2007.9.「快鷹丸」100年記念〜浦項漁師との交流

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国・浦項(ポハン)市の浦項製鉄西初小学校と交流を行っているNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(愛沢伸雄理事長)はきょう8日、同市を表敬訪問する。旧東京水産大学の初代練習船「快鷹(かいよう)丸」が1907年、嵐のため韓国東岸にある迎日湾(浦項市)で遭難した際、地元住民が乗組員を救助し、その後記念碑を建立。今年が遭難100年目にあたり、同NPOが東京海洋大学のOBで組織する「楽水会」のメンバーと訪韓。NPOのメンバーである吉田昌男さん手づくりの浮書絵彫りを、日本の記念品として持参し、金丸謙一市長のメッセージを携え、市長など4か所を訪れて寄贈する。

日本で最初の水産教育機関である水産伝習所は、1901年に館山実習所が開設されて以来、東京水産大学、東京海洋大学を経て現在に至るまで、館山を拠点として実習訓練を行っている。

近代水産業の発展に大きな貢献を果たした海鷹丸は、館山で練習を重ねたあと出航し、1907年9月9日、韓国の迎日湾で嵐に遭い遭難した。

その際、学生3人と教員1人が亡くなり、他の乗組員たちは、地元の住民に救助された。その後、犠牲者を慰霊して記念碑が建立されたが、戦争を経ていつしか土中に埋没。1971年、浦項市文化財保存委員会によって再建され、現在は、東京海洋大学の同窓会「楽水会」により、大切に保存されている。

館山市には1624年に建立された「四面石塔」と呼ばれる供養塔があり、その東面には初期ハングル字形で「南無阿弥陀仏」と刻まれていることを愛沢理事長が確認。この石塔を通じ、日韓の市民レベルの交流を行ってきた。そして同NPOは、2年前には日韓国交正常化40周年の記念事業として、館山市に浦項製鉄西初等学校の子どもたちを招いて「たてやま日韓子ども交流事業」を開催。ホームステイをしながら、市内の自然や歴史を学ぶ体験交流や音楽交流を通じ、友情の輪を広げた。

浦項市にある遭難記念碑と、館山市にある四面石塔は、両国間で繰り返し起きた不幸な歴史を乗り越え、人々が友好関係を育んできた証。2つの碑に込められた先人の思いを学び、これを末永く語り継ぎ、国際平和に寄与してほしいと切望している。

このため、きょう8日から10日まで、楽水会が企画した快鷹丸遭難100周年記念参詣旅行会に同NPOも同行。愛沢理事長、池田恵美子事務局長、日韓実践教育研究会の石渡延男顧問、韓国の子どもを受け入れた母子2組の計7人が訪韓する。

参詣に際し、館山市特産の竹でつくった浮書絵彫りを記念品として市長、小学校、水産高校、記念碑を保存している市民へ寄贈し、友好の証にしてもらう。浮書絵彫りは、「命」「快鷹」「迎日」「昇鯉」のタイトルが付いた4作品。NPOのメンバーで、旧安房水産学校を卒業した吉田さんがつくった力作。「同じ船乗りとして、当時の遭難は他人ごとではない。救助し、碑まで立ててくれてたいへんありがたい。70歳から始めた浮書絵彫りの作品に感謝の意を込め、平和を願い、韓国との親善に役立てばうれしい」と話していた。

また金丸市長からは「館山市と浦項市の子どもたちが、2つの碑に込められた先人の思いを学び、末永く語り継ぎ、両国の友好と国際平和に寄与してほしい。両市の交流が一層深まることを期待しております」のコメント。また韓国語に堪能な東京在住の勝矢光信さんが翻訳。南総里見八犬伝、赤山地下壕、青木繁など、館山市を紹介した韓国語のパンフレットも持参する。

愛沢さん一行は、きょう8日に渡韓し、浮書絵彫りと市長のメッセージを携え、浦項市の遭難記念碑を訪れ、市民らと交流して10日に帰国する。

【写真説明】 記念品として贈られる吉田さん(中央)の浮書絵彫り