和紙人形展in青木繫「海の幸」記念館
会期=平成28年10月中の土・日曜・祝日
時間=午前10時〜午後3時
入館料=一般200円・小中高100円・友の会会員無料
最寄駅=館山駅よりJRバス安房白浜行きで「安房自然村」より徒歩3分
駐車場=バス停「安房自然村」周辺の空地に駐車可
【関連事業】
10月10日(祝)あいの浜ウォーキング
会期=平成28年10月中の土・日曜・祝日
時間=午前10時〜午後3時
入館料=一般200円・小中高100円・友の会会員無料
最寄駅=館山駅よりJRバス安房白浜行きで「安房自然村」より徒歩3分
駐車場=バス停「安房自然村」周辺の空地に駐車可
【関連事業】
(読売2016.8.17付)‥⇒印刷用PDF
朝鮮王族の李?鎔(イジュンヨン)の書「七言対句」が、館山市布良の市指定有形文化財「小谷家住宅」で公開されている。書は2年前、小谷家住宅で見つかり、その後の調査で、王位継承争いに巻き込まれた李が1899年(明治32年)から8年間日本に亡命し、同市北条(当時北条町)で暗殺されかけたことがわかった。
館山市立博物館の岡田晃司学芸員(58)によると、李は朝鮮王朝第26代皇帝の高宗のおい。七言対句は「江上晴烟人似樹楼中紅燭妓如花 韓国李?鎔」と書かれ、名前と雅号「石庭」の印が押されている。「大河の上の明るい霞(かすみ)の中に立つ人は樹(き)に似ている 楼閣にゆらめく紅(あか)い灯(あかり)の中に立つ遊女は花のようだ」という内容。
李の書は鋸南町の日本寺にもある。町史によると、1902年6月に書かれた「乾坤山」の扁額(へんがく)で、乾坤山は日本寺の称号の「山号」に当たる。日本次の住職と同郷だった人物が揮毫(きごう)を依頼し、奉納した。岡田学芸員は七言対句について、別人が書いた可能性を否定し、「日本寺のように頼まれて書くことがあった。一部しか知らない亡命者の偽作を書くことは考えにくい」と指摘している。
扁額を書いた同じ年、李は刺客に襲われる。1902年11月12日付「東京朝日新聞」によると、同5日午前11時頃、北条町八幡倶楽部で男が面会し、帰りがけに短刀で刺そうとしたが、家人に取り押さえられ、殺人未遂容疑で警察に逮捕された。男は東京から船で入り、警察も尾行中だったという。
明治期に政治亡命し、命を狙われたことは、小谷家住宅で七言対句を見つけたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)が、当時の外務省資料や、警察の報告書などを国会図書館で調べ、裏付けた。愛沢さんは「神戸でも、朝鮮王族関係者の同時暗殺が亡命者内で計画されていた。李は館山で宿舎を転々と変えていた」と語る。
小谷家当主の小谷福哲さん(65)は「なぜ小谷家にあるのか、どんな気持ちで書いたのか知りたい。波乱万丈、数奇な運命をたどった李が、その後、無事王族に復帰できたのが救い」としている。
小谷家住宅は、洋画か・青木繁が「海の幸」を描いた場所として知られ、七言対句は、小谷家修復後の「青木繁『海の幸』記念館」に展示中だ。
(読売新聞2016.7.30付)…⇒印刷用PDF
館山市大網の大巖院(だいがんいん)の山門近くに珍しい石塔がある。高さ約2.2メートル、幅約50センチの四角柱で、4面に4か国語で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。南面に日本の漢字、東面に韓国のハングル、西面に中国の篆字(てんじ)、北面にインドの梵字(ぼんじ)。1624年に建てられた。
中でも、ハングルは、日韓の識者が「韓国なら国宝級の石塔。なぜ館山にあるのか」と指摘する貴重なものだ、現在のハングルとはやや異なる文字で、15世紀中頃に朝鮮王朝によって発布され、短期間で消滅したという初期ハングルであることが解明されている。
江戸初期の館山に、なぜ国際的な石塔が建てられたのか。県指定文化財になったのは1969年だが、その謎の解明が始まったのは最近のこと。「2002年に館山市で開かれた『日韓歴史教育シンポジウム』の研究交流などで少しずつわかってきた」と大巖院の石川龍雄住職(69)は語る。
大巖院は、里見氏9代の義康の寄進で雄誉霊巖(おうよれいがん)上人が1603年に創建した。石塔南面の「南無阿弥陀仏」は雄誉上人の揮ごうだ。雄誉上人は幕府にも重用され、江戸城正面の湿地帯を埋め立て、石塔と同じ年に霊巖寺を建立、霊巖島の地名にもなった。幕府の宗教政策にも参画したとされる。
雄誉上人は、幕府を通じて文禄・慶長の役で捕虜となった朝鮮人の帰国や江戸を訪れた朝鮮通信使が帰路、大巖院に立ち寄ったとの文書もあり、日韓の善隣友好に一定の役割を果たしたと考えられている。
02年の日韓シンポで韓国の学者は「雄誉上人が仏典で古いハングルを知り、日韓和解を望んだ」と発言。石塔に光を当てたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)は「秀吉の朝鮮出兵にかかわる供養であり、『四面』の各国間の平和を願い、自らの原点の地。館山に建てた」とみている。
(笹川実)
(読売新聞千葉版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
福岡県久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市内の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。
レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた館山市の小谷家住宅などに寄贈された。
除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。旧居保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援で、すてきなレリーフを飾ることができた」と話していた。
(毎日新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市同市荘島町の青木繁旧居に29日、青木の代表作「海の幸」(1904年)をモチーフにしたブロンズレリーフが設置された。在日韓国人の実業家で、日韓文化交流を進めるソウルの秀林文化財団理事長を務める河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=が、美術作品を通した日韓友好を願って寄贈した。
レリーフは、オリジナルの海の幸と同じ縦70・2センチ、横182センチ。青木繁が海の幸を描いた千葉県館山市に住む彫刻家、船田正廣さんが原型となる塑像を制作した。日韓国交正常化だった昨年、河さんが船田さんに依頼してレリーフを計5枚作り、3枚を韓国の美術館、2枚を館山の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)と、久留米の青木繁旧居に寄贈した。
29日はレリーフの除幕式があり、河さんや久留米市の関係者ら約50人が出席。市所有の旧居を指定管理する保存会の荒木康博会長(66)は「このレリーフが館山、韓国の人たちとの懸け橋になることを願っています」と述べた。70年代に海の幸を初めて見て感動したという河さんも「美術品は人類の宝。レリーフを通し、今まで以上に日韓両国の友好を重ねたい」と語った。
(中村清雅)
(読売新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市荘島町の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。
レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた千葉県館山市の小谷家住宅などに寄贈された。
河さんは在日韓国人で、画家を志望していたが、家庭の事情で断念。電器店経営の事業に成功し、絵画作品を収集している。「海の幸」を見て「汗と海のにおいが充満し、労働の喜びが表現されている」と感動したという。
昨年、戦後70年関連行事で館山市を訪れた河さんは、日韓国交正常化50周年の美術交流として両国にレリーフを設置することを提案、製作費などの支援を申し出た。
除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。
旧居は青木繁が上京する17歳までを過ごした家屋で、市民有志の保存運動が実を結び、2003年から公開されている。保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援ですてきなレリーフを飾ることができた。韓国との末永い文化の架け橋となることを期待したい」と話していた。
(西日本新聞・筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市出身の洋画家青木繁の代表作「海の幸」を描いたレリーフが、同市荘島町の青木繁旧居に設置され29日、除幕式があった。寄進した韓国の秀林文化財団の理事長、河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=は「両国の交流の架け橋となってほしい」と期待を寄せている。
在日2世の河さんは、画家に憧れた経験から不動産賃貸業で成功後、美術館へ絵画寄贈を続けている。昨年、戦後70年と日韓国交正常化50年を迎えたことから、レリーフ化を企画。旧居の他に「海の幸」が描かれた千葉県館山市の小谷家住宅や韓国の美術館計5カ所に寄贈した。
レリーフはブロンズ製で幅約1メートル80センチ、高さ72センチの原寸大。御影石製の台座に乗せ敷地内の庭に置いた。河さんは「働く姿の美しさなどが表現された『海の幸』に感動した。レリーフを通じ、両国の絆が強くなることを願っている」と話した。
(森田明理)
日時=2016年9月20日(火)13:30〜
参加費=会員200円・一般500円(茶菓子・資料代)
映画『グラン・ブルー』のモデルとして知られるジャック・マイヨール(仏 1927-2001)は、人類ではじめて水深 100mの素潜り記録を達成し、30 年にわたり固い絆で結ばれた成田均氏(館山市坂田在住のプロダイバー)を慕い、晩年は館山に暮らしていた。生前、ジャックはイルカから学んだ人生哲学を「ホモ・デルフィナス(イルカ人間)」という造語にメッセージを託し、自然と人間が共存できる持続可能な社会を提唱した。成田氏は、ジャックの理念を継承し、豊饒の海をよみがえらせる「海洋牧場」や、安房自然村との協働による森づくりなど、夢の広がる構想をしている。
NPOフォーラムでも「館山まるごと博物館」活動の展望として、今年度事業の一環として協働することを総会で確認している。
◎ 9月4日(日)〜10月2日(日) 館山病院内ギャラリー 観覧無料
○ 私は今回、全く知らなかった館山の文化や戦争史を知り、多くの衝撃を受けました。特に、地下壕見学の時は、ここを実際に人が使用していたと思うと、生々しい感じが伝わってゾクゾクしました。また、この研修でテーマにしたいことも見つけました。それは「知られざる館山の戦争史の発信、そして平和の文化とは何か」です。私自身まだわかっていないので調べていきたいです。(KH)
○ 同じ千葉県内に戦争に関わりのあるところを初めて知りました。そして、今まで自分は地元のことさえも大して知っていなかったということを実感しました。研究テーマが「戦後の日本」なので、今回の研修はとても役に立ちました。(FT)
○ 「足元の歴史を知る」ということが日本や世界の歴史を学んだりグローバルな視点で物事を見たりするのに重要だと知った。先人が積み上げてきたものを目先の利益ばかりにとらわれ軽視してしまうのは残念だし、あってはならない。次の世代や未来に歴史をつないでいくことが私たちの役割であり、教科書には載っていない極めて地域的で小さな出来事にもしっかりと目を向けられる人になりたい。まずは地元である成田や佐倉について知り、疑問が生まれたり興味をもつ何かを見つけたら、そこから日本や世界との関係を探し掘り下げたい。(T A)
○ 始めの座学では館山のことをまんべんなく学ぶことができ、戦争のことのみを学ぶより視野が広が
り、テーマの模索にとてもよかったと思いました。その後に見学した赤山地下壕では、戦争下において人々がどのような工夫をして生きていけたのかが説明でも目からもわかりました。あと、今回の目的にはあまり合わないけど、断層を自分の目で実際に見ることが出来たのはとても嬉しかったです。
赤山地下壕の創設や使用された方、立地などは外国のことを深く考えてつくられていたので、テーマに繋がるだろうと思いました。(W C)
○ 今回の研修で、地域に根強く残っている歴史があることがわかった。また、戦争の裏側の事実も知ることができ、課題研究の戦争についてのテーマにも、一つの視点として繋がるだろうと思う。
(S Y)
○ 前までは空襲が東京などの大都市にしかないと思っていたので、館山にもあったことを知ってびっくりした。
一見ほとんどつながりのなさそうなものでも、よく調べてみると、なにか関わりがあったりするということがよくわかった。
敗戦直前には、本土決戦の準備を万全にしていたが、本当に決戦がなくてよかったと思った。
赤山地下壕は、そこにつとめていた人でも、全体像は知らないので、ものすごく厳重に情報が漏れないようにしていたのだと思った。
アメリカにアワビをとりに行った人々は、アメリカに忠誠をちかうために日本の情報を提供していたが、とてもつらかったと思う。
大巖院の四面石塔は、なぜ館山にたてられたのか、なんのためにたてられたのかもっとくわしく知りたくなった。
遭難した船を日本人が助けた話は、エルトゥール号の件しかしらなかったので、清国の船を救助した話を聞いたときは、うれしくなった。(I A)
○ 私が今回の講座で1番印象に残っているのは、赤山地下壕跡です。戦争について少し興味があるので、千葉県にもそのような場所があると知って驚きました。実際いってみると、あちらの方が詳しく説明してくださって、とてもおもしろかったです。天皇の写真が飾ってあった場所やほったあとが残っていて、本当にここで生活していた人たちがいたんだなと感じることができました。この講座に行って、課題研究のテーマを平和に関係させて考えてみようと思いました。戦争または人種差別についてなどグローバルにもつなげてみようと思います。安房へ行って、平和の大切さをあらためて実感することができました。(N Y)
○ 歴史の授業では習うことのないことをいろいろ知ることができた。さらに実際の場所を訪れ、話を聞くことでより戦争というものが身近に感じられた。(K K)
○ 館山にいったことは何度かあったが、館山にこんなに重要な戦争の移籍があること、戦争の歴史があることをはじめて知ってとても驚いた。
地下壕やハングルの石塔まで行って、何年も昔からこの場所でいろいろなことがあったのだと思うと不思議な感じがした。安房の遺跡の保護活動を続けていられるNPOの方々は本当にすごいなと思った。
やはり、グローバルな人材になるためには、まずは日本のこと、千葉のこと、佐倉、自分の住んでいる船橋のことをよく知っていないととても恥ずかしいと思う。今回研修に参加して良かったと思っている。(Y H)
○ 知っていると思っていた物語や遺跡のことが案外わかっていなくて、新しい知識が得られた。特に館山と佐倉のつながりは、今まで考えたこともなくて新鮮だった。
四面石塔について、韓国と日本の文字が書かれているのはわかったけれど、印度の文字や中国の文字が書かれているのはなぜなのか不思議に思った。
また、館山が4日間占領されていたことにとても驚いた。もっとその情報が広まってもいいと思う。(T R)
○ 安房文化遺産フォーラムの愛沢さんや池田さんのお話を直接聞くことができて本当によかった。「まず足もとを」という2人の先生の館山を大切に思う気持ちがとても伝わってきた。
はじめてこのようなツアーに参加できて、そして、赤山地下壕・大巖院・ハングルを実際に見てまわることが、今までと、“戦争”や“国際関係”に対する気持ちのもち方が変わった気がする。世界は日本人だけでなくてそれぞれの立場で別々の考え、意識があること。本当はどの国の人も他の国を思いやっていること。読むのではなくて見たり聞いたり体験することが大切であることなどたくさんつながるなと思った。(W R)
○ 今回の講座について、もともと戦争や平和に興味がありましたが、この講座に参加して戦争のこわさを肌で感じることができ、これを他の人にも伝えたいと思いました。伝えることができれば、平和の大切さをまわりに伝えることができ、今も行われている紛争などが少しでも亡くなれば良いなと思いました。(K T)
○ 今回、赤山地下壕などを見学して、地下壕では、まず、地層がくっきりしていてきれいでした。その次に、そこの土はやわらかいから、ほとんど人がツルハシで掘ったということに驚きました。機械や爆発物を使って掘っていると思っていました。また731部隊の話や現在の日本の戦争についての法の話を聞いて、少しその時のことや法律について興味が出ました。
四面石塔では、確かに戦争をしている中で、外国の文字で書かれたものが破壊されたり、たおされたりしなかったことは不思議だと思いました。
また、ハングル文字が今の文字と違うものが書かれていて、朝鮮のほうにはないのは驚きました。
最後に、まだわかっていないことがたくさんあると思うので、そういうことを調べるのも面白そうだと思いました。(O Y)
○ 日本と外国は地域的につながっている事がわかったので、日本全体の影響や対策だけでなく、地域ごとに受ける影響などを調べたいと思いました。(K R)
○ 館山というところは、交易や戦略的にも重要なのだと知り、佐倉とも関係があったとはじめて知りました。
また、NPOの方々が、資料がないのにも関わらず、歴史を身近なところと関連づけて調べることをしていて、勉強になりました。
「平和の文化」というワードからテーマに繋がるのではないかと思いました。(F K)
○ 今回の研修を通して、地元の歴史を学ぶことによって多くの史料が出てきて、それが大きな発見につながるのだと思った。日本と海外との交流が古くから盛んな土地の歴史を学ぶことは、日本、海外での交流の架け橋にもつながるのだと学んだ。今回の研修で館山が昔、外交に関してどれだけ重要で、考古学的に価値のある史料が多いかわかった。まだまだ多くの発見がありそうで面白 かった。(A Y)
○ 館山市が、戦争の時に重要な役割をになっていたことは知らなかったので、しれてよかった。
また、朝鮮通信使が館山となんらかの関係がある可能性があるっていっていたので、興味がわきました。
天皇陛下の写真が大切っていっていたが、なぜ大切なのにまん中にほかんしていなかったのだろうか。(H S)
○ 愛沢さんのように個人的な活動からも世界の歴史につながることができるのだなと感じた。
また、防空壕だと思っていたものが、いろんなことに使われていることをはじめて知って驚いた。(S Y)
○ 戦争があったということはもちろんわつぃも知っていましたが、館山であったことは全く知りませんでした。
特に私は、館山が軍事占領を3日間だけされていたということに驚きました。
また、洞窟の中はめっちゃこわかったです。特におばあちゃんの説明のしかたが。笑
館山に行ったのははじめでだったのでとてもワクワクしました。
また機会があったらぜひ参加したいです。(T R)
○ 今回の研修で世界遺産の大切さをよく学ぶことができたと思う。
戦争からつながっている“今”を、人と人とのつながりによってつくられていることを知った。また、今回の研修に参加しなかったらこのような体験ができなかったのだと思うととても貴重なものだと実感した。館山のことについてもっと深く調べたり、他の地域についても幅広く知ることができたらと思った。
思いがけないところで他国との関係があり、興味深いと思った。(O Y)
○ 今回の研修では特に赤山地下壕跡がとても印象深かったです。なぜなら、当時の軍の人などが実際に使っていた物や部屋を見て、当時の雰囲気を少し感じ取れたからです。またガイドの人の案内も印象的でした。
将来、二度と戦争が無いように今回の体験をいろんな人にしてもらい、今よりも意識を高くしてほしいと思いました。(A Y)
○ 私の祖母の実家がある館山が本土決戦の予定地だったということに驚きました。(那古船形に住んでいるのですが、大本営の予定地だったということにも驚きました)
もしそこで万が一があったら、私は生まれていなかったので、平和の重要性を身をもって感じました。
SGHテーマにつながりそうなこと。領土問題。日本と他国における歴史館の違い。占領下の地域についての問題(元植民地における国境問題なども含む) (I T)
○ 館山市が行っている平和運動や歴史について詳しく話を聞けて良かった。館山市が戦争などと深く関わっていることに驚いた。
SGH課題研究で、国際平和について研究しようと思うので、平和運動について詳しく調べようと思う。(H M)
○ 今回の研修では、実際に防空壕に入り、係の人にここはどのような場所だった」とか「どんなことをしていた」など戦争を体験した人からのお話をきいて、今の私達が、これからも戦争の恐ろしさや、体験した人の伝言など受け継いでいく必要があると思った。
洞窟の中はとても広く、この中でみんなはどんなことを思ってひなんしていたのかと思うと私達もまだ、昔の日本について学ばなければならないと思った。(O C)
○ 自分は、今回の学習とは関係性の薄いと思う石油問題についての課題研究をやろうと思っている。しかし、これは、今回の学習の一つである他国との人間関係の作り方が関係していると思う。(I Y)