韓国の児童が館山訪問、祖先の供養塔見学
平和の意義考える
(千葉日報2005.7.29付)
韓国の小学生20人が館山市を訪問、市内の小学生15十五人と、市内大網の大巌院に残るハングル文字の記された四面石塔見学などで交流を深めた。「たてやま日韓子ども交流事業」としてNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムが主催、館山市などの後援事業。
児童たちは浦項市の浦項製鉄西初等学校の4・5年生。
26日夕、引率の教師と共に館山市に到着した。
27日は船形地区でうちわ店を営む丸山忠弘さん(66)の指導で房州うちわの製作を学んだ後、城山公園内の茶室で館山市の児童たちが合流、館山の児童が「アンニョンハセヨ」、韓国の児童が「こんにちは」とあいさつ、甲冑(かっちゅう)の試着、茶道と日本文化を体験した。
午後からは大巌院で一六二四の江戸時代の初期建立の四面石塔を見学。塔の四面に漢字二書体、梵字、ハングル文字でそれぞれ「南無阿弥陀仏」と記されており、同NPOの愛沢伸雄理事長は「建立の理由は分かっていないが、豊臣秀吉の時代に連れられて来た朝鮮の人々の供養の意味があるとも考えられる」と説明し、子どもたちに平和の意義を問いかけていた。
児童らはきょう29日に館山市を後にする。
この度は大変お世話になり、ありがとうございました。予定通り、戦跡見学とご講義を受けることができ、充実した時間を過ごすことができました。ただ、講義の時間が約20分と短縮せざるを得なかったのは残念でしたが、やはり70名での移動は想像以上に時間がかかりました。
元高等学校の教員でいらしたガイドさんのお話は分かりやすく、子ども達の心をぐっとつかんで下さいました。地下壕のひんやりした空気の中では、当時の労働力の大きさや、ここまで大きな施設を作らねばならなかった理由など、様々な疑問が湧いたようでした。中には途中で遭遇したゲジゲジに興味を持った子どももいましたが…。
平和学習は、広島や長崎、沖縄でするもの…と思いこまされている子どもたちですが、日本の至るところに戦跡があり、今を生きる我々がそこから学ぶことを活かしていかねばならないことを感じ取ってくれたと思います。
今回の見学に際しまして、下見から手続き、当日のガイドまで、本当に良くしていただき、感謝しています。私自身も、館山という地について多くを学ぶことができ、世界が広がった感じがします。今後ともよろしくお願いいたします。
夏休みに入りました。袖高生徒会は9月の文化祭に向け準備をしています。今年のテーマは「架け橋」です。実行委員会企画として、「我々生き物が、生まれてからどのように進化してきて、今後どのように変化していくのか」を示す発表をする予定です。生徒たちは、「今の自分たちの生活いかんで未来が決まる」と言いました。私は「生き物は何十億年もの命のたすきリレーを続けている。だから自分の命や存在することそのものを貴重なものとして受け止めねばならない」と言いました。発表の中身が決定するまで、しばらくは生徒と価値観のぶつけ合いが続きます。
どうぞ、お身体を大切にされ、ご活躍ください。遠くから応援しています。
いよいよ「戦後60年」のアツイ夏です!
〜南房総平和フェスティバル2005
・日韓友情年2005〜たてやま日韓子ども交流
・虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビが結ぶ日米交流
日本経済新聞・文化欄(全国版)に愛沢伸雄理事長の記事掲載
お陰様で充実した探検ネットのツアーになりありがとうござました。
佐藤さんご夫妻にもとても良いガイドをしていただき、ありがとうございました。
よろしくお伝えください。
私たちがどのように次世代に語り継いでいくかで、
今後の平和問題を左右していく鍵になると思います。
習志野にも陸軍習志野学校があり、毒ガスの実験場でもありました。
今、調査して毒ガスの埋蔵はないとほぼ出ましたが、
私たちにはまだまだ多くの疑問や、不安が残ります。
弾薬庫の上が公園になっていたり、
その中に何もないことを確認したとか、しないとか?
保育園の150cm下には厚いコンクリートが張られているので、
その下は調査していないし、とても不気味ですが、
これらを掘り起こすとなると、莫大なお金もかかるそうです。
まして、以外や地元の方々が、「この地に毒ガスは埋蔵されていない」というのです。
そして、それらの話題にふれることすら嫌がります。
いろいろな問題が出たときには、
その地域の方々だけで終わらせることではないと思いますが、
土地の評価額やお金がからんでくるようなので、難しいことです。
そんな中で。館山のNPOの方々は大変なことを成し遂げて、
すばらしいと思います。
私にもできることがありましたら、お手伝いできたらと思います。
また、いろいろ見させていただきたく、伺いますが、
今後ともよろしくお願い申し上げます。
お世話になり、本当にありがとうございました。
〜南房総平和フェスティバル2005〜子どもたちに平和を手渡そう〜
◆たてやま日韓子ども交流◆
(外務省「日韓友情年2005」実行委員会・認定記念事業)
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日韓国交正常化40 周年を迎える今年、日韓両国では「日韓友情年2005」として、
両国の文化・経済・社会などにおける様々な交流事業を展開しています。記念すべき
この年に、韓国浦項(ポハン)市・浦項製鉄西初等学校の子どもたちを館山市へ招き、
館山市の自然や歴史文化をはじめ、互いの音楽の交流を通じて、日韓両国の子ども
たちの交流・友情の輪を育む「たてやま日韓子ども交流事業」を開催します。
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【期間】2005年7月26日(火)〜29日(金)
【交流先】韓国・浦項製鉄西初等学校(4〜5年生:20人、引率教諭:4人、通訳1名)
【主催】NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
【後援】館山市/館山市教育委員会/館山市国際交流協会/ちば国際コンベンションビューロー
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【日程】
○7月26日(火)館山到着
・歓迎セレモニー・ウェルカムパーティ(たてやま夕日海岸ホテル泊)
○7月27日(水)
・ふるさと歴史探検
〜船形地区祭礼見学、房州うちわ作り体験、手作り甲冑着用体験、茶道体験
〜戦跡見学(赤山地下壕)、ハングル「四面石塔」見学
・おみやげ屋(ホームスティ)
○7月28日(木)
・ふるさと自然探検〜「沖ノ島」無人島探検、ビーチコーミング、貝殻ストラップ作り
・ふるさと音楽舞踊交流(白百合合奏団VS浦項製鉄西初等学校)
・おみやげ屋(ホームスティ)
○7月29日(金)
・お別れ(東京へ出発)
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【事前説明会】7月16日(土)午前10時 たてやま夕日海岸ホテル
◇ 参加児童=おもに館山市内在住の小学校4・5・6年生 20 名(全部に参加する児童が優先参加)
◇ ホームスティ受入れ家庭=おもに参加児童家庭 韓国児童を2人ずつ預かり、送迎可能な家庭。
※ お子さんがいない家庭でも、場合によっては可
◇ ボランティアスタッフ募集
【日時】2005年7月9日
【会場】南総文化ホール小ホール
【参加費】500円
【内容】
○講演①:きくちゆみ
「鴨川の女性が世界に呼びかけたこと」
○講演②:天羽道子
「自らの体験を通して日本の加害の歴史を考える」
○講演③:池田恵美子
「南房総にあった戦争を子どもたちにどう伝えるか」
7月に実施するリーダー研修で「館山の戦跡めぐりを入れてみたい」という生徒の希望があり、その下見で館山へ出かけました。NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムがお世話をして下さいます。
待ち合わせのたてやま夕日海岸ホテルは、館山北条海岸沿いにあり、おまけに真夏日となったので、海を見ているのはとても気持ちが良かったです。
「これまで何校もの高校がこちらの平和学習に来られましたが、生徒さんが下見に来たのは初めてです」とNPOの池田さんは感激していました。「生徒から行ってみたいと乗り気だったんだもの」と思い、「袖高生は意識が高いなあ」とも心の中で思いました。
30分ほどの講義がありました。日本地図を逆さにして千葉県を見ると、そこは太平洋側に突き出ており、古代から支配権力が関わってきた場所であることや、黒潮の影響もあり、実は他のアジア諸国の玄関口になっていたこと、沖ノ島という無人島にはアジアからのゴミが流れ着くこと、第二次大戦では首都東京を守る大切な場所であったため、館山には砲台跡や海軍航空隊跡などの戦争遺跡が今でも数多く残っていること。第二の沖縄戦を想定し7万人の兵士が配備されたことなど。当時、近くの中学・高校生はウミホタルを採集し、軍部はそれを粉末にし、唾液や尿で発光させ、ウミホタル照明爆弾で敵の艦船に当てて発光させ、命中しやすくするのです。現在、南房総は花の栽培がさかんですが、食糧が不足した戦前・戦中は、花の栽培をする者は非国民扱いされました。
NPO法人のメンバー、優しそうなご夫婦で、海上自衛隊周辺、沖ノ島、米軍が本州で唯一上陸した場所、赤山地下壕などを、ゆっくり丁寧に説明をしてくださいました。
そのほとんどが軍事施設でしたので、地上戦を行い、多くの犠牲者を出した沖縄とは違った印象がありました。住宅地に突然現れたゼロ戦を1機ずつ隠した掩体壕や、立派な射撃場を1つ1つ見て歩き、「あの時代、同じ労力と時間をもっと別のものに使っていたら、日本は、いや世界は大きく変わっていただろう。そして人の心も変わっていたのだろう」と思いました。ガイドの奥さんは「戦争はお金がかけられています。今、イラクにかけている金額を食糧難に悩む国にかけることができれば、何人の命が救えるのでしょう」とおっしゃいました。
生まれて初めて、NPO法人の活動に触れました。NPO、よく耳にする名称ですが、そこでどんな人がどんな形で活動をしているのか、ほんのちょっと理解ができたような気がします。
ガイドのご主人は、「私は自分の思想に片寄らず、とにかく事実を正確に伝えることを心がけています。まだこの戦跡にはわからないことがたくさんあります」と言っていました。
池田さんは「もともと安房の出身。東京で働き、20年ぶりに戻ってきました。もともと社会教育に興味がありました。NPO活動を通して、地域に誇りを持てる若者を育て、彼らが夢と希望を抱いて働ける雇用の機会を提供したいのです」と言っていました。
働き方とか、夢の持ち方とか、やりがいっていうのは、いろいろな形があるものだ。まだまだ知らない世界がたくさんあるもんだなあ、と改めて思いました。
またまた新しいことを知り、ちょっと得をした気分になり、帰ってきました。
【日時】2005年6月18日(土) 受付9:30 入壕10:00
【集合場所】豊津ホール(当日名簿記入)
【参加費】無料 予約不要
※駐車場は、大黒屋脇からプール裏手のゲートボール場をご利用ください。
【資料展】「戦後60年」〜南房総の戦争遺跡からアジア太平洋戦争をみる
【主催】NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
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私たちが住む南房総・安房は東京湾の入り口ということで、古代より軍事戦略的に重要な役割を占めてきました。近現代をみると、1880(明治13)年から半世紀をかけて「東京湾要塞」を建設したものの、関東大震災で壊滅的な打撃をうけました。ところが大震災の数年後には要塞を復旧して、要塞地帯の一角には、全国で5番目の館山海軍航空隊を開隊しました。この「陸の空母」と呼ばれた館山基地は、最新鋭の艦上攻撃機や陸上攻撃機の開発・実験をはじめ、いわゆる中国大陸への「渡洋爆撃」やハワイ真珠湾攻撃などのパイロットたちの実戦訓練基地として重要な役割を担っていました。そのなかで当時赤山地下壕がどのように使用されていたかは今もって不明なままです。
戦争末期になると、「赤山」全体に迷路のような地下壕や巨大な燃料タンク基地を建設し、本土決戦への準備がされていった。先日、木更津市にご健在のM氏は、当時16歳で三重航空隊入隊後、特攻隊員に志願して水上特攻艇「震洋」の陸上訓練を受け、約200人とともに赤山地下壕へ送り込まれ、昭和20年7、8月の2月間、壕内で出撃命令のため待機をしていたという重要な証言をしました。
赤山地下壕は2004年4月に平和学習の拠点として一般公開され、1年間で全国から15,000人が訪れています。翌2005年1月には館山市指定文化財となりました。
アジア太平洋戦争の始まりから終わりまでの「生きた証言者」でもある戦争遺跡を調査・ガイドしているNPOの案内と、当時の赤山地下壕の様子を証言者から聞きながら、じっくり赤山地下壕を見学してみませんか。また隣接している豊津ホールにおいて、安房の戦争遺跡を紹介する「戦後60年」資料展も行ないます。どうぞご来場ください。
●脳裏に描く戦時の情景
〜千葉の高校生が館山の戦跡見学
(房日2005.5.31)
5月28日は大変お世話になり、ありがとうございました。
貴重なお話や「逆さ日本地図」は、本当にそのとおりですね。
今の日本の人たちは「戦争の事実」を殆ど知らされていません。
戦争をねじ曲げようとする力に負けないよう、
ひとりでも多くの方々にNPOの皆さんのお話や
「房総の戦跡」を見学してもらい真実を知ってほしい。
そしてこれを機会に一人でも多くの方々に
「憲法九条」の大切さを知ってもらいたいですね。
私達もNPOのお2人のお話を伝えていきたいと思います。
本当にありがとうございました。