたら、茂原法人会へ今年推薦の映画にして、貸切観賞会を行なって貰いたいと思います。そして、皆で「見に行こう」と話し合っていました。


私は子供の時(4〜5歳)に満州から引き揚げてまいりましたが、実戦争体験はありません。

多くの犠牲者のお陰で今の平和が有るとの事の再認識と、今でも戦争の傷を引きずっている人達が居る事を忘れてはいけないと心が痛みました。

貴重な体験をさせて頂き、有難う御座いました。

参加の皆さんも、又今回参加出来なかった皆さんから、次回もこの様な企画をして下さいとの要望もあり、その際はまたよろしくお願いいたします。

甚だ整いませんが、お礼の言葉とさせていただきます。敬具

10/14=映画「赤い鯨と白い蛇」上映会

赤い鯨と白い蛇

◆せんぼんよしこ監督(安房高女/安房南高校出身)が、ふるさと館山へ贈る感動の映画◆

〜館山の戦争遺跡を舞台に、香川京子・樹木希林・浅田美代子らが好演〜

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【日時】2007年10月14日(日)

第一部上映13:30/講演会15:30/第二部上映17:00

【会場】千葉県南総文化ホール

【主催】上映委員会・第13回安房地域母親大会実行委員会

【共催】館山市・館山市教育委員会

【料金】大人 1,000円(当日券1,200円)

高校生 500円

小中学生 無料

【前売プレイガイド】

南総文化ホール:0470-22-1811

松田屋楽器店館山店:0470-22-5661

松田屋楽器店鴨川店:04-7093-3551

ブックス松田屋:0470-23-1661

宮沢書店本店:0470-23-7771

宮沢書店館山店 0470-24-0020

宮沢書店TSUTAYA店 0470-23-1818

カミヤマサウンドステーション 0470-22-0795

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シネマツーリズム(館山ロケ地めぐり)&上映の企画

南房総・館山を舞台にした映画『赤い鯨と白い蛇』が誕生しました。「赤い鯨」は軍都だった館山の沖で訓練をくりかえす特殊潜航艇(特攻の潜水艦)を意味し、「白い蛇」は家の守り神を象徴しています。戦時中の館山で安房高女(安房南高校)の学生だったせんぼんよしこ監督が、女性の目線から平和と命を描いた美しい作品です。戦時中館山に疎開していたという設定の香川京子さんをはじめ、世代の異なる5人の女性たちが、人と人との絆が薄れつつある現代社会のなかで、「自分に正直に生きる」ことの難しさと大切さを伝えてくれています。何度も鑑賞するたびに、新鮮な気づきと感動がある、味わい深い作品です。

かねてより戦争遺跡の調査研究をし、高校の授業実践に活用してきた私が、せんぼん監督と出会ったのは2002年でした。戦争中の館山を物語る調査資料を提供し、戦争遺跡を案内したりと協力してきました。監督自身も「女学生の当時は知らなかった」と驚いた館山の歴史を、映画のシナリオやロケ地選定に活かしてくださったことをたいへん嬉しく思っています。

館山市では、戦争遺跡を歴史遺産と位置づけて保存と活用に努め、歴史学習や平和学習に活かしています。21世紀に入り、ほとんどの親たちは戦争体験のない世代になりました。そのもとで育った子どもたちに、「戦争や平和」をどのように語り継いでいったらよいかが今問われています。せんぼん監督がこめたメッセージを受け止め、まず館山の皆さんにこの素晴らしい映画を観てほしいと願っていたところ、館山市と館山市教育委員会の共催により上映会を開催することとなりました。

モントリオール国際映画祭にも出品され、数々の賞も受け、聖路加病院の日野原重明院長も著書のなかで絶賛するなど、多くの人の共感を得ています。すでに、この映画を観て感動した全国のファンから、ロケ地めぐりを希望する声が届いています。洲崎灯台を中心とした豊かな自然や、エンディングを飾る八幡んまちなど、館山のもつ特性や魅力をスクリーンいっぱいに映し出すこの映画は、館山を全国に紹介するPR作品といえるでしょう。観光協会や商工会議所の皆さんとも広く手を携え、この映画を通じて、シネマ・ツーリズムを活かしたまちづくりを推進していきたいと願っています。

シネマツーリズム(館山ロケ地めぐり)&上映 企画取扱

NPO法人安房文化遺産フォーラム

(旧=NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム)

理事長 愛沢伸雄

NPOだより№17〜2007.9.23

日韓交流〜「快鷹丸」遭難100年記念式典&浦項製鉄西初等学校訪問

知恵袋講座

・第3回 利渉義宣さん「房州に伝わるお舟唄」

・第4回 愛沢伸雄さん「海を通じた日韓交流〜浦項訪問の報告」

安房の食文化レシピ集「あらがごっつお」完成!

映画『赤い鯨と白い蛇』からシネマツーリズムを

ウミホタル合唱団・安房の再結成

【房日】070908=「快鷹丸」遭難100年式典の訪韓

浮書絵彫りに感謝と友好の願い込め、きょうNPOメンバーら訪韓

韓国に4作品を寄贈、館山の吉田さん制作

*房日サイトはこちら


韓国・浦項(ポハン)市の浦項製鉄西初小学校と交流を行っているNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム愛沢伸雄理事長)はきょう8日、同市を表敬訪問する。旧東京水産大学の初代練習船「快鷹(かいよう)丸」が1907年、嵐のため韓国東岸にある迎日湾(浦項市)で遭難した際、地元住民が乗組員を救助し、その後記念碑を建立。今年が遭難100年目にあたり、同NPOが東京海洋大学のOBで組織する「楽水会」のメンバーと訪韓。NPOのメンバーである吉田昌男さん手づくりの浮書絵彫りを、日本の記念品として持参し、金丸謙一市長のメッセージを携え、市長など4か所を訪れて寄贈する。

日本で最初の水産教育機関である水産伝習所は、1901年に館山実習所が開設されて以来、東京水産大学、東京海洋大学を経て現在に至るまで、館山を拠点として実習訓練を行っている。

近代水産業の発展に大きな貢献を果たした海鷹丸は、館山で練習を重ねたあと出航し、1907年9月9日、韓国の迎日湾で嵐に遭い遭難した。

その際、学生3人と教員1人が亡くなり、他の乗組員たちは、地元の住民に救助された。その後、犠牲者を慰霊して記念碑が建立されたが、戦争を経ていつしか土中に埋没。1971年、浦項市文化財保存委員会によって再建され、現在は、東京海洋大学の同窓会「楽水会」により、大切に保存されている。

館山市には1624年に建立された「四面石塔」と呼ばれる供養塔があり、その東面には初期ハングル字形で「南無阿弥陀仏」と刻まれていることを愛沢理事長が確認。この石塔を通じ、日韓の市民レベルの交流を行ってきた。そして同NPOは、2年前には日韓国交正常化40周年の記念事業として、館山市に浦項製鉄西初等学校の子どもたちを招いて「たてやま日韓子ども交流事業」を開催。ホームステイをしながら、市内の自然や歴史を学ぶ体験交流や音楽交流を通じ、友情の輪を広げた。

浦項市にある遭難記念碑と、館山市にある四面石塔は、両国間で繰り返し起きた不幸な歴史を乗り越え、人々が友好関係を育んできた証。2つの碑に込められた先人の思いを学び、これを末永く語り継ぎ、国際平和に寄与してほしいと切望している。

このため、きょう8日から10日まで、楽水会が企画した快鷹丸遭難100周年記念参詣旅行会に同NPOも同行。愛沢理事長、池田恵美子事務局長、日韓実践教育研究会の石渡延男顧問、韓国の子どもを受け入れた母子2組の計7人が訪韓する。

参詣に際し、館山市特産の竹でつくった浮書絵彫りを記念品として市長、小学校、水産高校、記念碑を保存している市民へ寄贈し、友好の証にしてもらう。浮書絵彫りは、「命」「快鷹」「迎日」「昇鯉」のタイトルが付いた4作品。NPOのメンバーで、旧安房水産学校を卒業した吉田さんがつくった力作。「同じ船乗りとして、当時の遭難は他人ごとではない。救助し、碑まで立ててくれてたいへんありがたい。70歳から始めた浮書絵彫りの作品に感謝の意を込め、平和を願い、韓国との親善に役立てばうれしい」と話していた。

また金丸市長からは「館山市と浦項市の子どもたちが、2つの碑に込められた先人の思いを学び、末永く語り継ぎ、両国の友好と国際平和に寄与してほしい。両市の交流が一層深まることを期待しております」のコメント。また韓国語に堪能な東京在住の勝矢光信さんが翻訳。南総里見八犬伝、赤山地下壕、青木繁など、館山市を紹介した韓国語のパンフレットも持参する。

愛沢さん一行は、きょう8日に渡韓し、浮書絵彫りと市長のメッセージを携え、浦項市の遭難記念碑を訪れ、市民らと交流して10日に帰国する。

【写真説明】 記念品として贈られる吉田さん(中央)の浮書絵彫り