もうひとつの終戦の日
(房日新聞展望台2015.9.3付)
終戦の日は8月15日だと思っていたが、それは日本人だけの認識のようである。昭和天皇がラジオの玉音放送で、ポツダム宣言を受諾する旨を国民に告げたのだが、それは国内向けであった。
国際的には9月2日、東京湾に浮かぶミズーリ号の甲板上で、当時の重光葵外務大臣が降伏文書に署名したことで、正式に終戦となった。同時に、この日は日本人にとって第二の開国でもあった。
占領軍たる連合国総司令官、マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った8月30日、房州・館山にも連合国軍の主力たるアメリカ軍が上陸した。その時の様子やそれ以降のことが、全国紙の県版に2日間連続で報じられた。興味が尽きない内容だった。現場を目撃した住民の記憶が、アメリカ海軍などの記録と突き合わせながら再現されているからである。
先遣隊が上陸用舟艇4隻で館山港岸壁に近づいてくる様子を見たのは、元館山市教育長、高橋博夫氏だった。当時は17歳。自宅の窓から港まで視界を遮るものはなく、望遠鏡からは米兵たちの様子もよく見えた。まだ暑かった夏のこと、上半身裸で緑のショートパンツの兵もいたという。そのころの日本では考えられない異文化との出会いだったようだ。
米兵は鬼畜と頭から叩き込まれていたのだが、米兵に接して怖いと思ったことは一度もなく、逆に親近感を覚えるいまの一般的な感情からすれば、当然すぎるほど当然のことで、氏は実際にいろいろな交流も試みている。
鬼畜米英どころか、軍人とはいえアメリカという異文化を発する人間たち。当時の事情からすればこれはまさに第二の開国といってもいいものではなかったか。それまでは、情報は100%国や軍部に統制されて、事実を知ることも真実を探し求めることもできなかった。
目と耳で真実を確かめ、自分で判断する。人間生活の基本中の基本。このような生活が目の前に開けたのである。解放であり開国である。
あれから70年。安保法制の問題もあって、戦争を顧みる夏はまだ終わらない。あさって5日からは戦跡保存と平和を考えるシンポジウムも開催される(本紙既報)。貴重な営みの盛会を祈りたい。
2015.9.3(A)
直接軍政など紹介
文化ホールで戦後70年展
(房日新聞2015.9.3付) ‥⇒印刷用PDF
「第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会」(5〜7日・南総文化ホールなど)の関連行事として、館山の直接軍政に関わる資料などを展示した「戦後70年」展が同ホールギャラリーで開催されている。8日まで。
館山は、1945年9月3日に米軍が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれた。
戦後70年展では、館山海軍航空隊の滑走台に上陸する米軍の写真(テキサス軍事博物館提供)や米占領軍を撮影した記録映画の静止画など直接軍政関連の資料を掲示。
安房の若者たちと戦争と題して、勤労奉仕作業に出る安房高女の生徒など戦中、戦後の同高女、安房中の写真なども掲示されている。
本土唯一、軍政敷かれた館山
米軍上陸など写真17点を公開、地元NPO代表が入手
(東京新聞千葉房総版2015.9.3付)⇒印刷用PDF
70年前の9月2日は日本が降伏文書に調印した日。翌3日には米兵が館山湾から本土に続々と上陸した-。そんな終戦直後の貴重な写真を、館山市の郷土史研究者で、NPO法人安房文化遺産フォーラム代表、愛沢伸雄(あいざわのぶお)さん(63)が米国の博物館から入手した。同市の南総文化ホールで開催中の「戦後七十年展」で公開されている。
(北浜修)
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愛沢さんは当時の資料や写真などを収集しており、今回新たに米テキサス軍事博物館から17点の写真を提供された。いずれも米側の撮影とみられる。
注目されるのは「館山に上陸する米軍」。1945(昭和20)年9月2日、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号上で日本側全権の重光葵(しげみつまもる)外相らが出席し、降伏文書の調印が行われたが、翌日に米兵約3,500人が館山湾へ上陸する様子を撮影した一枚だ。
愛沢さんによると、これまで日本で見られた同じカットの写真に比べて、トリミングされておらず左右の幅が広い。右端に背広姿とみられる男性が写っている。「館山に設置された政府の出先機関、館山終戦連絡委員会の人物ではないか」とみる。
愛沢さんの研究では、降伏調印に先立つ8月30日、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場(神奈川県)に到着。その同じ日に米軍の先遣隊(100人規模)が館山入りし、同委員会と本隊上陸について事前協議したことが分かっているという。
ほかの写真は、当時の米兵や市民の様子をうかがわせ、興味深い。「館山の病院」(撮影は9月12日)では、院内で米兵が日本人医師と患者の様子を見ている。左端の人物は日系の米兵で通訳しているとみられる。「館山のおみやげ店」(9月20日)は、米兵とやりとりする日本人店員の姿がある。
愛沢さんは長年の研究を通して、米軍が9月3〜6日の4日間、本土で唯一、館山で「軍政」を敷いたと主張する。米軍が三日に市内の学校、劇場や酒場の閉鎖、市民の夜間外出禁止などを命令したことによる。これは同委員会が政府を通じて米側に中止を求め、解除された。
米側が当初、日本を軍政統治する計画だったことは知られている。2日の降伏調印直後、連合国軍総司令部(GHQ)は立法、行政、司法三権の制限や、円を廃止し軍票の配布などを通告。翌3日に発表予定だったが、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)内閣(当時)の重光葵外相らが強硬に反対し、施行されなかった。
軍票配布などはなかったものの、館山が4日間「軍政」下にあったとする背景を、愛沢さんは「米側には敵地へ乗り込むように日本人への警戒感があった。館山は東京湾の入り口で海軍の基地もあったが、東京や横浜から離れており、占領のモデルになると見ていたのでは」と説明する。
今回入手した写真を見て、「終戦直後、米兵と館山市民は良好な関係だったことがあらためて分かる貴重なもの。友好的な日本人の態度は、その後の米側の対日占領政策に影響を与えているからだ」と話す。
戦後70年展は8日まで。午前10時〜午後5時。7日は休館。入場無料。また5、6の両日、南総文化ホールと市コミュニティセンターに各地で戦跡保存活動をする関係者らが集い「戦争遺跡保存全国シンポジウム」を開く。愛沢さんは六日の会合で米軍の館山上陸について発言する予定。問い合わせは、安房文化遺産フォーラム=電0470(22)8271=へ。
「赤い鯨と白い蛇」再上映
(房日新聞2015.9.2)
館山を舞台とした名画「赤い鯨と白い蛇」の上映会が5日、南総文化ホールで開かれる。第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会のプレイベントとして午前10時から上映が始まる。
この映画は今からちょうど10年前に撮影された作品で、監督が安房南高卒業生のせんぼんよしこ氏、館山の美しい風景を映像作品として全編にわたって見ることができるということで当時大変な話題を呼んだ。2007年に同ホールで行われた上映会は1200人収容できる大ホールが二度満席になり、同ホールから館山バイパス沿いに車の大行列ができた。それでも入りきらず、たしか追加上映が開催されたと記憶している。
そのときにご覧になった方は多いだろうし、その後、DVDで見たという人も多いだろうが、今改めてこの名作を大きなスクリーンで見ることができる機会を得たことは貴重なことである。
せんぼん氏は「戦争はこの映画のテーマではないのですが・・・・・・」と語っている。この映画のテーマは、自分に正直に生きる、そして自分のことを忘れないでほしいということである。
映画は世代も育ちも異なる5人の女性の日常を描く。香川京子演ずる少しぼけ始めておぼつかなくなった老女が、むかし疎開先の館山で知り合い、恋心を寄せた特攻隊将校のことを忘れたくない、忘れてはいけないとう思いを募らせることがストーリーの発端となり、テーマにもなっている。
老女を館山の古民家に連れてくるのが宮路真緒演ずる現代っ子の孫で、彼女が同棲している彼氏の子どもを身ごもっていることを知る。古民家にはこの家を相続している浅田美代子がおり、その娘を演ずる坂野真理は3年前に釣りに行ってくるといったきり帰ってこない父親のことが忘れられない。浅田は夫を忘れるために古民家を取り壊そうとしている。そこへ詐欺まがいの商法で客に追われ、大金を持って逃げている樹木希林がやってくる。樹木は不仲の夫からの電話にでようとはしない。
映画に男性は登場しない。男性はあくまでも5人の女性の日常を通した影として描かれている。そして、撮影時70代半ばで初めて映画のメガホンをとった監督せんぼんよしこ氏は、同じように、ストーリーの影のテーマとして戦争を浮き彫りにしている。
2015.9.2(F)
館山舞台に全国シンポ
5日から3日間、戦跡保存と平和考える
(房日新聞2015.9.1付)
戦争遺跡の保存と平和を考える「第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会」が5日から3日間、館山市の南総文化ホールなどを会場に開催される。戦跡と文化財を活かしたまちづくりについてのパネルディスカッション、館山の直接軍政をテーマにした特別分科会などがあり、全国から関係者約300人が集まる。市民の参加も呼び掛けている。
館山は2004年第8回大会でも会場となっている。その後の戦跡、文化財を活用した民官協働のまちづくりが評価され、2度目の開催となった。戦争遺跡保存全国ネットワーク、館山大会実行委の主催で、NPO法人安房文化遺産フォーラムの共催。
初日の5日は、南総文化ホールで全体会(午後1時から)。実行委の松苗禮子委員長による「富田先生の青い目の人形」の語りで幕開け。
韓国光州市立美術館名誉館長の河正雄氏が「『平和の文化』と戦後70年の祈り」と題して記念講演、館山市、沖縄県南風原町、高知県香南市の関係者らによる「戦跡と文化財を活かしたまちづくり」をテーマにしたパネルディスカッションも行われる。
2日目の6日は、館山市コミュニティセンターを会場に分科会(午前9時15分〜午後4時)。館山は本土で唯一直接軍政が敷かれた地で、「米占領軍の館山上陸と直接軍政 証言者のつどい」の特別分科会では、占領軍の上陸シーンの動画や当時を知る人たちの証言がある。3日目の7日は、市内の戦跡を巡るバスツアーが予定されている。
参加費は1日券1000円で、2日券2000円。大学生は半額で、高校生以下は無料。バスツアーも有料で事前予約が必要。プレイベントとして5日には、館山の戦跡を舞台に制作された映画「赤い鯨と白い蛇」(午前10時から)の上映もある。
映画「赤い鯨と白い蛇」5日に文化ホールで上映
戦跡保存全国シンポを前に
館山の戦跡を舞台に制作された映画「赤い鯨と白い蛇」が9月5日午前10時から、南総文化ホールで上映される。「戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会」(5、6、7日)のプレイベント。入場料は1000円で、午後からの同大会にも参加できる。
監督のせんぼんよしこさんは、安房高女・安房南高の卒業生。映画は、少女時代を館山で過ごした体験を重ねた役柄を、香川京子さんが演じ、戦後60年の館山を訪れる物語。やわたのまちなどのシーンもある・前売り券は文化ホールで販売している。
戦争を語り継ぐ活動などをしている主な団体
(朝日新聞2015.8.19付)
市原平和のつどい実行委員会(市原市)
原爆の絵展など開催。鳰川(におかわ)静事務局長。0436・74・2466
沖縄6・23 歌と踊りの実行委員会(柏市)
沖縄慰霊の日に語り継ぐイベント。小林正幸代表。080・3477・8683
柏・麦わらぼうしの会(柏市)
原爆をテーマに朗読劇を行う。村山久美代表。090・9687・7376(事務局)
平和を語り継ぐ会(木更津市)
元教諭らが学校で語り継ぎ授業。山田孝子(のりこ)会長。0438・23・7258(君津教育会館)
戦争体験語り部の会(山武市)
戦争体験者が語り合う。小学校での語り部活動も。高橋照美会長。0475・88・1515
安房文化遺産フォーラム(館山市)
館山市の地下壕(ごう)など戦跡のガイド。愛沢伸雄代表。0470・22・8271
平和祈願うたごえの集い実行委員会(銚子市)
銚子空襲を伝える催しを商店街で。溝口哲広代表。090・4733・3031
千葉市空襲と戦争を語る会(千葉市)
空襲体験を伝え、過去には証言集も作成。白井進代表。090・9306・1583
ちば・戦争体験を伝える会(千葉市)
千葉市空襲などを伝える紙芝居を上演。市川まり子代表。080・5017・1584
野田市戦争かたりべの会(野田市)
語り部活動。映像で証言を残す試みも。日佐戸輝代表。04・7122・1418
第21回安房地域母親大会
映画『疎開した40万冊の図書』&金高謙二監督トーク
⇒詳細(印刷用PDF)はコチラ
【日時】2015年10月10日11日(土日)
【会場】館山市コミュニティセンター第一集会室
【スケジュール】
・13:30〜15:20上映会『疎開した40万冊の図書』
・15:30〜16:20金高謙二監督トーク ‥‥館山海員学校(現館山海上技術学校)卒業‥
【同時開催】
・パネル展示&解説・ワークショップ
・親子ピースカフェ
【主催】第21回安房地域母親大会実行委員会
・国連NGO新日本婦人の会館山支部
・国連NGO新日本婦人の会鴨川支部
・安房地区女性連絡会
・全日本年金者組合安房支部
・NPO法人安房文化遺産フォーラム
【関連記事】
・房日 151007*安房地域母親大会「疎開した40万冊の図書」上映
・房日寄稿 151008*『疎開した40万冊の図書』上映(池田恵美子)
・房日 151021*監督トークに感慨深く(母親大会)
大会アピール「戦争遺跡と文化財を活かしたまちづくりをすすめましょう」
2015年9月5・6・7日、千葉県南総文化ホール、ならびに館山市コミュニティーセンターを会場に、400名の参加の下で、第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会が開かれました。大会の開催にあたり、共催していただいたNPO法人安房文化遺産フォーラム、またご後援いただいた館山市、館山市教育委員会、館山市観光協会、千葉県歴史教育者協議会に対し、心より感謝申しあげます。
今大会が開催された館山市は、その地理的条件から、明治以降東京湾防衛の要衝とされ、海軍航空隊、海軍砲術学校、東京湾要塞に関連する多くの軍事施設が建設されました。ことにアジア太平洋戦争末期には本土決戦を準備した特攻基地や陣地が構築された結果、市内には47件の戦争遺跡の存在が確認され、中でも赤山地下壕は市の指定文化財となっています。さらに日本の降伏文書調印の翌日には、米占領軍の上陸地となり4日間の直接軍政が敷かれた地でもあります。こうした戦争遺跡に加え、里見氏や青木繁など、地域の豊かな歴史と文化遺産をまちづくりに活かす取組みが「館山まるごと博物館」として構想され、行政と市民の協働によって大きな成果をあげています。「戦争遺跡を活かしたまちづくり」の先駆的な取り組みとして注目するとともに、その一層の充実とご成功を願うものです。
史跡・有形文化財として指定・登録された戦争遺跡は230件となり、マスコミも戦争遺跡に注目し大きく取り上げています。敗戦から70年が経過し、戦争体験者が急速に減っていくなかで、「語り部」として戦争遺跡を保存・活用することは、いまや国民共通の課題となっていると言えます。一方で、武蔵野市中島飛行機武蔵製作所変電室のように、構築物の劣化や開発により解体・消滅する戦争遺跡が相次いでおり、早急な対策が求められます。また文化庁の『近代遺跡調査報告書⑨(政治・軍事)』の発刊は2004年の刊行予定から11年が経過した今も刊行のめどがたたないまま推移しています。一日も早い刊行を要望すると同時に、執筆者に対し記述の削除や変更を求めることなく客観的、科学的な内容を保証することを強く求めます。都道府県や各地方自治体においては、刊行を待つことなく独自に戦争遺跡の調査、保存、史跡・文化財指定を進めることを求めます。
戦後70年の今年、集団的自衛権の行使を可能にするための安保法制が国会で審議され、国民的な議論となっています。沖縄における普天間基地の辺野古移転の問題も緊迫した情勢を迎えています。安保法制を認めるのか否か、今、日本は戦後社会の分水嶺に立たされていると言えます。
私たちは、戦争を肯定することなく、平和のために戦争遺跡を保存・活用することが、戦争遺跡保存運動の原点であることを再確認するものです。「戦争のできる国づくり」をけっして許さず、戦争に反対し平和を守り続けようと願うすべての人々と手をつなぎ、私たちの運動を進めることを確認し、大会アピールとします。
2015年9月6日
第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム千葉県館山大会
本土唯一軍政敷かれた館山、占領軍上陸から4日間
8月28日富津、9月3日館山
(毎日新聞2015.9.2付)⇒印刷用PDF(拡大)
70年前の9月2日、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号で重光葵外相ら日本代表が降伏文書に調印した。東京湾口に位置し、軍事上の重要拠点だった館山はその翌日から、1945年6月に米軍に占領された沖縄に次いで本土で唯一、占領軍の施政下に置かれた。戦跡保存に取り組むNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(愛沢伸雄代表)が米テキサス軍事博物館から取り寄せた写真や資料は、当時の様子を生々しく伝えている。
資料や関係者の証言などによると、千葉県内に米軍が最初に進駐したのは45年8月28日、先遣隊である米海兵隊の特殊部隊が富津海岸に上陸したのが始まりとされる。海兵隊員は二百数十人。連合国軍最高司令官のマッカーサーが厚木飛行場に降り立った30日には、館山港から上陸。館山海軍飛行隊の基地に入り、富津から館山にかけての海岸線の機雷敷設状況などを調査した。その結果を踏まえ9月3日、ジュリアン・W・カニンガム准将が率いる米陸軍第112騎兵連隊約3500人が館山に上陸した。
愛沢代表は「米軍は東京湾岸を挟む館山と横浜に正規軍を上陸させ、挟み撃ちで首都を制圧する作戦を計画していた」と説明する。
同隊の任務は日本軍の武装解除と民政監督。カニンガム准将は3日付の文書で日本側に米軍司令部による館山地区の占領を宣言した。文書では、日本軍関係者と行政当局に、館山から鴨川にかけてのすべての軍事施設や発電所、燃料施設の位置を記した地図を提出するよう求め、すべての学校の閉鎖、午後7時から午前6時までの外出禁止、酒場や劇場の閉鎖などを命じた。一方で、米兵には神社内への立ち入りを禁じ、文化・芸術品の保護、職務の妨害がない限り一般人に危害を与えないことを指示した。
軍政を敷く前の数日間、海兵隊員が館山市内で婦女暴行2件、同未遂6件、住居侵入16件など36件もの犯罪を起こしていたことが千葉県警察史に記録されている。愛沢代表は「軍政を通じて、米軍の綱紀粛正も図ったのでは」と分析する。
館山での軍政は「日本政府の機能を存続し尊重する」とした連合国軍総司令部の方針と矛盾するため、わずか数日で撤回された。軍政の終了を告げる文書は残されていないが、愛沢代表は安房中学(現安房高)の授業が9月7日から再開されたことを根拠に、館山の軍政は4日間で終わったと推定している。
【中島章隆】