安房文化遺産フォーラムに 感謝状贈る 館山
赤山地下壕ガイド10年の功績
(房日新聞2014.4.9)
館山市は6日、館山海軍航空隊赤山地下壕跡=同市指定史跡=のガイド活動など、戦争遺跡の保存と活用を通じて市の文化活動に貢献しているとして、NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)に感謝状を贈った。
赤山地下壕は平成16年4月1日から一般公開され、今年で10年となる。同NPOは、当初から見学者に対し同地下壕のガイドを続けている。
感謝状の贈呈は、同地下壕に隣接する豊津ホールで行われ、金丸謙一市長は「地下壕を整理することから始まり、苦労をしながら多くの人が訪れるようになった。みなさんのおかげ。今後も尽力いただきたい」などと賞状を手渡した。
愛沢代表は「ガイドを始めたころは、これほど盛り上がるとは思っていなかった。このような感謝状を受け本当にうれしい」と語り、この日集まった21人の会員と共に10年の歩みを振り返っていた。
【写真説明】感謝状を受けたNPOのメンバー=赤山地下壕前で
「戦後60年」の節目に、安房地域で平和を希求する諸団体が手をつなぎ、大きな波を広げていこうと、企画を結んでいきます。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
① “平和・交流・共生”のための「戦後60年」資料展
〜戦時下における安房とアメリカ日系人…たてやま夕日海岸ホテル
房総とアメリカにかかわる親善友好と戦争の歴史資料展 7月〜9月
○ アメリカ移住した房総アワビ海士、アメリカ日系人強制収容所
② 安房反核フェスティバル
……館山コミュニティセンター 7月1〜30日
○ 映画『第五福竜丸』
○ 講演:犬石又七氏「ビキニ事件の真実」(元第五福竜丸乗組員)
○ 講演:奥田治郎氏「被爆体験談」
○ 展示:子どもの平和ポスター、劣化ウラン写真パネル
③ 安房地域母親大会〜子どもたちに平和を手渡そう
……南総文化ホール 7月9日
○ 講演:きくちゆみ氏「鴨川の女性が世界に呼びかけたこと」
○ 講演:天羽道子氏「自らの体験を通じて日本の加害の歴史を考える」
○ 講演:池田恵美子氏「南房総にあった戦争を子どもたちにどう伝えるか」
④ 郷土教室〜館山に戦争があった頃
……館山地区公民館 7月16・24・31日
○ 館山地区にのこる戦争遺跡めぐり(赤山地下壕と掩体壕)
○ お話:利渉義宣「館山の浜のうつりかわり」&田辺世勢夫「黒松の年輪」
○ お話:松苗禮子「館山小学校と青い目の人形」
⑤ 平和映画祭『ひめゆりの塔』上映会
……南総文化ホール 7月17日
1953年今井正監督により制作された、平和祈念の不朽の名作。千葉県内で撮影されたと言われている。
⑥ 朗読劇「この子たちの夏」
……南総文化ホール 7月24日
被爆した母子の手記を、地元の朗読グループメンバーが上演。
⑦「たてやま日韓子ども交流事業」
……白百合学園音楽ホール他 7月26〜29日
韓国・浦項(ポハン)製鉄西初等学校の子どもたち20名が来日し、館山に民泊。「四面石塔」や戦跡などのふるさと探検、沖ノ島自然体験、国楽&和太鼓の音楽などを通じて、子ども同士の国際交流を行なう。外務省「日韓友情年」認定事業。
⑧ 終戦記念日 平和祈念講演会
……館山商工会館大ホール 8月15日
○ 講演:岩田行雄氏「検証・憲法第9条の誕生」
⑨ 第1回安房・平和のための美術展
……枇杷倶楽部ギャラリー/アートスペース風 8月26日〜9月1日
安房地域在住の芸術家による、平和祈念のチャリティ展覧会。
⑩「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」
…… 南総文化ホール大ホール 9月3日
第一部:合唱組曲『ウミホタル〜コスモブルーは平和の色』初演
第二部:講演&日米対談「太平洋をわたった房総のアワビ漁師たち」
1945年、館山に本土上陸をしたアメリカ占領軍は、本土では唯一の直接軍政(4日間)を敷き、戦後日本をスタートさせた。明治期よりアメリカ・カリフォルニア州モントレーに移住していた房総のアワビ漁師(海士)たちは、太平洋戦争になると、強制収容所に入れられ、対日情報部隊としてアメリカ占領軍の館山上陸作戦にかかわった可能性も推測されている。アメリカ占領軍上陸から60年目にあたるこの日、モントレーから日系移民研究者サンディ・ライドン博士一行が来日。平和祈念とともに、日米合同による調査研究のシンポジウムを開催する。カリフォルニア生まれの堂本暁子千葉県知事も英語対談をおこなう。
館山に多く棲息するウミホタルは、戦時中、軍事利用目的で子ども達が採取を命じられていたという。このエピソードと幻想的な美しさに心うたれた作詞家大門高子氏と、ミュージカル『ぞうれっしゃがやってきた』の作曲家藤村記一郎氏によって、合唱組曲『ウミホタル〜コスモスブルーは平和の色』が昨年5月に作られた。発祥の地・館山では市民による合唱団を結成し、日米シンポジウムの歓迎演奏を兼ねて初演を行う。千葉県文化振興財団の共催。
小谷家のひな祭り
好評で8日に追加公開
⇒印刷用PDF
小谷家のひな祭り 好評で8日に追加公開
青木繁「海の幸」誕生の家として知られ、保存運動の進む館山市布良の小谷家住宅(同市指定文化財)で、修復工事を前に今月初め、ひな祭りの公開見学会が行われたが、3日間で延べ200人が来場する人気ぶりだった。このため、8日に急きょ追加公開することになった。
このイベントでは、昭和の雛(ひな)人形とともに、当主夫妻が納戸の奥から発見した古い雛人形も展示公開された。見つかったのは、4対の雛人形と大黒様と恵比寿様、五人囃子と一対の高砂人形の計17体。ひとつの木箱には「久次郎 げん」と記されている。「げん」は、現当主の6代前に婿養子を迎えた女当主の名で、明治3年に98歳で他界していることから、江戸期に制作されたものと推察される。200年を越えるとは思えないほど保存状態もよく、着物の色も美しい。来場者はみな思わぬ文化財に感動していた。
当主の小谷福哲さんは「先祖のげんさんが、小谷家住宅の保存運動にエールを送ってくれて、人形を見つけさせてくれたのではないか」と語り、妻の由喜枝さんは「私が生まれたときに、新しい雛人形を買ってもらったので、60年ぶりに日の目を浴びた人形も嬉しそう」と話した。
青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、館山市のふるさと納税を通じて寄付を募っており、趣旨に賛同する会員を募集している。全国の画家たちの支援により、修復基金の目標額3600万円のうちおよそ半分が集まったため、4月から着工することになり、平成28年春の一般公開を目指している。
追加の公開見学は午前10時から午後3時で多くの来場者を呼びかけている。場所は、JRバス「安房自然村」停留所から徒歩3分。問い合わせは、保存する会の池田恵美子さん(090-6479-3498)まで。
(房日新聞2014.3.7付)
(房日新聞2014.3.4付)⇒ 印刷PDF ⇒ 開催概要
文化庁の地域活性化事業の一環として、「シンポジウム館山まるごと博物館〜文化遺産を保存・活用するまちづくり」がこのほど、館山市内のホテルで開かれた。午前の世界的なツバキ研究者だった同市南条の小原家庭園見学会には約70人が参加、午後のシンポジウムにも関心のある市民ら約60人が参加した。
歴史文化遺産(ヘリテージ)の保存・活用を実践する人材養成を目指し、「ヘリテージまちづくり講座」に取り組んできたNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が、20年以上にわたる実践を踏まえ、講座の最終回として開催。多くの市民から賛同を得てきた「館山まるごと博物館」の実践について、エコミュージアムの研究者や市民とともに検証し、これからの可能性と課題を見つめる機会となった。
基調講演は、日本エコミュージアム研究会前会長で横浜国立大学大学院の大原一興教授。この中で大原教授は「各地の取り組みの多くは、エコミュージアムの理念を十分に理解しているとはいえない。文化財の保存・活用を単に観光利用の目的で捉えるのではなく、地域の人びとの生活文化の歴史にどのように関わってきたのかを学習したうえで、これからの地域を作り上げていく主体を育てるという視点から展開していくことが大切。その点、館山まるごと博物館は活動に関わる人びとがその考え方をよく理解していると思う」とエールを送った。
後半のパネルディスカッションは、3人の登壇者がそれぞれの立場から館山まるごと博物館に対する思いを語り合った。県立中央博物館学芸員の林浩二さんは、「近年の国際博物館学会では、博物館の機能として地域の有形無形すべての文化遺産を扱うことが求められている。市民が主体の地域まるごと博物館と連携することが大切」と語った。
神奈川大学特別助手のチョン・イルジさんは、「館山まるごと博物館は、活動に関わる市民研究員の層が厚く、市域資源の点と点が線になり、さらに面へと広がっていくつながり方が、国際的にも通用するまちづくり事例である」と報告した。
館山市教育委員会生涯学習課文化財係長の杉江敬さんは、歴史資源等を生かした平和・学習拠点の在り方として、館山市では「地域まるごとオープンエアーミュージアム館山歴史公園都市」を目標像と描いていることを紹介し、市民力と連携した活動実践を報告した。
最後に、主催者代表で千葉大教育学部で講師をしている愛沢さんは、「館山まるごと博物館は、今に生きる私たち市民の誇りを育んでくれるだけでなく、持続可能な地域づくりのヒントも与えてくれている。他地域との連携による広域まるごと博物館の交流をさらに深め、豊かな教育と観光雇用を増やすことにも寄与していきたい。ぜひ、多くの市民に活動へ参加してほしい」と語った。
小谷家住宅でひな人形公開
(房日新聞2014.3.1付)
青木繁が滞在し代表作「海の幸」を描いたことで知られる館山市布良の小谷家住宅(同市指定文化財)で、きょう1日から3日まで行われる。
同住宅は、全国の画家たちによって保存運動が進められ、一般公開に向けてまもなく修復工事も始まる。そこで、工事に先立ち、「小谷家住宅ひな祭り」として、最近見つかった江戸期のものと思われる雛人形と合わせて、同家に受け継がれているひな飾りを展示する。
同住宅は、JRバス「安房自然村」停留所から徒歩3分。特別公開は3日間とも午前10時半〜午後3時半まで。
旧家で発見、高砂人形公開
館山「小谷家」江戸後期の作か
(読売新聞2014.3.1付)
館山市布良の市指定文化財「小谷家」で江戸時代後期の作とみられる高砂人形がみつかり、1〜3日、一般公開される。現当主の小谷福哲(ふくあき)さん(63)は「古い家と古い人形ならではのたたずまいを楽しんでほしい」と来場を呼びかける。
小谷家は代々マグロはえ縄漁の船主を務めるなど集落の指導的役割を果たした名家。現在の母屋は1889年(明治22年)の大火後に建てられたもので、1904年(同37年)には、洋画家・青木繁が同家に滞在し、名作「海の幸」(国重要文化財)を描いたことで知られる。市は2009年に「保存状態のいい明治期の貴重な建造物」として文化財に指定した。
今年、小谷家の改修工事が行われるのを前に、地元のNPO法人・安房文化遺産フォーラムが一般公開を企画。古いひな人形を飾ろうというアイデアに、福哲さんの妻由喜枝さん(59)が納戸に古い人形があったことを思い出し、今年1月下旬、小さな木箱に入った高砂人形が見つかった。木箱の裏には「久次郎 げん」とあり、福哲さんが過去帳などで調べた結果、6代前の当主の妻で、明治初めの1870年に98歳で亡くなった「げん」に行き着いた。
福哲さんは「げんの亡くなった年齢などを考えれば、人形は江戸後期の作ではないか」としている。別のふるびた木箱の中には4対の内裏びなも見つかり、一緒に公開をすることにした。由喜枝さんは「人形が狭いところから出たがっていたのでしょう」と感慨深げだ。
公開は午前10時半から午後3時半。無料。問い合わせは、同フォーラム・池田恵美子さん(090・6479・3498)
青木繁「海の幸」誕生の家
小谷家住宅のひな祭り
⇒印刷用PDF
漁村の築130年の和風建築は、明治37(1904)年夏に画家・青木繁が滞在し、重要文化財の名画『海の幸』が描かれた家として知られる館山市指定文化財です。
青木繁を敬慕する全国の画家たちによって保存運動が進められており、一般公開に向けてまもなく修復着工の予定です。江戸期のものと思われるお雛様も見つかりましたので、期間中特別公開しまています。どうぞお越しください。
.
【日時】2014年3月1日(金)〜3日(月) 10:30〜15:30
【アクセス】JRバス安房自然村バス停から徒歩3分
読売新聞 2013.11.16
【講演抄録】 (2013年2月23日 房日新聞)
内村鑑三の進路を変えた布良の神田吉右衛門翁
潜水器アワビ漁を村有に、卓越した漁村のリーダー
千葉の海と漁業を考える会代表 平本紀久雄氏
⇒印刷用PDF
無教会主義を唱えたキリスト教思想家、内村鑑三(1861-1930)は水産伝習所教師だった明治23年(1890)8月、漁業調査のため生徒を引き連れて布良(現・館山市)を訪れている。内村はその著作『予が聖書研究に従事するに至りし由来』で、布良で出会った神田吉右衛門という老人とさまざまな話をしたことが契機となって「本職として従事した実業をなげうった」と述べている。
内村は札幌農学校を卒業後、開拓使に勤務して水産を担当。渡米・帰国後の明治22年、水産伝習所の教師となったが、神田と出会った布良の出張を終えるとすぐに退職する。水産技師から宗教家・思想家の道に進む大きな転機だった。
この時内村は29歳、神田は56歳。神田は「いくらアワビの繁殖を図っても、いくら漁船を改良し、新奇な網道具を工夫しても、彼等漁夫たちを助けてやることはできない」「なによりも先に(刹那的に生活をする)漁師を改良しなければだめだ」と話したという。
私は昨年9月、内村の研究者で同郷・同窓の大山綱夫氏(元恵泉女学園短大学長)に「神田吉右衛門とはどんな人物だったのか知らないか」と尋ねられ、すぐに研究・調査を始めた。
富崎小正門脇に神田翁の顕彰碑がある。大正2年の建立。この碑ができた時には記念の絵はがきもつくられた。
天保5年(1834)生まれで25歳の時に神田家に婿養子に入り、すぐにリーダーとして頭角を現す。明治6年に磯根アワビ売買の私有を廃し、村の共有に改めさせたというからすごい。この時はアワビの収益から村民に義捐金を募り、学制発布で発足したばかりの小学校に学資援助を行っている。
同15年には自らの発意で潜水器によるアワビ漁業を起こし、これを村有とした。白浜や大原など他地域ではすべて私企業が経営していた。布良では道路や漁港、水道など公共事業費のすべてをアワビ漁の収益でまかない、その残った余りを329軒の村人に分配したという。
同18年には相浜から乙浜までの漁業組合頭取になり、マグロ漁の遭難救助積立金制度をつくって漁師の相互扶助の道をひらいた。
同26年には富崎村村長に推され、8年務めた。安房水難救助会も設立した。同29年にはマグロ船の船頭認定制度を設けて証書を交付している。やはり内村が影響を受けるほどの人物だったといえる。
明治29年から33年にかけ、3回にわたり布良で「水産談話会」という催しが行われた。議事録が残っている。これを見ると、神田村長の教育者としての働きのすごさが分かる。出席者は尊重以下区長、勧業委員、区議、はえ縄船主と船頭合わせ、29年の場合計100人。評議では▽水夫の雇い入れ契約の届け出徹底▽船頭の資格要件、給与額の確認▽賭博禁止と罰則-などが話し合われている。遭難防止対策、新しい漁業法の工夫についても、村長が積極的に発言している。
神田吉右衛門は明治35年(1906)に69歳で死去したが、葬儀の資料によると数百人が参列し、村の児童や隣村の卒業生も集まったという。
わずか5か月でこれだけのことがわかったが、富崎の歴史についてもっと知りたい。布良の人は地元に伝わる話をぜひ収集していただけないか。神田翁の働きを紙芝居や小学校の副読本にできればいい。
市立博物館には明治44年から昭和6年まで吉右衛門の親類である神田辰太郎が残した膨大な「日誌」が残っている。どなたかぜひ読み解いてくれれば。
(本稿は館山市の日本キリスト教南房教会で17日に行われた市民講座の内容を要約、再構成したものです)
郷土の偉人の功績語る、資生堂創業者福原有信
つどいで市民ら200人が聞き入る
(房日新聞2014.2.19付)⇒印刷用
ふるさと松岡の偉人・福原有信を語る「ふるさと松岡の偉人・福原有信を語るつどい」が15日、南総文化ホールで開かれた。没後90年の記念行事として、地元の同市松岡区に発足した「福原有信を語り継ぐ会」が、NPO法人安房文化遺産フォーラムとの共催で開催。集まった市民ら200人が、郷土が生んだ偉人の功績に耳を傾けた。
つどいに先だって行われた午前の現地見学会には40人が参加。福原が鳥居を奉納した松岡八幡神社や菩提寺である小塚大師などゆかりの地をめぐった。
午後1時半から開会したつどいでは、資生堂企業資料館(静岡県掛川市)の佐藤朝美氏が「福原有信と資生堂〜人びとの幸福と健康のために」をテーマに記念講演。佐藤氏はこの中で、福原が里見氏の家系であることや、幼い頃から漢方医の祖父から薬草について学び、医薬分業の先駆者として資生堂薬舗を起こしたこと、帝国生命保険会社を設立経営したこと、長女が館山病院の初代院長川名博夫に嫁いだことなどを語った。
第二部の座談会では、福原家分家の福原勇さん、語り継ぐ会世話人の早川萬専さん、早川政義さん、吉田茂徳さん、安房歴史文化研究会長の天野努さん、安房文化遺産フォーラム代表の 愛沢伸雄さんが登壇。「福原家の敷地には30年くらい前まで薬草が残って生えていた」「海上安全祈願の金毘羅山には福原家と布良の人物名が刻まれた鳥居がある」「布良の海難対策として帝国生命保険が有益であった」「後に千葉銀行となる安房銀行を設立した」「館山病院の震災復旧に尽力した」ことなど、ふるさとへの貢献も大きかったという報告があった。
また、福原とともに日本薬局方の制定に尽力した日本を代表する法制学者、細川潤次郎が同市国分寺の万石騒動三義民200回忌記念碑の撰文者であり、小塚大師にある福原家の墓と大神宮七人様の犠牲者2人の墓が隣り合っていることから、「これらの農民一揆で先人が連帯感と犠牲者への補償を重視していたことを福原が知っていた可能性が高く、起業の精神につながっていたのではないか」という、これまでになかった仮説が愛沢氏から発表された。
地元松岡区では、資生堂が企業メセナとして推進している生物多様性保全の椿の森プロジェクトに賛同し、福原生誕の地に椿を植林するとともに顕彰碑を建てたいという発言もあった。