利渉義宣*軍用品としてウミホタル採集
●軍用品としてウミホタルを採集したころ
…(利渉義宣*NPO法人安房文化遺産フォーラム)
◇昭和10年代、青少年教育の環境
私は、昭和12年4月、尋常・高等小学校と書かれた門標を見ながら小学校に入学しました。しかしその小学校は、昭和16年4月に国民学校初等科に、高等小学校は国民学校高等科に名前が変わりました。それは私が5年生になった時のことです。この年の1月に、小学校3年生以上、そして中学校に通学しない25歳未満の青少年男女を対象に、大日本青少年団が結成され、団員には翼を広げた2羽の赤ワシをかたどった、当時としては大変格好の好いデザインのバッジが配られました。団歌も出来、その歌を歌いながら、ひもじい中ではありましたが、私達青少年の意気は盛んなものがありました。
昭和16年12月、ハワイで日米間の戦争が始まり、これまでの戦争を含め、政府はこの戦争を大東亜戦争と言うようになりました。この戦争が始まってから1年半ほど経った昭和18年4月、私達は中学校(旧制)に入学しました。そしてこの年の5月末、中学生以上への学徒動員が開始され、上級の学年から集団での工場動員が始まるなど、戦争の雰囲気が私達の身近にも迫って来ていました。しかし、私達は前線の兵士のことを思い、工場に行って働いている上級生の姿を目に浮かべながら、軍の要請する諸作業に対し、お国のためと、充実した気持ちで頑張って働き、中には進んで予科練などに志願する人もいました。
◇ウミホタルとの出会い
昭和19年に入ると、前線での戦況は日増しに悪化していたようで、その影響でか、内地では勤労動員の通年実施や国民学校高等科・中学校低学年生の動員強化などが閣議で決められ、「勝利の日まで」と懸命の生産活動が行われていました。
私達がウミホタルに出会ったのはこの頃でした。振り返ってみますと、正直なところ、この仕事では大変助かったという思いがあります。それは暑い中、南京袋に詰めた砂利や砂を、或いは重いコンクリート袋を肩に背負い、狭い山道をぞろぞろと登る砲台造りの作業や、マムシのいる山の中に分け入って、松の木の根元を掘り、高い所に紐をかけて引き倒し、松根油の材料をとる作業に較べれば、中学校下級生の体力には、労力が何倍も違って楽だったからです。
静かな夏の宵、採集道具を仕掛けて桟橋で待つ間のひととき、誰かが家から持ってきた堅い乾燥ソラマメを分けて貰い、口に含みながら、友達と語り合ったあの日のこと、その情景を未だに忘れることが出来ません。ウミホタルの採集は、中学校の1〜2年生が通学区ごとに班を作って行ないました。まず、軍が用意した腕章を着け、簡単な道具を持ってそれぞれ班ごとに指定された場所に行き、夕方から夜の9時頃まで作業を続け、その後、また元の場所に集合し、腕章を数えて返し、作業が終了するのです。海の中で、ゆらぎながら不思議な光りを出すウミホタル、これには当時の私達の意識にも、「綺麗だぁ」と感じさせるものがありました。高校百年史の年表を見ると、ウミホタルの採集はその年の10月の初めまで続いたと記録されています。
◇豊津会と友達の輪
私達は以前、「そのままにしておくと消えてしまいそうな地域の歴史や自然、それを少しでも調べ、記録しておこう」という趣旨の会を始めました。平成4年のことです。名前は地域の旧名にちなみ、豊津会と命名されました。
沖ノ島のサンゴを調べていた三瓶雅延さんも当初からこの会に入っていました。海辺の好きな三瓶さんはやがてウミホタルを見つけ、その美しさに魅せられ、「ウミホタルを多くの人に鑑賞させたい」というような話をし始めました。私は、そんな三瓶さんに、あれはね、戦争中…と言ってあまり熱心に受け答えをしませんでした。しかし、ふと、あれはいつのことだっけ、尋ねられたら困るなと思い、高校に調べに行きました。対応して下さった先生から「今、高校の百年史を作っているところです。ついては勤労動員とかウミホタルということで一文を書いて下さい」との依頼を受け、「勤労動員とウミホタル」と題する小文を提出したわけです。
本が出来上がる頃、この小文が同じ豊津会員だった愛沢雄さんの目に触れ、そして三瓶さんのウミホタル鑑賞会ですっかりウミホタルのファンになられた大門高子先生がご覧になるきっかけとなったと伺っています。
大門先生は、その後いろいろ調査をすすめ、ウミホタル採集の指令を出す役割を担った役所の人や、それを受けて実務に携わった諸機関の情報などを集め、合唱組曲『ウミホタル』の構想を練られたと伺いました。
私は今、「こういうこともあったよ」という断定的な話が、友達の輪に乗って、やがて大きく広がったのかなぁという思いを強く感じています。
合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』が立派に完成し、平和と豊かな自然を愛する人々に親しまれ、歌い継がれますように祈ります。
(2004.8.22.第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会にて)