お知らせ

161023*帝京平成大学看護学科=雑賀美智子様

先日は貴重な見学や歴史について、お聞かせいただきありがとうございました。

本当に、知らない事ばかりで、見るもの聞くもの心に突き刺さりました。

歴史(過去)を知ることは、今(現在)を知ることであり、そして明日(未来)を見つめることだと痛感させられます。

慰安婦問題については、さらに実在する(していた)方々の苦しみに触れ、戦争とともに見過ごしてはならないと強く思った次第です。

看護や医療に関しても、例えばハンセン氏病の方々が、ありえないような差別をうけ、人間の尊厳が失われた歴史の中に、看護師も医師もその差別をする側にいたという事実などは、学ぶ必要があると考えています。同じような差別がエイズや感染症、そして福島の原発などと深くつながっています。授業やその他の機会の中で、伝えていきたいと思います。

最後にご案内いただいた大巌院のハングルの四面石塔も大変興味深いところでした。たまたまですが、インドの仏陀のさとりの地やドイツのディアコニーの訪問看護ステーション(同行訪問させていただきました)、ベルツ医師の生誕の地など訪れていたことが、色々な意味でつながっておりました。不思議な気持ちがしております。

今後とも、活動が継続されますよう陰ながら応援させていただきます。先日は本当にありがとうございました。

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帝京平成大学ヒューマンケア学部看護学科

雑賀美智子

161023*相模原看護専門学校長=山田百合子様

フィールドワークでは、大変お世話になりました。

今回は、「看護歴史学会」で天羽道子氏のお話を伺い、

「かにた婦人の村」に興味感心を持ち参加をしました。

しかし、身近な地域で戦争遺跡があることに驚き、感動いたしました。

予想以上の貴重な体験学習ができましたことに、感謝申し上げます。

若い学生たちが、平和学習や歴史を学ぶ姿もうれしく思いました。

また、帰りにいただきましたDVDと資料は、内容をみましたら大変貴重なものでした。

学生にも伝えたいと思います。ありがとうございました。

どうぞ、益々の会のご発展とご活躍をお祈り申し上げます。

メールで申し訳ありませんがお礼まで。

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公益財団法人相模原市健康福祉財団

相模原看護専門学校

校長 山 田 百 合 子

161201~1204千葉退職教職員の作品展

第9回「しあわせ・平和・想い いろいろ作品展」

◎詳細はコチラ⇒印刷用PDF


*会期=2016年12月1日(木)〜12月4日(日)

*会場=松戸市文化ホール

*主催=千葉県退職教職員の会

*内容=書・絵画・写真・手芸・陶芸・活花等

‥新屋敷カフェ

‥愛沢伸雄版画作品

‥「館山まるごと博物館」パネル展示

NPO安房文化遺産フォーラム

161010*あいの浜ウォーキング

あいの浜ウォーキング

「相の浜という処がある、詩的な名ではないか」
‥青木繫がそう語った漁村を歩いてみません。

印刷用チラシPDF

*日時=平成28年10月10日(月)9:30〜11:30

*集合=相浜漁港そばの浜・駐車場(JRバス「相の浜」停留所から徒歩5分)

*参加費=一般300円、小中高200円、友の会会員=100円

(青木繫「海の幸」記念館の入館料・保険・マップを含みます)

*見学地=相浜神社、元禄地震津波供養碑(蓮寿院)、巴橋(国登録文化財)、

神田吉右衛門の碑、日露戦争戦役の碑、マグロ延縄船・安房節の碑‥等


【関連行事】

和紙人形展in青木繫「海の幸」記念館

161001~30*和紙人形展in青木繫「海の幸」記念館

和紙人形展in青木繫「海の幸」記念館

⇒印刷用チラシPDF

会期=平成28年10月中の土・日曜・祝日

時間=午前10時〜午後3時

入館料=一般200円・小中高100円・友の会会員無料

最寄駅=館山駅よりJRバス安房白浜行きで「安房自然村」より徒歩3分

駐車場=バス停「安房自然村」周辺の空地に駐車可


【関連事業】

10月10日(祝)あいの浜ウォーキング

【読売】160817*朝鮮王族の「七言対句」公開

朝鮮王族の「七言対句」公開

26代高宗のおい、王位継承争い日本亡命

館山「小谷家住宅」で

(読売2016.8.17付)‥⇒印刷用PDF


朝鮮王族の李?鎔(イジュンヨン)の書「七言対句」が、館山市布良の市指定有形文化財「小谷家住宅」で公開されている。書は2年前、小谷家住宅で見つかり、その後の調査で、王位継承争いに巻き込まれた李が1899年(明治32年)から8年間日本に亡命し、同市北条(当時北条町)で暗殺されかけたことがわかった。

館山市立博物館の岡田晃司学芸員(58)によると、李は朝鮮王朝第26代皇帝の高宗のおい。七言対句は「江上晴烟人似樹楼中紅燭妓如花 韓国李?鎔」と書かれ、名前と雅号「石庭」の印が押されている。「大河の上の明るい霞(かすみ)の中に立つ人は樹(き)に似ている 楼閣にゆらめく紅(あか)い灯(あかり)の中に立つ遊女は花のようだ」という内容。

李の書は鋸南町の日本寺にもある。町史によると、1902年6月に書かれた「乾坤山」の扁額(へんがく)で、乾坤山は日本寺の称号の「山号」に当たる。日本次の住職と同郷だった人物が揮毫(きごう)を依頼し、奉納した。岡田学芸員は七言対句について、別人が書いた可能性を否定し、「日本寺のように頼まれて書くことがあった。一部しか知らない亡命者の偽作を書くことは考えにくい」と指摘している。

扁額を書いた同じ年、李は刺客に襲われる。1902年11月12日付「東京朝日新聞」によると、同5日午前11時頃、北条町八幡倶楽部で男が面会し、帰りがけに短刀で刺そうとしたが、家人に取り押さえられ、殺人未遂容疑で警察に逮捕された。男は東京から船で入り、警察も尾行中だったという。

明治期に政治亡命し、命を狙われたことは、小谷家住宅で七言対句を見つけたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)が、当時の外務省資料や、警察の報告書などを国会図書館で調べ、裏付けた。愛沢さんは「神戸でも、朝鮮王族関係者の同時暗殺が亡命者内で計画されていた。李は館山で宿舎を転々と変えていた」と語る。

小谷家当主の小谷福哲さん(65)は「なぜ小谷家にあるのか、どんな気持ちで書いたのか知りたい。波乱万丈、数奇な運命をたどった李が、その後、無事王族に復帰できたのが救い」としている。

小谷家住宅は、洋画か・青木繁が「海の幸」を描いた場所として知られ、七言対句は、小谷家修復後の「青木繁『海の幸』記念館」に展示中だ。

【読売】160730*千葉遺産〜四面に刻む4か国の平和

【千葉遺産】四面に刻む4か国の平和

大巌院の石塔(館山市)

(読売新聞2016.7.30付)…⇒印刷用PDF


館山市大網の大巖院(だいがんいん)の山門近くに珍しい石塔がある。高さ約2.2メートル、幅約50センチの四角柱で、4面に4か国語で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。南面に日本の漢字、東面に韓国のハングル、西面に中国の篆字(てんじ)、北面にインドの梵字(ぼんじ)。1624年に建てられた。

中でも、ハングルは、日韓の識者が「韓国なら国宝級の石塔。なぜ館山にあるのか」と指摘する貴重なものだ、現在のハングルとはやや異なる文字で、15世紀中頃に朝鮮王朝によって発布され、短期間で消滅したという初期ハングルであることが解明されている。

江戸初期の館山に、なぜ国際的な石塔が建てられたのか。県指定文化財になったのは1969年だが、その謎の解明が始まったのは最近のこと。「2002年に館山市で開かれた『日韓歴史教育シンポジウム』の研究交流などで少しずつわかってきた」と大巖院の石川龍雄住職(69)は語る。

大巖院は、里見氏9代の義康の寄進で雄誉霊巖(おうよれいがん)上人が1603年に創建した。石塔南面の「南無阿弥陀仏」は雄誉上人の揮ごうだ。雄誉上人は幕府にも重用され、江戸城正面の湿地帯を埋め立て、石塔と同じ年に霊巖寺を建立、霊巖島の地名にもなった。幕府の宗教政策にも参画したとされる。

雄誉上人は、幕府を通じて文禄・慶長の役で捕虜となった朝鮮人の帰国や江戸を訪れた朝鮮通信使が帰路、大巖院に立ち寄ったとの文書もあり、日韓の善隣友好に一定の役割を果たしたと考えられている。

02年の日韓シンポで韓国の学者は「雄誉上人が仏典で古いハングルを知り、日韓和解を望んだ」と発言。石塔に光を当てたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)は「秀吉の朝鮮出兵にかかわる供養であり、『四面』の各国間の平和を願い、自らの原点の地。館山に建てた」とみている。

(笹川実)

【読売千葉】160730*「海の幸」レリーフ久留米にも

「海の幸」レリーフ久留米にも

青木繫の出身地、館山に続き

(読売新聞千葉版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF


福岡県久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市内の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。

レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた館山市の小谷家住宅などに寄贈された。

除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。旧居保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援で、すてきなレリーフを飾ることができた」と話していた。

【毎日(筑後)】160730*「海の幸」レリーフ、久留米・青木繫旧居に設置

「海の幸」レリーフ

久留米・青木繫旧居に設置

在日韓国人河正雄さん、両国の友好願い寄贈

(毎日新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF


久留米市同市荘島町の青木繁旧居に29日、青木の代表作「海の幸」(1904年)をモチーフにしたブロンズレリーフが設置された。在日韓国人の実業家で、日韓文化交流を進めるソウルの秀林文化財団理事長を務める河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=が、美術作品を通した日韓友好を願って寄贈した。

レリーフは、オリジナルの海の幸と同じ縦70・2センチ、横182センチ。青木繁が海の幸を描いた千葉県館山市に住む彫刻家、船田正廣さんが原型となる塑像を制作した。日韓国交正常化だった昨年、河さんが船田さんに依頼してレリーフを計5枚作り、3枚を韓国の美術館、2枚を館山の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)と、久留米の青木繁旧居に寄贈した。

29日はレリーフの除幕式があり、河さんや久留米市の関係者ら約50人が出席。市所有の旧居を指定管理する保存会の荒木康博会長(66)は「このレリーフが館山、韓国の人たちとの懸け橋になることを願っています」と述べた。70年代に海の幸を初めて見て感動したという河さんも「美術品は人類の宝。レリーフを通し、今まで以上に日韓両国の友好を重ねたい」と語った。

(中村清雅)