お知らせ

【房日】100518*稲村城跡草刈り、協力者を募る


稲村城跡草刈り、協力者を募る

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館山市の稲村城跡を保存する会は、6月5日に城跡に主郭部分の草刈りを行なうことになり、協力者を募っている。毎年初夏と秋の2回実施しているが、今回は会員以外にも城郭を見てもらう機会にと、ボランティアとして募ることになった。当日は草刈り機、カマ、飲み物、タオルなどを持参。午前8時50分までに城跡東側上り口付近の空き地に集合。問い合わせは鈴木恵弘さん(22-6260)か金久ひろみさん(23-5769)へ。

(房日新聞2010.5.18)

【読売】100516*万石騒動史跡ツアー

歩いてしのぶ一揆義民の志

万石騒動史跡ツアー

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江戸中期に北条藩(館山市)で起きた農民一揆ゆかりの地を巡る「万石騒動・安房三義民ウォーキング」が23日、館山市内で行なわれる。今年は、処刑された三義民の「300年祭」にあたり、主催者は「郷土の歴史を守っていきたい」と話している。

騒動は同市北条に陣屋を置き、周辺27か村約1万石を支配した北条藩で起きた。藩政を預かった川井藤左衛門は元禄大地震(1703年)の復興を急ぎ、領民に過酷な年貢を続けた。

これに怒った数百人の農民らは正徳元(1711)年、江戸藩邸に押しかけ、老中にも直訴したという。結局、農民代表の湊村角左右衛門、国分村長次郎、薗村五左衛門の3人の名主が処刑され、藩主の屋代家は失政の責任を取らされて改易、川井らも処刑された。

農民側の勝訴で、これが北条藩廃藩の原因とされる。処刑された3人は「三義民」とたたえられ、処刑場跡地のある館山市国分寺には供養塔が建てられた。現地では毎年11月26日、三義民の命日祭を行なっており、50年ごとに記念法要が営まれている。

ウォーキングは午前10時から正午まで、供養塔、200回記念碑。刑場跡などを歩くコースで行なう。雨天決行。受け付けは同9時45分から、館野地区公民館前広場で。参加費は資料代として100円。岡田晃司・館山市教委主任学芸員が案内する。

11月20日に開く「300年記念祭」に向け、市民有志による万石騒動・安房三義民300年祭実行委員会は賛助金を募り、記念碑の建立を計画している。問い合わせは、NPO安房文化遺産フォーラム(0470-22-8271)へ。

(読売新聞2010.5.16)

 

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【房日】100514*万石騒動ウォーク

万石騒動ウォーク

解説付きでゆかりの地めぐる

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今年11月に館山市で行なわれる「万石騒動安房三義民300年祭」を市民にPRし、取り組みへの機運を高めようと、同祭実行委員会(佐野邦夫委員長)が23日、三義民ゆかりの地をめぐる「万石騒動・安房三義民ウォーク」を開催することになった。

当日は午前9時45分に館野公民館に集合。10時にスタートし、国分寺の三義民供養塔や200回忌記念碑、滝川用水路、三義民刑場跡などを約2時間かけて歩く。館山市の歴史に詳しい岡田晃司さん=市生涯学習課主任学芸員=が講師となり、ウォークに同行。江戸時代に起きた農民一揆「万石騒動」の経過や背景を、現地に残る史跡の前で解説するという。参加費100円(保険・マップ資料代)。実行委では「この機会に、ぜひ万石騒動の痕跡を訪れてみませんか」と市民の参加を呼びかけている。

ウォークは館山市文化財保護協会、NPO法人安房文化遺産フォーラムも共催。問い合わせは同フォーラムファクス(0470-22-8271)へ。

 

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【房日】100509*市部瀬の惨劇、生々しい証言次々と

鋸南、生々しい証言次々と
65年前の「市部瀬の惨劇」
平和願い現地に60人集う

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友人が、同級生が、親戚が乗っていました——。65年前の5月8日、鋸南町下佐久間字市部瀬であった米軍機による列車への機銃掃射事件を忘れず、恒久平和を願おうという集いが8日、同所のJR内房線沿線であり、60人が惨劇の現場で献花、焼香した。地元有志らが、本紙記事を通じて当時の列車乗客にも参加を呼びかけたところ、高齢を押して駆けつけた人もいた。会場では民間人が犠牲になった惨劇が語り継がれ、参加者は平和への思いを新たにしていた。

事件は、1945年(昭和20)の5月8日午前11時50分に起きた。米軍機P51は、太平洋上から九十九里方面を経て、100機ほどが飛来。千葉市や木更津市を襲撃した後、38機が館山方面へ南下した。「千葉県の歴史」(平成12年、県発行)は、この日の空襲被害で、県内で死者41人、重傷者51人、軽症者52人、全焼家屋49、半焼家屋6——とまとめている。

房総西線(現内房線)の列車を襲ったのは、このうちの3機。波状攻撃を繰り返し、低空で列車に機銃掃射を加えた。乗客は死者13人、負傷者46人を数え、この日の空襲では県内最大の被害となった。

今年がその「市部瀬の惨劇」から65年になるため、地元の「明日の鋸南町を考える会・子どもの未来に平和を実行委員会」(安藤恵美子代表)が、現地での献花と焼香を呼びかけ、当時を知る人たちに語ってもらう会を開催した。

この日、会場の勝山ドライブインに集まったのは、60人。最初に線路わきで献花、焼香し、ドライブイン内で体験談を聞いた。

現場近くに住む川崎信さん(80)は、当時15歳。幼い妹たちを迎えに行こうとしたとき、空襲警報を聞いた。P51はバリバリと列車に機銃掃射を加え、乗客は逃げ惑った。近くの民家から火の手が上がり、悲惨な光景となった。

館山市竹原の農業、近藤好雄さん(86)は、志願して少年飛行兵となり、九州の部隊にいた。当時22歳。この日は外泊の許可が出て、館山へ向かうためこの列車に乗り合わせた。機銃の弾丸が左腕に当たった。勝山病院で治療を受けた。

このほか、敵機に向かって逃げて助かった87歳の男性、当時小学5年生で、小3の弟と乗り合わせた女性、列車の下に隠れて助かった81歳の男性など、当時の乗客の証言も次々と出た。

献花の現場では、杖や松葉杖の人もいて、65年の歳月が関係者に重くのしかかっていることがまざまざ。有志のメンバーらは「市部瀬の惨劇を後世に語り継がなくては、この戦争が風化してしまう」などと、ふるさとで起きた戦争の一端を伝え、恒久平和への決意を新たにしている。

(房日新聞2010.5.9)

【房日】100504*=医療・まちづくりシンポ〜パネル討論要旨②

(房日新聞2010.5.4付)

医療・まちづくりシンポ
〜パネル討論発言要旨(下)

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館山市の南総文化ホールで4月28日行なわれたシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」での、パネル討論参加者の発言要旨は次のとおり。

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■高野良裕氏(前館山病院院長)
〜皆が動かないと変わらない

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小児科の循環器が専門で、40歳まで国立小児病院(東京)にいた。ある時九州の町で、私は九州の出身ですが、子どものころとまったく違った様子にはっとした。田舎が変わっている。それで田舎の医者になった。

都会にいる時には(医者は)疾患から入る。だが田舎にいると、地域からモノが見えてくる。地域を持っていない人間たちが今、医者の中にもたくさん出ている。医療を語るときに「あなたは何科? なにが専門なの?」ということしか語れないドクターが圧倒的に多くなっている。

私は今新潟にいるが、先日東京・新橋で人と会った。人の流れに圧倒されて「都会には勝てないな」と感じた。だけど、どこかで勝たなければならない。目の悪い人や車いすの人は都会の生活に入れない。

今は都会に何でも取られてしまう。地方は過疎化し、老人しか残らない。医療政策もそう。それで困っている。

誰かのお金をあてにするよりは、自分たちでもう一回つくり直すことをしないと。

人口5万人に一つは看護学校をつくりたいという運動をしている。学費が120万円のうち60万円は市で負担してくれないだろうか。都会で疲れた人が、ちょっと安らぎながらここで看護師さんになる勉強ができないか。地元でホームステイをさせてあげるとか。力のあるこの地域だったら、まだまだできるのではと思う。

私の今いるところは、人口減が止まらない。この地域も、同じ運命になる可能性も十分ある。どこかでがらっと考え方を変えないとにっちもさっちも行かなくなるのではないか。どんなリーダーがいても皆が動かなければ何も変わらない。

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■福留強氏(聖徳大教授)

〜行政頼らず市民の力で

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東京は3日空けず鉄道の人身事故がある。自殺者が年3万人を超す不安社会。コミュニティがなく、相談相手がいない状況もある。館山は地域のことをよくやっている地域だと思う。きょうは提案が3つある。

一つは、市民の力でなければどうにもなりませんよ、ということ。行政にはカネがない。「これをして下さい」というのは絶望的。しないほうがいい。

最近福島県の矢祭町に行ってきた。「合併しない宣言」した町。図書館をつくったが、本がない。「私たちにはカネがない。余っている本を下さい」と全国に呼びかけた。今44万冊ある。住民の知恵だ。波及効果も出てきた。本を寄贈した人が町を訪れる。「死んだ息子の本を贈ったが、その様子をみたい」とやってくる。本の整理はボランティアがやる。全国から視察がひっきりなしだ。

鹿児島県鹿屋市に柳谷という「限界集落」がある。住民総出で確保した財源を基に教育や福祉を充実させ、注目を浴びている。休耕地にサツマイモを植え、焼酎をつくって、全世帯に1万円ずつボーナスを出してもいる。これが住民の知恵が成果を挙げた例だ。

二番目のキーワードは「創年」。老人とか高齢者というのはないと考える。常に現役。年齢を7掛けにしよう。70歳の人は今後、自分を49歳にして下さい。もうかった分は地域のために働いて。生きがいと目標を持つことが大事だ。

三つ目は、学ぶ風土。市民が学習しないと話にならない。何が問題で、何をしなければならないか。行政には何をしてもらえばいいのか。自分たちのできることは何なのか。意識しなければダメ。人口数百人しかいない柳谷集落に他の国から視察が来る。10万人いようと、しょうがない人ばかりだったらしょうがない。

お互いに学び合う、伝え合う、できることはする。一言でいうと始めないと始まらないということです。

(おわり)

【房日】100502*医療・まちづくりシンポ〜パネル討論要旨①

(房日新聞2010.5.2付)

医療・まちづくりシンポ
〜パネル討論発言要旨(上)

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館山市の南総文化ホールで4月28日行なわれたシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」での、パネル討論参加者の発言要旨は次のとおり。

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■松永平太氏(松永医院院長・安房医師会理事)
〜看護大学に住民の支援を

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「いのちの山河」はとてもいい映画だった。加藤先生(注・シンポジウムで基調講演をした旧沢内村の加藤邦夫医師)が50年前にやられていたころが良く理解できた。安房地域も、住民検診が発達した地域と言われている。それは先人のドクターたちが沢内村に行って学んで、持ち帰ったと聞いている。

安房地域では亀田(メディカルグループ)さんがあることで、日本一安心、安全な地域だと思っている。東京では診療所がいっぱいあるが、9時から5時まで。夜は無医村。新聞に載るような救急のたらい回しは安房地域にはない。亀田さんが必ず診てくれるからだ。

問題はやはり看護師不足。安房医師会としても行政に対し、看護師になりたい人に奨学金をだしてくれと要望している。亀田さんも看護学校をつくろうとしているが、膨大なお金が必要。亀田信介さんや省吾さんは「ヒラメ」のような人。いつも上だけ、理想だけを見て、経営が厳しくても「人が大事だ、教育が大事だ」とお金をつぎ込んできた。それで全国からお医者さんが集まる優秀な病院になった。

だが看護大学は壁にぶつかっていると思う。住民が寄付をして、看護師養成に力を尽くしてほしい。安全と安心のある地域で、この50年後、100年後をどうしていくのか、住民とともに考えたい。

いい地域医療をやろうというのは、まちづくりや文化づくり、風土づくりにつながる。よそ者である「風の人」、地元の「土の人」がつながって風土がつくられる。そういう社会をみなさんとつくっていきたい。



■愛沢伸雄氏(安房の地域医療を考える市民の会呼びかけ人)

〜先人のような知恵出そう

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館山に来て30年になる。20年前に「かにた婦人の村」と深津文雄牧師に出会ったことがきっかけで、文化財保存運動を進めてきた。医療も文化遺産で、大変な人々の知恵や力が投入されてきたことを知らなければいけないと思う。

加藤先生の話を聞いて意を強くしたのは「課題を明確にして、今の問題は何かをきちっとつかまえる」と言われたこと。沢内村が抱える問題は全国どこにもあったが、なぜ沢内村が成功したかというと「対話、話し合い」があった。村長が人の意見に耳を傾けた。

この地域で、ちょっと残念なのは「どうにかなっぺよ」という感じ。この程度でいいやと。問題にかかわると、変人扱いされかねない。

ただ、この「どうにかなっぺよ」も、食べられる地域をどうにかつくってきたことの裏返しなのかもしれない。地震や災害が多い地域だが、そんな中でどうやって食べられるシステムを先人たちがつくってきたか、個人的にも興味がある。

地域医療の問題点是正にはお金もかかるし困難も大きいが、この地域には解決する力があると思う。それが全国のモデル的なものになればいい。

この地域は公立病院がなくてもやってきたし、みんなでお金を出し合って病院を作ってきた地域でもある。学校もそうだ。地域の持っている特性を分析し、どうやったら先人のような知恵を出せるかを考えたい。

もう一つ。この地域は人々が力を合わせて30年以上コミュニティという組織を運営している。他にはない優れた組織形態だと思う。綜合検診の推進にもかかわっている。今こそ安房の人が大同団結し、医師と住民が力を合わせて困難を乗り越えていきたい。

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(つづく)

5/8=勝山の空襲現場で献花をしましょう

戦跡をたずねて〜65年前の惨劇を知っていますか。


戦時中、安房勝山駅発11時50分の下り列車が市部瀬にさしかかったところで、米軍の機銃掃射を受けたのは、1945(昭和20)年5月8日のこと。3機のP51戦闘機が波状攻撃を繰り返し、死者13名、負傷者46名の犠牲者を出しました。その現場へ行き、当時を偲び、献花をしたいと思います。


【日程】2010年5月8日(土)11〜14時

【場所】勝山ドライブイン駐車場11時集合

11:10歩いて現場へ行き、献花

12:00勝山ドライブインにて昼食(各自負担)をとりながら体験談を聞く

【参加費】無料


【主催】明日の鋸南町を考える会、子どもの未来に平和を実行委員会(代表:安藤恵美子)

【房日】100430*旧沢内村の加藤医師講演

館山で医療シンポ、旧沢内村の加藤医師講演

「健康教育で生きがい社会を」

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地域医療をめぐる問題を含め、今後のまちづくりのあり方を考えるシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」(安房の地域医療を考える市民の会主催、安房医師会共催)が28日夜、館山市の南総文化ホールで開かれた。

岩手県の旧・沢内村(現・西和賀町)で故・深沢晟雄村長とともに「生命尊重行政」を進めた加藤邦夫医師(79)が約200人の聴衆を前に基調講演。「高齢者が生涯現役で働ける、生きがいのある社会」実現のため、「住民自身が医療・健康についての知識を高め、医師は住民への健康教育を重視することが大切だ」と語った。

加藤氏は昭和35年、「豪雪・貧困・多病多死」に悩む沢内村に赴任。その翌々日に「吐血した人がいる」との連絡で往診に出たが、現場には除雪されていない道を2時間歩いて行かねばならず、到着すると既に患者は死亡。山間地域の厳しい現実を目の当たりにした。

「当時医療費は50%患者負担。病人はごろごろいたのに、経済的な理由で医者に行かない人が多くいた」。こんな事情を背景に、沢内村は乳児と60歳以上の医療費全額負担を決断。加えて健康増進・疾病予防対策を重視した「包括医療」を推進し、昭和37年には全国初の乳児死亡率ゼロを達成した。

加藤氏は講演で、全額公費負担で一時的に医療費が増大して国民健康保険料が上がったものの、村民の疾病率が減少したことで、後に保険料は下がったと指摘。また、高血圧の受診体制を充実させることで、脳卒中の患者が減少したことを紹介し、「予防に力を入れれば医療費は減っていく」と強調した。

深沢村長の功績については「口だけで理想を語るのではなく、実際に財政措置をした。村の自主財源はわずか10%ほどだったが、村長はその大半を医療・健康対策に投入した」と語った。

シンポでは「癒しのまちづくりの夢を語ろう」と題したパネル討論も実施。松永平太・松永医院院長、愛沢伸雄・安房の地域医療を考える市民の会呼びかけ人代表、高野良裕・前館山病院院長、福留強・聖徳大学教授の4氏が、それぞれ看護師不足問題や高齢化する社会への対応策などについて発言した。

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=パネル討論の内容は、発言要旨を後日掲載する予定です=

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(房日新聞2010.4.30付)