ツアー・講演の感想

161107*コープみらい東京2ブロック委員会の皆様

このたびは大変お世話になり、ありがとうございました。

参加者アンケートがまとまりましたのでお送りします。

おかげさまで「参加して良かった。素晴らしいガイドだった」等々、大変好評のバス見学会となりました。

細かい点までお手数をおかけしましたが、ご親切に対応いただき、心より感謝しています。

また下記のとおりコープみらいのブログにもアップいたしました。

http://k-blog.mirai.coopnet.or.jp/2016/11/post-1a0b.html

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

感謝をこめて。


コープみらい東京2ブロック委員会

斉藤由美子


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・あちこちで戦争遺跡を消してしまおうという動きが多いなか、市や教育委員会も

含めて語り継ごうという取組みがあることを知り、感動と感激を覚えました。周囲の人に伝えたい。

・館山の戦争遺跡は以前から訪れたかった場所です。加害の話、本土上陸・沖縄に

つながる話など興味深く有意義な一日でした。

・座学は非常に良かった。上手なガイドでした。ガイドさんのお話の中で

「今日は皆さんにヒントをあげてます」いつも自分が言っているセリフでした。

期待以上に素晴らしい学習ツアーでした。

・とても有意義な時間でした。家族にも伝えていこうと思います。

・千葉県生まれで館山には何度も来ていますが、チラシを見て戦争遺跡があることを

知り、どうしても知りたいと思いました。戦争に突入する前10年間の時間を取っていること、これから先、今の政治に対しよく目を開き見守っていこうと思います。子孫の為に!

・館山地域の戦前戦中戦後の重点地区を改めて再確認しました。

・かにた婦人の村の「噫従軍慰安婦」の碑が見られてよかった。座学もとてもわかりやすかった。館山の戦争遺跡(赤山地下壕)、本土決戦については全く知らなかったので、とても勉強になった。愛沢さんの熱意がよく伝わってきた。

・考えていたより大きい(長い)地下壕でビックリしました。ガイドさんの説明もよかったです。これからも平和ツーリズムを多く計画してください。不安な社会ですから・・・。

・ちょっと忙しかったけど、赤山地下壕、かにた婦人像、勉強になりました。

戦争は二度としてほしくないです。

・初めて遺跡を巡ることができ、とても勉強になりました。また機会がありましたら、参加したい。

・あまりにも自分の今の生活とかけ離れている生活があったことを肌で感じることができ、重い気持ちになった。NPOの方の熱意が感じられ、素晴らしい方々と一日を過ごすことが出来て充実な時間をありがとうございました。ガイドの方の戦争は平和な時から準備されているという言葉が印象的でした。

・館山の町にいろいろこまかい所に遺跡があることを知りました。

・戦争で悲しい立場になる子供や女性、その女性たちに救いの手をさしのべる人達の話が印象的でした。戦争を知らない私たちが過去のことを自分で調べ、学習していく大切さを学べたのはとても良かった。

・個人では体験できないことが体験できてよかった。かにた村のことは知らなかった。今でも農業をしてみんなで生活していることがすばらしいと思い私にもできることで支えていきたい。

・ドラマティックな話ばかりで、頭の整理、心の整理が大変そうです。いつもは被害

の立場からのガイド学習をしていますが、加害の立場・視点ということに気付かされ、よい機会だった。

・座学では館山と東京都の思わぬ深い関係に大変興味がわいた。

地下壕は後の方のみでもよかったと思います。

・座学で説明されて、見学でよくわかった。ガイドさんたちの話がわかりやすくてよかった。戦争の準備は平和のうちにされるというのが衝撃的でした。

・丁寧な説明をしていただき、知識のない者にもわかりやすかった。

・参加に至るまで館山における戦争遺跡に関しては全く知らなかったのですが、

とても勉強になった。

・館山の地に戦争の遺跡があったことを知らなかったのですが、勉強になった。

161023*帝京平成大学看護学科=雑賀美智子様

先日は貴重な見学や歴史について、お聞かせいただきありがとうございました。

本当に、知らない事ばかりで、見るもの聞くもの心に突き刺さりました。

歴史(過去)を知ることは、今(現在)を知ることであり、そして明日(未来)を見つめることだと痛感させられます。

慰安婦問題については、さらに実在する(していた)方々の苦しみに触れ、戦争とともに見過ごしてはならないと強く思った次第です。

看護や医療に関しても、例えばハンセン氏病の方々が、ありえないような差別をうけ、人間の尊厳が失われた歴史の中に、看護師も医師もその差別をする側にいたという事実などは、学ぶ必要があると考えています。同じような差別がエイズや感染症、そして福島の原発などと深くつながっています。授業やその他の機会の中で、伝えていきたいと思います。

最後にご案内いただいた大巌院のハングルの四面石塔も大変興味深いところでした。たまたまですが、インドの仏陀のさとりの地やドイツのディアコニーの訪問看護ステーション(同行訪問させていただきました)、ベルツ医師の生誕の地など訪れていたことが、色々な意味でつながっておりました。不思議な気持ちがしております。

今後とも、活動が継続されますよう陰ながら応援させていただきます。先日は本当にありがとうございました。

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帝京平成大学ヒューマンケア学部看護学科

雑賀美智子

161023*相模原看護専門学校長=山田百合子様

フィールドワークでは、大変お世話になりました。

今回は、「看護歴史学会」で天羽道子氏のお話を伺い、

「かにた婦人の村」に興味感心を持ち参加をしました。

しかし、身近な地域で戦争遺跡があることに驚き、感動いたしました。

予想以上の貴重な体験学習ができましたことに、感謝申し上げます。

若い学生たちが、平和学習や歴史を学ぶ姿もうれしく思いました。

また、帰りにいただきましたDVDと資料は、内容をみましたら大変貴重なものでした。

学生にも伝えたいと思います。ありがとうございました。

どうぞ、益々の会のご発展とご活躍をお祈り申し上げます。

メールで申し訳ありませんがお礼まで。

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公益財団法人相模原市健康福祉財団

相模原看護専門学校

校長 山 田 百 合 子

160823*佐倉高校SGH

○ 私は今回、全く知らなかった館山の文化や戦争史を知り、多くの衝撃を受けました。特に、地下壕見学の時は、ここを実際に人が使用していたと思うと、生々しい感じが伝わってゾクゾクしました。また、この研修でテーマにしたいことも見つけました。それは「知られざる館山の戦争史の発信、そして平和の文化とは何か」です。私自身まだわかっていないので調べていきたいです。(KH)

○ 同じ千葉県内に戦争に関わりのあるところを初めて知りました。そして、今まで自分は地元のことさえも大して知っていなかったということを実感しました。研究テーマが「戦後の日本」なので、今回の研修はとても役に立ちました。(FT)

○ 「足元の歴史を知る」ということが日本や世界の歴史を学んだりグローバルな視点で物事を見たりするのに重要だと知った。先人が積み上げてきたものを目先の利益ばかりにとらわれ軽視してしまうのは残念だし、あってはならない。次の世代や未来に歴史をつないでいくことが私たちの役割であり、教科書には載っていない極めて地域的で小さな出来事にもしっかりと目を向けられる人になりたい。まずは地元である成田や佐倉について知り、疑問が生まれたり興味をもつ何かを見つけたら、そこから日本や世界との関係を探し掘り下げたい。(T A)

○ 始めの座学では館山のことをまんべんなく学ぶことができ、戦争のことのみを学ぶより視野が広が

り、テーマの模索にとてもよかったと思いました。その後に見学した赤山地下壕では、戦争下において人々がどのような工夫をして生きていけたのかが説明でも目からもわかりました。あと、今回の目的にはあまり合わないけど、断層を自分の目で実際に見ることが出来たのはとても嬉しかったです。

赤山地下壕の創設や使用された方、立地などは外国のことを深く考えてつくられていたので、テーマに繋がるだろうと思いました。(W C)

○ 今回の研修で、地域に根強く残っている歴史があることがわかった。また、戦争の裏側の事実も知ることができ、課題研究の戦争についてのテーマにも、一つの視点として繋がるだろうと思う。

(S Y)

○ 前までは空襲が東京などの大都市にしかないと思っていたので、館山にもあったことを知ってびっくりした。

一見ほとんどつながりのなさそうなものでも、よく調べてみると、なにか関わりがあったりするということがよくわかった。

敗戦直前には、本土決戦の準備を万全にしていたが、本当に決戦がなくてよかったと思った。

赤山地下壕は、そこにつとめていた人でも、全体像は知らないので、ものすごく厳重に情報が漏れないようにしていたのだと思った。

アメリカにアワビをとりに行った人々は、アメリカに忠誠をちかうために日本の情報を提供していたが、とてもつらかったと思う。

大巖院の四面石塔は、なぜ館山にたてられたのか、なんのためにたてられたのかもっとくわしく知りたくなった。

遭難した船を日本人が助けた話は、エルトゥール号の件しかしらなかったので、清国の船を救助した話を聞いたときは、うれしくなった。(I A)

○ 私が今回の講座で1番印象に残っているのは、赤山地下壕跡です。戦争について少し興味があるので、千葉県にもそのような場所があると知って驚きました。実際いってみると、あちらの方が詳しく説明してくださって、とてもおもしろかったです。天皇の写真が飾ってあった場所やほったあとが残っていて、本当にここで生活していた人たちがいたんだなと感じることができました。この講座に行って、課題研究のテーマを平和に関係させて考えてみようと思いました。戦争または人種差別についてなどグローバルにもつなげてみようと思います。安房へ行って、平和の大切さをあらためて実感することができました。(N Y)

○ 歴史の授業では習うことのないことをいろいろ知ることができた。さらに実際の場所を訪れ、話を聞くことでより戦争というものが身近に感じられた。(K K)

○ 館山にいったことは何度かあったが、館山にこんなに重要な戦争の移籍があること、戦争の歴史があることをはじめて知ってとても驚いた。

地下壕やハングルの石塔まで行って、何年も昔からこの場所でいろいろなことがあったのだと思うと不思議な感じがした。安房の遺跡の保護活動を続けていられるNPOの方々は本当にすごいなと思った。

やはり、グローバルな人材になるためには、まずは日本のこと、千葉のこと、佐倉、自分の住んでいる船橋のことをよく知っていないととても恥ずかしいと思う。今回研修に参加して良かったと思っている。(Y H)

○ 知っていると思っていた物語や遺跡のことが案外わかっていなくて、新しい知識が得られた。特に館山と佐倉のつながりは、今まで考えたこともなくて新鮮だった。

四面石塔について、韓国と日本の文字が書かれているのはわかったけれど、印度の文字や中国の文字が書かれているのはなぜなのか不思議に思った。

また、館山が4日間占領されていたことにとても驚いた。もっとその情報が広まってもいいと思う。(T R)

○ 安房文化遺産フォーラムの愛沢さんや池田さんのお話を直接聞くことができて本当によかった。「まず足もとを」という2人の先生の館山を大切に思う気持ちがとても伝わってきた。

はじめてこのようなツアーに参加できて、そして、赤山地下壕・大巖院・ハングルを実際に見てまわることが、今までと、“戦争”や“国際関係”に対する気持ちのもち方が変わった気がする。世界は日本人だけでなくてそれぞれの立場で別々の考え、意識があること。本当はどの国の人も他の国を思いやっていること。読むのではなくて見たり聞いたり体験することが大切であることなどたくさんつながるなと思った。(W R)

○ 今回の講座について、もともと戦争や平和に興味がありましたが、この講座に参加して戦争のこわさを肌で感じることができ、これを他の人にも伝えたいと思いました。伝えることができれば、平和の大切さをまわりに伝えることができ、今も行われている紛争などが少しでも亡くなれば良いなと思いました。(K T)

○ 今回、赤山地下壕などを見学して、地下壕では、まず、地層がくっきりしていてきれいでした。その次に、そこの土はやわらかいから、ほとんど人がツルハシで掘ったということに驚きました。機械や爆発物を使って掘っていると思っていました。また731部隊の話や現在の日本の戦争についての法の話を聞いて、少しその時のことや法律について興味が出ました。

四面石塔では、確かに戦争をしている中で、外国の文字で書かれたものが破壊されたり、たおされたりしなかったことは不思議だと思いました。

また、ハングル文字が今の文字と違うものが書かれていて、朝鮮のほうにはないのは驚きました。

最後に、まだわかっていないことがたくさんあると思うので、そういうことを調べるのも面白そうだと思いました。(O Y)

○ 日本と外国は地域的につながっている事がわかったので、日本全体の影響や対策だけでなく、地域ごとに受ける影響などを調べたいと思いました。(K R)

○ 館山というところは、交易や戦略的にも重要なのだと知り、佐倉とも関係があったとはじめて知りました。

また、NPOの方々が、資料がないのにも関わらず、歴史を身近なところと関連づけて調べることをしていて、勉強になりました。

「平和の文化」というワードからテーマに繋がるのではないかと思いました。(F K)

○ 今回の研修を通して、地元の歴史を学ぶことによって多くの史料が出てきて、それが大きな発見につながるのだと思った。日本と海外との交流が古くから盛んな土地の歴史を学ぶことは、日本、海外での交流の架け橋にもつながるのだと学んだ。今回の研修で館山が昔、外交に関してどれだけ重要で、考古学的に価値のある史料が多いかわかった。まだまだ多くの発見がありそうで面白 かった。(A Y)

○ 館山市が、戦争の時に重要な役割をになっていたことは知らなかったので、しれてよかった。

また、朝鮮通信使が館山となんらかの関係がある可能性があるっていっていたので、興味がわきました。

天皇陛下の写真が大切っていっていたが、なぜ大切なのにまん中にほかんしていなかったのだろうか。(H S)

○ 愛沢さんのように個人的な活動からも世界の歴史につながることができるのだなと感じた。

また、防空壕だと思っていたものが、いろんなことに使われていることをはじめて知って驚いた。(S Y)

○ 戦争があったということはもちろんわつぃも知っていましたが、館山であったことは全く知りませんでした。

特に私は、館山が軍事占領を3日間だけされていたということに驚きました。

また、洞窟の中はめっちゃこわかったです。特におばあちゃんの説明のしかたが。笑

館山に行ったのははじめでだったのでとてもワクワクしました。

また機会があったらぜひ参加したいです。(T R)

○ 今回の研修で世界遺産の大切さをよく学ぶことができたと思う。

戦争からつながっている“今”を、人と人とのつながりによってつくられていることを知った。また、今回の研修に参加しなかったらこのような体験ができなかったのだと思うととても貴重なものだと実感した。館山のことについてもっと深く調べたり、他の地域についても幅広く知ることができたらと思った。

思いがけないところで他国との関係があり、興味深いと思った。(O Y)

○ 今回の研修では特に赤山地下壕跡がとても印象深かったです。なぜなら、当時の軍の人などが実際に使っていた物や部屋を見て、当時の雰囲気を少し感じ取れたからです。またガイドの人の案内も印象的でした。

将来、二度と戦争が無いように今回の体験をいろんな人にしてもらい、今よりも意識を高くしてほしいと思いました。(A Y)

○ 私の祖母の実家がある館山が本土決戦の予定地だったということに驚きました。(那古船形に住んでいるのですが、大本営の予定地だったということにも驚きました)

もしそこで万が一があったら、私は生まれていなかったので、平和の重要性を身をもって感じました。

SGHテーマにつながりそうなこと。領土問題。日本と他国における歴史館の違い。占領下の地域についての問題(元植民地における国境問題なども含む) (I T)

○ 館山市が行っている平和運動や歴史について詳しく話を聞けて良かった。館山市が戦争などと深く関わっていることに驚いた。

SGH課題研究で、国際平和について研究しようと思うので、平和運動について詳しく調べようと思う。(H M)

○ 今回の研修では、実際に防空壕に入り、係の人にここはどのような場所だった」とか「どんなことをしていた」など戦争を体験した人からのお話をきいて、今の私達が、これからも戦争の恐ろしさや、体験した人の伝言など受け継いでいく必要があると思った。

洞窟の中はとても広く、この中でみんなはどんなことを思ってひなんしていたのかと思うと私達もまだ、昔の日本について学ばなければならないと思った。(O C)

○ 自分は、今回の学習とは関係性の薄いと思う石油問題についての課題研究をやろうと思っている。しかし、これは、今回の学習の一つである他国との人間関係の作り方が関係していると思う。(I Y)

160526~27日中友好協会東葛支部我孫子グループ*吾孫子隆様

2日間大変お世話になりました。


「現地で活躍されているスタッフの方に元気をいただいた」

「現地の方のガイド付きがよかった。関心や理解が深まる」

「千葉県のことで知らないことがたくさんあることが改めて分かった」

「館山文化 すばらしい」

「内容が濃かった」

などの感想がありました。


少ない人数になったことは少し残念でしたが、

企画をした私としては、

参加者から「よかった」「勉強になった」などと言われ、

達成感を持つことができました。

皆様のおかげです。


準備の時から丁寧な対応をしていただきありがとうございました。

おかげさまで ”充実感”を持って次の企画へ意欲的に取り組むことができます。

心から感謝を申し上げます。 謝謝

150628・0705・0721*証言者のつどい(戦跡学習会)

証言者のつどい(戦跡学習会:3回)


①6月28日(日)15:30〜 (A会員総会終了後)=館山地区公民館

1930年生まれ、戦時中に館山市船形在住だった西村榮雄(よしお)氏は、旧制安房中学に在学中、軍事施設作りに関わった勤労動員の日記を保持している。館山市那古地区の川崎空襲跡の惨状を目撃するなど、鮮明な記憶を証言する。 父の西村迪雄(みちお)(陸軍少将・鎮海湾要塞司令官)は陸軍士官学校15期で、同じ船形に在住していた同期の多田駿(はやお)(陸軍大将・反東條派・1941年予備役)と親交があった。なお、赤門病院の芳名録に参謀総長梅津美治郎(よしじろう)の署名があり、終戦直前の7月23日に館山を訪れていることがわかった。その後、ミズーリ号の降伏文書に調印することになった梅津が、なぜ来館したのか謎である。彼もまた陸士15期の同期であった。


②7月 5日(日)13:00〜 (赤山ガイドサービス終了後) =館山地区公民館

1927年生まれで赤山の前で生まれ育った高橋博夫氏(元館山市教育長)は、館山海軍航空隊の建設と拡張工事に伴い自宅を2度転居させられている。赤山地下壕の建設は日米開戦前から始まっていたと証言。1944年7月旧制安房中学5年時に船橋の日本建鉄に勤労動員。1945年3月卒業、教員不足のため西岬村東尋常小学校の代用教員に勤務。降伏調印の翌日、外務省館山終戦連絡委員会の担当者とともに自宅から米占領軍の上陸を目撃。4日間の「直接軍政」のとき、自宅横に米軍の衛兵所と機関砲が置かれたことで、米兵との交流があったとのこと。戦後は、子どもたちに教科書の黒塗りを指導しただけでなく、小学校に直接米兵を連れていき、地理や英語の模擬授業をおこなったという貴重な体験をもつ。

青山学院水泳合宿所は、1926年に赤山の麓に開設され、生徒たちは夏の時期に柏崎の浜で水泳訓練をしていた。しかし赤山地下壕の建設に伴って1941年12月に海軍より譲渡の話が出され、すぐに閉鎖となった。青山学院高校の佐藤隆一教諭が、学校側の記録や写真から分かった調査を報告する。


③7月21日(火)13:00〜 (終了後にNPO運営委員会) =館山地区公民館

房総南端の布良(館山市)は幕末の一時期に砲台が置かれ、明治には海軍布良望楼(1894年)が建設された軍事的な要衝である。マグロ漁で栄えた漁村で海難事故が絶えなかったため、帝国水難救助会布良救難所(1903年)が開設され、救難所の看守長は村議の小谷喜録が務め、布良望楼とともに沿岸警備の役割を担っていた。日露戦争開戦となった1904年、画家の青木繁は友人3人と布良を訪れ、小谷宅に40日逗留し、重要文化財『海の幸』を描いている。隣接して館山海軍砲術学校(1941年)が開かれ、戦争末期には本土決戦体制として布良陣地が構築された。小谷喜録の長男・希六は徴用漁船「海幸丸」で就漁中に機雷にあたり亡くなっている。戦争と関わりの深かった漁村の状況について、1928年生まれの船大工・豊崎栄吉氏ら布良の人びとと語り合う。

150609=布良崎神社奉納画・調査報告会

布良崎神社奉納画・調査報告会

印刷用


【日時】2015年6月9日(火)13:15
【会場】館山市立富崎小学校体育館

報告者:株式会社ディヴォート修復室長 尾形純氏

主催:青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

(事務局:NPO法人安房文化遺産フォーラム)

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青木繁の3年後輩として東京美術学校に学んだ寺崎武男はイタリアに留学し、フレスコやテンペラ画などを学び、日本洋画の発展に貢献した画家です。関東大震災後より館山に居住し、多くの神話を描き、その作品は安房神社や下立松原神社などに奉納されています。布良崎神社には、天富命が布良に上陸した神話が描かれた巨大な奉納画があります。鳥居型に額装され貴重な作品ですが、作品の傷みが激しく今後の管理状態が心配されています。 (写真上)

NPO法人青木繁「海の幸」会の大村智理事長(女子美術大学名誉理事長・韮崎大村美術館長)は、多くの寺崎作品を所蔵されており、そのうち30数点を修復しました。このたび、その修復技術者をお招きし、布良崎神社の作品について調査をしていただくことになりました。

布良崎神社には、寺崎作品だけではなく、「敬神」と彫られた巨大な扁額があります。制作者名は「御額師舛川」とあり、「茂卿謹書」と「茂卿」の印刻が彫られています。「茂卿」は江戸期の儒学者・荻生徂徠の字名と同じですが、扁額の由来は謎のままです。 (写真下)

当日は、これらの作品を修復技術者に調査していただき、その報告をお願いしています。作品は会場に展示しますので、早めにご来場し、ご覧下さい。終了後は14時より、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会の会員総会を行ないます。入会希望の方は受付でお手続きください。