深沢亥佐雄*陸軍病院から国立病院へ
●陸軍病院から国立病院へ
…深沢亥佐雄(旧千葉陸軍病院長、1956年病没)
軍都千葉に陸軍病院が置かれて50有余年、鉄道第一聯隊、気球隊、歩兵学校、兵器支廠、戦車学校等の将兵の衛生の中心となっていた。大東亜戦争終結と共に国立千葉病院と改称されて一般大衆の患者を収容することになった。私は最後の千葉陸軍病院長から軍人としては最後の国立千葉病院長としてバトンを現鈴木五郎院長に渡したので、その頃の思い出を若干述べて見たい。
(中略)
これより先7月7日の千葉大空襲には、B29に依る焼夷弾投下のために軍の建物は勿論千葉市内の大部分焦土と化した時、吾が陸軍病院は伝染病室一棟を焼失したのみで全焼を免れた。焼夷弾の薬莢は山と積まれたが、克く将兵一体となって各自の持場を平常の防火演習の通りに働いた賜物であった。当時伝染病室は演習の時状況外にして置いたためであろう。病室の屋根から天井を貫いて落下した焼夷弾痕。これを消火した焼跡なども昭和22、3年頃までは貽っていたが、今はどうであろう。又防空壕は単に一時避難するためでなく、病院から地下道を作り院外に避難し分散して業務の出来るように計画した。高橋前千葉医大学長を御案内した時「パリの地下道を思い出す」と言われたことを覚えている。敵の房総半島上陸に備えて「ペニシリン」製造をやった。蒙古のパオを地下に埋めたような壕内で、谷川中尉(現千葉医大教授)が中心になって研究し着々と成果をあげて、千葉の空襲に依る傷者に使用して偉大な効果があった。
千葉が焼けてから家のない者は病院内に起居していたが、患者の収容という本務のために津田沼憲兵隊跡に移住した。院長以下10余家族の大部隊がここから千葉に通勤していた。鈴木院長も千葉に官舎が出来る迄はもとの分隊長官舎に在住した。即ちこの官舎も陸軍病院から国立病院へ移行したものである。
角田(静男)中尉(第一外科教室出身、現在逗子にて開業中)を房州の第一線から陸軍病院付きに抜擢した時のことである。軍命令をもって那古船形の某旅館に同君の所属する兵団司令部を訪ねて、院長自ら司令官と交渉した。初めは若い参謀が出て来て快く承知して、即刻発令して千葉にやりましょうということだった。そこで休息中、何故角田中尉を指名したかというので、角田君の外科の腕前を一寸披露に及ぶと先方は急に考え直して一寸待て、第一線司令官として斯様な軍医は手放せないと硬化してきた。そこで私は後で軍命令の写を送って角田中尉を病院付にもらった。その後、終戦と共に角田中尉の召集を解除することになって、鈴木(五郎)現院長に外科の指導を受けようと交渉に及ぶと、角田君との関係もあり、喜んで全く自由の立場で私の乞を容れて呉れた。そのうちに、昭和20年12月1日勅令を以て全国の陸軍病院は一率に国立病院となり厚生省に移管され、職員は全員厚生省の官吏となった。私共は武官から文官になり厚生省技官ということになった。
鈴木さんは全く自由の立場にあったが、厚生省の意見もあり状況を考慮して嘱託ということにして、月額100円くらい支出出来るようにした。鈴木さんは名に不関よく指導してくれた。長い息子(ゾンデ)を持って患者の頭の中に突込んで、それ、これが留弾だよと術者に親切に教えているのを私は屡々見ていた。昭和22年3月公職追放に関する指令があり軍医を除く一般武官はこれに該当することになった。軍医もこの枠を逃れ得ないことを考えて、辞職願を提出して引退した。そして後任院長に鈴木さんを推薦した。鈴木さんも足かけ3年も(陸軍)病院に来ていたが病院長になるとは考えていなかったろう。人にも物にも申し送りが終わり、私は4月から現住地で開業、古ぼけた津田沼の官舎も鈴木さんと交代した。長い長い占領下の日本が独立した今日国立病院は何処へ行く。国営から県営への途も多難であろう。然し安心して鈴木さんに頼んでいる。鈴木さんの上に神の栄光と祝福とを祈ってペンを置く。
・「国立千葉病院外科医局誌『医局』創刊号(昭和27年12月1日発行)
・鈴木五郎病院長就任5周年記念号10ページ〜13ページ
※ご子息・深沢俊夫氏よりご寄稿。
(慶應義塾大学名誉教授、北里大学生命科学研究所客員研究員)
…私は 終戦直後からJR津田沼駅前に住んでおりますが、現役(分子生物学者)を引退して以来、戦後史一般に興味を持って勉強しているものでございます。私は昭和20年には旧制中学4年生で千葉市の空襲(昭和20年7月7日未明)の時には自宅は全焼し焼夷弾の雨の下を逃げ惑った一人です。
添付の亡父(最後の千葉陸軍病院長、昭和31年病没)の遺稿(抜粋)にありますように、館山には当時日本陸軍が米軍本土上陸を想定して那古船形に兵団司令部を設置していたようです。父はその頃よく館山に出張で行っておりましたのを覚えておりますが、日本陸軍の狂気の本土決戦作戦に野戦病院設営を計画していたのではなかろうかと思います。