映画『赤い鯨と白い蛇』へのメッセージ
◆ 伊東万里子(劇団「貝の火」主宰)
日本が戦争に勝つと信じてやまなかった昭和20年3月、私は東京大空襲で母と弟たちを亡くし、父の故郷・館山に疎開しました。東京の女学校から旧制安房高等女学校に転校し、安房第二高等学校(現在の安房南高校)を卒業するまでの6年間、戦禍に傷ついた私を温かく励ましてくれたのは、館山の自然と諸先生や多くの友人でした。あれから62年たった今もなお、母なる館山・安房の地は私の心の支えです。
そんな私の想いを代弁してくださるかのように、安房南高校の先輩であるせんぼんよしこさんが、館山を舞台に素晴らしい映画をお創りになりました。「赤い鯨」は軍都だった館山の沖で訓練していた特殊潜航艇を意味し、「白い蛇」は家の守り神を象徴しています。せんぼんさんや私同様、主人公の香川京子さんが少女時代に疎開した館山を訪ねるという設定です。世代の異なる5人の女性とラストシーンの赤ちゃんが織り成す物語は、まるで絵巻のように見えました。まさに、せんぼんさんが日本テレビのディレクター時代に手がけた看板番組「愛の劇場」シリーズの集大成とも言える作品だと思いました。すべての世代に通じるメッセージは、せんぼんさんでなければ描けない、しかも美しい館山だからこそ描けた作品です。せんぼんさんがふるさと館山に熱い想いを贈ってくださった宝ものに思えて、とても感動しました。
女学生時代、戦争について本当のことは知らされていませんでした。安房で本土決戦が想定され軍備強化されていたことや、私たちが「ひめゆり部隊」に匹敵する役割を担わされていたかもしれなかったことなど、私も最近になって知りました。封印されてしまった過去の出来事をきちんと見つめなおし、次世代を担う子どもたちに何を手渡さなければならないか、それを問うのがこの映画の主題です。しかも、由緒ある安房南高校が創立百年を迎え、さらに統廃合によってその名が消えゆく最後の年に誕生した記念碑的作品です。「誠の徳を磨けよ」と建てられた母校です。そこで学んだ卒業生の手によって、このような素晴らしい映画が創られたことを、心から誇りに思います。この映画は、すべての世代の人にぜひ見てほしい映画です。そして、受けた感動の中身をじっくりと考えてみませんか。それが、戦争を起こさない世界を子孫に贈るための大切な一歩であると信じます。
◆橋本芳久(「安房・平和のための美術展」実行委員会事務局長)
異様な題名に、初めはあまり期待をしていませんでしたが、観るたびに新しい気づきと感動がわいてきました。内房線特急の車内に始まり、南欧風の館山駅西口から鏡ヶ浦、洲崎灯台など、見慣れた風景が次々と広がります。館山の海、浜、山、樹々にそよぐ風、葉のささやき、私の散歩道にある波左間の六地蔵。東京から越してきた私にとってもすべてが身近で、親しみ深い場面が続きます。この映画は、そんな館山を舞台に年代も環境も違う5人の女性たちが出会い、それぞれ苦悩を乗り越えて明日に希望をつなぐ3日間の物語です。
敗戦の2日前に命を落とした特殊潜航艇の青年将校は、「自分の心に素直な生き方を」「私を忘れないで欲しい」という言葉を残しました。香川京子扮する保江は彼との約束を守るため、認知症で薄れゆく記憶を懸命にたどりながら、館山の掩体壕や地下壕などの戦争遺跡を歩き回り、鏡ヶ浦の夕日に赤く染まった潜水艦と、白い軍服に身を包んだ青年将校の回想シーンが重なります。これは、亡くなった青年将校だけでなく、戦争で犠牲を強いられたすべての者への鎮魂の場面として深く心に残りました。
それまで静かに描かれていたスクリーンが一転して、宮地真緒演ずる若い娘が赤子を胸に抱き、「やわたんまち(八幡祭礼)」の神輿担ぎを眺めるシーンに変わります。赤子の胸に、青年将校の七つボタンが光っていたのが印象的で、未来への無限の希望を感じる場面です。
かつて軍都であった館山の地は、人も自然も自由な呼吸すらできない時代であったかもしれません。戦争が終わり、苦しみから解放され、生き生きと輝くばかりの美しさと可能性をよみがえらせました。随所を飾る館山の美しい自然を背景にして、いのちや平和の尊さ、その可能性と希望が描き出されています。それは自然ばかりではなく、せんぼん監督の母校・安房南高校の威風堂々とした木造校舎をはじめ、この地に生きてきた人びとの営みがもつエネルギーであるといえるでしょう。苦悩をかかえて現代を生きる人びとの心を癒し、生きる力を育んでくれる珠玉の作品です。館山市民、いや千葉県民の一人として、せんぼん監督はじめ関係者の皆様に、素晴らしい作品を有難う、と心から言いたいと思います。
◆ 川上和宏(千葉大学教育学部)
私は、教育を志す大学生です。NPO法人安房文化遺産フォーラムの平和研修に参加した縁で、この1年間に4回館山を訪問し、まちづくり事業に参加しています。世代も、住んでいる場所も違う方々と交流し、思いを共有できたことは、私たち学生にとってこの上ない喜びでした。
館山の戦争遺跡めぐりは、戦争も貧困も経験したことのない私にとって、はじめて戦争と向き合う機会となりました。この美しい南房総が「第二の沖縄戦」の場になっていたかもしれないということや、終戦直後には本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたということもはじめて知り、大きな衝撃をうけました。
そんな館山の戦跡を舞台に撮影された映画『赤い鯨と白い蛇』は、戦地に赴く男性を見送ることしかできなかった〝女性〟に焦点を当て、〝女性〟の監督が描いた作品です。もちろん戦争だけがテーマとはいえず、女性としての生き方に関わってくる描写がたくさんあり、男性の私としては、想像の域を脱しないというか、すんなり理解できないところもありました。けれどもこの映画は、私にまったく新しい価値観を与えてくれたのです。
「私があの人のことを忘れたら、彼は二度死ぬことになる」…戦争で残された女性が、亡くなった人を思い続けることしかできないというのは、あまりにも悲しすぎます。私は、愛する人を守るために戦場へ行くのではなく、たとえどんなに非難されたとしても、愛する人とともに生きる手段を考えたいと望んでいます。たくさんの人間の人生を大きく巻き込み、翻弄してしまう戦争という時代の中で、自分に正直に生きるということは難しかったことと思います。現代にも通ずることですが、国家や世間が作り出した一定の価値基準の中でしか生きられないのではなく、多様な価値観や生き方を尊重した社会を目ざした教育の重要性を改めて感じました。
この映画は、館山が舞台であることに意義があると思います。それは私が、実際に館山の戦跡を見聞していたからこそ、この映画がリアルなものとして実感できたところも否めません。この映画は、館山の戦跡を活用した平和研修との相乗効果によって、さらに〝予習教材〟であり〝復習教材〟にもなることでしょう。
人と人とのつながりが希薄になったと言われる昨今、もっとも重要なことは、性別も、生きた時代も異なる世代の、多様な価値をもった人びとが集う〝交流〟の場なのかもしれません。映画では、5人の女性たちが導かれるようにかつて暮らした古民家に集い、語り合い、思いを共有する中から、それぞれが次の一歩を踏み出しました。人々が支えあって生きていかれる社会を目指すうえで、この映画にはたくさんのヒントがあるように思えます。私はこの映画からそんな希望をもらいました。