お知らせ

【房日】121024*青木繁《海の幸》フェスタにぎわう

青木繁《海の幸》フェスタにぎわう

多彩な催しで富崎再発見、地区コミュニティとコラボ

(房日新聞2012.10.24付)

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会による「青木繁《海の幸》フェスタ」が21日、休校中の館山市富崎小で開かれた。地元の富崎地区コミュニティ委員会と共催し、地区在民によるコミュニティのつどいとコラボしたイベントで、レク大会や写真・資料展示、影絵劇、トークショー、語り部などがあり、青木繁が愛した「漁村富崎」を見つめ直した。

この日はグランドゴルフやペタンクなどのレク大会が校庭で行われた後、体育館に会場を移し、テレビドラマ「太陽にほえろ」のボン刑事で活躍した俳優の宮内淳さんが主宰する影絵劇団かしの樹が、神話と友情を描いた「走れメロス」を公演。続いて、20年来の親友という宮内さんと館山市坂田のダイバー成田均さんが、「海からの贈り物」をテーマに対談した。宮内さんは、幸せで豊かな生活を実践するための公益在団法人地球友の会の代表理事。成田さんは、同会の理事という間柄。成田さんは、素潜りの世界記録保持者である故ジャック・マイヨールがイルカから学んだという地球との共生という生き方について語った。

午後からは「新発見!青木繁が滞在した明治の漁村・富崎」を、青木繁が滞在した小谷家の現当主・小谷福哲さんらが解説。今年7月の小谷家住宅見学会で発見され、会場に展示された「近代水産の父」とされる関澤明清の明治23年(1890)の手紙から、小谷家の居間に飾られてきた「日本重要水産動植物之図」3枚が、当時、水産伝習所長であった関澤から、小谷家当主の喜録に、伝習所生が世話になったことを感謝し贈られたものであることなどが説明された。千葉県水産試験場で、長年アワビの増殖・種苗の研究を重ねてきた大場俊夫氏は、関澤明清の書簡は、近代水産業発展のうえで布良が果たした重要な役割をうかがわせるものと新発見資料を高く評価した。

語り部「さくら貝」からは庄司民江さんが「布良星」、館山三中2年生の浜田雅子さんが「タコのうらみ」と、ともに布良に伝わる伝承を熱演。最後は婦人会が、踊り「いっちゃぶし」「安房節」を披露。「漁村の民謡は長寿の秘訣」とみんなで踊って閉会した。

【房日講演抄録】121003*天野努「考古学からみた古事記と古代房総」

考古学からみた古事記と古代房総

〜景行天皇と倭建命(やまとたけるのみこと)東征伝説を中心にして〜

安房歴史文化研究会会長 天野努氏

(房日新聞 2012年10月3日) ⇒記事PDFはコチラ


ヤマトタケル伝説に真実味
史書と古墳がオーバーラップ

今年は古事記が編さんされてちょうど1300年にあたる。奈良や出雲、宮崎などではメモリアルイベントがさかんに行われている。この機会に古事記がこの地域について記述した部分と、それに関係するような最新の考古学発掘調査の結果を紹介し、その関連性の有無について考察してみたい。

古事記の中巻、景行天皇の段には房総に関わる記載がある。

天皇の御世に東国の「淡水門」(あわのみなと)を定め、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を定めた。また東国征討のために倭建命(やまとたける)を遣わしたが、「走水の海」(はしりみづのうみ)を渡るときに荒波を鎮めるため、后の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が海中に身を投げた‐というくだりだ。

この倭建命の東国征討の話は日本書紀にも書かれている。日本書紀では天皇が上総・淡を訪れたとの記述もあり、そこに磐鹿六雁(注・・高家神社にまつられる料理の祖神)のエピソードが出てくる。ちなみに「走水の海」は浦賀水道、「淡水門」は館山湾とも考えられている。

また東国征討が実在したと仮定すると、その年代は4世紀ごろと考えられる。

さて、その時代の古墳に目を移すと、東国の3世紀の古墳は前方後円墳が大半を占めていたのに対し、4世紀には大型の前方後円墳が出現する。房総では小櫃川、養老川、村田川隆起に集中する。

三浦半島の逗子市・葉山町の境界で平成11年、長柄・桜山1号墳、2号墳という2つの大型前方後円墳が発見された。標高100-120メートルもある山に築かれ、相模湾や富士山が一望できる。ともに壷型埴輪などが出土している。直下の沖積地の集落遺跡からは銅鏡や銅製の鏃(矢じり)、石釧など大和王権と直結するような出土品もあった。

この古墳は交通の要衝に、海からのランドマークになることを意識してつくられたと考えられている。埋葬者は大和王権とのつながりの深い首長と思われ、この古墳が発見されたことで「ヤマトタケルの伝説」が真実味を帯びてきたと私は考えている。

東京湾をはさんだ木更津市の矢那川沿いに手古塚古墳がある。墳丘長60メートルの前方後円墳。今は海岸が埋め立てられているが、眼下に東京湾、三浦半島が望め、海岸から最も近い場所につくられている。

三角縁神獣鏡や、畿内のものとみられる朱の入った布留式の士師器甕などが出土。籠手や銅・鉄製の鏃なども出た。遺物からみて、この古墳は4世紀前半のものとみられている。埋葬者は畿内と強い関係を持った武人と考えてさしつかえないだろう。

姉崎古墳群(市原市)の釈迦山古墳。これは手古塚と同時期か一段古い前方後円墳だが、畿内のものによく似た高杯や、東海地方の「S字甕」が出土している。このように考古学からみると、古事記、日本書紀に書かれている「東国征討」とオーバーラップするような古墳の分布がみられる。

安房はこれまで大きな古墳がない場所といわれてきたが、2年前に報告書がまとめられた萱野遺跡(館山市)の発掘調査では大型方墳(一辺34.2メートル)あるいは前方後円墳(62メートルぐらい)ではないかと言われている、出現期(3世紀ごろ)としては東日本最大の古墳が見つかった。

この萱野遺跡からは伊豆・新島産の流紋岩を使った石器が多く出土している。当時の海上交通をになっていた集落がこの地に存在し、古墳はその海上ルートを支配していた首長の墓と考えられる。

安房では4世紀の古墳は見つかっていないが、5世紀後半のものとしては恩田原古墳(南房総市久枝)や永野台1号墳(同市石堂)などがある。

 

(本稿は、館山コミュニティセンターで9月30日に行われた安房歴史文化研究会公開講座の内容を要約、再構成したものです)

【北國新聞】121002水産業の父の魚類図、加賀藩出身の関澤明清

水産業の父の魚類図、加賀藩出身の関澤明清

千葉の網元に贈呈、漁業へ情熱示す

(北國新聞2012年10月2日)

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サケの養殖技術などを日本に伝え「水産業の父」と呼ばれる加賀藩出身の関沢明清は明治時代千葉県館山市の旧家に送った書状が1日までに見つかった。関沢が水産業を志す生徒を漁の盛んな館山に派遣していたことがうかがえるほか、生徒を受け入れてくれた礼として精密な魚類図を送っていたことが分かり、関沢の水産業発展への情熱が伝わる貴重な資料だという。

書状は、館山市指定有形文化財の「小谷家住宅」で地元のNPO安房文化遺産フォーラム関係者が確認した。1890年(明治23年)9月10日付の小谷家当主宛てで「生徒御地出張中はご多忙の中、特に漁具その他の説明を煩し、生徒に於いても満足致して居り候」などと直筆で書かれており、関沢が所長を務めていた水産伝習所の生徒が江戸時代から続く網元だった小谷家に滞在して漁法を学んでいたと推測される。

小谷家で保存されている石版画「日本重要水産動植物之図」が、生徒受け入れの札として関沢から同家に贈られた品であることも、書状の記述から初めて分かった。

この図はイセエビやマンボウ、アシカなど海の生物159種の絵と名前、体長などが日本語とフランス語で記されている。関沢について調べている金沢工大の吉道悦子教授(文芸社会学)によると、図は1888年、農商務省が複数制作し、現在、小谷家が保管するほか、公共図書館では金大附属図書館が唯一所蔵。金大の前身の旧制四高が1917年に購入し、授業で使っていたとみられる。

吉道教授によると、従来、この魚類図が関沢と関連付けて考えられることはなかったが、今回の発見で関沢が図を贈答品に用いていたことが分かったのに加え、図の出版当時、関沢がこの図の製作に関わった可能性が大きいという。吉道教授は「書状の発見が水産業の発展に尽くした関沢の功績が広まるきっかけになればうれしい」と話した。

 

関沢明清 (1843〜97)

加賀藩士関沢安左衛門の次男。1866年、長崎に留学中、藩命で海外渡航の禁を破って英国へ留学し、帰国後、明治政府に仕えた。ウィーン万博、フィラデルフィア万博を視察して魚の養殖法や漁網編み機を持ち帰り、缶詰製造や捕鯨銃の採用、遠洋マグロ漁業の普及に尽くした。水産伝習所(東京水産大の前身)の初代所長。北國新聞社から「関沢明清‐若き加賀藩士、夜明けの海へ」が発刊されている。

安房ビエンナーレ2012in旧安房南高校

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第10回「半島の現代美術」展

AWA BIENNALE 2012 〜半島の海・街・森〜

主催=安房ビエンナーレ協会


【海】

会場:鴨川市民ギャラリー=鴨川=

期間:10月10日(水)〜10月16日(火)


【街】

会場:旧千葉県立安房南高等学校=館山=
期間:10月19日(金)〜10月21日(日)


【森】

会場:芸術の森=富津=

期間:10月25日(木)〜10月31日(水)


◎旧安房南高校木造校舎の活用を考えるシンポジウム
日時:10月20日(土)13:00〜
会場:旧安房南高校2F・旧職員室

入場無料


出展者はチラシ裏面参照

【57】121023平本紀久雄さん*房州キリスト教伝道の夜明け

知恵袋講座57回目

語り手=平本紀久雄さん
テーマ「房州キリスト教伝道の夜明け」

参加費=200円(茶菓子・資料代)


房州では明治期から、イギリス人牧師のコルバン夫妻や秦呑舟(はたどんしゅう)など医療者を中心にキリスト教伝道がさかんになってきました。コルバン夫妻を頼って、啄木未亡人が療養に来たことは有名です。イワシ博士として知られる水産学者の平本氏は、南房教会の建設にも尽力したキリスト者です。

120926=我孫子の歴史建物まちづくりバスツアー

チラシ&申込書はコチラ


我孫子の歴史建物まちづくりバスツアー

=文化庁「地域の文化遺産を活かした観光振興と地域活性化」=


平成24年9月26日(水) 参加費無料 (昼食代は各自)
集合=8:00安房自然村、8:05平砂浦ふれあいショップ、8:20南総文化ホール

行く先=杉村楚人冠記念館(我孫子市)・聖徳大学書が居学習研究所(松戸市)


杉村楚人冠(1872-1945)は、明治末期から昭和初期に活躍した朝日新聞記者です。日本で初めて新聞社に調査部や記事審査部を設けるなど、先進的な功績をのこしました。関東大震災で2人の子供を失ってから我孫子に住み、手賀沼の景観保護活動に取り組み、我孫子のまちづくりに尽力しました。

緑ゆたかな敷地に建つ杉村邸(我孫子市指定文化財)は遺族から寄贈され、我孫子市が修理復元をした後、昨年秋に記念館として一般公開されました。我孫子市は多くの文化人が暮らしたまちとして、文化を活かした地域活性化をすすめています。

一方、青木繁が《海の幸》を描いた館山市布良は美術界で聖地と呼ばれ、滞在した小谷家住宅(屋号:喜録)も館山市文化財に指定され、全国の美術家の皆さんが組織するNPO青木繁「海の幸」会では、修理費の募金活動をすすめています。修理復元後、青木繁《海の幸》記念館(仮称)の開館を目ざす私たちは、先進事例である杉村楚人冠記念館を見学し、今後の活動の参考にしたいと思います。

見学の後、となりの松戸市で聖徳大学生涯学習研究所に立ち寄り、まちづくり仕掛け人の福留強先生を囲んで女子大生とともに、文化財を活かした地域活性化について話し合いましょう。

【房日講演抄録】120921*木村真三「ネットワーク放射能汚染地図」

独協医大准教授:木村真三氏

「ネットワークでつくる放射能汚染地図」から安房を見る

〜市民科学者養成講座〜

房日新聞 2012年9月21日


正しい知識で差別をなくそう
定期的な食品検査が大切

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木村氏は1967年愛媛県生まれ、東日本大震災発生直後、勤務していた労働安全衛生総合研究所に辞表を出し、福島県各地で放射能線量を独自調査。その様子が「NHKのETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で放送され、大きな反響を呼んだ。現在は獨協医大国際免疫学研究室福島分室で放射能汚染調査などを続ける一方、NPO法人・放射線衛生学研究所(郡山市)の理事長として住民支援活動を行なっている。

今月7日に福島第一原発近くの海域で、海水の汚染レベル調査をした。原発から1キロほど離れた地点から、持っている線量計の値がグーッと上がってくる。これで、原発からの放射能が約1キロの距離を飛ぶということが分かってきた。原発から200メートルまで近づくと、海上で7・5マイクロシーベルトというとてつもない放射線量が計測された。海洋から見た放射能汚染調査はこれまであまりない。採取した水は現在長崎大で分析中だ。

私はこれまで、放射能汚染地図づくりに始まり▽二本松市住民の内部・外部被ばく調査▽昨年4月21日にいわき市が“安全宣言”を出したものの、その後の高濃度のお線画見つかったいわき市志田名・荻地区の調査および支援—など、東日本大震災後にさまざまな活動を行なっている。

福島での住所は不定で、県内各地の一般家庭にホームスティしながら活動、地元の方々と寝食をともにし、その思いや痛みを一緒に味わいながら、どうしたら今の状況が改善できるかを日々考えている。

原発事故で避難者はものすごいメンタルストレスを抱える。特に県外の方をなんとかフォローしたい。国の対応も不十分で、今年3月から新潟県でストレス調査と支援活動を始めた。福島からは現在6500人が新潟に避難。強制避難が3000人ほど、残りは自主的に避難した方々だ。

柏崎市に避難している女の子は、男子生徒の心ない言葉で拒食症になった。ぽっちゃり体型を「身体の中に放射能が入っているのだろう」とからかわれた。体重は20キロ台になり、チアノーゼの症状も。それでも毎日学校に通っている。

また、母と子で避難生活中に母親にがんが見つかった別の事例。原発事故との関連は極めて低いのだが、当人は「あの時、あの野菜を食べたからでは」と気に病んでしまう。隣人からは「放射能が降ってくるから、子どもを静かにさせろ」「福島に帰れ」など、とんでもないことを言われ続けている。

いずれのケースも、構造は部落差別と同じ。正しい知識が欠如しているからこのような問題が起こる。放射線についての正しい学習、教育の普及がなによりも大切だ。原発事故による被害は、直接的な被ばくの影響だけでなく、間接的な影響がとても大きい。チェルノブイリの時もそうだった。

日本人は何事にもまじめに考えてしまう傾向があるので、心が病んでしまう人が多く出る心配がある。メンタルストレス被害のデータをきちんと残すことが重要だ。

「原発立地を推進してきた」という理由で、福島(の人々)に事故の責任をなすりつける論調が一部にある。「貧しい地域」だったために原発を受け入れざるを得なかったという歴史的視点を欠いた、間違った物の見方だ。沖縄の基地問題も根底は同じ。実際にいわき市で、東京の人がそのような発言を公の場でしたのを私は聞いた。この種の「無学、無知」を正す作業も地道に行っていかなければならない。

多くの市民の方々に▽放射線の単位(シーベルトとベクレル)▽放射線の種類と人体影響▽放射能汚染の拡がりについて▽外部被ばくと内部被ばく—について、正しい知識を知ってほしい。

安房地域の空間放射線量は0・05〜06マイクロシーベルトで、事故が起こる前の基準と同レベル。普通に生活していただいて大丈夫だ。

今回の原発事故で大量放出された放射性核種は風や雨、潮の流れなどによって移動する。日本のどこでも汚染の可能性はあり、食べ物は気をつける必要がある。食品・学校給食の検査はどうしても必要だ。

福島第一原発は、大震災後の揺れ戻しがきた場合にどうなるかが心配。危険な場合は自宅など屋内にとどまり、放射性物質が通過するまで外出を避けることだ。

(本稿は、館山商工会館で17日に行われた安房地域母親大会での講演内容を要約、再構成したものです)

10月13~14日=全国女子力まちづくりフォーラムin茨城行方

【行方市市制施行7周年記念:男女共同参画事業】

案内チラシ&申込書


◆前夜祭「夜な夜な語る女性のパワー」

・日時:2012年10月13日(土)18:00〜21:00

・会場:行方市北浦公民館レイクエコー


◆全国女子力まちづくりフォーラム

・日時:2012年10月14日(日)

・会場:北浦公民館・行方市文化館


◇分科会……10:00〜11:50 =北浦公民館

①心豊かでたくましい子どもたちを育む教育実践〜キャリア教育〜

・荒川幸弘(栃木県本郷中学校教諭)

②職場・地域をリードする女性たち

・池田恵美子(NPO安房文化遺産フォーラム)★

③まちづくりにメスを入れる女性の能力と魅力

・清水ひろ子(兵庫県播磨町長)

④女性を中心とした新たなコミュニティ形成

・中村亜紀(KK富士通研究所)


◇ミニコンサート……12:25〜13:00 =行方市文化館

・トリオ・コレンテ


◇基調講演……13:00〜14:30 =行方市文化館

①会長挨拶=伊藤孝一(行方市長)

②大会メッセージ=福留強(聖徳大学教授)

③講演「歴史が語る女性の力」=根崎光男(法政大学教授)


◇シンポジウム:女子力がまちを変える!……14:40〜16:00=行方市文化館

・根崎光男(法政大学教授)

・清水ひろ子(兵庫県播磨市長)

・池田恵美子(NPO安房文化遺産フォーラム)★

・山田隆士(女性プラザ館長)

ファシリテーター=長江曜子(聖徳大学教授)


【主催】

・行方市全国女子力まちづくりフォーラム実行委員会・行方市・行方市男女共同参画推進会議

・茨城県女性プラザ・聖徳大学傷害学習研究所・㈱富士通総合研究所

【後援】

・行方市教育委員会・茨城県・茨城新聞・NHK水戸放送局・茨城放送(順不動)