「アンニョンハセヨ」韓国の子ら館山で交流
3日間、自然や歴史も満喫
(房日新聞2005年8月3日付)
韓国浦項(ポハン)市の子どもたちを招き、日韓両国の子ども同士の交流を図る「たてやま日韓子ども交流事業」が3泊4日の日程で行われた。韓国・浦項製鉄西初等学校の児童20人と引率教師ら総勢24人が館山市を訪れ、ホームステイをしながら地元の小学生15人と一緒に、同市の自然や歴史を学ぶ体験交流や音楽交流などを通じて、友情の輪を広げた。
日韓交流の歴史研究をすすめてきたNPO法人南房総文化財・戦跡フォーラム(愛沢伸雄理事長)を発起人とする同実行委員会が、日韓国交正常化40周年となる今年、日韓友情年2005」認定記念事業の一環として規格。日韓教育実践研究会顧問の石渡延男氏が同校との仲介役を務め、日韓両国の子ども同士の交流が実現した。
来日初日には、市内ホテルで歓迎パーティが行われ、舞踏家の里見香華さんの愛弟子である秋山琴美さん(小1)、高山采子さん(小6)、柴山歩美さん(中1)の3人が「荒城の月」などの日舞を披露。また、辻田実館山市長からは、来日した子どもたち1人ひとりに友好市民証が贈られた。
2日目は「ふるさと歴史探検」と銘打ち、うちわ製造業の丸山忠弘さんの指導で、房州うちわづくりを体験。韓国の子どもたちは慣れない手つきながらも1時間半程かけてどうにか完成。「難しかったけれど、いいお土産ができた」と満足した様子だった。
その後、城山山頂で地元の小学生と合流、「アンニョンハセヨ」「こんにちは」と双方の母国語であいさつを交わした後、手作り甲冑の試着体験や、茶室で茶道の手ほどきを受けた。午後からは、赤山地下壕跡や大巌院に建立されている、ハングルなど4か国後で「南無阿弥陀仏」と刻まれた「四面石塔」を見学。境内で両国の子どもたちの意見交換会が行われ、通訳を交えながら「お互いのことをもっと知ることが大切」「お互いの国の歴史や文化をもっと学びたくなった」などと意見を交わした。
実質最終日となる3日目は、NPO法人たてやま・海辺の鑑定団(竹内聖一理事長)の案内で、沖ノ島を探検。島内の植物観察やビーチコーミング、タカラガイのストラップづくりを体験した。
午後からは館山白百合学園に会場を移しての音楽交流。同学園の卒業生らで編成する白百合合奏団による太鼓の演奏で韓国の子どもたちを出迎えると、民族衣装をまとった韓国の子どもたちは、この日のために1か月練習してきたという韓国舞踊を披露。また、両国の子どもたち全員で舞台に立ち、「レッツゴー沖ノ島」を歌い上げた。
フィナーレでは、同実行委員でユネスコ保育園長の本多馨氏の音頭で、ユネスコで提唱されている「わたしの平和宣言」を全員で朗読。ユネスコ平和の鐘を鳴らしながら、両国の平和と子どもたちの末永い交流を誓い合った。
歴史が広げる友情の輪〜日韓友情年2005
Reflection and Friendship〜Japan-Korea Friendship Year 2005
韓国の児童が館山訪問、祖先の供養塔見学
平和の意義考える
(千葉日報2005.7.29付)
韓国の小学生20人が館山市を訪問、市内の小学生15十五人と、市内大網の大巌院に残るハングル文字の記された四面石塔見学などで交流を深めた。「たてやま日韓子ども交流事業」としてNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムが主催、館山市などの後援事業。
児童たちは浦項市の浦項製鉄西初等学校の4・5年生。
26日夕、引率の教師と共に館山市に到着した。
27日は船形地区でうちわ店を営む丸山忠弘さん(66)の指導で房州うちわの製作を学んだ後、城山公園内の茶室で館山市の児童たちが合流、館山の児童が「アンニョンハセヨ」、韓国の児童が「こんにちは」とあいさつ、甲冑(かっちゅう)の試着、茶道と日本文化を体験した。
午後からは大巌院で一六二四の江戸時代の初期建立の四面石塔を見学。塔の四面に漢字二書体、梵字、ハングル文字でそれぞれ「南無阿弥陀仏」と記されており、同NPOの愛沢伸雄理事長は「建立の理由は分かっていないが、豊臣秀吉の時代に連れられて来た朝鮮の人々の供養の意味があるとも考えられる」と説明し、子どもたちに平和の意義を問いかけていた。
児童らはきょう29日に館山市を後にする。
●脳裏に描く戦時の情景
〜千葉の高校生が館山の戦跡見学
(房日2005.5.31)
そこに住むからこそ伝えられる
地域の魅力や歴史の重み
(サンケイリビング2005.5.21付)
合唱組曲「ウミホタル」初演へ合唱団結成
70人参加し結団式 9月3日成果披露
(房日新聞 2005.4.12.)
館山湾のウミホタルと平和をテーマにつくられた合唱組曲「ウミホタル~コスモスブルーは平和の色~」の館山での初演を目指し9日、同市八幡のたてやま夕日海岸ホテルで、結団式と最初の合唱練習が行われた。
同組曲はウミホタルの神秘的な光と、戦時中に軍事用として採取された史実を知った東京都内に住む元教師の大門高子さんが作詞、ミュージカルなど数々の作曲を手掛けている名古屋市在住の藤村記一郎さんが作曲した。序章から第6章まであり、番外編もつくられ、9月3日に県南総文化ホールで初演のステージに立つ。
NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムの働きかけで元高校教師の船田正廣さんを委員長に初演実行委員会を組織し、一般から団員を募るなどして準備をすすめてきた。
この日の結団式には子供も含め約70人が参加。大門さんと藤村さんも訪れた。
結団式では、同フォーラムの愛沢伸雄理事長、船田実行委員長らがあいさつ。配られた楽譜を手に早速練習に入り、藤村さんらの指導でパートごとに分かれての練習などが午後4時ごろまで行われた。このあと、8月28日まで同ホテルや、文化ホールで13回にわたって練習する予定で、団員の参加もまだ受け付けるという。
【平和について考える】
「NPOで『いま』あるものを活かす地域づくりを」
NPO法人 南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長 愛沢伸雄
『MORGEN(モルゲン)』
2004/12/08発売号 (12月号)
◎新たな戦跡つくらない
…全国シンポ 願いをアピールに
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20日から千葉県館山市で開かれている第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会(主催・同千葉県実行委員会、戦争遺跡保存全国ネットワーク)は22日、全体集会を開き大会アピールを採択し閉会しました。
アピールでは、国や地方自治体によって史跡・文化財(指定文化財・登録文化財)となった戦争遺跡は九十六件に増加するなど、「戦争遺跡が21世紀に継承すべき国民の財産として広く認知された」とし、さらに国の追加調査や、自治体独自に史跡・文化財への指定を積極的に行うことを要望しています。
イラク戦争や憲法九条「改正」が主張される日本の現状に「強い危ぐを覚える」と表明。新たな戦争遺跡をつくらないことを共通の願いとして、「戦争遺跡保存運動への支援と参加」を呼びかけています。
シンポジウムでは「戦争遺跡保存運動の現状と課題」「調査方法と保存整備の技術」「平和博物館と次世代への継承」の分科会が開かれました。
市民運動による戦跡の調査・保存活動が行政を動かした地元・館山市の例など、自治体との共同で平和学習の拠点づくりを進める例が報告された一方、都市化や乱開発による戦跡破壊の進行や、国の「三位一体改革」で地方自治体の文化財保護予算の削減を危ぐする声も寄せられました。
全体集会では、作家の早乙女勝元氏が「平和の語り部としての戦争遺跡」と題して記念講演。「過去の戦争を弱者の立場で語り継ぐことが戦争を阻止することにつながる」と語りました。
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※しんぶん赤旗サイトはこちら。
◎女性の目から見た平和/千葉・館山
…行動する人の輪広げよう/戦争遺跡保存全国シンポ分科会
南房総で活躍する3氏が報告
20日から千葉県館山市で開かれている第八回戦争遺跡保存全国シンポジウムで21日、特別分科会「南房総平和活動シンポジウム」が開かれ、南房総地域で平和の問題で活躍する女性3氏が、自らの体験や活動を報告・交流しました。
報告したのは、環境・平和ジャーナリストのきくちゆみさん(鴨川市在住)、アイヌ布絵作家の宇梶静江さん(鴨川市在住)、婦人保護施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子さん(館山市在住)。
アメリカの「対テロ戦争」を食い止めようと日本とアメリカで活動するきくちさんは、米軍のアフガン爆撃のビデオを映写しながら「ブッシュ政権は『正確に爆撃』というが、実態はまったくのウソ。アメリカやそれに加担する国が垂れ流す情報をうのみにしてはいけない」と訴えました。
天羽さんは、戦前育った満州(中国東北部)が日本の「加害の地」だったことや、施設に入所していた一人の元従軍慰安婦の女性の勇気ある告白で「鎮魂の碑」が建てられた経過を紹介。「日本は加害の歴史にどうして痛みを感じないのか。過去を隠すことにきゅうきゅうとする国は変えなければなりません」と語りました。
宇梶さんは、アイヌへの差別の解消を行政に訴え、布絵の活動に至った人生の歩みを切々と語り、「就職や結婚で差別される同胞には、『アイヌのアの字が怖い』という人もいます。アイヌの神のシマフクロウを意味する布絵で、解放される道を示していきたい」とのべました。
最後にきくちさんは、「いま、教育基本法や平和憲法の改悪が日程にのぼり、戦争のがけっぷちにあります。シンポジウムをきっかけに、平和のために行動する人の連帯を広げたい」と呼びかけていました。
(2004年08月22日「赤旗」)