
(房日新聞2010.3.3)
守ろう地域医療Ⅱ
看護②〜リクルート=看護師確保へ全スタッフ一丸
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看護師確保へ全スタッフ一丸
写真タテ3段
「このままでは、地域を支える医療が立ちいかなくなってしまう」–。館山市長須賀の博道会・館山病院(山田真和院長)は昨年、深刻化する看護師不足に手をこまねいてはいられないと「医師・看護師対策室」を新設した。
専従スタッフは山口裕美さん。秘書やマーケティングの仕事の経験があることから、白羽の矢が立った。「私は調整役で、看護師確保に向けて全医師、全スタッフができることはすべてやるという態勢。これまでと同じように、口を開けて待っていたんではダメだとの危機感を共有している」と話す。
現在約200ベッドの入院施設を持つ同病院は、約130人の看護師が勤務する。退職・離職者を補充するため、年10人程度を新たに採用する必要がある。
この規模の病院は収入の7割を入院関連から得ているため、ベッド数の維持は重要課題。ベッド数は看護師の数で決まってくるため、看護師確保は経営の安定につながるキーポイントだ。
看護師不足の原因の一つは、入院患者に対して看護師の数が多いほど病院が高収入を得られる「7対1看護」を2006年に国が導入したこと。これにより、待遇の良い都会の大病院に看護師が集中。安房地域でも「館山道が整備されたこともあり、木更津や市原の病院に移る看護師も出てきた」(医療関係者)という。
もう一つは、館山准看護学校、安房看護専門学校の閉校。これまで両校から年20人前後が地元医療機関に就職していたが、今後はゼロになってしまう。
高齢化が進み、医療機関以外にも介護施設や訪問看護ステーションなどの看護師の需要が増している事情もある。
山口さんによると、館山病院の看護師確保に向けた取り組みは、主に①県外の看護学校への訪問と売り込み②就職フェアへの参加③エージェントを使った人材探し④口コミ、職員のつてをたどっての「潜在看護師」(看護師資格を持っているが、現在は看護の仕事についていない人)の発掘–の4つ。
「一般企業とは対照的に、看護学生は現在、よりどりみどり職場を選べる。東京のブランド病院でさえ人材確保に躍起になっているのだから、われわれのような病院は大変です」。
東京などの大都市は〝ちょっと不安だし、苦手〟という地方の学生をターゲットに、「暖かくて海が近い、住みやすい街」をアピールするよう求人パンフレットを工夫。見学を希望する看護学生には、交通費や食事代などすべて病院が費用を負担し、平砂浦のリゾートホテルに宿泊してもらうという力の入れようだ。
病院あげての取り組みで、今春の採用は「10人プラスアルファ」と目標を達成。だが、山口さんは「来年の採用は、まったく先が読めない。いろんな方法を試して、あと1、2年のうちに安定した採用ルートの確保にめどをつけたい」と気を引き締める。
同病院の加藤尚子看護部長は「地域の拠点病院として、患者さんのためにも今の規模を守っていこうという決意でやっている。家庭環境の変化などで、ここのような2次医療施設から介護・福祉施設に職場を移すナースもいるわけだから、地域全体のためにもわれわれが若い新卒をきちんと確保し、育てていかなければいけない」と語った。

(房日新聞2010.3.2)
守ろう地域医療Ⅱ
看護①〜最前線の現場で=やりがいの一方、激務の職場
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「はい、救急車入りますよ!」–。金曜日の午後5時半。安房地域医療センター(館山市)の救急外来で当直の看護師、大場清香主任が大きな声を上げた。
最初に肺炎とみられる高齢者の男性、ほどなくして、顔中が血まみれになった壮年男性が運び込まれる。2カ所ある処置スペースがふさがり、先ほどまでそこにいた患者はストレッチャーに乗ったまま、スタッフが行き来する通路部分に〝避難〟させられた。その横には、ベッドで点滴などを受けている患者が3人。移動式のレントゲン、心電図などの機械を押して検査技師が駆けつける。現場は、あっという間に「戦場」の様相に変わった。
大場さんはけがの男性患者の顔をふき、汚れた服を脱がせて備え付けのガウンに着替えさせる。医師の治療補助。検査のための血液採取、点滴の交換、患者情報のパソコン入力、入院患者の手続き・院内連絡、患者家族への応対…。医師も忙しいが、看護師の手足の動きが止まることも一瞬としてない。
「うちのスタッフはよくやってますよ。館山から鋸南までの10万人を守っているという気持ちで仕事をしている。救急の現場は臨機応変さが求められる。次にどうなるかという状況判断を常にしながら動くことが大事です」。
鴨川市出身。東京女子医大病院に長く勤め、10年前に「24時間の救急外来を立ち上げるから」と乞われて安房医師会病院(現・安房地域医療センター)に移った。以来、ずっと救急部門一筋。救命救急科の不動寺純明部長(医師)も「ここのことは何でも知っている。なくてはならない人」と全幅の信頼を置く。
安房地域で発生する重篤患者の多くは、3次救急を受け持つ亀田救命救急センター(鴨川市)に搬送される。だが、医療センターの役割も重い。午後7時、同8時20分…。この日は「そろそろ潮が引いたかな」思うと、新たな救急搬送があった。もちろんマイカーで訪れる軽症の患者も絶えない。
病院側と約束した午後10時過ぎに取材終了。それまでの6時間、大場さんら2人の看護師がいすに腰をおろすことはなかった、翌日午前に電話すると「その後も忙しく、午前2時半にようやく食事がとれた」と話してくれた。
◇ ◇ ◇
月曜日午後7時の館山病院。60床ある内科・外科混合の2階急性期病棟では、夜勤の3人に加え、まだ日勤チームの大半の看護師が居残ってバタバタしていた。
かかりつけの患者など3人が、夕方から次々に入院することになったからだ。人手が足りず、師長の竹之下久美子さんが自ら1階に降りて患者を迎えた。「5時に帰りたいとは思っていないが…。毎日これだと、モチベーションを保つのが大変なのも事実です」。
ナースコールを受ける表示板をみると、50数人の入院患者の平均年齢は80歳を超えている。食事、入浴、トイレ…。東京などの都市部の病院に比べ、看護師らスタッフの介護が必要な患者の割合が非常に高い。
新たに入院した患者を病室に運んだ竹之内さんの背後で、「バタッ」という大きな音がした。同室の患者がベッドから起きあがろうとして転倒、頭を打った。すぐに手当てをし、脈拍などの異常がないか確かめる。この患者には、身体の動きを知らせるセンサーをつけて、事故防止を図ることにした。
日勤の看護師がすべて引き揚げたのは、午後8時を過ぎてから。「忙しいばかりで、一人ひとりの患者さんへの目配りができているか、患者さんが満足しているかを考えると少し申し訳ない気持ち」と竹之下さん。病棟を統括する師長としては「スタッフの意欲が低下しないように、仕事や人間関係の〝交通整理〟をするよう心がけている」と語った。
◇ ◇ ◇
「いのちを守る」役割にやりがいを感じる一方で、長時間、不規則な厳しい勤務を強いられる看護師たち。昨年11月掲載した「守ろう地域医療」の続編として、今回は看護の現場や看護師不足問題、安房看護専門学校の閉校などに焦点をあてる。

NPO法人青木繁「海の幸」会が設立総会 美術界の著名人ら
小谷家住宅の復元・保存へ
募金目標は2年で2200万円
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明治期の洋画家・青木繁が代表作「海の幸」を制作した小谷家住宅=館山市布良=の復元、保存を目指すNPO法人・青木繁『海の幸』会の設立総会、第1回理事会が27日午後、東京・上野の東京文化会館で行われた。東京都や神奈川県在住の画家、美術評論家ら約40人が出席。2年間で2200万円の寄金を確保するなど、当面の活動目標を決めた。
同会は、日本美術界に大きな影響力を持つ著名人が多数参加。理事長に大村智氏(女子美術大学理事長)、副理事長に酒井忠康氏(世田谷美術館館長)、村田慶之輔氏(川崎市岡本太郎美術館館長)など、そうそうたるメンバーが役員に名を連ねている。吉岡友次郎事務局長は「目標額の寄金獲得は必ず達成する」としており、小谷家住宅の保存運動は今後大きく前進する見通しが出てきた。
設立総会では、1月12日に同会のNPO法人登記が完了したことを吉岡事務局長が報告。①小谷家修復・保存工事に3000万円、小谷さんが住む新たな住宅工事に1600万円の費用がかかること②地元・館山で保存運動を進める「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」と連携して活動し、今後は小谷家と3者で覚書を交わす方針であること——などを説明した。
また、2011年が青木繁の没後100年にあたることから▽全国・美術メディアを通じての青木繁の注目度アップ▽主要な美術館での青木繁の企画展開催——などの可能性を探ることで一致した。
館山からは小谷家当主の小谷栄さん、「保存する会」の島田博信会長、天野努副会長らが来賓として出席。
島田会長は「私たち地元保存会も大変勇気づけられる。今後は連携を密にし、故青木繁画伯の功績を末代まで伝え、併せて地域発展のためにも寄与する努力をしていく」とあいさつした。
また、金丸謙一・館山市長のメッセージも読み上げられた。
大村理事長は本紙の取材に対し「館山の方々が青木繁との縁を誇りに思われて、いかに活用していくか。地元の人がその気になってこそ、この運動の意味がある。経済も大事だが、次世代の子どもらのために文化を育てないと。そういう気持ちで応援していく」と語った。
『海の幸』会は、学生らとともに館山・布良にスケッチ旅行を続けていた吉武研司・女子美術大教授、青木繁と同郷の福岡県久留米市出身の画家・吉岡事務局長の2人が結成に尽力。地元・館山に「保存する会」が設立されたことを受け、日本の洋画壇の各方面に修復・保存運動推進を働きかけた。
【写真説明】設立総会で地元・館山の保存運動を説明する天野努氏=東京文化会館


◆春の信州、館山ゆかりの美術館を訪ねる旅
〜無言館と梅野記念絵画館ツアー2日間〜
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戦没画学生慰霊美術館「無言館」には、志なかばで戦場に散った画学生たちが遺した絵画や彫刻などが展示されており、なかには館山海軍砲術学校に所属した若者の遺作品もあります。昨年夏、館山市の南総文化ホールで開かれた無言館主・窪島誠一郎氏の講演会では、心を動かされた来場者より「ぜひ無言館を訪れたい」という声が多数寄せられました。
また、明治の画家・青木繁が滞在した館山市布良の小谷家住宅は、昨年秋に館山市指定文化財となりました。青木繁は親友・梅野満雄に宛てた絵手紙で、布良・相浜・平砂浦… などこの地の素晴らしさを絶賛し、『海の幸』の大作に取り組んでいることを報告しており、その絵手紙は「梅野記念絵画館」に収蔵されています。
今春、館山にゆかりの深い信州の美術館を訪ねる旅を企画しました。
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■旅行日=平成22年3月7日(日)〜8日(月) 定員40名
■旅行代金=おひとり様25,000円 (2名1室の洋部屋利用)
※1人部屋のご希望は3,500円増しで承ります。美術館入館料を含みます。
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■日程 コース 食事
【3/7(日)】
館山発7:00=東京湾アクアライン・海ほたる(休憩)=高坂SA(休憩)=佐久市内(昼食)=梅野記念絵画館(見学)
=信州松代ロイヤルホテル16:00頃着
・食事=朝 × 昼 ○夜 ○
【3/8(月)】
ホテル8:30=無言館・信濃デッサン館(見学)=上田市内(昼食)=上里SA・三芳PA・市原SA(休憩)=館山着18:30頃
・食事=朝 ○ 昼 ○ 夜 ×
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■旅行日=平成22年3月7日(日)〜8日(月)
■旅行代金=25,000円(2名1室、シングル使用は3,500円UP)
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◇無言館・信濃デッサン館◇
*長野県上田市古安曽山王山3462*
「無言館」は、アジア太平洋戦争で没した画学生の慰霊を掲げて、平成9年に信濃デッサン館の分館として開館された美術館です。館主の窪島誠一郎さんは作家でもあり、戦没画学生の生涯を描いた著作や生き別れていた実父・水上勉との再会を綴った作品で知られています。昨夏の館山講演が縁となって、千葉市在住の遺族より戦没画学生の遺作が無言館に寄贈されました。ツアー訪問時には、窪島館主のお話が伺えるように依頼中です。乞うご期待!
左の作品「婦人像」(無言館展示)の作者は、島根県出身の小柏太郎(おがしわたろう)さんです。昭和18年9月に東京美術学校鋳金科を繰り上げ卒業の後、館山海軍砲術学校に入隊。昭和20年3月15日フィリピン・クラーク地区において戦死。享年25歳。
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◇梅野記念絵画館・ふれあい館◇
*長野県東御市八重原935-1芸術むら公園*
日清戦争の始まった明治37年夏、東京美術学校を卒業した青木繁は、画友の坂本繁二郎・森田恒友・福田たねとともに、房州布良の小谷家に滞在し、後に重要文化財となる「海の幸」を描きました。同じ郷里(福岡県久留米)出身の親友・梅野満雄に宛てた絵手紙4枚には、館山の素晴らしさが綿々と綴られています(梅野記念絵画館所蔵)。
一昨年秋、館山市富崎地区コミュニティ委員会を中心に「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が設立され、昨秋には小谷家住宅が館山市指定文化財となりました。梅野隆館長も「保存する会」発起人のおひとりです。106年前に館山から送られた青木繁の絵手紙とともに、私たちを心待ちにしてくださっています。
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◇コラム〜信州上田と房州館山をむすぶ芸術家
…山本鼎と倉田白羊…
山本鼎(明治15-昭和21)は信州上田を中心に民衆の芸術運動をすすめた版画家・洋画家。東京版画倶楽部・日本創作版画協会を設立、「版画」という語の生みの親といわれる。大正5年フランス留学の帰途に立ち寄ったモスクワで児童美術と農民美術にふれ、帰国後に「児童自由画教育」を推進した。子どもの表現力向上に大きく貢献し、クレパスも考案した。また、農村の文化と経済の繁栄を目ざし、農閑期の農民に副業として「農民美術」を奨励。戦後、農民美術は地場産業として定着、昭和57年に長野県伝統的工芸品の指定を受けている。
倉田白羊(明治14-昭和13)は、生涯の盟友である山本鼎の提唱する2つの大きな美術運動に賛同、重要な役割を果たした。大正5年の朝鮮・満州旅行を契機に、風景画へ転向。大正6年より館山に居住、「布良」「那古の山」などの水彩画を描く。白羊のもとに集まった小学校教師らに、従来の美術教育ではなく、自らの感性で表現する自由画を奨励する。千葉師範で研究会がもたれ、県下に自由画が広まる。房州北条で自由画展を開催、鼎も来房し意見を交す。大正11年に鼎の要請で上田へ移住、日本農民美術研究所の副所長に就任、本格的な農民美術の教育を始める。上田移住後も時々房州を訪れ、美術教育に尽力。白羊の妻・栄子は房州写生旅行中に知り合った網元の娘だが、明治期に房州根本から米国モントレーに移住したアワビ漁師の先駆者である小谷源之助・仲治郎兄弟の実妹だということも見逃せない。


■エコウォーク〜青木繁が《海の幸》を描いた館山の漁村を歩くコース
⇒⇒「エコウォーク」とは…
【日時】2010年3月27日(土)
【参加費】5,000円(昼食)
【概要】青木繁が滞在した小谷家住宅(館山市指定文化財)や、没後50年に建立された「海の幸」記念碑など、ゆかりの地をめぐります。真っ青な大海原を眺めながら地元のガイドとともに歩き、かつて若き画家が同じ漁村を闊歩した様子に思いを馳せていただきます。昼食は豊かな海の恵みをご提供します。【所在地】千葉県館山市富崎地区
【距離・所要時間】約4km・約4時間
【距離】約4km、4時間
【コース】安房自然村→小谷家住宅(館山市指定文化財)→布良崎神社→《海の幸》記念碑
→阿由戸の浜→「安房節・鮪延縄漁発祥」碑→相浜漁協(昼食:魚介の磯焼き)
→相浜神社→平砂浦ふれあいショップ
【主催】たてやまエコウォーク協議会
【ガイド】NPO法人安房文化遺産フォーラム
【協力】館山市富崎地区コミュニティ委員会/青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会
【レポート】⇒下記サイトをご参照ください。
*Blog布良・相浜の漁村日記⇒http://ameblo.jp/mera-aihama/entry-10492940443.html
*Blog安房国再発見⇒http://ameblo.jp/awabunka1/entry-10494625221.html
*エコウォーク事務局日記⇒http://ecowalk.weblogs.jp/blog/2010/03/post-5060.html
※34名が参加しました。参加費から、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会にドネーション17,000円をご寄付いただきました。ありがとうございました。
※次回開催は、5月29日(土)の予定です。


陸の孤島・豪雪の無医村であった岩手県沢内村は、多病多死に苦しんでいました。深澤晟雄村長は「人間尊重、生命尊重こそが政治の基本である」として、昭和35年から老人と乳児の医療費無料化を実現しました。その結果、全国初の「乳児死亡率ゼロ」を達成し、「自分たちで生命を守った村」として知られています。この実話をもとに、映画『いのちの山河〜日本の青空Ⅱ』は制作されました。
現在、医療課題をかかえる安房地域に暮らす私たちも、この映画からヒントを得て、市民の力で何ができるのか、一緒に考えてみましょう。
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■日時=平成22年3月6日(土)第一部14:30/第二部18:30
■会場=千葉県南総文化ホール大ホール
■チケット=前売券1,000円 (当日券1,500円)
■取扱=安房医師会協賛病院、南総文化ホール、宮沢書店、Books松田屋、鴨川書店、小高記念館
■主催=安房の地域医療を考える市民の会(問合FAX:0470-22-8271)
■後援=安房医師会
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■ごあいさつ=安房医師会長・宮川 準
安房地域では、館山准看護学校と安房看護専門学校が相次いで閉校となり、すでに進んでいた看護師不足問題が深刻になりつつあります。病床数と看護師数は法律で定められているため、患者さんの入院を受け入れられなくなるばかりでなく、介護施設でも十分な対応ができなくなってしまいます。ますます高齢化の進む安房地域では、若者の進路や中高年の再チャレンジとして、看護職への人材養成が急務となっています。私たち医師がどんなに頑張っても、地域内で看護師を育てなければ、医療崩壊となりかねません。『いのちの山河〜日本の青空Ⅱ』上映会を契機として、市民と医療従事者と行政がひとつになって力を合わせ、健康で安心な地域づくりを実現するためにも、皆さんとともに解決策を考えたいと思っています。 ご家族ご友人をお誘い合わせのうえ、ひとりでも多くの方にご鑑賞いただけますようご協力のほどお願い申し上げます。
寒さの中に春の気配を感じる頃となりました。
皆様方におかれましては、お変わりなくお過ごしのことと存じます。
さて、過日の私たち山本ゼミの房総巡検における研修におきまして、お忙しいところ時間を割いていただき、誠にありがとうございました。初日の戦跡ツアーとご講話の他にも、千倉での見学の設定など、きめ細やかな心配りをしていただき、心より感謝申し上げます。
戦跡めぐりやご講話を伺う中で、新たな発見や今まで知らなかった事に多く出会い、自分の勉強不足を痛感しました。また、今回はNPOの4名の方からお話を伺う機会をいただき、房州を大切にしながら守っている地元の先輩方の姿を見て、私も今まで以上に郷土への愛着を深めることができたと思っております。
2日目は生憎の天気でしたが、白浜・千倉の海側と、山側である三芳を、先生とゼミの仲間に案内しました。2日間を通して、先生も仲間達も、房総を楽しんでくれたようです。特に山本先生は今年度いっぱいでのご勇退が決定していましたので、最後の巡検となってしまいましたが、戦跡めぐりも初めての場所ばかりで楽しかった、とおっしゃっていました。
今後は、卒業論文作成のために、より専門的な研究を進めていきますが、この研修で得たことをもとに、より質の高いものを求め、学習していきたいと考えています。
末筆ながら、皆様のご健康とご活躍をお祈りして、お礼の言葉とさせていただきます。敬具

●映画「いのちの山河」…〝いのち〟に格差があってはならない
〜いのちへの投資が地域を元気に〜
松永平太(松永医院院長・安房医師会理事)
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学生時代だったか、医師になりたてだったか、この映画の原作となる「村長ありき」という本を一気に読んだ。行政と協働しながら実践する地域医療の素晴らしさが、私の脳底に沈んだ。昭和30年代のまだ豊かでない時代、日本全国には地域格差があってはならないというメッセージには、人間愛を感じる。また、主人公が医師でないのがうれしい。
厳冬の今の時期になると豪雪で陸の孤島となる岩手のちっぽけな村で、一人の熱き村長と一人の優秀な医師が出会い、おそらく戦後初のモデルとなる地域医療を実践した。村長は「人間尊重、生命尊重こそが政治の基本である」として、子供たち、老人たちが多病多死で苦しんでいるのを助けた。その結果、全国初の乳児死亡率ゼロを達成した。環境厳しい岩手の片田舎で達成されたことは奇跡である。その地域医療実践の軌跡を観てみたい。
この映画は、並みいる国内・国外の映画を差し置いて鑑賞満足度第一位をとった。いのちというものをテーマにしていることから、私たち医療者・介護スタッフが見れば勉強になるだろうし、一般の市民の方たちもいのちの有難さを感じ取ることができるであろう。また、ぜひ政治家の方達にも観ていただきたい。
昔、田舎に大学病院より大きな病院があったら街が潰れてしまうと言われたことがある。しかし、現実には多くの雇用を生み、地域が活性化され、いのちの安全・安心につながっている。ビルの中にテナントを借りる診療所も夜になれば無医村となる都会よりも、救急車のたらい回しなどない安房地域の方が安心・安全である。そして、いのちが守られ、いのちが輝く、豊かな安房地域を創るには何をしなければならないのか、私たち市民が自分のこととして参画することを期待する。いのちに投資することは地域を元気にすることであり、未来へ通じる行為であることを強く主張したい。
つい先日、職員の結婚式に呼ばれた。その席で「利他」という言葉を幸せいっぱいのおお二人に贈った。「利」を「他」のひとのために提供することは、医療介護に従事するプロフェッショナルとして大切な魂である。私の診察机の前壁にも「忘己利他」という文字を飾っている。地域医療においては有名な言葉で、「もうこりた」と呼ぶ。
映画の主人公である深澤村長は、まさに己を忘れ村民のために利他を提供した実践の人である。59歳という若い歳で亡くなり、感動的な映画のラストシーンである雪降るなか多くの村民の迎えを受ける車の中で、深澤村長は「もうこりた」と言っているのだろうか。
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※映画「いのちの山河」上映会の詳細はこちら。
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立春の候、貴職におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、過日は大変お忙しいところ、当協議会の視察研修を受け入れていただき、誠にありがとうございました。一同を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
参加した会員も、安房文化遺産フォーラムの歴史遺産を活かした取り組みや、地域に対する効果を学び、さらには、館山市のコミュニティに関するお話も伺うことができ、有意義な視察研修であったと大変好評でありました。
当協議会といたしましても、今回の研修を通じて学んだことを、志木市でのコミュニティ活動やまちづくりのために活かしていきたいと思っておりますので、今後ともご教示、ご指導いただけますようお願い申し上げます。
安房文化遺産フォーラムの更なる発展を祈念申し上げますとともに、関係者の皆様方にもよろしくお伝えいただけますよう重ねてお願い申し上げ、お礼のご挨拶といたします。
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