森矗昶

●森矗昶(もり・のぶてる)
1884(明治17)〜1941(昭和16)

「日本の重化学工業を育てた森コンツェルン」

1938(昭和13)年、昭和肥料と日本電気工業を合併して総合化学工業会社昭和電工を創設。父為吉は、房総にあった粗製ヨード製造業者を合同して総房水産を設立し、館山にはカジメやアラメの海藻類をヨードにする工場をもっていた。第一次世界大戦中、ドイツから医薬品の輸入が止まり、ヨードや塩化カリなど国内生産がもとめられた。父の跡を継いだ矗昶は、電気化学あるいは電解工業を技術的基礎とする時代を予測し、塩化カリやマッチ製造など電気精錬工業に必要な電力生産をめざし、長野県に水力発電所をもつ東信電気や日本沃度を館山に設立した。

なお、東信電気と東京電力の前身である東京電燈は深いつながりがあり、新塩場にある南寿庵は当時の東京電燈役員の別荘であり、菊の御紋が彫られた大きな灯篭は、その頃のゆかりのものといわれている。

日本沃度は、その後ヨード製造やヨードを主とする医薬品や、カジメ・アラメの海藻灰から火薬の原料などにする塩化カリ生産を担う昭和電工館山工場となり、アジア太平洋戦争では海藻灰が大量に必要とされたので、この地域の漁民たちには千葉県当局から所属する漁業組合を通じて、海藻の供出が命じられたのであった。

…◎『館山まるごと博物館』より抜粋…