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◎エコの潮流〜エコウォーク
…埋もれた名所発掘も
(青木繁≪海の幸≫ウォーキング)
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案内されて細い路地に足を踏み入れると、新緑に包まれるように立つ古民家が見えてきた。1904年、画家の青木繁が滞在し、代表作「海の幸」を描き上げた小谷家。家主の栄さん(84)によると「地元でも長く忘れられていた逸話だった」という。
青木繁「海の幸」1904年(福岡県久留米市・石橋財団石橋美術館蔵)
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「エコウォーク百選」にも選ばれた、館山市の富崎地区の漁村を巡る4・5キロ・メートルの散策コース。さりげない風景が続くが、「ガイドが付けばどこでも名所になります」と、NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム事務局長の池田恵美子さん(47)は足を止めた。
家主の小谷さん(右)と談笑するガイド役の池田さん。地域の人とのふれあいも「エコウォーク」の魅力の一つだ ただ健康のために歩くのではなく、地域の自然や文化を学びイベント収入の一部を寄付することで、その保護に貢献しようという「エコウォーク」。館山市では、産官民連携による「たてやまエコツーリズム協議会」が市町村単位では国内最多の8コースを整備し、普及に努めている。
PR不足からか、これまでの参加者は決して多くはない。それでも、平日・閑散期対策としてホテル関係者の期待は大きい。「埋もれていたものを見つけ、磨きをかけるんです」と池田さん。地元住民には思いも寄らなかった場所を観光資源にしようという取り組みとしても、注目されている。
【メモ】館山市内にはほかにも、戦国大名・里見氏ゆかりの史跡、白砂青松の平砂浦海岸などを歩く「エコウォーク百選」認定コースがある。6月中旬〜7月上旬にイベントを開催予定。問い合わせは、たてやまエコツーリズム協議会(0470・28・2211)。
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“エコ”“体験型”をうたい文句にした「エコツーリズム」が注目を集めている。背景には、環境への関心の高まり、旅行者が自然に及ぼす悪影響への反省があるとされる。この大型連休中、各地で企画されたイベントを追いながら、県内のエコツーリズム事情を探る。(田中誠)
※読売新聞サイトはこちら。
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八犬伝で活性化を
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院内にギャラリー開設…開かれた病棟へ、市民に開放
最初の展示は愛沢綾子さん
(房日新聞2008.4.8付)
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地域に開かれた医療を目指す、館山市の医療法人博道会館山病院が、病院内にギャラリーを開設した。今年で117年目を迎える同病院が、地域の交流を目的に病棟の廊下を市民に開放した。記念すべき第1回の展示は、同市在住で自ら統合失調症で療養する愛沢綾子さん(23)。自画像や家族の肖像、花火などを水彩で描いた作品を展示している。愛沢さんは「この病気への偏見をなくしたい」と、病名と症状を書いたあいさつ文も展示。感想ノートも据えつけられ「殺風景な病院が明るくなった」「家族の見舞いに来て、絵を見て心を打たれた」などの感想がつづられている。地域に開かれた病棟が、療養者との二人三脚で、一層開かれた病院となっている。
ギャラリーは、病院南側の検診センターの先にある廊下。南側が窓となっており、その反対側のクロス張りの壁を活用している。ギャラリー開設は、館山病院とNPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(現・安房文化遺産フォーラム)「まちかどミニ博物館」との共催。開かれた病院と、まちかどミニ博物館の理念が一致した。
公開時間は、午前9時から午後4時半まで。一般市民や団体の作品などを無料で展示する。絵画のほか、写真、書などの平面作品を掲げるが、反対側の窓際で立体作品の展示も可能。
記念すべき最初の展示をしている愛沢さんは、日本女子大学心理学科に入学後、発症に気づき、精神科クリニックで統合失調症と診断された。館山の生家に戻り、現在は自宅療養中。幼いころに習った絵に取り組み、昨年3月に南房総市千倉町で初の個展を開いている。展示された絵は、フィンガーペイントの技法を用いたカラフルな水彩画など。素直でピュアな心で、ストレートに絵を表現している。
「悪いイメージがある病気ですが、100人に1人が発症するといわれる病気。少しでも偏見をなくしたい」と、絵の隣には病名と病状をつづったあいさつ文を掲げている。手すりに吊り下げられた感想ノートには「入院の主人を見舞いに来て、この絵を見て心を打たれた」「殺風景な病院が、ほっとするやさいい空間になった」などの感想が残されている。
館山病院の高野良裕院長は「すごく場所がいい。朝は横から光が差し込み、同じ絵でもはっとする瞬間がある。癒しの場となっている。スペースがあれば、病院内のほかの場所にもつくりたい」と話す。
愛沢さんの作品は5月7日まで展示。以降の展示希望者を募集している。連絡先は館山病院総務課(0470-22-1122)か、NPO法人(0470-22-8271)へ。
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※愛沢綾子さんのあいさつ文はこちら。
※2006年春の個展はこちら。
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●愛沢綾子さんは、2008年7月8日ご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。合掌
私は5年ほど前から、房州から米国に渡ったアワビ漁師の調査、研究を行っています。先日、松戸市立第二小学校で社会科の授業を受け持ちました。きっかけは、4年生担当の篠原雅子教諭が、南房総市の千倉町出身という関係で実現しました。
4年生の社会科授業にあわせて、南房総から米国に渡ったアワビ漁師、食文化や日米の国旗が交わる万祝、戦争中の花栽培禁止令と花づくりの授業でした。校長、教頭、教務主任の参観を経て5クラスで行いました。新しい授業の取り組みであり、機会があれば学年別バージョンで検討してみたいといわれました。
折しも2日から安房博物館で、「アワビ・食・美」企画展が開催されます。太平洋を渡ったアワビ漁師の足跡、小谷源之助・仲次郎と仲間たちの功績が、県北の学校教材で花開きました。これをきっかけに地元の学校で、偉大な先駆者たちの努力と成功の授業ができれば、と考えています。
…南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム副理事長*鈴木政和
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●里見氏の貴重な史料発見
「終焉の地」倉吉で学術調査
〜10代忠義の文書原本も
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戦国時代に館山を拠点に房総を支配した大名・里見氏の研究を行っている県内の大学教授らがこの程、鳥取県倉吉市などを訪れ、聞き取りや古文書確認などの現地調査を行った。今後成果を学術的な形で正式に発表したいという。
調査を行った「里見氏研究会」は、『房総里見一族』などの著書のある千葉経済大学の川名登名誉教授を代表に、佐藤博信千葉大学教授、千葉県史中世史部会専門員の滝川恒昭さん、法政大学非常勤講師の和気俊行さん、NPO法人理事長の愛沢伸雄さん。
倉吉は後期里見氏10代の忠義が、徳川幕府から改易され没した「里見氏終焉の地」。里見氏を縁として「南総里見まつり」などで市民同士の交流を深めている。
里見忠義に関する史料、史跡などの総合的研究が目的で、これまでにも会員の個別の調査は行っていたが、記録に残す形での本格的な調査は初めて。
忠義の墓のある倉吉市の大岳院、忠義が奉納した棟札のある北条八幡宮、里見屋敷跡などで遺品や文書などの調査、忠義の没した同市関金町で聞き取り調査などを行った。
このうち、大岳院では忠義から出された文書のなかで、今まで「写し」でしか知られていなかった文書の「原本」が発見され、滝川さんは「これは大変大きい成果といえる」という。
移封当初の里見忠義が、どういう立場であったかの再検討をせまる史料も見つかったという。
また調査活動期間中には、同市で特別講演「里見忠義終焉の地を訪ねて」も行われ、川名名誉教授が史実としての里見氏と「八犬伝」との違いなどを語った。
愛沢さんは「今回の学術調査を機に、館山市と倉吉市の歴史、文化を活かした市民交流をさらに深めていきたい」と話している。
WEB記事は、こちら。
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小山市の史跡見学
里見氏稲村城跡を保存する会メンバー
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●里見氏調査会が倉吉来訪
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*日本海新聞2007.12.15付
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●大学教授ら「里見氏調査会」立ち上げ
…14日から鳥取で学術調査
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戦国武将里見氏の調査を行なっている研究者が「里見氏調査会」を立ち上げた。12月14日から里見氏終焉の地となった鳥取県倉吉市で、学術調査を実施する。現地の行政や、団体の協力を得て、江戸初期に改易され、現在の鳥取県倉吉市に移封された里見氏最後の当主、忠義を中心に調査を行なうことにしており、「調査は双方の交流推進に大きな意義がある」としている。
メンバーは、千葉経済大学名誉教授で代表の川名登氏、千葉大学教授で千葉県史中世史部会長を務める佐藤博信氏、東京大学史料編纂所国内研究員で千葉県史専門の滝川恒昭氏、法政大学非常勤講師の和気俊行氏、それにNPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長の愛沢伸雄氏の5人。一行は14日に発ち、16日まで現地の博物館、ゆかりの寺院、史跡などを調査。この間、倉吉市内で講演も予定されている。
忠義は、江戸初期に伯耆国(鳥取県)に移封され、およそ8年後に亡くなったとされる。これまでは、個々の調査が行われるなどして、房州では忠義に関する通説はあったが、総合的な調査が行われておらず未解明の部分もあるという。倉吉でも、里見に関する研究者がいないため、里見に関する文献が少ないのが実情。今回初めて実施する調査では、現地の関係者の案内で調査地を訪問し、結果を報告書にまとめることにしている。
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●「伯耆倉吉里見忠義関係史料調査報告書」はこちら。
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戦国大名里見氏最後の城主であった10代忠義が、安房の国から伯耆へ国替えとなった縁で、館山市と鳥取県倉吉市の交流が続いているが、その倉吉の地で育った桜が「里見桜」として安房へ里帰りすることになった。里見氏を偲んで館山市で開催される南総里見まつり前日の20日には、城山公園山頂に関係者が集い、植樹祭が行われる。
改易された忠義が最初に住んだ倉吉の神坂町は打吹山の麓にあり、打吹山は郷土が生んだ横綱「琴桜」の名にも由来する桜の名所。蟄居同然の忠義が、打吹山の桜を眺めながら、遠い故国館山に思いを馳せていたであろうことは容易に想像がつく。
そこで、大山や蒜山山麓から流れくる水と、忠義が土となった伯耆の国の大地で桜を育て、忠義400年の思いを「里見桜」として形を変え、故国館山へ里帰りさせよう、と地元の有志が里見桜実行委員会を組織。企画・検討を重ね、NPO法人たてやま・海辺のまちづくり塾の辰野方哉代表へ桜進呈の打診があり、里見まつりウィークに合わせて植樹祭が実現することになった。
山頂で午後4時から行われる植樹祭には、里見氏誕生の地で、辰野氏らとも交流を深めている群馬県旧榛名町からも関係者が来館。倉吉市の同実行委メンバーと館山市からは市長や教育長、観光協会長ら関係者が顔をそろえ、忠義を供養しながら植樹する。