【大会趣旨】
20世紀の二度にわたる世界大戦の惨禍を踏まえ、「平和の世紀」という願いとともに迎えた今世紀に入ってもなお、世界各地では憂慮すべき深刻な事態が巻き起こっています。自衛隊派遣などで世論が揺れる現在、過去の過ちを繰り返さない選択をするためにも、「平和の語り部」とも言うべき戦争遺跡から学ぼうという動きが活発に起き始めています。このように戦争遺跡に課せられる役割が一層大きくなる中で、これらを史跡として保存しようという運動は、多くの市民や自治体の力で粘り強く進められています。こうした全国の運動をひとつに結び、よりよい保存や継承の方法を研究することを目的に結成した「戦争遺跡保存全国ネットワーク」は、1997年第1回戦争遺跡保存全国シンポジウム長野大会を皮切りに、第2回(沖縄)南風原大会、第3回京都大会、第4回(高知)南国大会、第5回(神奈川)川崎大会、第6回(山梨)甲府大会、第7回(大分)宇佐大会を開催してきました。
そして今夏、第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会を開催する運びとなりました。太平洋に突き出た房総半島南端部に位置し、東京湾の入り口にあたる館山市は、帝都東京を守るための要塞地帯として、また想定された本土決戦に備えて造営された戦争施設が数多く残されている貴重な地域です。館山市では「地域まるごとオープンエアーミュージアム(フィールド博物館)・館山歴史公園都市」構想をもつ平和宣言都市として、今春、平和学習拠点として「旧海軍赤山地下壕跡」の一般公開も始めています。また市民活動としては「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」という研究調査・ガイド団体も全国に先駆けてNPOとして旗揚げし、全国からの企業・学校等の平和学習ツアーのニーズに応えています。こうした先進的な取組みに学びながら、知恵と経験を一同に集め、戦争遺跡保存の運動をさらに前進させ、平和な未来づくりの一助となることを意図しています。
【日時】2004年8月21・22日(土・日)
【会場】たてやま夕日海岸ホテル 千葉県館山市八幡822
【主催】戦争遺跡保存全国ネットワーク・第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会実行委員会
【共催】館山市・館山市教育委員会
【実行委員長】 各務敬
【現地事務局長】愛沢伸雄
【郵便振替口座】00100-0-757936 名義:戦跡全国シンポジウム館山大会
【日程】
○8月20日(金)
・プレ現地見学会(茂原市・夷隅町・大原町の戦跡めぐり)
○8月21日(土)
・現地見学会:赤山地下壕跡・掩体壕跡・射撃場跡等(館山市)
・記念講演/基調報告/開催地域報告「戦跡の保存活用とまちづくり」
○8月22日(日)
・分科会「戦跡保存運動の現状と課題」「調査方法と保存整備の技術」「平和博物館と次世代への継承」「地元の平和活動報告」
・全体集会/閉会式
○8月23日(月)
・オプション現地見学会:東京湾要塞大房岬砲台関連施設・「戦闘指揮所」壕・噫従軍慰安婦の碑 …等
【問合せ先】戦争遺跡全国ネットワーク(松代大本営の保存をすすめる会気付)
TEL&FAX:026-228-8415
【参考図書】『戦争遺跡から学ぶ』岩波ジュニア新書
*詳細はこちら。
「噫従軍慰安婦」石碑の下位ページに、
城田すず子さんの告白による「石の叫び」
(TBSラジオ放送)のテープ起こし原稿を収録しました。
一昨日は大変お世話になりました。有意義な一日を過ごせまして有難うございました。
中学生の皆さんとご一緒出来、とくにこういったことこそ
大勢の子供や若者に関心を持って貰いたいと思うのです。
世界に不穏な動きのある今ですから、なお過去を正しく知ることが大切ではないでしょうか。
戦中戦後の日本を見てきた者として強く思います。
神作様とフェスティバルを見に行きまして、原爆の怖さを改めて感じました。
決して忘れはいませんけれど、近頃日本人は関心が薄くなっているような気がします。
展示が人通りの多い場所で出来るといいですね。
今日は御礼と感想まで申します。有難うございました。お元気でご活躍を祈ります。
NPOの大勢のガイドさんたち、鈴木さん、ホテルの酒井さん、松苗さん、愛沢伸雄先生ときちんとご挨拶もできずに失礼をいたしました。よろしくお伝え願えればと思います。
また今回の我々の校外学習を無事終えることができたのは、まさに池田さんのおかげと深く感謝しております。
岬高校は今日はいつも通りの平常授業でした。
各務先生の講演による事前学習、そして昨日の校外学習を終え生徒たちは何を感じとってくれたのか、この土曜・日曜で事後学習の感想文を書くことになっています。
事後学習のとりまとめが終わりましたら、ご報告いたします。
ホテルにておいしいさんが焼き定食をいただいているときに池田さんが、「地域に誇りを持てる若者を育て、それぞれの地域を学び、発信しあおう」というようなお話をされていたと思います。
今回戦争遺跡を学んだこの2年生に、今後の総合的な学習の時間を通して少しでもこんな気持ちを抱いてくれるよう我々教員も知恵を出し合っていきたいと思います。
ちょっと話が私事になりますが、私は勝浦の山奥に住んでおります。
明治12年生まれの私の曾祖父は陸軍軍医として日露戦争に従軍しました。
数年前に物置の掃除をしていたら100年ぶり?に当時のいろいろな資料が出てきたのですが、これがきっかけで各務先生よりいろいろと歴史に関するご指導をいただいております。
こんな山奥に生まれた曾祖父はなぜ軍医を目指したのか?こんなことを想像するだけでなんか胸がワクワクします。歴史のおもしろさってこんなところにあるのかなと感じてみたりもしています。
ちょっと話がそれましたが、おかげさまで今回は本当にいい校外学習ができました。 感謝感謝の気持ちでいっぱいです。今後とも機会がありましたらご指導よろしくお願いいたします。
(鈴木洋松先生)
いろいろお世話していただき、有難うございました。御陰様で良い研修になりました。
この研修は以前は教育講演会の名のもとに講師を呼んで学校でやっていたのですが、
昨年PTA会長になってかたちを変えました。
この企画は、昨年実施するつもりだったのですが、ご存じのとおりできませんでした。
しかし、今年でよかったと思います。妻も森田会長も言っていましたが、
現地NPOの方々が説明してくれた御陰でよく理解できたし充実しようです。
本当に感謝いたします。私も直に見てみたいと思います。
家族と出かけていきますのでその時はまた、よろしくお願いします。
来年度以降も、このかたちで実施していくように引き継ぎます。
沢山の人に事実を伝える必要があると思うし、子供たちにも良い刺激だと思います。
里見史跡のガイド養成
講座の受講者募る
(房日新聞 2004.5.13.付)
館山の稲村城跡を保存する会と、南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムは共催で、6月1日午前9時から、里石の史跡を開設するガイド養成講座を開く。
このところ、里見関連の史跡などを巡る観光客、学校が増えてきており、見学者に説明するガイド養成が急務となっていることから、講座を開くことになった。
当日は、館山の城山公園駐車場に集合。私立博物館で午前中、里見氏の歴史について講義を聴いたあと、城山公園内に残る城跡を見学。午後は同市稲の稲村城跡に会場を移し、各自がガイドとして開設しながら学ぶ。
講師は、高校教諭で里見氏の歴史に詳しい石崎和夫さんと、保存する会事務局長で中世の城郭を研究している島田輝弥さん。多くの参加を望んでいる。費用はテキスト代と保険料合わせて500円。
申し込み、問い合わせは石崎さんか島田さんへ。いずれも夜間のみ。
◎“もの言わぬ証人” 保存へ運動〜戦跡
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◇館山の地下要塞、来月から一般公開に
房総半島の南端、海に囲まれた千葉県館山市。花畑が広がり観光客でにぎわう姿からは想像できない数々の戦跡が残っています。この一部が、来月から一般公開されることになりました。
市内の戦跡は、館山海軍航空隊の基地など約五十カ所。房総半島南部は第一級東京湾要塞と呼ばれた軍都でした。房総半島は沖縄の次の地上戦の標的とされ、日本も「最後の抵抗拠点は房総」と本土決戦に備えました。「帝都防衛」の最重要拠点だったのです。
公開される戦跡の一つ、赤山地下要塞は、総延長約2キロの地下ごうです。司令部や医療施設、燃料基地、武器庫などが置かれた全国的にも類のない要塞です。壁には「USA」の印。米軍が調査した跡といわれています。日本降伏直後の1945年9月3日、米占領軍は館山の海岸から日本に上陸したのです。
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◇6千人を案内
戦跡調査の第一人者、安房歴史教育者協議会の愛沢伸雄さんは、「軍事戦略をになった歴史的地域の館山を通じて、戦争や日本の歩みを知ることができる。とくに子どもたちに戦争を知ってほしい」といいます。
愛沢さんは10年以上にわたり戦跡を調査・研究し、六千人にのぼる見学者のガイドをつとめました。戦跡の保存を願う市民の声は高まり、95年には「戦後50年・平和の集い」実行委員会が結成され、昨年4月には「戦跡調査保存サークル」がつくられました。
昨年、戦跡を見学した中沢妙子さん(55)は、「戦争を肌で感じた。夫や友人にも話して、自分なりの平和行動をしたい。自衛隊はイラクに派兵されたが、たたかいはこれからだと思った」といいます。
日本共産党の神田守隆市議は、「私たちが十数年前から平和公園構想を示して論議し、ようやく実現したもので大変うれしい」といいます。「地下要塞の土地は登記簿面では多くが国有地だが、戦後、市に払い下げた事実を調査し、市にも確認させるなど議会で明らかにしてきました」
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◇今も残る弾丸
戦闘機の機銃掃射の整備をした射撃場では、山肌に今も弾丸が突き刺さります。別の地下ごうには、「作戦指揮所昭和十九年竣工」の額。天井の龍のレリーフには「金銀の彩色がしてあった」という証言もあります。終戦間近の本土決戦抵抗拠点の姿です。
当時の住民は、防諜(ぼうちょう=スパイ防止)体制のもとで汽車の窓から景色を見ることさえ禁止されました。愛沢さんはいいます。
「花栽培農家は『非国民』とされ、花畑はサツマイモ畑に変えられました。抵抗する農民が命がけで種を守りました。二度とこんな戦争をしてはいけない」
(千葉県・浅野宝子記者)
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※しんぶん赤旗サイトはこちら。

(朝日新聞2003.10.18付)

○館山の戦争遺跡で街づくり
〜要塞など系統化、歴史公園都市に
…市調査委賀報告書作成し意欲
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館山市内の戦争遺跡をまちづくりに活用しようと、学識経験者らをメンバーにつくられた市戦争遺跡調査研究委員会(委員長・田辺員人東京家政学院大学学長)が最終報告書の素案を了承した。年度内に報告書をまとめる。
市は、これらの戦争遺跡を平和学習や交流に生かした、地域まるごとのフィールド博物館「館山歴史公園都市」づくりを目指す。
東京湾の出入り口に位置する立地条件のため、館山は太平洋戦争中の本土防衛要塞など、近代戦争遺跡が多いことで知られる。市教委の調べでは、館山海軍航空隊関係17、洲ノ埼海軍航空隊関係6、館山海軍砲術学校6など計47ヵ所を数える。
しかし、戦後57年が過ぎ、記録などが風化している。同委員会は昨年7月に発足、これら遺跡の文化財指定を視野に、財団法人「地方自治研究機構」と協力して現地調査や関係者アンケートなども実施してきた。
「歴史公園都市」構想は、館山、洲ノ埼の両海軍航空隊、東京湾要塞、館山砲術学校の3地区を大きく遺跡群として系統化。それによって首都圏防塁の地、館山の歴史文化性を後世に伝えようとしている。
各遺跡の関係者を対象としたアンケートも225通が集まり、平和学習の素材などに生かされる。
田辺委員長は「館山の場合、広島や沖縄のような悲惨さはなかったが、明治、大正、昭和と3代にわたる戦術や戦略の変化をたどることができる。いろいろな立場から戦争を考える場になればよいと思う」と話している。

(2002.10.19付)