【房日】010720=大房要塞群、町文化財に

大房要塞群、町文化財に
富浦教委、砲台跡など12件を指定

(房日新聞 2001.7.20付)

 富浦町教委は17日付で、同町多田良の大房岬に点在する要塞群を町文化財に指定した。弾薬庫や砲台跡、探照灯格納庫など、太平洋戦争の爪痕のほか、幕末の砲台跡も含まれる。指定物件は12件で、所有者はいずれも県。戦後50年以上が経過し、保存すべき文化財であるとして指定した。一連の要塞群は現在、県管理の下で、公園化されている。

指定を受けたのは弾薬庫2棟、砲台跡、観測所跡、幕末砲台跡2か所、掩灯所、探照灯格納庫、発電所、火薬庫、射的場、魚雷艇発信所の計12か所。幕末砲台跡を除けば、いずれも太平洋戦争で要塞化された施設で、現在もその生々しい跡を残している。幕末砲台も大西洋戦争で使われており、一連の指定となった。

幕末から明治にかけて、首都防衛のために国策化された「東京湾要塞」の流れとして、大房岬も要塞化された。1928(昭和3」年に巡洋艦鞍馬か伊吹の副砲2基が据えられ、東京湾入口の守備を担った。32年までの4年間で岬の先端の標高80メートルに、砲台とそれに関連する施設が造られ、文化財指定を受けた設備が整った。

戦後は放置されていたが、大房岬の公園化に伴って、県が一連の戦跡を公園として整備。現在は富浦町が県の委託を受け、維持管理している。町指定の文化財となったことあで、原稿変更などが出来なくなり、戦跡が保護されることになった。