松代大本営地下壕の活用策探る 長野でシンポジウム
長野市の松代大本営地下壕(ごう)の保存に取り組む市民団体「松代大本営の保存をすすめる会」とNPO法人「松代大本営平和祈念館」は23日、地下壕をまちづくりにどう結び付けるかを考えるシンポジウムを市内で開いた。年間12万人以上の見学者が訪れている壕を地域の資源として位置付ける狙いで初めて開催。市内外から約40人が参加し、活用策を探った。
戦争遺跡保存全国ネットワーク代表を務める十菱(じゅうびし)駿武(しゅんぶ)・山梨学院大教授(考古学)は「開発や構造物の劣化により、各地で戦争遺跡がどんどん壊されている。半面、戦争の悲惨さや無益さを子どもたちに実感してもらうために活用する運動も盛り上がってきた」と説明。住民と行政が連携し、松代大本営地下壕を含め、古代から近現代に至る地域の文化遺産について語り継いでいく「エコミュージアム構想」を提案した。
千葉県館山市で海軍航空隊跡地などの保存に取り組むNPO法人「安房文化遺産フォーラム」代表の愛沢伸雄さんは「住民が自分たちの地域をきちんと認識することが重要。観光業に平和や教育の視点を組み込む必要がある」と指摘した。
すすめる会幹事の宮沢彰一さん(70)=長野市上松=は「松代大本営は松代町にとどまらず、日本にとって重要な遺跡。日本全体を見据えて活用法を探る必要がある」と話していた。
(信濃毎日新聞2008.9.24)
◎戦跡巡りに役立てて
….館山のガイドマップつくる
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館山市に残る太平洋戦争の戦跡などを紹介した「安房ガイドマップ 海軍のまち館山」が完成した。NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄理事長)が、市民や行楽客が戦跡を巡る際に役立ててもらおうというもので、26日から1部300円で販売する。
同フォーラムでは館山市内を中心に戦跡や、戦国武将里見氏などの調査・掘り起こしを行い、こうした成果をまちづくり活動として市民や、行楽客に情報発信している。ガイドマップもこの活動のひとつとして、編集委員会を組織してつくった。
マップは、女性のハンドバッグにも収まるようにと、折りたたんだB5サイズで、広げるとタテ51㌢、ヨコ72㌢の大きさ。片面に、市内に残る洲ノ埼海軍航空隊、館山海軍航空隊関連の戦跡、城山砲台の跡、赤山地下壕跡などを写真や図を使って解説。北下台(ぼっけだい)に残る近代水産業の先駆者、関澤明清の石碑なども盛り込んだ。
もう一方の面には、昭和初期、戦前の館山のイメージイラストが描かれている。イラストを担当したのは、フォーラムメンバーの中屋勝義さん(66)。古い記録や、現地を歩くなどして色鉛筆で、当時の館山湾沿いを中心に、街並みや戦跡の場所などを描いた。
26日から宮沢書店、BOOKS松田屋で販売する。詳しい問い合わせは同フォーラムの事務所(0470—22—8271)へ。
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※房日サイトはこちら。
◎千葉の観光資源、新視点で発掘
…観光モデル形成目指し、各地で試行錯誤
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「戦跡ツアー」「房州石の彫刻」など、千葉県内各地で特定非営利活動法人(NPO法人)や企業が観光産業の確立の一環として観光資源の発掘や見直しを始めている。都心から比較的近いという強みを持つ一方で、目玉となる観光施設や歴史遺産が少ない千葉県。堂本暁子知事の肝いりで、3月には観光条例を施行し、今秋にも昨年に続き観光キャンペーンの開催を予定している。これを追い風に、各地で新たな観光モデル形成を目指し、試行錯誤が続く。(千葉・三崎柚香)
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【旧海軍の航空基地】
戦跡めぐりを観光の目玉に—。
NPO法人の安房文化遺産フォーラム(館山市)は館山市の戦争遺跡保存を目的にツアーを実施している。第二次大戦中に旧日本海軍の航空基地があった館山市だが、その戦跡は暗くて危険という理由で取り壊しの危機にあった。「遺跡としてなんとか守れないか」と高校教師だった愛沢伸雄代表が、戦跡めぐりツアーを始めた。
現在では県内外から年間10校以上が平和学習を目的として訪れ、04年に一般公開された旧日本軍の赤山壕(ごう)には約6000人が訪れた。大手旅行会社も日帰りパックの旅行先に選定するなど、業界での認知も浸透してきている。
ただ、「単に物見遊山の観光では、はやり廃りがあり、遺跡保存にはつながらない」(愛沢代表)というジレンマを抱える。求めるのは「テーマを持つ旅行」だが、遺跡に眠るストーリーを語れるガイドの高齢化という問題がある。さらに「宿泊施設や商店など地域全体で情報や意欲を共有しないと難しい」(同)と指摘する。発掘した観光資源を観光ビジネスに昇華させるには、地元企業や行政の協力が不可欠だ。
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【体感・体験】
かつて千葉県は「黙っていても海水浴客が来る観光地」(水澤千秋千葉県商工労働部次長)だった。それが娯楽の多様化や海外リゾートの人気で衰退。07年度の海水浴客の入り込み数は、71年度の5分の1にまで落ち込んでいる。観光復興に力を入れる県は、「体感・体験型」観光を打ち出している。07年にJR東日本とタイアップした『ちばデスティネーションキャンペーン(ちばDC)』では、料理教室、農業体験などを多数組み込んだ。
新たな観光ビジネスの構築を—。富洋観光開発(富津市)は富津市金谷地区でレストラン、土産店を営む。都心から60キロメートル圏内にあって自然が豊かに残るという地理的な強みを生かし、「心がリセットできる場所」(鈴木裕士社長)づくりを始めた。
今春、房州石を使った彫刻を街中に展示。美術館やアトリエも建設予定で、「石と芸術」をテーマに、異空間を提供する観光事業を進める。「観光をビジネスにするため、新たな仕組みが必要」として観光とビジネスの収益性のバランスを重視する。「体験ツアーだけでは手間と人手がかかってしまいがちで、収益が見込みにくい」という。
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【面の広がりがカギ】
「”気軽な旅行なら千葉”というイメージは定着している」と、ちばぎん総合研究所(千葉市稲毛区)の小松孝之研究員は分析する。「単なる体験だけではなくて、楽しみ方を提案できる周辺でのメニューづくりが重要」として、遺跡や体験などの観光資源を生かした各地域での面の広がりを求める。永続性と収益性を両立させ、千葉ならではの観光を確立できるか。模索は始まったばかりだ。
◎特攻兵からの「遺言」⑥
…米軍上陸なら第2の沖縄
…本土唯一の直接軍政に
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房総半島南端の館山市およびその周辺は帝都・東京を守る重要な拠点だった。館山海軍航空隊があり、東京湾要塞地帯の一角として砲台や魚雷基地が設置されていた。
「館山周辺は、米軍が上陸すれば、第二の沖縄として戦闘が行われた可能性が高かった」。戦争遺跡保存活動を行なっているNPO安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄理事長(56)は語る。
敗戦が色濃くなった時期、南房総市(旧三芳村)にロケット特攻機「桜花」、鋸南町に「海竜」「回天」などの水中特攻艇の基地が置かれた。館山市の洲崎、波左間には「震洋」の基地も秘密裏に造られた。
震洋は6千隻以上が製造された。ベニヤ板のボートで、舳先に爆薬を装備、自動車のエンジンを積み海上を疾走した。小さな漁港にまぎれるように、格納壕や隊員の居住壕が掘られた。波左間漁港内には発進用のスロープ、洲崎には完成時期の記された格納壕が今も残る。
◇出発なく終戦
「死の棘」「魚雷艇学生」などの著書のある作家・島尾俊雄氏は、奄美諸島の加計呂麻島で震洋隊長だった。「出発は遂に訪れず」では、8月13日の特攻戦発動と15日の終戦の詔勅により揺れ動く心を描いている。
「第18突撃隊戦時日誌」によると、波左間に配属された真鍋康夫中尉を部隊長とする第59震洋隊の176人。首都を守るため予備学生や予科練など若い命が集められ、1945年7月14日に基地に入った。しかし震洋が配備されたのは8月13日で、出発はなく終戦を迎えた。
◇祖国安泰願い、散る
「ベニヤ板のモーターボートに爆薬を積んで敵艦艇に体当たり。今考えれば確かにお粗末な特攻兵器であるかもしれない。しかし若き隊員たちは祖国日本の安泰を願い戦場に散ったのである」(長崎県川棚基地で震洋訓練を行なっていた伊藤太兵衛氏の回想=千葉日報社「幻の本土決戦」より)。
終戦直後の9月3日、米占領軍が館山航空隊近くに上陸。残った日本軍人らの妨害を警戒した占領軍は、4日間ではあったが、館山に本土で唯一の直接軍政を敷いた。
(千葉日報・穐田政宏)
歴史の証人
戦争遺跡は訴える
.記者:千葉宣男
きょう8月15日は「終戦記念日」。旧日本軍によって造られた地下壕や兵舎、砲台跡など、先の戦争に関係した建物や跡地が全国各地に残っており、それは今、「戦争遺跡」と呼ばれている。戦後63年を過ぎ、戦争体験の風化が進むなかで、これらの遺跡は戦争の事実を迫力をもって伝えてくる。この夏、地域の身近な場所にある〝歴史の証人〟たちの訴えい耳を傾けてはどうだろうか。
東京大空襲(東京)
下町の犠牲者は10万人に及ぶ
第2次世界大戦の末期になると、米軍による日本への爆撃は全国の都市に及んだ。その中で、広島、長崎の原爆を除き、東京が最も大きな被害を受けた。B29爆撃機による空襲は約120回に及び、とりわけ、1945年3月10日未明に東京の下町を襲った大空襲での死者はおよそ10万人に上った。
この「東京大空襲」の戦績は今や乏しいが、それでもいくつかみることができる。隅田川にかかる言問橋の石柱もその一つ。大空襲の際は、大勢の人がこの橋の上で亡くなった。石柱の黒ずんだ部分は、犠牲者の血と脂だといわれている。
また、かつて墨田電話局と呼ばれていたNTT石原ビル(墨田区石原4丁目)の前庭には、殉職した電話交換手らの慰霊碑が設置されている。作家・吉川英治の碑文も添えられている。
このほか、東京・両国の江戸東京博物館には、「空襲と都民」のコーナーが設けられており、不発弾(複製)や焼夷弾の残骸などが展示されている。
一方、防衛省(新宿区市谷本村町)の敷地内には、かつての陸軍士官学校本部がある。本部の大講堂は、極東国際軍事裁判の法廷となった場所としても知られ、現在、市ヶ谷記念館として一般公開されている。
<メモ> 市ヶ谷記念館の見学は事前予約制。防衛省大臣官房広報課記念館係。
「震洋」特攻基地(千葉)
船首に爆薬積み体当たり狙う
房総半島南部の千葉縣館山市には、現在でも旧海軍の水上特攻兵期「震洋」の特攻基地が残る。震洋は、ベニヤ製の特攻ボートで、船首部分に250キロの爆薬を積んで体当たり攻撃で船舶を撃沈する。第二次世界大戦末期、本土決戦に備えて建造された。
同市波左間にある特攻基地は、航空機から発見しづらいように、漁村の民家に紛れて配置された。海岸から約200メートルほど離れた山すそには震洋の格納壕跡があるほか、海岸にはコンクリート製の滑り台跡がある。この波左間基地跡から西方約3キロの洲崎にも格納壕跡がある。
東京湾の入り口に位置する館山市は、首都防衛の最前線として、軍事施設が集中して建設されてきた。それだけに、数多くの戦争遺跡を見つけることができる。
関係者の証言から、館山海軍航空隊基地の司令部などがあったと推定されるが赤山地下壕や、敵機から零戦を隠すために造られた掩体壕と呼ばれる格納施設跡、洲ノ埼海軍航空隊射撃場跡、洲崎第1、第2砲台跡などがある。
<メモ> NPO安房文化遺産フォーラムが、平和学習のための戦績ガイドを実施中。
松代大本営地下壕(長野)
掘り跡は生々しい象山の内部
長野市松代町にある松代大本営地下壕は、第2次世界大戦の末期、本土決戦の際の最後の拠点として大本営、政府機関などを松代に移すという軍部の極秘計画のもとに造られた。大本営とは、戦争の時に天皇のもとで作戦をねり、戦争を指揮する旧日本軍の最高司令部。
工事は、1944年11月から翌年8月15日の終戦まで行われた。労働者として住民や朝鮮人ら延べ300万人が強制的に動員され、過酷な労働に多くの犠牲者を出したといわれる。
松代の地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密自身観測室)を中心に、皆神山、象山の3カ所に碁盤の目のように掘り抜かれており、総延長10キロメートル以上になる。このうち公開されているのは、象山地下壕(総延長5.8キロメートル)の500メートルの部分。岩がむき出しとなっている壕内の天井や壁には、削岩機の先端部であるロッドや木片が食い込んだまま残っていたり、砕いた岩を運ぶためのトロッコのレールの枕木跡などを見ることができる。
<メモ> 長野市松代町松代479-11。入壕無料。午前9時~午後4時まで。休みは第3火曜と年末年始など。
館山市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムから改称)が、地域の歴史や文化を紹介するガイドブック「あわ・がいど」の第4弾として、「安房古道を歩く」(縦横21センチ、48ページ、600円)を発行した。
安房地域の郷土史研究家や山歩きの専門家でつくるグループ「歴史工房安房」(島田輝弥代表)の会員たちが、実際に山道を歩くなどして情報を集め、執筆した。江戸時代に旅人が房州往還の脇道として利用した、「房州木ノ根峠」(南房総市)を越える山道など、館山、鴨川、南房総の各市や鋸南町の14コースが地図やイラスト、写真と共に紹介されている。
問い合わせは、同NPO法人(0470-22-8271)へ。
◎活気あるまちづくりへ、多様な視点で意見交換
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市民が主役のまちづくりをテーマに、健康や医療、教育、観光などさまざまな視点からまちづくりを考える「まちづくりシンポジウム」がこのほど、館山商工会議所ホールを会場に行われた。定員を大きく上回る200人ほどの市民が参加。NPO法人全国生涯学習まちづくり協会の福留強理事長を講師に招いての基調講演をはじめ、地域医療の課題や市民1人ひとりの健康づくり、観光まちづくりなどさまざまな視点からの活発な意見交換が行われた。
同シンポジウムは、地域の課題を見つめ直し、暮らしやすい地域づくりを考えてみようと、NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄理事長)が企画。基調講演では、「儲かる生涯学習」をテーマに福留氏が登壇し、「これからの時代、老人や高齢者ではなく、自分が学んだことを地域で活かす〝創年〟という考え方が大切」と、全国各地で開催されている創年市民大学や市民手づくりのまちづくり活動を紹介。館山市のNPOや市民活動を評価した上で、「学びあいの中で多彩な人材が育成され、自己の能力が地域で活かされていく取り組み。館山でも創年市民大学が動き出すことを期待している」と激励した。
シンポジウムでは、安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんをコーディネーターに、館山市健康課主任管理栄養士の渡邊侑子さん、館山旅館組合女性部長の幸田右子さん、館山病院院長の高野良裕さんがパネリストとして登壇。渡邊さんは、市内各地で活躍している保健推進員による健康づくり活動や、安房の食文化レシピ集『おらがごっつお』を紹介。「保健推進員の活動は、全国的にも誇れる活動。創年女性を中心に〝おらがごっつお隊〟を結成し、さらに健康づくりの活動を広げていきたい」とした。40歳から大学に入り直し、経営学を学んだという幸田さんは「人生に遅いということはない。1人ひとりが意識を変え、学び合う場をつくることが活性化の鍵になる」と語った。また、高野院長は、離島での医療経験を踏まえ、「地域コミュニティと医療が一体となって支え合う社会を築いていくことが大切。准看護学校がなくなった今、新たな看護師を養成する学校を地域社会で作ることは緊急の課題。創年市民大学と看護学校が合わされば、魅力的な学びの場となり、地域医療の充実も期待できる」と話していた。
シンポジウムでは、特別ゲストとして、観光カリスマである新潟県上越市議の矢野学氏が紹介され、合併前の旧安塚町長として取り組んだ全自治区の法人格取得や、全町民参加を目指したNPO設立の事例も紹介された。
愛沢理事長は、「福留先生にアドバイスをいただきながら、創年市民大学の実現を目指して、今後、ガイダンスやプログラムの開発を図っていきたい」と話していた。
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◎市民が主役の生涯学習まちづくり
〜法人名改称と「まちづくりシンポジウム」のお誘い
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・授業づくりから地域づくりへ
・地域まるごと博物館
・市民が主役の生涯学習まちづくり
館山湾はその美しさから鏡ケ浦とも呼ばれています。その鏡は青空や夕日だけでなく、時代ごとの風景や歴史の光と影を映してきました。実は館山は東京湾の入口にあるという位置から様々な戦争遺跡が残っています。あふれる太陽と緑の街という印象で知られた館山はややもするとそうした戦争遺跡は表に出ることはありませんでした。その遺跡の調査を進める愛沢伸雄さんは、館山を学びの町にしようと活動を続けています。遺跡の調査もさることながらガイドとしての工夫もいろいろあります。たとえば事務局長池田恵美子さんは中高生に関心を持ってもらおうと南総里見八犬伝の地元らしいコスプレ作戦を発案しました。ほかにも主婦のグループが訪れる時には主婦のガイド、先生のグループが訪れる時には元先生のガイドをつけることで、すっと話に入っていけるようにしているそうです。戦争遺跡など様々な遺跡、史跡を生かす戦略がいま館山では練られているのです。
ふるさとメッセージには館山をドラマや映画の舞台にしようというフィルムコミッションの話題、そしてウミホタル観察会の話題が登場しました。
房総半島は海もよければ、遺跡史跡も良いのです。
**実況中継の模様はこちら。
◎エコの潮流〜エコウォーク
…埋もれた名所発掘も
(青木繁≪海の幸≫ウォーキング)
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案内されて細い路地に足を踏み入れると、新緑に包まれるように立つ古民家が見えてきた。1904年、画家の青木繁が滞在し、代表作「海の幸」を描き上げた小谷家。家主の栄さん(84)によると「地元でも長く忘れられていた逸話だった」という。
青木繁「海の幸」1904年(福岡県久留米市・石橋財団石橋美術館蔵)
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「エコウォーク百選」にも選ばれた、館山市の富崎地区の漁村を巡る4・5キロ・メートルの散策コース。さりげない風景が続くが、「ガイドが付けばどこでも名所になります」と、NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム事務局長の池田恵美子さん(47)は足を止めた。
家主の小谷さん(右)と談笑するガイド役の池田さん。地域の人とのふれあいも「エコウォーク」の魅力の一つだ ただ健康のために歩くのではなく、地域の自然や文化を学びイベント収入の一部を寄付することで、その保護に貢献しようという「エコウォーク」。館山市では、産官民連携による「たてやまエコツーリズム協議会」が市町村単位では国内最多の8コースを整備し、普及に努めている。
PR不足からか、これまでの参加者は決して多くはない。それでも、平日・閑散期対策としてホテル関係者の期待は大きい。「埋もれていたものを見つけ、磨きをかけるんです」と池田さん。地元住民には思いも寄らなかった場所を観光資源にしようという取り組みとしても、注目されている。
【メモ】館山市内にはほかにも、戦国大名・里見氏ゆかりの史跡、白砂青松の平砂浦海岸などを歩く「エコウォーク百選」認定コースがある。6月中旬〜7月上旬にイベントを開催予定。問い合わせは、たてやまエコツーリズム協議会(0470・28・2211)。
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“エコ”“体験型”をうたい文句にした「エコツーリズム」が注目を集めている。背景には、環境への関心の高まり、旅行者が自然に及ぼす悪影響への反省があるとされる。この大型連休中、各地で企画されたイベントを追いながら、県内のエコツーリズム事情を探る。(田中誠)
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