日韓交流

【日韓交流のあゆみ】

*2005年7月=日韓子ども交流in館山(日韓友情年事業)
*2006年8月=済州島大学校・趙誠倫教授のまちづくり視察来訪
*2007年9月=「快鷹丸」遭難100年記念訪韓交流
*2009年3月=済州島:戦跡調査団視察来訪
*2009年8月=ソウル平和博物館の講演&仁川まちづくり交流
*2010年8月=第九回日中韓青少年歴史体験キャンプin南房総
*2013年8月=韓国文化観光研究院来訪交流
*2014年8月=韓国水原ルネサンスセンター来訪交流
*2016年5月=韓国ソウル秀林アートセンターブロンズ『海の幸』序幕式


 

 

 

 

 

【日韓交流の地域資源】

ハングル「四面石塔」(館山市)

館山市内の大厳院には、朝鮮ハングル・印度梵字・中国篆字・和風漢字で「南無阿弥陀仏」と刻まれた石塔があります。同院創建の雄譽霊厳上人が石塔を建立した1624年には朝鮮通信使が修交され、秀吉の朝鮮侵略(文禄の役)から33年目にあたることから、戦没者供養と世界平和祈願がこめられていると推察される。これを地域教材とした授業実践を歴史教育者協議会で報告したことを期に、日韓歴史教育実践研究会の支援を得て、さまざまな日韓交流が始まる。

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「快鷹丸」遭難記念碑(韓国浦項市)

東京海洋大学(旧東京水産大学)の前身である「水産講習所」の初代練習船「快鷹丸」は、館山沖で操業訓練を重ねた後、1907年に出航先の朝鮮海域で遭難し、4名殉難。現地住民に救助された乗組員や後進たちによって遭難記念碑が建立。アジア太平洋戦争を経て、碑は倒され土中に埋もれるが、1972年に再び現地住民によって掘り起こされ、現在に至る。2007年には、東京水産大学OBとともに、現地にて100年供養の日韓交流を実施。

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■済州島海女(チャムス)墓地(鴨川市)

明治期より済州島の海女が多く来日し、アワビ漁に従事していた。安房にも暮らしていた彼らは、戦後、鴨川市の長興院を墓地として埋葬した。儒教を国教とする韓国では、参詣の際には数十にのぼる墓碑をすべて供養するという。済州島大学校の趙教授は、日本国内での韓国人墓地は貴重な事例という。

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