お知らせ

【房日】100410*医療者育成考えるシンポ

(房日新聞2010.4.10)

医療者育成考えるシンポ 鴨川 18日
学校法人「鉄蕉館」
看護大学の開学に向け

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鴨川市に看護大学の開学を目指す亀田病院系列の学校法人「鉄蕉館」(亀田省吾理事長)は、地域における医療者育成を考えるシンポジウムを18日午後1時30分から4時30分まで、同市民会館で開く。無料で、問い合わせは鉄蕉館大学開設準備室(04—7099—1211)へ。

安房4市町と県、安房医師会、県看護協会、房日新聞社などの後援で、タイトルは「目指せ健康長寿日本一」。看護師や介護士らの人材不足が予想される中、将来に向け取り組むべき医療者育成対策を専門家に聞き、合わせて仮称「亀田医療大学」のビジョンを理解してもらおうという。

プログラムは、亀田理事長が亀田医療大についての説明を交えあいさつ。「幸せな長寿社会に向けたわが国の国家戦略」と題した基調講演と、3人のパネリストによる「地域における医療者育成を考える」のシンポが続く。

講演するのは、「教育や医療など、社会サービスに関する公共政策の構築」をライフワークとする文部科学副大臣の鈴木寛氏。東大法学部を卒業後、通商産業省に入省。シドニー大学、慶応義塾大学助教授などを経て現職。「中央省庁の政策形成過程」など多数の著書がある。

一方のシンポは、鴨川市の長谷川孝夫教育長が座長。市川保健所長(前安房保健所長)の久保秀一氏が「高校生に向けた『医療者になろう』キャンペーンの実際」、元総務省官僚で東大医療政策人材養成講座の医療基本法プロジェクト・リーダーの小西洋之氏が「疲弊している地域の医療福祉を守るために(国家行政の視点で)」、亀田総合病院の亀田信介院長が「安全、安心と地域振興(医療機関の立場から)」のタイトルで語る。

【房日】100408*館山の教育旅行実績

(房日新聞2010.4.8付)

教育旅行 21年度は50校受け入れ 館山

豊富なメニューで年々増加

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地域資源を活用した体験観光を目玉に、教育旅行の誘致に力を入れる館山市の21年度実績がまとまった。受け入れた学校数は、昨年より4校増えて50校を数え、無人島探検やビーチコーミング、田植え体験など豊富なメニューに、延べ6007人(前年比1757人増)の子どもたちが「館山」を体感した。

5月の連休明けから夏休みが始まるまでの端境期に、中学・高校による教育旅行のニーズは高く、限りある予算の範囲内で体験観光を通した学習旅行を求める学校側の思惑と合致。市内でもNPOや業者の協力で、里海や里山を利用した豊富な体験メニューもそろうようになり、6年ほど前から同市の教育旅行受け入れが本格化した。

以来、16年度が12校、17年度38校、18年度は42校と年を追うごとに増加。とりわけ関西・中京方面からのディズニーランドとセットにした修学旅行が多く、最近は東北エリアや首都圏の学校が学習旅行に訪れるケースも目立ち、受け入れ施設もペンションやホテルから民宿も加わるようになってきた。

21年度の状況によると、月別受け入れ数はやはり6月が10団体で最も多く、次いで5月の7団体、4、10月の5団体と続く。体験プログラムの人気ランキングでは、やはり海の館山を象徴する海辺の自然観察・ビーチコーミングが1271人とトップで、平和学習体験の908人、砂山滑り体験528人、房州うちわづくり407人、田植え体験338人の順となっている。

すでに、今年も今月14日から受け入れがスタート。前年を上回る予約状況となっており、「教育旅行のニーズはまだまだ高いです」と窓口となっている体験交流協会では話している。

4/24=青木繁が《海の幸》を描いた館山の漁村を歩こう

■青木繁が《海の幸》を描いた館山の漁村を歩こう。

【日時】平成22年4月24日(土)9:30〜12:00

【参加費】:200円 (小谷家保存のための寄付と保険料を含みます)

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近代絵画のさきがけとなった《海の幸》は、明治37(1904)年に房総半島最南端の小さな漁村(布良・相浜)で誕生しました。作者・青木繁(1882-1911)はこよなくこの地を愛し、日本を代表する作品を描き、同行した福田たねと情熱的な恋をして、第一子・幸彦(後の福田蘭童)を授かりました。28歳で波乱万丈な人生を終えた繁をしのび、没後50年には太平洋を見下ろす高台に《海の幸》記念碑が建立されました。繁が滞在した布良の小谷家住宅は今なおかつての姿を残し、昨年秋には館山市指定文化財となりました。来年は「青木繁没後100年」を迎えるにあたり、現在、地元の富崎地区コミュニティ委員会とNPO法人安房文化遺産フォーラムが中心となって設立した「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が館山市や全国の美術関係者らとともに、この歴史的な環境を後世に残そうという活動をおこなっています。かつて若き画家が情熱的に恋をして絵を描いた漁村を旅行者気分でガイドとともに歩いてみませんか。

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【集合】 9:30 富崎地区公民館

【コース】 布良崎神社…小谷家住宅(館山市指定文化財)

…「海の幸」記念碑…阿由戸の浜…駒ケ崎神社

…「安房節・鮪延縄漁発祥」碑

【主催】 富崎地区コミュニティ委員会

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

【協力】 NPO法人安房文化遺産フォーラム

【房日】100401=漁村の食「おらがごっつお富崎」

漁村の食65点を記録

「おらがごっつお」富崎版刊行

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国土交通省のモデル事業として館山市富崎地区の「まちづくり・まち起こし」をすすめているNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、このほど地区に伝わる漁村の献立65点のレシピなどを収録した冊子「おらがごっつお(わが家のごちそう)富崎」をまとめ、地区の約500戸に全戸配布した。

「みずなます」「ナマダ(ウツボ)の塩焼き、から揚げ」「ゴンズイの味噌汁」など、地元の人にはおなじみの料理のほか、「しょだき(塩汁)」「ブダイのづけ寿司」など、富崎地区ならではのメニューも収録。

いまでは、地区でもほとんどつくられなくなった「しょがつ」(カツオの干物のようなもので保存食として正月の神棚に飾る風習があった)の作り方、古くから祝いの席で述べられる「ほめ言葉」や、地区の年間行事も収めた。地元食文化の調査は、市民グループ「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」などが実施。布良、相浜で回覧版を回してアンケート協力を呼びかけ、聞き取り調査を行なった。

調査担当者によると、「ひっくりかえりなます」(ジンタアジの皮を残し、ゼイゴがついたまま仕上げたなます)など、布良ではつくられているのに隣の相浜ではなじみのない料理も見つかったという。

冊子はA5判白黒64ページ。部数が限られているが、600円(税込、送料別)で販売する。希望者は住所と氏名、冊数を記入の上、ファクス(0470-22-8271)じゃ電子メール(awabunka@awa.or.jp)で同フォーラムに申し込みを。冊子の内容は同フォーラムのウェブサイトにも順次掲載される。

(房日新聞2010.4.1付)

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レシピ集「おらがごっつお」の内容はコチラ

上段メニューバー「新たな公」に収録。

4/28=癒しの海辺のまちづくりシンポジウム

まちづくりシンポジウム2010

癒しの海辺のまちづくり

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【とき】平成22年4月28日(水) 午後7時〜8時45分

【ところ】千葉県南総文化ホール小ホール

【参加費】500円

【前売券取扱】南総文化ホール、安房医師会協賛病院

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■ 第一部 基調講演 ■

映画『いのちの山河〜日本の青空Ⅱ』 の医師が語る

「自分たちで生命を守った村」

【講師】 加藤邦夫 医師

「貧困・豪雪・多病多死」の三重苦を克服した岩手県沢内村のまちづくりは、全国的に知られ、安房地域でも総合健診導入時に医師会が視察をおこないモデルとしている。1960年に国保沢内病院長に就任した加藤医師は、当時の故深沢晟雄村長が掲げた「生命尊重行政」の中核的な担い手として、健康台帳の整備や予防活動などに15年尽力し、60歳以上と乳児の医療費無料化を実現。さらに全国で初めて乳児死亡率ゼロを達成し、一人あたりの医療費を県内最低額に抑えることにも成功した。現在、仙台徳洲会病院で人間ドッグを担当する現役医師、79歳。

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■ 第二部 まちづくりシンポジウム ■

「癒しのまちづくりの夢を語ろう!」

◇松永平太さん

…夢を追い続ける安房の若き“赤ひげ先生”。

◇愛沢伸雄さん

…安房の歴史遺産を守ってきた道産子。医療を考える市民の会呼びかけ人。

◇高野良裕さん

…離島や豪雪地域で住民と医療まちづくりを実践してきた前館山病院長。

◇福留 強さん

…全国の生涯学習まちづくりブームの仕掛け人。聖徳大学教授。

◇コーディネーター=池田恵美子さん

…安房の魅力を語らせたら止まらない(!?)名プレゼンター。

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*主催=安房の地域医療を考える市民の会 (問合0470-22-8271)

*共催=安房医師会

*協力=NPO法人安房文化遺産フォーラム、NPO法人全国生涯学習まちづくり協会

*後援=館山市社会福祉協議会、南房総市社会福祉協議会、鴨川市社会福祉協議会 (予定)



※房日新聞2010.4.30付 ⇒ 記事詳細はコチラ

【千葉日報】100401*エコウォーク富崎

南房漁村の雰囲気満喫たてやまエコウォーク盛況

青木繁没後100年を記念

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南房の自然や文化、人情に触れながら散策する「たてやまエコウォーク」が館山市の平砂浦、布良、相浜地区で催された。県内のみならず、都内や横浜市などから34人が参加し、漁村の雰囲気を満喫した。

今回のエコウォークは、「海の幸」などで有名な明治期の洋画家、青木繁が滞在し「海の幸」を描いた市文化財にもなっている同市布良の小谷家住宅を巡った。ガイドを務めたNPO安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄理事長)は「青木繁没後100年事業のキックオフにしたい」と話す。今回の参加費の一部は小谷家の修繕・保存費として寄付された。

昼食に立ち寄った相浜では相浜漁協(天野光男組合長)が浜揚げ解禁直後の伊勢エビを用意し、サザエなどと海鮮バーベキュー。参加者らは「味付けなしでおいしい」と舌鼓を打った。例祭に当たっていた相浜神社では、伝統のおはやしに拍手を送った。

エコウォークは、地域のガイドと一緒に歩き、通常の旅行では見落としてしまいがちな文化や特徴を発見する「歩いて楽しむエコツーリズム」運動の一環で、日本エコウォーク環境貢献推進機構が進めている。館山市では市内のNPOや各種施設などが「たてやまエコツーリズム協議会」を結成して8コースを設定、普及に努めている。

(千葉日報2010.4.1)

【房日】100330相浜の太鼓〜エコウォーク

海へと響け、相浜の太鼓
小中生への稽古が復活
神社の例祭でお披露目

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館山市の相浜地区で、しばらく途絶えていた祭り囃しの小中学生への伝承が、この春6ねんぶりに復活した。

相浜神社境内の二斗田集会所で、今月6日から週2、3回のペースで稽古を続け、27日の例祭で成果をお披露目した。当日は、富崎一体で行なわれた「エコウォーク」(たてやまエコツーリズム協議会主催)の参加者約40人も勇壮なお囃しを鑑賞。大きな拍手を送っていた。

高齢化が進む同地区では、子どもの数が少なくなるなどさまざまな理由から、祭り囃しの稽古が中断。この状態が続くことを心配していた30代中心の「囃子方」有志が「伝統ある地元の文化が途絶えてしまう」と、区長や神社の氏子らに復活を強く要請し、地区の父母らに働きかけたところ、小中学生18人が「お囃しを習いたい」と集まった。

稽古は夜間。家族の都合がつかない日は囃子方のメンバーが子どもらを送り迎えするなど、全面的なサポート態勢も構築。「ばかばやし」「すが」「おかざい」「しょうぜん」「やぐるま」の5つのお囃しの習得に取り組んだ。

住民によると、相浜の「ばかばやし」は房州の他の地区にはないもので、テンポが非常に速いのが特徴という。

相浜の磯部勲区長は「子どもたちが生き生きとやってくれてうれしい。独特のお囃しだと思っており、これを絶やさず後世に残すのは重要だ」と話している。

(房日新聞2010.3.30付)

100328野田九条の会*富村友子さま

◎人と人の関係築こう、戦跡見学で平和への思い強く

3月28日、野田九条の会主催バスツアーは、参加者39名で館山の戦跡「赤山地下壕」「掩体壕」などを見学、安房地域の歴史を学んできました。戦争末期本土決戦に備え、7万人もの軍隊が配備され、米軍を迎え撃つ体制を整えていった地、第二の沖縄を想定していたとされた館山、実際米軍3,500人が上陸して来て4日間直接軍政が行なわれたという。その海岸にも行ってみた。その海岸の水にもぐって、「竹筒に火薬をつめ迎え撃つ訓練もしていた」という。

現地見学に先立ち、海を臨むホテルで安房文化遺産フォーラムの方から、安房地域の歴史を学んだ。古くから、海を通し韓国、中国などアジアの人々との交流があり、今も歴史を学び共生の精神を受け継いでいるという。国と国の関係ではなく、人と人の関係を築いていくことの大切さを学んだ一日でした。

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◎行ってきました、平和の文化を根付かせたい

南房総でイメージするのは、海そして花摘み。戦時中は花作り農家が「国賊」といわれ、種や苗を焼却させられたが、農民たちは秘かに種苗を守り、現在の花街道へと引き継がれました。

「これぞ、房総に息づく九条の精神」とNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さん。40以上ある戦争遺跡(戦跡)の背景やそれらが市民によってどのように守られたかを理解したうえで見学を、と一時間ほどの〝座学〟(説明会)がもたれたのです。「戦跡」を訪ね交流することは「平和の文化」を根付かせることで、観光地としてのマイナスイメージにならない〝ピースツーリズム〟ですと話されました。

今回見学コースになかった「噫従軍慰安婦」石碑など見るべきものが多く、別れに「何度でも来てください」と手を振るNPOメンバーの姿が印象に残りました。おみやげにポピーの花束をくださった「館山九条の会」の方々と懇談できなかったのは心残りです。

(西三ケ尾・柏木静江)

【房日:講演抄録】100325*愛沢伸雄「地域まるごと博物館」〜明治・大正期の文化交流

◎講演抄録

〝いま〟あるものを活かした地域づくりと「地域まるごと博物館」構想
〜明治・大正の館山における文化交流の一端〜

愛沢伸雄氏(NPO法人・安房文化遺産フォーラム代表)

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安房地域はどんな地域なのか。4つの顔を持っていると思う。第1は「房総里見氏と戦争遺跡」。古代から地政上、海上交易の面からも戦略的に重要な場所で、城なり軍事施設が置かれた。第2は「地震と復興」。第3は「地場産業・近代水産業」。3つの海底プレートが交わるまれな地域で、たびたび災害が発生した。だが、人々は農漁業を発展させて、それを乗り越えてきた。

第4は「癒しの地と転地療養」。明治期の館山は、結核などの療養地、保養地となった。

この安房歴史文化研究会で皆さんが研究してきたことを、どのようにまちづくりに活かしていくか。「地域を良くしていこう」というなら「地域を見つめ直し、考える」ことが必要。地域の地理的歴史的な特性を活かした生活・文化を掘り起こし、再生していくことが重要だ。

◇ ◇ ◇

館山が明治期に療養地・保養地となった理由は、この地で酪農や果物づくりなどが発達したこととともに、川名博夫(富浦生まれ、1864-1947)という人が東大でベルツ博士に学んで、転地療養を取り入れた館山病院を設立したことにある。資生堂創設者の福原有信(1848-1924)は館山の人で、長女が川名博夫に嫁いだ。東京銀座の資生堂ビルの中には、館山病院の営業所があった。関東大震災後は、資生堂が館山病院に出資している。

彫刻家の長沼守敬(1857-1942)は、パリ万博で金賞を獲得した大変な人物。東大にあるベルツ博士像も制作し、付き合いがあったという。突然引退して館山に移住した。長沼の持っていた碁盤の裏に、「南陽」の文字がある。坪野平太郎(号・南陽、1854-1925)と囲碁仲間だった可能性がある。

南陽は田村病院の「南陽会」、安房高の「南陽文庫」に名が残る人。東大を卒業し、転地療養で館山に来た。後に神戸市長や一橋大の学長になるが、全国に館山の転地療養を知らしめた重要人物。定年後は関東大震災まで館山に住んでいた。

民芸運動を起こした柳宗悦の兄悦多は、大正期に短期間安房中の柔道教員をしていた。彼は水産講習所卒が縁で、北条海岸に船2隻を所有している。柳兄弟の母は柔道で有名な嘉納治五郎の姉。安房中が水泳や柔道で全国トップクラスになったのは東京高師との関係が深いが、その東京高師の校長を長くやっていたが嘉納。どうも坪野南陽と嘉納は東大の先輩後輩で教育分野でもつながりがあり、南陽らが資金を出して安房出身の在京学生のための寮舎「安房育英舎」をつくる際に、嘉納は建物と講道館敷地内の土地を寄付したという。

福原有信の3男、信三(1883-1948)は千葉医専から米国に留学して薬学を学び、化粧品メーカーとして資生堂を大きくしていく。写真家でもあり、資生堂ギャラリーに多くの文化人を集めた。資生堂-館山病院というルートは、館山にとって文化の流入口の役割を果たした。

万里小路通房(伯爵・1848-1932)もキーマンの一人。明治天皇の側近だった人脈で、神祇官僚福羽美静を通じて栽培技術の第一人者福羽逸人を館山に招き、促成栽培をはじめている。また、長女伴子が佐倉藩主堀田正倫の夫人であったことから、堀田農事試験場とも関わり、通房の農業・畜産分野のネットワークは広かった。

近代水産業の先駆者・関沢明清とも、農商務省の調査会と担当の貴族院議員ということで関係がある。水産講習所高ノ島実験場の日誌などをみると、万里小路が農業だけでなく水産業にも関心を持っていたことが分かる。

アワビ漁で米国に渡った小谷仲治郎(1872-1943)は水産伝習所卒業で関沢明清とつながりがあり、後に安房郡水産会長を務めた人物。彼の妹が嫁いだのが画家の倉田白羊(1881-1938)。安房の小学校を回り、児童たちが自由画を描く美術教育を進めた。倉田は、版画家の山本鼎と深い交流を持ち、彼とともに日本の児童自由画運動で画期的な役割を果たした。

青木繁中村彝・倉田白洋・山本鼎などの著名な画家たちは、どういうわけか富崎を訪れている。青木繁の没後100年を機に、美術史的な地域の掘り起こしが大事ではないかと思う。

これらの知識人の交流事例については手元に資料があまりなく、痕跡が少ないので不明なことも多い。地域の方々からご協力をいただき、調査研究をしていきたい。

◇ ◇ ◇

本稿は、20日館山市コミュニティーセンターで行われた安房歴史文化研究会第4回公開講座の内容を抜粋、要約したものです。

【浄土宗新聞】100323*秋山巌が大巌院で作品展

■落下傘部隊ゆかりの地

版画家、秋山巌氏が作品展

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千葉県館山市の大巌院(石川龍雄住職)客殿で、1月19日から25日まで、版画家の秋山巌氏(88)の作品展が開催され、木版画や陶器など約50点が展示された。

太平洋戦争で、海軍落下傘部隊として館山で訓練をした秋山氏、復員後は棟方志功に師事し、種田山頭火の俳句やフクロウなどを題材に作品を描いている。

作品展は秋山氏の緒女町田珠実さんが、父親が戦争を体験した館山の地を旅したことが縁となったもの。期間中には秋山氏が大巌院で肉筆画の実演を、また、23日には同市内の南総文化ホールでトークショーも行なわれ、落下傘部隊の思い出や、死と隣り合わせだった体験談などが語られた。

(浄土宗新聞2010.3.23付)