旧海軍落下傘部隊を語り継ぐ会
遺族ら集い当時を振り返る
(房日新聞2017.5.30付)‥⇒印刷用PDF
太平洋戦争開戦前、館山市の館山海軍航空隊に招集された海軍初の落下傘部隊。落下傘による奇襲のため、多くの犠牲者を出し、同市の安房神社には戦友会有志により慰霊碑が、海上自衛隊館山航空基地内には、落下傘部隊発祥の地の碑が建立されている。海軍記念日の27日、戦後、版画家として活躍した元隊員の秋山巌さんの長女、町田珠実さん(兵庫県在住)が、地元の安房文化遺産フォーラムと連携し、市コミュニティセンターで報告会「海軍落下傘を語り継ぐために」を開いた。地域住民ら約20人が、町田さんをはじめ遺族の話に耳を傾けた。会の前には、安房神社で慰霊祭が行われ、戦死した隊員らをしのんだ。
真珠湾攻撃の3か月前の昭和16年9月、館山海軍航空隊に、精鋭1500人が招集され、海軍初の落下傘部隊が誕生。隊員らは上空300㍍から降下する厳しい訓練をこなし、太平洋戦争開戦から間もない17年1月、オランダ領東インドのセレベス島メナド、2月にはティモール島への降下作戦を敢行。犠牲者が多く、生還者はわずか200人だったといわれている。
元隊員の秋山さんは7年前、館山で体験証言会を開いたが、3年前に逝去。長女の珠実さんは「この事実を広く知ってもらいたい」と同フォーラムと連携。「海軍落下傘部隊を語り継ぐ会」として報告会を開いた。
この日は、父親が落下傘部隊に所属していた高崎邦敏さん、畠山彪さんも遺族として参加。それぞれ聞いたこと、父が残した物などをもとに、当時を振り返った。
珠実さんは、落下傘訓練の様子や父から直接聞いた戦争中の体験などを講話。最後に「戦死した父親の手がかりを探す遺族が多い。発祥の地である館山を人知れず訪れたり、基地内の碑に手を合わせに来る人がいたりしてうれしい。こうした事実を次の世代へと語り継いでいきたい」と涙ながらに話していた。
【写真説明】当時の落下傘訓練の様子を語る町田珠実さん=館山コミセンで
旧海軍落下傘部隊慰霊祭
館山航空隊 市民参加の語り継ぐ会も
(読売新聞2017.5.28付)‥⇒印刷用PDF
館山市にあった旧館山海軍航空隊で発祥した海軍落下傘部隊の慰霊祭と語り継ぐ会が27日、同市で開かれた。
慰霊祭は同市大神宮の安房神社にある慰霊碑前で毎年開かれており、今年は遺族ら約20人が参列した。午後から一般市民も参加して開かれた語り継ぐ会では、遺族3人が父親のことなどを語った。
石川県白山市から参加した男性(76)は、小隊長として出陣した父・信明さんが、ティモール島クパン(現インドネシア)へ降下後、負傷した部下に声をかけている時に狙撃兵に撃たれ、亡くなったことを報告した。「父親のことを知りたくていろいろ調べた。戦友の話や記録で最後の様子がわかった。館山に来て話せてよかった」と語った。
館山市観光協会新役員決まる
新会長に館石氏を選任
(房日新聞2017.5.24付)‥⇒印刷用PDF
館山市観光協会の29年度総会が22日、館山市内のホテルであった。任期(2年)満了に伴う役員の改選があり、新会長には副会長の館山シーサイドホテルの館石正文氏(67)=同市東長田=が選任された。
選任後、会員を前に館石氏は「会員の皆さんのより一層の支援をいただき、館山の観光を一歩でも進めたい」とあいさつ。
新会長として「館山のオリジナリティーを前面に出して、観光客を呼び込みたい」と抱負を述べた。
会長を退任した小金晴男氏(70)=同市塩見=は3期6年にわたり館山の観光をけん引。震災の影響で落ち込んだ観光客入り込みの回復に手腕を振った。「震災からの回復に向けて市や県、地域の皆さんと一緒に取り組むことができ、とてもやりがいのある仕事をさせてもらった」と振り返った。
総会では、昨年度の事業報告や決算、29年度の事業計画案、予算案を原案どおり承認。29年度の基本方針には、インバウンド観光、若者の知名度の低さなどの課題に対応するため▽広報プロモーション活動▽館山ファンクラブ推進—など11の事業内容に取り組むことを掲げた。
また、総会終了後の懇親会では、館山いちご狩りセンターの相川照夫代表に感謝状が贈られた。
主な新役員は次のとおり。
▽副会長=浅沼孝司(ドッグホテルわん楽)、上條長永(館山ファミリーパーク)
海老原斉(やまと丸漁業)、角田吉夫(館山商店会連合会)
▽常務理事=矢田泰裕(休暇村館山)、佐藤淳(JR東日本館山駅)、愛沢伸雄(安房文化遺産フォーラム)
▽幹事=大河内博夫(館山信用金庫総務・人事課長)、稲田実知留(サンゴの湯やどかり)
vol.2in館山「かにた教会」
「夢を見る」〜ふたり語り版〜
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【日時】2017年7月1日(土)14時・18時(全2回)
【会場】かにた婦人の村内教会堂
【料金】一般2,500円、学生1,500円
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はじめてヘルに会ったのは1971年暮れ。
ヘルは言った。
あたしは将校さん専門の慰安婦だったんだ。
2015年夏、まだオープン前のSPACE梟門に上演され、好評を得た、
占部房子のひとり芝居『夢を見る』の作中に登場する千葉・館山の
長期婦人保護施設「かにた婦人の村」。
その敷地内に立てられた小さな教会で、
ふたりの俳優が『夢を見る』を読み語ります。
歴史の暴虐に踏みにじられ、それでも生き、
自分と、自分の「場所」を取り戻し、守ろうとする女。
『夢を見る』は、そんな、生きることしかできない女と、
彼女を取り巻くどうしようもない世界、
そして、そこに居る「私たち」の物語です。
落下傘部隊を語り継ぐ会
海軍記念日(5月27日)に慰霊祭と報告会
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2017年5月27日(土)
09:30〜 慰霊祭:安房神社
13:30〜 報告会:館山市コミュニティセンター集団指導室(参加費300円)
1941年9月下旬、精鋭1500名が館山海軍航空隊に招集され、海軍初の落下傘部隊が誕生しました。館山で300m上空から降下する厳しい訓練を2か月間おこない、翌年1月にセレベス島メナド、2月にティモール島への降下作戦を実行しました。
戦友会の有志により、館山市の安房神社に「海軍落下傘部隊慰霊碑」が、海上自衛隊館山航空基地内に「海軍落下傘部隊発祥之地」碑が建立されました。毎年、海軍記念日の5月27日には、安房神社にて永代供養の海軍落下傘部隊慰霊祭が行われています。
戦後、版画家として活躍した元落下傘部隊員・秋山巌は、2010年1月館山にて体験証言会を おこないましたが、2014年に93歳で逝去しました。その長女・町田珠実(兵庫県西宮市在住)は、子世代から孫世代へ慰霊祭を広く知らせたいと願い、「海軍落下傘部隊を語り継ぐ会」を企画しました。多くの皆さんの参加をお待ちしています。
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【主催】
・「海軍落下傘部隊を語り継ぐ会」実行委員会
・NPO法人安房文化遺産フォーラム
【問合せ】=町田 珠実(まちだたまみ)
・TEL/FAX 0798-57-3313 携帯080-5320-3083
・Eメール:info@iwao-akiyama.com
・ホームページ:http://ameblo.jp/navy-paratroop/
モントレーの33人が来日、アワビがつなぐ市民交流
安房神社参拝で理解深める、広島・長崎も訪問
(房日新聞2017.5.12付)‥⇒印刷用PDF
ほぼ同緯度で太平洋を挟んで交流が続く、米国カリフォルニア州モントレー湾の訪問団が8日、房州入りし、地元住民らと交流した。一行はカブリオ大学名誉教授、サンディ・ライドン氏率いる33人。京都や広島なども訪問し、日本への理解を深める。
1897年(明治30)に白浜地区の小谷源之助と弟、仲次郎が渡米し、モントレーでアワビ事業を始めた。仲次郎は帰国後も海士(あま)を現地に送り続けた。日米戦争でその交流が途絶えるが、1995年にモントレー地区の日系人の歴史を研究していたライドン氏が南房総を初めて訪問。以降、市民レベルでの交流が続いている。
今回の訪日団のテーマは「第二次世界大戦」「幕末の日本」「平家物語」。日本の文化と歴史に触れ、理解を深めようという。
房州入りした一行は、旧官幣大社である館山市の安房神社を訪問。ちょうずを使って拝殿に参拝、神道文化に触れた。この後、小谷家ゆかりの南房総市白浜町根本地区、千倉地区なども歴訪。本土の戦跡である館山市の赤山地下壕も見学した。10日夜には地元住民とも親睦した。
一行は清水寺、竜安寺などがある京都、東大寺の奈良なども訪問。その後は、広島、山口、福岡、長崎、鹿児島などへも足を延ばし、19日には東京へ戻る予定。
ライドン氏は「館山は、自分にとって特別な場所。日本のことをあまり知らないアメリカ人がたくさんいるので、自然豊かで温かい地域住民がいる館山に来て、本当の日本を感じて欲しい」と話していた。
学校の〝シンボル〟に
「海の幸」島田さんが複製画を寄贈、館山の房南小
房日新聞2017.5.9付‥⇒印刷用PDF
今年開港した館山市の房南小学校(池田俊郎校長)に、明治を代表する画家・青木繁が同市布良で描いた代表作「海の幸」の複製画が寄贈され、児童が出入りする玄関に飾られている。
寄贈したのは、同市犬石にある「アートプロセス」の代表取締役社長を務める島田吉廣さん(66)。
島田さんは、日本に3人しかいないという厚生労働大臣認定「スキャナー一級技能士」の一人。同じく青木の代表作「わだつみのいろこの宮」と「海の幸」の複製画を作成するため、福岡県の石橋美術館(現・久留米市美術館)、東京のブリヂストン美術館で実物を見学。石橋美術館から複製のためのデータを入手し、約4年前に複製画を完成させた。
「わだつみのいろこの宮」は、青木の母校・久留米市立荘島小学校(福岡県)に昨年秋ごろに寄贈されており、「ぜひ房南小にも作品を寄贈したい」と知人を通じて依頼。同校の開校にあわせて寄贈した。
「旧富崎小学校時代は、青木繁のつながりから、荘島小との交流もあった。代表作のある両校が今後も交流を続けてほしい」と思いを語った島田さん」
池田校長は「大変素晴らしいものをいただき感謝している。学校の一つの“シンボル”として大切にし、子どもたちに伝えていきたい」と話していた。
クラウドファンディング
小高記念館
(房日新聞2017.5.3付)‥⇒印刷用PDF
NPO安房文化遺産フォーラムの事務局だった館山市館山の小高記念館が、クラウド・ファンディングによって、古民家風のカフェに生まれ変わった。その名も「TRAYCLE(トレイクル)Market&Coffee」。
昨年12月にオープン、今年3月から10人限定の「TRAYCLE Cinema」も始めた。
クラウド・ファンディングとは、聞きなれない言葉である。不特定多数の人がインターネット経由で、他の人々や組織に財源の提供や協力などを行う事。「群衆」と「資金調達」を組み合わせた造語である。
カフェのオーナー、知識淳悟さん(40)は鹿児島県出身。一昨年まで、話題の豊洲に住み、10年以上、都心のIT企業に勤めた。パソコンとにらめっこする毎日だった。店を切り盛りする妻の絵理子さん(40)とは職場結婚である。その後、船橋に移り、地下鉄東西線の満員電車も経験した。
絵理子さんの祖父が、館山名誉市民である故・小高熹郎さんだ。大正初期に建てられた古川銀行鴨川支店を昭和初期に現在地に移築した。館山市の文化交流の拠点、小高資料館となるが、1997年、所有者の熹郎さんが亡くなって閉館した。その後、2008年からNPO安房文化遺産フォーラムの事務局となり、2015年11月、国の有形文化財に登録された。
ここから館山港まで100メートルもない。港を望む海辺の街中にポツンと1軒だけ残された、古い港町の風情を感じさせる白い洋館。週末の午後7時からは映画の上映会。興味深いテーマのドキュメンタリー映画が1500円(コーヒーか紅茶、クッキー付き)で楽しめる。予約が必要という。
薄暗がりの中に浮かび上がる店舗は、港町の風情を感じさせてくれる。先の大戦が終わって間もない1945年9月、アメリカの占領軍が初めて館山に上陸した事実は、意外と知られていない。この洋館にたたずむと、敗戦から日本の再生を歩み始めた館山の歴史を垣間見ることができる。
電話は、0470-49-4688。営業時間は、午前11時から午後6時まで。月曜日、火曜日が定休日。安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄理事長は「こうした形で館山の文化遺産が守られ、市民に継承されていくのがうれしい」と話している。
漁師のロープワーク体験
館山 海の幸記念館1周年で
(読売新聞千葉版2017.5.3付)‥⇒印刷用PDF
館山市布良の布良崎神社で2日、ロープワーク「もやい」体験会が開かれた。近くの小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」の開館1周年を記念し、地元漁師が協力した。
漁船を係留するもやい綱の結び方は、引っ張るほどにきつく締まり、ほどきやすい。キャンプや荷造りなど日常で役立つ知恵として刺し網漁師が市民や観光客を指導した。4、6日も午後1時から行う。
同記念館では7日まで特別展を開いている。問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(0470・22・8271)へ。
歴史を学び未来へつなぐ
主催=安全保障関連法に反対する医療・介護・福祉関係者の会
日時=2017年5月20日(土)21日(日)
参加費(各日)=会員2,000円、非会員1,000円
(懇親会・宿泊費は別途)
‥⇒印刷用PDF
5/20(土)14:00〜16:00/平砂浦ビーチホテル
*川嶋みどりさんのお話
「人間宣言〜1人の看護師の闘いの軌跡と葛藤」
(略歴)
1951年日本赤十字女子専門学校(現日本赤十字看護大学)卒業。
日本赤十字社中央病院勤務後、1982年から健和会臨床看護学研究所所長。
2003年から日本赤十字看護大学教授、現在は日本赤十字看護大学名誉教授。
1995年「若槻賞」、2007年「フローレンス・ナイチンゲール記章」受賞。
著書多数、近著に『看護の力』、『戦争と看護婦』など。
5/20(土)18:00〜/鳩山荘松庵
*天羽道子さんのお話
「かにた婦人の村の歩みからみえる日本の戦後」
(略歴)
戦後、キリスト者として深津文雄牧師のもとに通い、23歳の時に奉仕女に志願。
1954年にベテスダ奉仕女母の家創設。
1958年創設の「いずみ寮」にて女性の保護事業に本格的に参加。
1965年に館山市に開村した長期婦人保護施設「かにた婦人の村」で活動。
深津牧師の後を継いで、1989年より2013年まで施設長を務め、、現在は名誉村長。
5/21(日)9:00〜
*館山の戦跡巡りツアー
NPO法人安房文化遺産フォーラムのガイド
5/21(日)13:30〜16:00/とみうら元気倶楽部さざなみホール
*川島龍一さんのお話
「昭和史にみる医療の変遷」
(略歴)
1969年神戸大学医学部卒業。甲南病院外科医長、神戸大学医学部講師を経て、
1983年神戸市東灘区に川島クリニックを開設。
東灘区医師会会長、神戸市医師会会長、日本医師会理事等を歴任。
2010年から兵庫県医師会会長、2016年から兵庫県医師会名誉会長。