【平和について考える】
「NPOで『いま』あるものを活かす地域づくりを」
NPO法人 南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長 愛沢伸雄
2004/12/08発売号 (12月号)
【平和について考える】
「NPOで『いま』あるものを活かす地域づくりを」
NPO法人 南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長 愛沢伸雄
2004/12/08発売号 (12月号)
この度は歴博友の会の研修旅行では大変お世話になりました。
皆様のお蔭で、予定していた見学個所もほぼこなすことができ、
有意義な研修になりました。
懇切丁寧なガイドをしていただいた佐藤ご夫妻、岡崎ご夫妻
臨場感のある語り部の松苗さんとスタッフの皆様にも感謝、感謝です。
天候も一時はどうなることかと思いましたが、
文字通り波瀾万丈の変化を見、鏡浦であれほどの波も初めてでした。
帰途にはオレンジ色の夕陽の中で富士山がきれいなシルエットを
描いていました。ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
昨日は、私どもに、貴重な館山に存在する戦争の遺跡を巡る機会を頂きありがとうございました。戦争体験のない私たちですが、あらゆる点で現在進行中の戦争の無意味さを改めて感じます。私たち以上に余りにも平和で、物のあふれた社会で、生まれてからずっと生きてきた生徒たちに(若者たちに)どのように戦争の悲惨さを伝えてゆくのかが私たち大人の使命と考えています。
本当にありがとうございました。ほか5名の者もよろしく申しておりました。
昼食後に、体験した「ウミホタル」の言葉に言い表せない美しさの感激を全世界の人々が体験したら、きっと。。。と思いました。
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5・6日の私たち年金者組合小平支部の旅行の際には、いろいろご配慮いただき本当に有り難うございました。夕日海岸ホテルで見せていたがいたウミホタルの幻想的な光には全員が感嘆の声をあげていました。「これを見ただけでここに来た甲斐があった」との声も出ました。戦跡めぐりはあいにくの雨の中で、ガイドの方も大変だったと思います。でも、メインの赤山地下壕は雨に煩わされることなくゆっくりと見学することが出来ました。当時の支配勢力が戦争という国家的プロジェクトにかけた「妄想の産物」なのでしょうか。往路は東京湾横断アクアラインを利用しましたが、これもまた国家プロジェクトの「妄想の産物」でしょう。時代が変わっても支配勢力の発想は、「山を掘るか、海の下を掘るか」程度の違いにすぎないのでは、と思いました。ともあれ、参加者全員、「ガイドさんの説明がなければ、ただの洞穴の中に入っただけに終わっただろう。ガイドのお陰でいろいろと知ることが出来、勉強になっ
た」と、異口同音に感想を話していました。年金者組合安房支部のみなさんとの懇談も大変有意義でした。私たちの小平とは違った環境の中で活動されている経験を聞かせてもらえ参考になりました。6日は、前日とは打って変わった青空で、三浦半島の先端や大島、富士山がくっきりと見えました。道路も空いていましたので予定より半時間早く帰着出来ました。
「また機会があれば訪ねたね」との声も出ていました。
みなさんによろしくお伝え下さい。
ウミホタルの採取に中学生が動員されたというお話は鑑賞会で聞きました。当時、戦争には文字通りすべての国民が総動員されました。私は、岡山県の片田舎で「国民学校2年生」のときに敗戦を迎えたのですが、終戦の前年にドングリ、松の根、ヒガンバナの球根、こんな物の採取に動員されました。松の根は油を採る、ヒガンバナの球根からは糊を作ると聞きました。ドングリは何に使う目的だったのでしょうか。こんなものを集めるようでは戦争に勝てるわけなどありません。私の父などは、開戦当時から「アメリカと戦争して勝てるわけがない」と言っていたようで、「そんなことを言うと捕まるぞ」と、親せきからたしなめられていました。だから8月15日、「敗戦」と知っても、さして驚きはありませんでした。
敗戦の年に入ると、校舎・校庭が軍隊に接収されました。校舎は兵舎になり、校庭には軍馬の小屋ができました。子どもたちは部落にある芝居小屋などに分散して集まり、そこに時々先生が回ってきていましたが、もちろん勉強はできませんでした。軍は山中に壕を掘っていました。その壕がどうなったのか。先年訪れる機会がありましたので、記録が残っていないか調べてみましたが、分かりませんでした。もちろん、赤山のような規模のものではありません。敗戦後、そこに隠匿されていた物資を取りに住民がゾロゾロと押し掛けました。私も父とリヤカーを引いていくらか持ち帰った記憶があります。軍で蓄えていたローソクなどだったと思います。
有事法制が成立した今、戦前と同じように国民を動員することが法的には可能になってしまいました。これを実施させない状況をどうつくるか。切実な課題です。そうしたことからみると、みなさんのNPOの活動は重要なお仕事です。ご健闘ください。
◎新たな戦跡つくらない
…全国シンポ 願いをアピールに
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20日から千葉県館山市で開かれている第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会(主催・同千葉県実行委員会、戦争遺跡保存全国ネットワーク)は22日、全体集会を開き大会アピールを採択し閉会しました。
アピールでは、国や地方自治体によって史跡・文化財(指定文化財・登録文化財)となった戦争遺跡は九十六件に増加するなど、「戦争遺跡が21世紀に継承すべき国民の財産として広く認知された」とし、さらに国の追加調査や、自治体独自に史跡・文化財への指定を積極的に行うことを要望しています。
イラク戦争や憲法九条「改正」が主張される日本の現状に「強い危ぐを覚える」と表明。新たな戦争遺跡をつくらないことを共通の願いとして、「戦争遺跡保存運動への支援と参加」を呼びかけています。
シンポジウムでは「戦争遺跡保存運動の現状と課題」「調査方法と保存整備の技術」「平和博物館と次世代への継承」の分科会が開かれました。
市民運動による戦跡の調査・保存活動が行政を動かした地元・館山市の例など、自治体との共同で平和学習の拠点づくりを進める例が報告された一方、都市化や乱開発による戦跡破壊の進行や、国の「三位一体改革」で地方自治体の文化財保護予算の削減を危ぐする声も寄せられました。
全体集会では、作家の早乙女勝元氏が「平和の語り部としての戦争遺跡」と題して記念講演。「過去の戦争を弱者の立場で語り継ぐことが戦争を阻止することにつながる」と語りました。
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◎女性の目から見た平和/千葉・館山
…行動する人の輪広げよう/戦争遺跡保存全国シンポ分科会
南房総で活躍する3氏が報告
20日から千葉県館山市で開かれている第八回戦争遺跡保存全国シンポジウムで21日、特別分科会「南房総平和活動シンポジウム」が開かれ、南房総地域で平和の問題で活躍する女性3氏が、自らの体験や活動を報告・交流しました。
報告したのは、環境・平和ジャーナリストのきくちゆみさん(鴨川市在住)、アイヌ布絵作家の宇梶静江さん(鴨川市在住)、婦人保護施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子さん(館山市在住)。
アメリカの「対テロ戦争」を食い止めようと日本とアメリカで活動するきくちさんは、米軍のアフガン爆撃のビデオを映写しながら「ブッシュ政権は『正確に爆撃』というが、実態はまったくのウソ。アメリカやそれに加担する国が垂れ流す情報をうのみにしてはいけない」と訴えました。
天羽さんは、戦前育った満州(中国東北部)が日本の「加害の地」だったことや、施設に入所していた一人の元従軍慰安婦の女性の勇気ある告白で「鎮魂の碑」が建てられた経過を紹介。「日本は加害の歴史にどうして痛みを感じないのか。過去を隠すことにきゅうきゅうとする国は変えなければなりません」と語りました。
宇梶さんは、アイヌへの差別の解消を行政に訴え、布絵の活動に至った人生の歩みを切々と語り、「就職や結婚で差別される同胞には、『アイヌのアの字が怖い』という人もいます。アイヌの神のシマフクロウを意味する布絵で、解放される道を示していきたい」とのべました。
最後にきくちさんは、「いま、教育基本法や平和憲法の改悪が日程にのぼり、戦争のがけっぷちにあります。シンポジウムをきっかけに、平和のために行動する人の連帯を広げたい」と呼びかけていました。
(2004年08月22日「赤旗」)
◎戦争の犠牲者はいつも市民と子ども
千葉では海藻を焼いてできる海藻灰を火薬の原料にしようと漁民たちを総動員してカジメ・アラメ採集に走らせ、花を作る農民は国賊と言われ厳しく取り締まられて花畑は芋畑と化し、子どもたちは夜間のゲリラ戦に備えて敵味方を判断するための夜光塗料の原料としてウミホタル採集に従事させられました。花作りを守った方、ウミホタルの採集をさせられた方の証言もありました。全国シンポ交流会では、そのウミホタルの美しい光を実際に見せていただきました。 戦時にはかなり愚かしいことがまことしやかに行われ、罪のない住民や子どもが苦難を強いられます。そして茂原の航空隊基地の建設、桜花四三乙型基地建設、赤山地下壕の掘削など、いずれも朝鮮人労働者が関わっています。全国の戦争遺跡それぞれは何のために誰がつくったのか、そしてそこから何を学ぶかは大きな課題ですが、戦争遺跡保存や調査研究には、市民・子どもの視点を忘れないようにしたいと思います。
戦争遺跡保存全国大会に初めて参加しました。戦争遺跡の保存に熱心な方々がたくさんいることは驚きでした。基調報告で十菱駿武代表は「戦争遺跡の保存と活用は地域の街つくり計画と組み合わせて民間が提案し、『平和の語り部』となるようにすべきだ」や作家の早乙女勝元さんの講演「平和の語り部としての戦争遺跡」が印象に残りました。
見学した旧海軍航空隊の赤山地下壕は市で整備され、地下壕の壁天井をコンクリートでまくなど、遺跡のあり方と見学者の安全との関係は考えさせられました。
参加して感じたことは、戦争遺跡をどういう観点から保存し、活用するかと言うことでした。戦争遺跡は平和の語り部として保存されるべきです。それは庶民、一般国民の目からでなければいけないということです。戦争遺跡は戦争の悲惨さ、愚かさを語り、戦争を知らない世代に平和を語りかけるものとしてこそ存在するのではないかと強く感じて帰ってきました。
◎松代の地下壕「工夫必要」 戦争遺跡の保存と継承大会
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近代の戦争遺跡の保存や継承を考える全国大会(戦争遺跡保存全国ネットワーク主催)が8月21日、2日間の日程で千葉県館山市で始まった。各地の地下壕や旧軍事施設の保存活動や調査の報告がされ、長野県内では、市民有志でつくる「松代大本営の保存をすすめる会」が取り組む長野市松代町の皆神山地下壕の内部調査について報告があった。
全国大会は、戦争と平和を学ぶ拠点として戦跡の保存に取り組む全国の市民団体や研究者、自治体職員が集まる大会で、8回目。21日は約350人が集まった。
松代大本営関係では、保存をすすめる会の依頼で2002年から皆神山地下壕の調査に当たっている全国ネットワーク代表の十菱駿武・山梨学院大教授(考古学)が報告した。地下壕の中で食料庫になる計画だった皆神山は、昭和四十年代の群発地震で崩落が進行中。内部の状況や構造を発表した十菱代表は「崩落の危険があり一般公開は難しいが、封鎖するのではなく今後の調査のため自治体と協力し保存を工夫するべきだ」と話した。
このほか、市町村による戦跡の公開や史跡指定の経緯が報告され、開発や宅地化、崩落などで保存が難しくなった事例も紹介された。