●「創立117年記念感謝祭」に700名
…これからも地域に根差して〜館山病院(千葉県)
千葉県の房総半島南端に位置する館山病院(268床)は、1891(明治24)年創立で、徳洲会では最長の歴史を誇る。10月4日、117周年を記念して感謝祭が催された。
感謝祭では「館山病院のあゆみと安心して暮らせるまちづくり」と題した講演が行われた。
講師を務めたのは、NPO法人(特定非営利活動法人)「安房文化遺産フォーラム」代表の愛沢伸雄さんと、館山病院の高野良裕前院長。
愛沢さんは、館山病院が地域と密接にかかわってきた過去の歩み、館山は江戸時代から医師が多いこと、以前から教育熱心な地域柄であることを紹介した。
高野前院長は、「館山市には“地域力”があります。昨今の医療事情は相変わらず厳しいですが、一緒に考えていきましょう」と話した。
また、10月1日に就任した山田真和院長も挨拶に立ち、「病院の文化を築くためには、市民の皆さまのご協力が不可欠です。愛情をもって育ててください」と続けた。
病院前の駐車場に設けられたメイン会場では、バンド演奏、祭囃子、バザー、餅つき踊り、きつね踊りなどが披露され、地元特産品を販売する出店が立ち並んだ。院内では、頚動脈エコーや骨密度を測定する簡易ドック、ストレス度を測るストレスドック、歯科検診などを実施。過去最多の約700名が訪れ、大盛況となった。
館山病院には、地域住民からの熱い要望を受けて創立された“市民病院”という成り立ちがある。
1891年10月4日、住民有志による「館山病院設置連名簿」を受けて開院。安房郡富浦出身の川名博夫医師が、初代院長に就任した。
1923(大正12)年の関東大震災で病院建造物のほとんどが倒壊する大きな被害を受けたが、まもなく株式会社館山病院として再建に着手し、翌年に新病院が完成。現在の医療法人博道会館山病院と改めたのは61(昭和36)年のことで、徳洲会グループには2005年に加わった。
講演には多くの方が来場し、満席になった
創立当初は内科病院だったが、近年は精神科病棟、療養型病棟を増築したほか、障害者福祉施設、訪問介護事業、通所リハビリ事業にも注力。今では、館山市(人口約5万人)を含む安房保健医療圏(人口約15万人)の地域医療を安房地域医療センター(旧安房医師会病院)とともに支えている。
病院に隣接し、52(昭和27)年開校の館山准看護学校がある。こちらは現在、正看護師を養成する看護学校に再編する計画が進められている。
「開設場所の変更も含めて検討しています。市民の学校と考えているので、ご意見を募集しています」と玉川建治事務部長は話している。
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※徳洲新聞サイトはこちら。
「館山戦争遺跡」見学会に参加して
2008年10月18日に行われた題記見学会に参加しました。参加者は、館山駅に10時ごろ集合し、マイクロバスに乗り込みました。最初に市内のホテルに行き、ここで「館山戦争遺跡」の説明を受けました。説明者は、NPO法人「安房文化遺産フォーラム」の愛沢氏で、戦時中の新聞などの写真パネルなどが掲示されていました。館山は硫黄島と密接な関係があり、米軍が上陸した硫黄島での戦闘で館山で訓練を受けた多くの兵士が戦死したとのことです。
館山に15年戦争の遺跡があるというのは、浅学の身には初耳でした。
「たてやま夕日海岸ホテル」で昼食をとりました。地魚サンガ焼き定食が美味でした。食後にマイクロバスにのって遺跡めぐりが始まりました。最初に着いた所は、赤山地下壕で海上自衛隊館山基地の近くにあります。総延長約2㎞の地下壕の一部と燃料タンク基地跡を見学しました。ほとんど素堀りのまま使用されたそうで、ツルハシの痕がのこっています。建設の資料が無いそうで、建設の由来は全く不明だそうです。中はジメジメした感じがなく乾燥しており、天井も高くて普通の姿勢で歩く事ができました。数少ない証言から推察して、全国でも極めて珍しい航空要塞的な機能をもった地下壕ではないか、とのことでした。
この近くには敵機から戦闘機をかくすための格納庫「掩体壕」があります。またマイクロバスに乗って、128高地「戦闘指揮所」「作戦室」「地下壕」、さらに、「噫従軍慰安婦石碑」を見学し、最後に山の中に入り込んで洲崎第二砲台を見学、さらに民家の庭にある砲側庫(爆弾をいれておく庫)を見学しました。16時30分館山駅で解散しましたが、普段忘れている第2次世界大戦を肌身に感じた一日でした。
蛇足ながら、日本全国に残っている戦争遺跡について調査した本(編著=戦争遺跡保存全国ネットワーク、発行=平凡社出版)が発刊されています。
東京湾海堡ファンクラブ会報№24より
お世話になっております。
見学会の節は、たいへんお世話になり、ありがとうございました。
皆さまの熱心な活動に感動いたしました。
参加者から、「とても有意義な体験をした。」と、いくつも感謝のメールが届いております。
参加者を代表して御礼申し上げます。
愛沢代表、ガイドしていただきました小沢さん、斉藤さんにもよろしくお伝えください。
東京湾海堡ファンクラブでは、東京湾砲台群の世界遺産登録を目指して活動してまいります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
第一海堡、第二海堡への上陸が可能になった日には、是非ともお越しください。
(現在は第一海堡・第二海堡ともに上陸できません。)
東京湾で連携して、大きな動きになることを期待しています。
講演会「里見忠義の終焉の地をたずねて」
報告書『今よみがえる里見忠義の足跡』発行
里見ウォーキング
元気なまちづくり市民講座〜持続可能な地域社会を目ざして
・市民が支え合うコミュニティづくり〜マイナスをプラスに考える逆転の発想法
・高野医師とともに語る地域医療懇談会
知恵袋講座
・第16回「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」設立まで
・第17回田中房江さん「リン鉱産のパラオの島と戦争」
里見八犬伝ワールド〜第2回戦国コスプレ大会
報告=青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会設立
■詳細は、下段のPDFファイルをご参照ください。
【日時】2008年10月29日(火)13:30〜15:30
【会場】小高記念館
【講師】
【テーマ】青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会
松代大本営地下壕の活用策探る 長野でシンポジウム
長野市の松代大本営地下壕(ごう)の保存に取り組む市民団体「松代大本営の保存をすすめる会」とNPO法人「松代大本営平和祈念館」は23日、地下壕をまちづくりにどう結び付けるかを考えるシンポジウムを市内で開いた。年間12万人以上の見学者が訪れている壕を地域の資源として位置付ける狙いで初めて開催。市内外から約40人が参加し、活用策を探った。
戦争遺跡保存全国ネットワーク代表を務める十菱(じゅうびし)駿武(しゅんぶ)・山梨学院大教授(考古学)は「開発や構造物の劣化により、各地で戦争遺跡がどんどん壊されている。半面、戦争の悲惨さや無益さを子どもたちに実感してもらうために活用する運動も盛り上がってきた」と説明。住民と行政が連携し、松代大本営地下壕を含め、古代から近現代に至る地域の文化遺産について語り継いでいく「エコミュージアム構想」を提案した。
千葉県館山市で海軍航空隊跡地などの保存に取り組むNPO法人「安房文化遺産フォーラム」代表の愛沢伸雄さんは「住民が自分たちの地域をきちんと認識することが重要。観光業に平和や教育の視点を組み込む必要がある」と指摘した。
すすめる会幹事の宮沢彰一さん(70)=長野市上松=は「松代大本営は松代町にとどまらず、日本にとって重要な遺跡。日本全体を見据えて活用法を探る必要がある」と話していた。
(信濃毎日新聞2008.9.24)
先日は、お忙しい中、私たち杉田ゼミナールの館山平和学習合宿のためにお時間をいただき、
まことにありがとうございました。
私は、今回の合宿で初めて館山を訪れました。
当日はなんとか天候にも恵まれ、海と山、館山の豊かな自然を楽しむことができました。
しかし、館山という地は、豊かな自然だけでなく、私たちに普段の生活からは実感することの難しい、
「戦争」の跡を見せつけてくれました。館山の戦争遺跡は、戦後63年経った存在、
住民の生活の中に埋もれてしまっているように感じましたが、それら遺跡の存在感は今なお健在で、
赤山地下壕や射撃場跡地では戦争の跡を生々しく肌で感じることができました。
また、池田さんや愛沢さんのお話を聞き、伝えることの大切さも強く感じました。
これをきっかけに今の自分に何ができるのか考えてみようと思いました。
また、ゼミとしての今後の活動にも良い刺激にしていきたいと思います。
私たち杉田ゼミナールも後期日程が始まり、今回の館山合宿で感じ、学んだ多くのことを
これっきりにすることなく、今後の学習に繋げていきたいと思っています。
秋冷、日増しに加わります。お体に気をつけてお過ごしください。
*学校HPの記録はこちら。
【日時】2008年9月30日(火)13:30〜15:30
【会場】小高記念館
【講師】保坂明さん(NPO会員)
【テーマ】
・昭和20年2月16日館空から出撃した一式陸攻の最期と50年後
・「元順号」と岩槻-千倉の交流の原点
【参加費】200円(お茶・資料代)
◎戦跡巡りに役立てて
….館山のガイドマップつくる
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館山市に残る太平洋戦争の戦跡などを紹介した「安房ガイドマップ 海軍のまち館山」が完成した。NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄理事長)が、市民や行楽客が戦跡を巡る際に役立ててもらおうというもので、26日から1部300円で販売する。
同フォーラムでは館山市内を中心に戦跡や、戦国武将里見氏などの調査・掘り起こしを行い、こうした成果をまちづくり活動として市民や、行楽客に情報発信している。ガイドマップもこの活動のひとつとして、編集委員会を組織してつくった。
マップは、女性のハンドバッグにも収まるようにと、折りたたんだB5サイズで、広げるとタテ51㌢、ヨコ72㌢の大きさ。片面に、市内に残る洲ノ埼海軍航空隊、館山海軍航空隊関連の戦跡、城山砲台の跡、赤山地下壕跡などを写真や図を使って解説。北下台(ぼっけだい)に残る近代水産業の先駆者、関澤明清の石碑なども盛り込んだ。
もう一方の面には、昭和初期、戦前の館山のイメージイラストが描かれている。イラストを担当したのは、フォーラムメンバーの中屋勝義さん(66)。古い記録や、現地を歩くなどして色鉛筆で、当時の館山湾沿いを中心に、街並みや戦跡の場所などを描いた。
26日から宮沢書店、BOOKS松田屋で販売する。詳しい問い合わせは同フォーラムの事務所(0470—22—8271)へ。
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※房日サイトはこちら。