【赤旗】090527*「かにた婦人の村」を訪ねて〜「慰安婦」の碑

 

●千葉・館山市の「かにた婦人の村」を訪ねて
…敷地内に「慰安婦」の碑、平和・人権への思いを大切に(記者=塩沢清隆)

 

千葉県館山市にある婦人保護長期施設「かにた婦人の村」(以下、かにた村)の施設長、天羽道子さんは、市内で開かれた日本共産党演説会であいさつし、「平和を大切に」と訴えました。敷地内に、戦跡や「慰安婦」の碑があると聞き、かにた村を訪ねました。

海上自衛隊館山航空基地に隣接する小高い山にかにた村はあります。「かにた」は近くを流れる小川の名前です。1965年に国有地の払い下げを受けて設立。知、情、意に何らかの障害をもち、長期保護が必要な女性を受け入れてきました。

施設内を案内してくれたのは、NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長の池田恵美子さんです。

早速、敷地内の地下壕へ。旧日本軍の「戦闘指揮所」という額のある部屋や、天井に大きな竜の浮き彫りのある部屋も。ところどころに、射撃窓があります。

敷地内の丘の頂へ登ると「慰安婦」の碑が施設を見下ろしています。「噫従軍慰安婦」とだけ刻まれています。

1984年、入所者の一人が「慰安婦」だったことを、かにた村の創立者・深津文雄牧師に告白(別項)します。これを契機に、翌年、ヒノキの柱が建ち、86年、石碑となりました。

「口にするだけでも重い『従軍慰安婦』と刻むことで、二度と繰り返してはならない問題として、また過去のものではなく現在も続く問題だということを残したかったからではないか」と池田さん。

少し下ると、教会堂が姿を見せます。日曜日の午前9時から1時間、礼拝をしています。納骨堂には深津牧師や村の女性たちが眠っています。

敷地内には、農園、作業場、旧牛舎、入所者・職員のための居住施設などが点在します。

かにた村では、各自の自発性にもとづき、編み物、農耕、園芸、陶芸、製菓などの作業をして、職員とともに暮らします。規則正しい生活と労働、助け合いながら「共に生きる」村づくりをめざしています。

かにた村は、一時的で保護的な更生施設ではなく、人が生きているコロニーです。高い塀や鍵のかかる門、厳重な罰則はありません。自主性が重んじられます。創立者、深津牧師の理念が息づきます。

池田さんは最後に語りました。「平和・人権の理念を実践している、かにた村の活動を多くの人に伝えたい」。

 

*「かにた婦人の村」の見学など問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラムTEL0470-22-8271まで。

 

●「慰安婦」だった女性の告白から…私は見た〝女の地獄〟

「慰安婦」だった女性の告白「石の叫び」を紹介します。

「深津先生…、終戦後40年にもなるというのに、日本のどこからも、ただの一言も声があがらない。

…兵隊さんや民間の人のことは各地で祀られるけど、中国、東南アジア、南洋群島、アリューシャン列島で性の提供をさせられた娘たちは、さんざん弄ばれて足手まといになると、放り出され、荒野をさまよい、凍りつく原野で飢え、野犬か猿の餌になり、土にかえったのです。…死ぬ苦しみ。なんど兵隊の首を切ってしまいたいと思ったか。半狂乱でした。…それを見たのです。この眼で、女の地獄を…。40年たっても健康回復できずにいる私ですが、まだ幸せです。1年ほど前から、祈っていると、かつての同僚の姿がマザマザと浮かぶのです。私は耐えきれません。どうか慰霊塔を建ててください。それが言えるのは私だけです。生きていても、そんな恥ずかしいこと誰も言わないでしょう…」

*****愛沢伸雄==『「かにた婦人の村」の「慰安婦」』より