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【房日】230910_アワビがつなぐ歴史交流

故・溝口七生さんの絵画5点をモントレーに寄贈

(房日新聞 2023.9.10付)

明治時代に安房地域から渡米し、モントレーでアワビ産業を興した移民に関する交流、調査研究などを長年続けているNPO法人安房文化遺産フォーラムの共同代表、池田恵美子さん(62)と、英会話スクールを主宰する溝口かおりさん(58)が訪米し、歴史交流を行った。

日米でアワビ移民について共同歴史調査を進めている同NPOの池田さんと、1995年に調査、交流に来日した歴史研究者らの通訳を務めたことがきっかけで、以降交流を続けている溝口さん。「アワビがつなぐモントレー歴史・交流事業」として渡米した。

今回は、溝口さんの父で画家の故・溝口七生さんの絵画を、日系アメリカ人市民同盟(JACL)モントレー半島支部の所有する「JACLホール」に寄贈するのが主な目的で、同時に池田さんが同ホールで日系アワビ移民に関する新たな調査報告を行った。

寄贈した絵画は、七生さんが「モントレーで個展ができたら」と17年前に現地に預けていたもので、南房総の海や花畑などの風景画5点。

個展はかなわなかったが、先の移民たちが暮らしていた南房総の雰囲気を知ってもらえたら、と寄贈した。作品は全てホール内に展示されている。

同ホールは、アワビ事業を始めた小谷源之助の葬儀も行われた歴史あるホールで、多くの日系人らの目に触れるという。

「長く続いている活動の中、宙ぶらりんになっていた部分を寄贈する形でしっかりと収めることができてよかった。引き続き、交流を続けていきたい」と溝口さん。

同ホールで行われた池田さんの調査報告には、日系人ら約30人が参加した。同NPO共同代表の愛沢伸雄氏の研究を伝え、耳を傾けていた。

初めて現地に行ったという池田さんは、「アワビ事業が盛んとなったポイントロボスなど、実際に目で見られたことで研究が深まった」などと話していた。

【房日】230426*アワビがつなぐ日米交流

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明治期に房総から渡米しアワビ事業を行った、南房総市白浜町根本出身の漁師、小谷源之助の子孫ら4人が21日、一族のルーツを求めて米国から来房。館山・南房総副市長への表敬や地域のアワビ移民の研究団体と交流を図り、房総での先祖の暮らしぶりに思いをはせた。

小谷源之助は、明治期に弟・仲治郎と米・カリフォルニアに渡り、モントレー湾で器械式潜水によるアワビ漁事業を行い、アワビの缶詰、ステーキなどでアワビを広め、米の食文化に影響を与えた。

今回訪れたのは、カリフォルニア在住の源之助の孫、ミア・コダニさん、夫のグレンさん、ミアさん夫婦の友人で母親が南房総市出身のアユミ・ミヤザキさん、ハワイ在住の源之助のひ孫のアリエル・ステネックさんの4人。

ミアさんらは、昨年2月にオンラインで開かれた房総アワビ漁師移民研究の日米調査報告会安房文化遺産フォーラムなど主催)に参加したのをきっかけに、「先祖、源之助の暮らしぶりなどのルーツをたどろう」と来房した。

館山市の渚の博物館を訪問した一行は、館内に展示されている器械式潜水器具、万祝などアワビ漁に関連する資料について、市職員の説明を受けながら見学。その後、南房総地域で房総アワビ漁師移民について研究している、安房文化遺産フォーラムの会員らと交流した。

会員らは「小谷兄弟は、無計画で渡米したわけではなく、しっかりとした計画があって海を渡った。2人のうち源之助は事業家的な役割で、仲治郎は学者的な役割があった」などと研究の成果を報告。

話を聞いたミアさんは「館山に来たことで、これまで知らなかった新しい発見や意外な一面を知られて良かった。この後さっそくファミリーに報告したい」と話していた。

一行は、22日には白浜と千倉にある先祖の墓参りとゆかりの地などを巡り、房総を後にした。

【東京新聞】220601_渡米アワビ漁師の旧宅で手紙発見

南房総から米カリフォルニア州へ
明治期に太平洋渡ったアワビ食文化

「乾鮑」技術が橋渡し
千葉・南房総市の旧宅で手紙発見

小谷源之助・仲治郎兄弟
米国の漁に器械式潜水具導入

(東京新聞2022.6.1付 WEB)印刷用PDF

 千葉県南房総市の旧宅のふすまの下張りから、明治期の房総半島から米カリフォルニア州にアワビの食文化を伝えた背景を示す手紙類が多数見つかり、調査が進んでいる。なぜ南房総から米国に伝わったのか。その背景には、中華料理の三大食材の一つで、中国への輸出品だった乾鮑かんぽう(干しアワビ)にかかわる高い加工技術などがあったようだ。(山本哲正)
 手紙類は数年前、現・南房総市白浜町出身の小谷仲治郎(1872~1943年)宅の解体を機に見つかった。仲治郎は兄・源之助(1867~1930年)とともにカリフォルニア州に渡り、アワビ漁にヘルメット型の器械式潜水具を導入して成功。アワビステーキやアワビ缶詰など米国の食文化に影響を及ぼしたとされる。
 2019年2月、市民団体「房総アワビ移民研究所」(南房総市)と、NPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)が本格調査を開始。「手紙はちぎられて不要な紙とともに何層も張り合わせられていた。どうつながるか、パズルのようだった」(同研究所の粕谷智美さん)という作業を経て復元した約530点の解読を進めてきた。
 その中に、仲治郎の父で海産物問屋「金澤屋」を営んでいた小谷清三郎が妻に宛てた手紙があった。自作の乾鮑が横浜の中国人貿易商から「塩かげんと言へかたちといへ申分なし」と評価された、とある。ここから、高い加工技術があったことがうかがえる。実際、清三郎の商品は1883年の国内水産博覧会で表彰されていた。
 清三郎らは新潟県佐渡島や秋田県など各地で、アワビに関わる仕事や技術指導にも取り組んでいた。「源之輔(助)君にも佐土(渡)地において大勝利」「単独にして遠征を試みるの勇気あるすら、実に感激之至」。清三郎の知人から送られた手紙は、源之助の活躍ぶりをたたえていた。

 当時の農商務省水産調査所のアワビ研究に、小谷家が協力したことを示す手紙もあった。このころカリフォルニアに入植した日本人が現地で大量のアワビを見つけ、同省に漁の専門家の派遣を頼み、仲治郎らが渡米を促されたとされる。同フォーラムなどはこれらの手紙から「小谷兄弟が選ばれた背景に、アワビ漁を通じた深い関係や、加工技術と水産知識に対する信頼があった」とみている。

 今回の調査に着手して間もない19年9月、台風15号が房総半島を直撃し、史料を保管していた事務所が全壊。紙質や筆跡で分類していた手紙類が水没し、散逸する不運に見舞われた。回収後、かびなどを防ぐため冷凍保管したことなどから、調査を再開できたのは20年4月だった。
 このほど中間まとめにこぎ着け、今年2月には米国の歴史学者や小谷兄弟の子孫らへの報告会をオンラインで開いた。同フォーラム共同代表の池田恵美子さんは「まだ分からないことも多いが、一歩進んだ。引き続き調査していきたい」と話している。
【活動報告】房総アワビ漁師移民の古文書研究と漁村文化のまちづくり

令和3年度 南房総市市民提案型チャレンジ事業の活動発表(オンデマンド配信)を行いました。

房総アワビ移民研究所(3年目)

▼事業概要:PDF
房総アワビ漁師移民の古文書研究と漁村文化のまちづくり

▼活動報告動画:

▼他団体の活動報告一覧
https://www.city.minamiboso.chiba.jp/0000016424.html

・平舘チャンネルの会(はじめの一歩)
・地域ボランティア『Flower Seed!』(はじめの一歩)
・南房総三芳・村のしろうと百姓塾(3年目)
・大井里山保全協議会(2年目)
・さとうきびの里南房総(2年目)
・川上かわたん(1年目)
・三芳・方言の会(1年目)
・チーム花鯨(1年目)