230921講演録 スチュアート・センパラ氏

【講演録-2023.9.21】⇒ PDF

ウガンダ支援交流30年のあゆみ

記念講演:スチュアート・センパラ

私は、NGOウガンダ意識向上協会(CUFI)の理事長です。農村部のリーダーとして、孤児や極貧の子供たち、困窮している高齢者などを対象にコミュニティを構築し、幅広いスキルと経験で、有機農業や環境保護などのプロジェクトを主導しています。
1994年、私は37歳のとき来日し、栃木県のアジア学院という農村研究所に留学しました。地域作り学習を通じて、地域の人々が共通の利益のために資源や能力を共有し、強化する方法を研究しました。9か月の研修プログラムで、私はサーバントリーダー(公共福祉のリーダー)としての心構えを学びました。私はウガンダに戻り、学んだことを実践すしました。
キタリヤ農村地域で6年間働き、児童問題に取り組んだ後、2001 年にアジア学院の研修アシスタントとして招待されました。ロータリー米山記念財団の奨学金の恩恵により、再び来日することができました。
このときアジア学院が企画した研修旅行の一環で、館山市の「かにた婦人の村」を訪問しました。ここは生活困難な女性の自立を支援するキリスト教の施設です。幸運にもここで塩川成子女史と故深津文雄牧師に出会いました。施設を案内してもらい、彼らが世話をする心優しい老婦人たちと交流しました。
深津牧師は、ウガンダの内戦後にエイズを孤児がまん延していた実情を知り、古着や必需品をコンテナで送ると約束し、安房南高校の教員や生徒たちも一緒に荷物を発送してくれました。そのとき、生徒会の顧問だった愛沢伸雄さんを紹介され、1994年から生徒会活動として支援交流が始まりました。
2000年、安房南高校から届いたミシン数台を活用して、ウガンダの首都カンパラに「アワミナミ洋裁学校」を設立しました。日本とウガンダの友情の証として大きな役割を果たしてきました。
2008年に、安房南高校は生徒数減少のため安房高校と統合されました。ウガンダ支援活動は、安房南高校から安房高校JRC(青少年赤十字)部に引き継がれました。2012年に廃部となりましたが、安房西高校JRC部が活動を引き継ぎました。状況が変化しても、支援交流が継続されるというニュースに私たちはとても安心しました。

愛沢さんが2004年に設立したNPO法人安房文化遺産フォーラムでは、さまざまな市民団体に呼びかけて、CUFI への支援連携が広がりました。
2005年から、「安房・平和のための美術展」がプロジェクトに参加し、チャリティー作品の販売や募金の一部を寄付されました。
2017 年には、孤児の送迎や日用品の搬送に使う活動車両が水牛と衝突して大破しました。皆さんが企画したクウドファンディングのおかげで、私たちはワゴン車を手に入れることができました。今も良好な状態で稼働していると報告出来て、うれしく思います。
2018年に、安房地域の約25店舗が協賛し、ウガンダコーヒーのチャリティーキャンペーンが始まりました。
CUFIでは、皆さんからの贈っていただく支援金を、おもに4つのプロジェクトに有効活用しています。

<アワミナミ洋裁学校>
日本から送られた電動ミシンを動かすため、240Vから110Vへの降圧変圧器を購入しました。建物の改築や修繕、電気の設置、水洗トイレの新設などをおこないました。多くの重要なことに役立てられ、いくら感謝してもしきれません。
<キタリア小学校>
生徒たちに食べ物を提供する給食プロジェクトをより有意義にするため、生徒や教師が鶏肉を管理する仕組みを導入し、質の高い健康食品を提供することを考えました。卵を食べたり、卵を産むのをやめた鶏を食べるだけでなく、管理の技術も獲得できて、一石二鳥です。さらに卵を販売し、自分たちで養える自立したプロジェクトにしました。子どもたちと一緒に野菜の生産もおこなっています。学校は、日本からの訪問者を受け入れるたびに経験する文化交流と、彼らが受けるサポートから恩恵を受けました。

<カウム農場>
地元の若い農家に有機農法とその利点をもっと知ってもらうことを目的として始めました。私の夢は、アジア学院で学んだことを実践し、コミュニティが私の知識から恩恵を受けられるようにすることで、段階的に達成されています。農場は十分に広いので、たくさんのプロジェクトが実現することを夢みています。
農場には、愛沢夫妻の亡くなった娘さんに由来して名づけた「綾子ビルディング」という施設があります。事務所や作業場であり、宿泊棟です。目を閉じると、近隣や遠い日本からの訪問者があふれている様子が見えます。大きな宴会場や素敵なキッチンには、お腹を空かせた人が分け合えるほどの食べ物が用意されています。子どもたちは、手入れの行き届いた美しい庭や果実を楽しんでいるのが目に浮かびます。若者が成人してから自立できるように、さまざまなスキルのトレーニングを支援します。これが私の夢です。

<メデ村のコミュニティ支援>
ウガンダ北部にあるグル県は首都カンパラから遠く、いまだに内戦の影響が深く残っています。私たちはメデ村の孤児たちと高齢の保護者たちに食べ物を提供し、通学の見守る活動と支援を続けてきました。今では、大学を卒業して働いている人もいれば、ボランティア活動を申し出ながら就職活動をしている人もいます。最近、一人の老婆の健康状態があまり良くなく、片足に重度の骨折を負い、再び立ち上がることができなくなりました。彼女が簡単に移動できるよう、新しい車椅子を提供することができました。

<少女たちのための新プロジェクト>
現在、私たちが最優先で取り組んでいるのは、少女たちが何度も洗って使える生理用の布ナプキン制作のプロジェクトです。安房文化遺産フォーラムから紹介されたGlobal Bridge Network(GBN)という日本のNPO法人と協働し、指導を受けています。
今まで不衛生なボロ布などを当てて、学校に行くことをあきらめていた少女たちが、安心して教育を受けることが可能になります。私はとても楽しみにしています。
魚1匹あげれば1日食べつなげることができますが、魚の取り方を教えれば一生食べていくことができます。教育は、子どもたちが自立するための知識と技術を与えるからです。このことを念頭において日々実践しています。

最後に、この 30 年間にわたり、私たちに支援金を送ってくださった安房文化遺産フォーラムと安房地域の皆様に、この場を借りて心から感謝申し上げます。
今回、来日が難しい状況のなか、私の渡航費の支援を決断してくださったことにも心から感謝しています。それがなかったならば、今回の日本そして館山への訪問は難しかったでしょう。
皆様に神のご加護がありますようにと、心から祈念しています。

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