メディア報道

【房日】050902虹のかけ橋*寄稿③池田恵美子

 

「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」開催にあたり③

池田恵美子=NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長

房日寄稿①~③_印刷用PDF

● 子どもたちに平和を手渡そう

「戦後60年」の今年、諸団体と手をつなぎ、「南房総平和フェスティバル2005〜子どもたちに平和を手渡そう」というネットワークをつくってきました。

安房反核フェスティバル、安房地域母親大会、朗読劇『この子らの夏』…などなど、これまで地道に活動を続けてきたグループはじめ、その輪はどんどん広がりました。終戦記念日の「平和の集い」や、「安房・平和のための美術展」など多彩なプログラムが充実した夏でした。

この一連行事のクライマックスとして、9月3日(土)13時半より、南総文化ホールにて「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」(入場無料)をおこないます。

● ユネスコ精神を館山から発信

平和は世界恒久の願いです。教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないように、という意図で設立されたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という精神が謳われています。

国連本部をはじめ世界中に設置されている「世界平和の鐘」は、毎年9月の国連総会開会日(国際平和の日)に鳴り響いているといいます。

戦後まもなく、全国に先駆けて館山ユネスコ協会を立ち上げ、半世紀にわたってユネスコ精神を実践してこられた本多かおる先生が、今回の催しを「虹のかけ橋」と名づけ、実行委員長の任を引き受けてご尽力くださっていることを、この場を借りてご報告します。

● 韓国の子どもたちを迎えて

「平和フェスティバル」では、埋もれていた安房の歴史にもとづく、市民による草の根の国際親善事業に取り組んでいます。その一つは、「たてやま日韓子ども交流」でした。

今年は、韓流ブームの高まりに反比例するかのように、歴史認識のズレによる反日感情の高まりもありました。その影響で、日韓国交正常化四十年でありながら、記念交流行事の中止が各地で相次いだのです。

そんななか、韓国・浦項(ポハン)製鉄西初等学校の児童20名を館山に迎えられたのは、とても意義深いことでした。浦項と館山の子どもたちは、館山の歴史・文化を学び、音楽や自然体験を通じて、友情を深めました。

なかでも、館山の大巌院にあるハングルが刻まれた「四面石塔」の前で、両国の歴史を学んだ子どもたちからは、「もっとお互いの国を知って、仲良くしたい」という発言もありました。音楽会では、両国の言葉でユネスコ平和宣言が唱和され、「平和の鐘」の儀式もおこないました。

多くの市民や文化関係など諸団体のご協力のおかげで、子どもたちによる「善隣友好」に貢献することができました。

● 太平洋にかける橋

太平洋をはさんで位置する日本とアメリカ。指をさすように向かい合う房総半島とモントレー半島。友情と戦争。安房の海に生きるウミホタルとアワビ。…さまざまなキーワードで出会った人びとの想いは、「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」として結実しました。平和宣言都市・館山においておこなうこの催しは、地域から国際親善に寄与する小さな一歩です。

● 夢と希望を

100年前に、安房からアメリカへわたったアワビ漁師たちの話に、私はワクワクしています。

明治という時代に、どんな思いで、太平洋へ漕ぎ出したのでしょう。言葉も通じず、生活習慣も文化も違う異国の地で、どのように信頼を得て、ビジネスを成功させていったのでしょう。そして何より驚いたのは、アワビの大きさです。人の顔より大きなアワビのステーキって、どんな味なのでしょう。興味は尽きません。

不安な要素の多い現代、安房の先人たちの歴史は、私たちに夢と希望を与えてくれています。同時に演奏される館山発祥の合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』も、聞くたびに感動し、心が温かくなります。私は、このワクワク感をたくさんの人と分かちあいたいと望んでいます。

当日は、『太平洋にかかる橋〜アワビがむすぶ南房総・モントレー民間交流史』の冊子と『ウミホタル』の楽譜を、特別価格500円で頒布いたします。ご来場をお待ちしています。

⇒ 寄稿連載①愛沢伸雄2005.8.31付
⇒ 寄稿連載 ②船田正廣 2005.9.1付

案内チラシ
【房日】050901虹のかけ橋*寄稿②船田正廣

 

「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」開催にあたり②

船田正廣=合唱組曲『ウミホタル』初演実行委員長

房日寄稿①~③_印刷用PDF

ウミホタルは小さい、その子どもたちはもっと小さい、しかし、3億年も光り続けてきたという。館山の生きた化石、生きた文化財と言える。ウミホタルが光る色は精いっぱいで美しい、だが、なんとも名状しがたい。作詞家の大門高子さんは、それを「コスモブルー」と言いきった。世界中の色名帳にも無いと思うが、みごとである。

● 合唱組曲『ウミホタル』誕生

そのウミホタルが、戦時中、子どもたちによって採取されていたということを、私は知らなかった。地域史の研究をしている愛沢伸雄さんが、旧制安房中学の日誌のなかで「海蛍採集」という記載を見つけたことから調査をすすめ、その事実を明らかにしてきたという。この10数年、館山にある戦争遺跡の調査をコツコツと続け、「館山海軍航空隊赤山地下壕」の一般公開と史跡化を実らせた立役者である愛沢さんから、昨年秋の市民音楽祭の会場で声をかけられた。

「船田先生、ウミホタルの合唱組曲が出来たんです。館山で初演をやりたいんですが、力を貸してもらえませんか」と言う。

聞けば、NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムの戦跡ツアーに参加し、ウミホタルに感動した音楽家によって、2年がかりで誕生した歌だという。そのとき、情熱的に語る愛沢さんから、1冊の楽譜を手渡された。

作曲は藤村記一郎さん、有名なミュージカル『ぞうれっしゃがやってきた』の作曲家だ。表紙をめくると、序章『夕日の海』に始まり、第1章『ウミホタルの光』、第2章『戦争へのシナリオ』、第3章『子供たちの小さな戦争』、第4章『戦場のウミホタル』、第5章『宇宙(そら)の子守唄』、第6章『光の海』、そして番外編『レッツゴー沖ノ島』…と続く。家に帰って、素人ながらひと通りハミングしてみる。うん、なかなかいい感じだ。

● 初演に向けて

最後に記されている作曲者のメッセージを読んだとき、心が動いた。静かな入江の砂浜の海、とりわけ館山に多く棲息するウミホタルの放つ光を実際に体験した音楽家から生まれたこの名曲は、館山で初演するのが最も相応しいと強く感じた。微力の我が身をかえりみず、初演実行委員長という大役をお引き受けしていた。

初演日は2005年9月3日と決まった。合唱指導者の本橋朋子さんと一緒に、音楽関係者へ賛同を呼びかけて回った。願いが届いたかのように、まず9名の音楽指導者を含む23名の市民が名乗りを上げてくださった。次には、館山音楽鑑賞協会の本多かおる先生が副実行委員長として、若輩の私を支えてくださった。その後、さらに合唱団員を募集したところ、4月の初練習には約80名(内、子どもたちが26名)も集まった。

月に2回の練習のたびに知らない顔が増え、現在108名になっている。「合唱は初めて」という人も少なくない。普段着の気分で参加できる合唱団、市民が主役の手づくり合唱団、これが合唱団『ウミホタル』の魅力かもしれない。

● 響け、ウミホタルの心

いよいよ初演本番までカウントダウンが始まった。これまでにもはるばる名古屋から練習指導に来てくださった藤村先生が、当日の指揮をとってくださるという。なんと光栄なことだろう。全国に先駆けた『ウミホタル』の初演には、鴨川混声合唱団、合唱団プリマベーラ、千葉愛合唱団、紫金草合唱団なども駆けつけて、友情出演してくださることになっている。総勢181名の大所帯だ。

初演は、9月3日(土)13時半より南総文化ホールで行なわれる「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすんだ日米交流」の第1部として上演する。アメリカからこの日のためにおいでになる42名の皆さんは、『レッツゴー沖ノ島』を日本語で練習してきて、一緒に歌いたいと言っている。まさに、太平洋にかかる「虹のかけ橋」である。入場無料なので、ぜひ、多くの皆さんにご来場いただきたい。

⇒ 寄稿連載①愛沢伸雄2005.8.31付
⇒ 寄稿連載③池田恵美子2005.9.2付

案内チラシ
【房日寄稿】050831虹のかけ橋①愛沢伸雄

 

「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」開催にあたり①

愛沢伸雄=NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長

⇒ 房日寄稿①~③_印刷用PDF

私たちNPOはこの地の魅力を掘り起こし、「いまある」ものの歴史・文化を活かしたガイド事業を通して、「平和・交流・共生」の理念が生きる地域づくりを目ざしています。

その想いを共感する人びとの出会いによって、安房の宝であるウミホタルとアワビに隠された歴史が明らかになり、いま、新しい地域文化が生まれようとしています。

それは、「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」として実を結ぶことになりました。館山発祥の合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』の初演コンサートを第1部、サンディ・ライドン氏(カブリオ大学名誉教授)によるスライド講演「太平洋をわたった房総のアワビ漁師たち」を第2部として、9月3日(土)13時半より南総文化ホールで開催します。

●合唱組曲『ウミホタル』

戦時中、館山の子どもたちは軍事目的のために、ウミホタルを取らされていました。館山の海に輝く小さな生物にまつわる平和祈念の合唱組曲が、作曲家藤村記一郎氏と作詞家大門高子氏から、私たち市民にプレゼントされました。

この楽曲に心を動かされた百数十名が合唱団を結成し、初演に向けて練習に励んできました。21世紀にふさわしい平和の贈り物として、安房の地から世界に発信していくことを私は願っています。

●60年前の9月3日

1945(昭和20)年、東京湾上のミズーリ号で降伏文書調印式が行なわれた翌9月3日、約3,500名のアメリカ占領軍が館山へ上陸しました。この上陸シーンの写真は、私たちNPOが作成したガイドブック『戦争遺跡』の表紙になっています。

昨年、館山市在住の溝口かおりさん(英会話講師・通訳)を通じて、この冊子を受け取ったライドン氏は、

「アメリカでは、8月15日と9月2日で戦争の歴史は終わっている。私の研究テーマに関わる南房総の館山に、アメリカ占領軍が上陸したということは知らなかった。この知られていない歴史的出来事から60年目にあたる2005年9月3日に、戦後日本のスタートとなった館山で、平和を考える集いを日米合同でやれないだろうか」

というメッセージを私たちに伝えてきました。この申し出により、今日の催しが生まれました。

● アワビがむすぶ日米交流

明治期に、小谷源之助・仲治郎兄弟たち安房のアワビ漁師たちは、この地からカリフォルニア・モントレーにわたりました。ライドン氏はその研究をしている歴史学者ですが、日本でも館山市在住の水産学者大場俊雄氏が約40年前から同様の研究をしています。

近年では、安房の人びとによって、さらに調査が進められ、新しい資料や写真が発掘されてきました。戦時中、アメリカでは日系人が強制収容所に隔離された際に、写真や手紙などは廃棄、焼却されてしまい、ほとんど残っていないそうです。打合せのために来日したライドン氏は、安房に残る貴重な資料や写真を見てとても驚いていました。

戦争によって一度は途切れた日米民間交流が、いままた新たに始まりました。同じ想いを分かちあった仲間たちによって、冊子づくりが進められています。また、資料パネル展も、たてやま夕日海岸ホテルで開かれています。

今回、ライドン氏とともに42名の人びとが来日し、安房に4泊、京都・奈良に8泊、安房に再訪し4泊します。ともに「地域の歴史から世界をみる視点」をもつ私とライドン氏は、お互いの地域を学び合うことの重要性と可能性について話し合いました。

一行は、アワビダイバーのふるさと白浜・千倉、館山の戦争遺跡やハングルの刻まれた「四面石塔」、八幡祭礼、鴨川の大山千枚田、鋸南の鯨塚…などを見学し、南房総と世界のつながりや日本の歴史・文化を学ぶ予定です。

● 太平洋にかかる橋

9月3日には、カリフォルニア生まれの堂本暁子千葉県知事とライドン氏が、国境を超えた相互理解と友好の歴史を築いた先人に学び、新しい国際交流のあり方を語り合います。

「戦後60年」の今夏、この日米交流が、安房の地から太平洋にかける新しい橋となることを願い、多くの皆様のご来場をお待ちしております。入場は無料です。

⇒ 寄稿連載 ②船田正廣 2005.9.1付
⇒ 寄稿連載③ 池田恵美子2005.9.2付

案内チラシ
【毎日】050831=平和の組曲合唱〜軍事利用されたウミホタル

平和の組曲合唱
〜懐中電灯の代替に軍事研究されたウミホタル
…秘話題材に来月3日館山市民ら

(毎日新聞2005.8.31付)

戦時中の千葉県館山市で、青白く光るミジンコの一種「ウミホタル」の光を本土決戦の夜間戦の明かりに利用しようとした秘話を題材に、合唱組曲「ウミホタル~コスモスブルーは平和の色」が完成した。歌は終戦直後に連合国軍が館山に上陸し、軍政を始めた9月3日にあわせて同市の県南総文化ホールで披露する。

体細胞中の物質が海中の酸素と反応して発光する体長約3ミリのウミホタルは、太平洋戦争末期に懐中電灯の代替として軍事利用が研究された。館山市では子供たちが採取を命じられ、終戦の前捻の1944年夏、同市の安房中(現安房高)の生徒だった利渉義宣さん(74)は「ひもにブリの頭をつけて海に垂らすと、たくさん寄ってきた。採取の目的は深く考えなかった」と振り返る。

歌は03年夏に同市を訪れた東京都北区に住む作詞家、大門高子さん(60)がウミホタルを巡る秘話を聞き、「戦争と今をつなぐ歌を作りたい」と作詞。「ぞうれっしゃがやってきた」で知られる音楽家、藤村記一郎さん(53)=愛知県日進市=が「平和の歌として全国に広めたい」と作曲を担当し、「夕日の海」「戦場のウミホタル」などからなる演奏時間約35分の合唱組曲に仕上がった。

合唱には、館山市民をはじめ東京都内のアマチュア合唱団などから約150人が参加する予定で、館山二中の鈴木喬子さん(13)は「戦争を考えつつ、明るく歌いたい」と話している。問い合わせは実行委員会(電話 0470・24・0224)。

【森禎行】

【房日】050818=米国での房総アワビ漁師語る、知事と対談

館山で知事と対談
9月3日、米国での房総アワビ漁師語る
合唱組曲の初演コンサートも

モントレーから大学名誉教授と市民団

米国でのアワビ漁師語る、館山で知事と対談
合唱組曲の初演コンサートも 9月3日

(房日新聞2005.8.18付)

米国・カリフォルニア州のモントレーから9月、大学名誉教授と一般市民40人が館山市にやってくる。モントレーは、明治時代に白浜出身の小谷源之助らがアワビ漁を行った地。教授らは、地域史の中で日系移民の研究を行っており、3日には県南総文化ホールを会場に、モントレーでの房総アワビ漁師に関する講演と、堂本暁子知事との対談も行われる。この日は、合唱組曲「ウミホタル-コスモスブルーは平和の色」の初演コンサートもあり、大勢の来場を望んでいる。入場無料。

催しは、市民有志でつくる「虹のかけ橋」実行委員会(本多かおる実行委員長)が主催、NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム、県文化振興財団などが共催、「虹のかけ橋-ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」と題して開かれる。

当日は午後1時30分から始まり、1部で合唱組曲のコンサート、2部で「太平洋をわたった房総のアワビ漁師たち」をテーマに、モントレーのカブリオ大学名誉教授で地域日系移民史研究家でもあるサンディ・ランドン氏が、現地でのアワビ漁と民間交流の歴史に関し、スライドを使って講演、さらに戦前カリフォルニアで生まれた堂本知事と対談を行う。

明治時代にモントレーにわたった小谷らは、現地でアワビの潜水器漁を行い、様々な製品を産み出した。邊国では日系人排斥運動があった際も、高い潜水技術が評価され、房総のアワビ漁師だけは日米両国から特別に渡米が許可されたという。日系移民100周年にあわせ、活躍した地が「コダニ・ビレッジ」と公式に命名された。

ランドン氏は、モントレーで一般市民を対象とした地域史の勉強会を開いており、こうした人たちに呼びかけ来日することになった。一行は2日に来日、3日の催しに参加したのち、フォーラムメンバーらの案内で、安房の歴史的な場所を見学。その後、京都などを観光し、再び館山にもどり、八幡祭礼を見て18日に帰国する。

1部で披露される合唱組曲(大門高子作成、藤村記一郎作曲)は、戦争と平和をテーマにした作品で、この日に向け練習を重ねており、当日は東京、千葉などからも加わり、200人前後の大合唱団で披露する。

主催者側では、今回の催しをきっかけに館山と米国の観光交流を推進したい、としており大勢の来場を望んでいる。

また、この催しに合わせ同市八幡のたてやま夕日海岸ホテルで、9月11日まで「太平洋をわたった房総アワビ漁師の資料展」も開かれている。

【房日】050803=韓国の子ら館山で交流

「アンニョンハセヨ」韓国の子ら館山で交流
3日間、自然や歴史も満喫

(房日新聞2005年8月3日付)

韓国浦項(ポハン)市の子どもたちを招き、日韓両国の子ども同士の交流を図る「たてやま日韓子ども交流事業」が3泊4日の日程で行われた。韓国・浦項製鉄西初等学校の児童20人と引率教師ら総勢24人が館山市を訪れ、ホームステイをしながら地元の小学生15人と一緒に、同市の自然や歴史を学ぶ体験交流や音楽交流などを通じて、友情の輪を広げた。

日韓交流の歴史研究をすすめてきたNPO法人南房総文化財・戦跡フォーラム(愛沢伸雄理事長)を発起人とする同実行委員会が、日韓国交正常化40周年となる今年、日韓友情年2005」認定記念事業の一環として規格。日韓教育実践研究会顧問の石渡延男氏が同校との仲介役を務め、日韓両国の子ども同士の交流が実現した。

来日初日には、市内ホテルで歓迎パーティが行われ、舞踏家の里見香華さんの愛弟子である秋山琴美さん(小1)、高山采子さん(小6)、柴山歩美さん(中1)の3人が「荒城の月」などの日舞を披露。また、辻田実館山市長からは、来日した子どもたち1人ひとりに友好市民証が贈られた。

2日目は「ふるさと歴史探検」と銘打ち、うちわ製造業の丸山忠弘さんの指導で、房州うちわづくりを体験。韓国の子どもたちは慣れない手つきながらも1時間半程かけてどうにか完成。「難しかったけれど、いいお土産ができた」と満足した様子だった。

その後、城山山頂で地元の小学生と合流、「アンニョンハセヨ」「こんにちは」と双方の母国語であいさつを交わした後、手作り甲冑の試着体験や、茶室で茶道の手ほどきを受けた。午後からは、赤山地下壕跡や大巌院に建立されている、ハングルなど4か国後で「南無阿弥陀仏」と刻まれた「四面石塔」を見学。境内で両国の子どもたちの意見交換会が行われ、通訳を交えながら「お互いのことをもっと知ることが大切」「お互いの国の歴史や文化をもっと学びたくなった」などと意見を交わした。

実質最終日となる3日目は、NPO法人たてやま・海辺の鑑定団(竹内聖一理事長)の案内で、沖ノ島を探検。島内の植物観察やビーチコーミング、タカラガイのストラップづくりを体験した。

午後からは館山白百合学園に会場を移しての音楽交流。同学園の卒業生らで編成する白百合合奏団による太鼓の演奏で韓国の子どもたちを出迎えると、民族衣装をまとった韓国の子どもたちは、この日のために1か月練習してきたという韓国舞踊を披露。また、両国の子どもたち全員で舞台に立ち、「レッツゴー沖ノ島」を歌い上げた。

フィナーレでは、同実行委員でユネスコ保育園長の本多馨氏の音頭で、ユネスコで提唱されている「わたしの平和宣言」を全員で朗読。ユネスコ平和の鐘を鳴らしながら、両国の平和と子どもたちの末永い交流を誓い合った。

【千葉日報】050729=韓国の児童が館山訪問

韓国の児童が館山訪問、祖先の供養塔見学
平和の意義考える

(千葉日報2005.7.29付)

韓国の小学生二十人が館山市を訪問、市内の小学生十五人と、市内大網の大巌院に残るハングル文字の記された四面石塔見学などで交流を深めた。「たてやま日韓子ども交流事業」としてNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムが主催、館山市などの後援事業。

児童たちは浦項市の浦項製鉄西初等学校の四、五年生。二十六日夕、引率の教師と共に館山市に到着した。

二十七日は船形地区でうちわ店を営む丸山忠弘さん(六六)の指導で房州うちわの製作を学んだ後、城山公園内の茶室で館山市の児童たちが合流、館山の児童が「アンニョンハセヨ」、韓国の児童が「こんにちは」とあいさつ、甲冑(かっちゅう)の試着、茶道と日本文化を体験した。

午後からは大巌院で一六二四の江戸時代の初期建立の四面石塔を見学。塔の四面に漢字二書体、梵(ぼん)字、ハングル文字でそれぞれ「南無阿弥陀仏」と記されており、同NPOの愛沢伸雄理事長は「建立の理由は分かっていないが、豊臣秀吉の時代に連れられて来た朝鮮の人々の供養の意味があるとも考えられる」と説明し、子どもたちに平和の意義を問いかけていた。

児童らはきょう二十九日に館山市を後にする。