知恵袋講座

【30】100525沖山静彦さん*ものづくり技術者から見た製品故障と私たちの暮らし

【講師】沖山静彦さん

…元松下通信工業㈱本部品質技術部門/日本信頼性学会・故障物性研究会会員

…トヨタ自動車㈱故障物理教育特別講師

…安房の地域医療を考える市民の会事務局

【テーマ】

ものづくり技術者から見た製品故障と私たちのくらし

〜製品故障を参考にモノの味方・問題解決を考える〜

【テーマ】ものづくり技術者から見た製品故障と私たちの暮らし

【参加費】200円(茶菓子代)


【内容】

-ナゼ、「想定外事故」「再発防止」が頻発するのか?

-「故障」とは?

-モノをよく見ると語りかけてくるようになる

-見えないモノが見えてくる

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○理想の製品作りのたとえ話

「ディコーンの一頭立ての二輪馬車」(アメリカ19世紀の詩人O.W.ホームズの詩)

むかしスペイン・バルセロナの町に馬車職人ディコーンがいた

ディコーンは後世に残る立派な馬車を作ろうとして

工夫をこらして、弱いところがないように作り上げた

この馬車は長い年月走り続けて、作者が知れなくなっても走り続けた

しかし作られてから100年目の正午、一瞬にして崩れ去った

理論的につくられたもの・・・それは理論的にこわれる

【41】110524愛沢伸雄さん*米占領軍の館山上陸と直接軍政

【語り手】愛沢伸雄さん

【テーマ】1945.9.3米占領軍の館山上陸と直接軍政

【参加費】200円(茶菓子・資料代)


【内容】東京湾上の戦艦ミズーリ号にて降伏調印式が交わされた翌日の1945年9月3日AM9:20、カニンガム准将率いる米陸軍第8軍第11軍団3,500名が館山に上陸しました。このとき館山は本土で唯一、直接軍政が敷かれましたが、4日間で解除となり、歴史上から消されてしまいました。これは戦後50年を経て、旧制安房中学の日誌からも記録が見つかり、正式に千葉県史に掲載されるようになりました。

2011年5月13日、NHK-BSプレミアムのドキュメンタリー番組「BS歴史館」にこのエピソードが放映され、大きな反響を呼びました。放映されなかった証言や写真、史料など調査報告を紹介します。

【40】110426青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会・没後100年久留米ツアー

語り手=青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会


テーマ=青木繁・没後100年久留米ツアーの報告

Blog布良・相浜の漁村日記にてレポート


内容:日本を代表する明治の画家・青木繁は、1904年に房州布良の小谷邸に滞在し、後に国の重要文化財となる名画《海の幸》を描きました。

1811年に28歳で夭逝し、没後100年にあたる今年は、石橋美術館を皮切りに全国で秋まで「青木繁展」が開催されています。また、生まれ故郷久留米のけしけし山では、毎年命日(3月25日)に近い日曜日に青木繁を偲んで「けしけし祭り」が行なわれています。

青木繁が滞在した布良の小谷家の後裔、小谷福哲・由喜枝夫妻と保存する会の事務局メンバー6名が久留米を訪問し、青木繁旧居、回顧展、けしけし祭り、坂本繁二郎生家などをたずね、交流を深めてきました。

【39】110322鄭一止さん*韓国人留学生から見た「たてやま地域まるごと博物館」

【講師】鄭一止(チョンイルジ)さん

【テーマ】韓国人留学生から見た「たてやま地域まるごと博物館」

【参加費】200円(茶菓子代)


韓国馬山出身、東京大学大学院の留学生。工学部都市デザイン専攻で「エコミュージアム」を研究中。当NPOが推進する「たてやま地域まるごと博物館」構想に関心をもち、調査対象として研究論文を執筆予定。

【38】110222幸田右子さん*旅館を立て直した女将と八犬伝まんじゅう

【講師】幸田右子さん

【テーマ】旅館を立て直した女将と八犬伝まんじゅう

【参加費】200円(茶菓子代)


館山銀座商店街の老舗・幸田旅館の三代目女将。実家(和田)は花農家で、戦時下の花作り禁止令のもと、命がけで花の種子を守った川名りんさんの孫娘。40歳を過ぎてから大学に進み経営学を専攻、1泊2食5,000円を実現し、旅館経営を立て直す。食と文化を大切にした観光振興を提言し、新商品「たてやま八犬伝まんじゅう」の誕生となった。試食会を兼ね、参加者の感想を次回作に活かしたいとのこと。乞うご期待。

【37】110125石崎和夫さん*一茶が歩いた安房の道

【講師】石崎和夫さん

【テーマ】一茶が歩いた安房の道

【参加費】200円(茶菓子代)


【発表要旨】

15歳の春、信州柏原から江戸に出た一茶は、27歳頃にはプロの俳人としての道を歩み始めた。一茶を支えたのは、故郷信州と下総・上総・安房の俳人達であった。一茶が安房を最初に訪れたのは、28歳、元名の岩崎じせき児石等が長谷川ばこう馬光五十回忌に「霞の碑」を鋸山に建てた際、建碑式に参列したときと言われている。

その後、元名や勝山に度々やってきて、四代目醍醐新兵衛定恒・けんこんあんぎめい乾坤庵宜明のもとで鯨見学をするなどなど安房の俳人と交流している。文化12年・53歳、文化14年・55歳には、千倉の久保在住の房総を代表する俳人井上さんちょう杉長のもとを訪れている。勝山から久保まで途中那古寺に寄りおよそ35キロを一日で歩いている。私は、同好の仲間達と一茶の歩いた道を想定し、2日をかけて歩いてみた。一茶の健脚ぶりに驚嘆した。

一茶の活躍した文化文政期は俳諧が都市農村の庶民上層部にゆきわたり、民衆文芸の核となっていった。各地に「連」といわれるサロンが生まれ、神格化した芭蕉を慕い、地方の俳人たちは蕉風を伝える江戸の俳人と交流を持った。南房総市高崎の湯浴堂の文政8年(1825)奉納の句額には一茶の句や安房を代表する俳人たちの句がある。この奉納額などを考察し、一茶と安房の俳人たちの姿を追求する。

【36】101123橋本新子さん*花とともに生きた半生

【講師】橋本新子(池坊湖月派代表)


たてやま夕日海岸ホテルのロビーで、季節ごとに房総の花々を活け、華やかに盛り上げいらっしゃいます。

お父上は、俳優・詩人の田辺若男。林芙美子と同棲し、島村抱月や松井須磨子らと芝居仲間だったとか。

驚くようなお話がたくさん。ありがとうございました。