おかげさまで充実した時間が送れました。はじめて聞くことと見るもので大変興味深かったです。また、単なる戦争遺跡の紹介保存だけでなく、館山の街おこしや市民交流も伺えて、NPO活動の実際も知ることができました。午後から「赤山地下壕」と「かにた婦人の村」は、お二人のガイドの絶妙なコンビネーションで、無理な予定にもかかわらず、テンポよく案内していただけました。誠にありがとうございました。
いままで、館山の日帰りは船橋からはハードになるので、実行したことがありません。高速道については議論のあるところでしょうが、今回は利用させていただきました。まだ47カ所中2カ所しか案内されていないそうです。またの機会によろしくお願いいたします。帰りは予想通りラッシュで5時までつけませんでしたが、皆様納得していました。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
【日時】2007年11月27日(火)13:30〜15:30
【会場】小高記念館
【講師】平本紀久雄さん(NPO会員)
【テーマ】イワシ漁の歩みと食文化

里見ガイドとめぐる南総里見八犬伝ロマン紀行
〜館山市観光まちづくり研修会・モニターツアー〜
.
安房国を治めた実在の戦国大名里見氏をモデルに、曲亭馬琴が28年の歳月をかけて書き上げた日本最長の小説『南総里見八犬伝』。馬琴は生涯一度も安房を訪れなかったというが、なぜか不思議なほど、物語の舞台と思われるゆかりの場所が安房には多い。南房総市には伏姫籠穴や犬掛の里があり、館山城跡には全国唯一の八犬伝博物館(館山市立博物館分館)もある。世界に誇る『八犬伝』のふるさと・安房の魅力を再発見してみよう。
.
【日時】
①2007年11月15日(木)
②2007年11月21日(水)
③2007年11月28日(水)
【集合】10:15館山市体験交流センター(JR館山駅西口)
【行程】
10:30 JR館山駅西口 → 城山公園・八犬伝博物館
→ 道の駅・鄙の里 (※ 自由昼食・弁当持参も可)
→ 犬掛の里 → 伏姫籠穴 → JR館山駅西口 16:30
※ 健脚コースですので、歩きやすい服装でご参加ください。
【参加費】100円(保険料・マップ代)
【主催】館山市観光プロモーション協議会
【共催】NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
.
【八犬伝のあらすじ】
結城の戦いに敗れた里見義実(よしざね)は安房へ落ちのびました。やがて滝田城の城主になりましたが、隣国の館山城主安西景連(かげつら)の攻撃にあっていました。窮地におちいった義実は愛犬八房(やつふさ)に「景連の首をとってきたら娘伏姫(ふせひめ)を嫁にやろう」と戯れの約束をします。八房の働きによって勝利すると、約束どおり、伏姫と八房は富山(とやま)の洞穴にこもって暮らし始めました。
数年後、姫の許婚であった金碗大輔(かなまりだいすけ)が姫を取り戻すために富山へやってきて、八房を撃ち殺しますが、伏姫にも傷を負わせてしまします。八房の気を受けて懐妊していた伏姫は、身の潔白を証明するため、大輔と父義実の目前で自害しました。そのとき、伏姫が幼いころ役行者(えんのきょうじゃ)からお守りとして授かっていた護身の数珠から、8つの輝く珠が天空に飛び散りました。
大輔は出家してゝ大法師(ちゅだいほうし)と名乗り、8つの霊玉を捜し求める旅に出ます。そして、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の珠をもつ8人の若者と出会います。8人は八犬士として安房へ集結して活躍し、里見家の危機を救うという物語です。

戦国大名里見氏最後の城主であった10代忠義が、安房の国から伯耆へ国替えとなった縁で、館山市と鳥取県倉吉市の交流が続いているが、その倉吉の地で育った桜が「里見桜」として安房へ里帰りすることになった。里見氏を偲んで館山市で開催される南総里見まつり前日の20日には、城山公園山頂に関係者が集い、植樹祭が行われる。
改易された忠義が最初に住んだ倉吉の神坂町は打吹山の麓にあり、打吹山は郷土が生んだ横綱「琴桜」の名にも由来する桜の名所。蟄居同然の忠義が、打吹山の桜を眺めながら、遠い故国館山に思いを馳せていたであろうことは容易に想像がつく。
そこで、大山や蒜山山麓から流れくる水と、忠義が土となった伯耆の国の大地で桜を育て、忠義400年の思いを「里見桜」として形を変え、故国館山へ里帰りさせよう、と地元の有志が里見桜実行委員会を組織。企画・検討を重ね、NPO法人たてやま・海辺のまちづくり塾の辰野方哉代表へ桜進呈の打診があり、里見まつりウィークに合わせて植樹祭が実現することになった。
山頂で午後4時から行われる植樹祭には、里見氏誕生の地で、辰野氏らとも交流を深めている群馬県旧榛名町からも関係者が来館。倉吉市の同実行委メンバーと館山市からは市長や教育長、観光協会長ら関係者が顔をそろえ、忠義を供養しながら植樹する。
先日のモニターツアーでは大変お世話になりました。
貴重な場所をご案内いただき、感謝するとともに、何を残しどう伝えていくか、
また今我々はどう生きていくことが求められるのであろうか考えさせられたツアーでした。
85歳になる親戚(現存、祖母同士が姉妹関係で、その息子のため、父同士が親戚)が
この館山で訓練を受けておりました。
海軍航空隊の第一飛行隊所属時に陸戦講習に参加の命があり、参加したようです。
訓練後の20年4月には海軍本省軍令部2部3課に配属されていました。
本人健在なので、当時の様子は聞いてみようと思います。
といったことで少し身近な場所でした。
池田さんをはじめ、皆様の活動は心から応援しております。
また館山に訪問する際にはご連絡いたします。

ふるさと探検隊〜海とともに生きるまち
(自然体験活動〜トム・ソーヤースクール企画)
日本地図を逆さまに見てみると、館山は「へ」の字型の頂点にあたります。館山は、海上交通の要所として、重要な歴史や文化がたくさん詰まった「地域まるごと博物館」です。この夏、館山の歴史・文化をたずねてみよう。
■日時=2007年10月9日(火)9:30〜16:00
【A】まちなかエリア
テーマ:産業振興と震災復興
転地療養と医療伝道
まちなかの路地に残るサイカチという大木は、元禄津波で登った人の命が助かったといういわれがあるばかりでなく、いざというときに食用・薬用に役立つ。98%壊滅した関東大震災の後、力を合わせてまちを復興し、商店を興した人びとはどんな苦労があったのだろう。
東京・霊岸島と海路で結ばれ、観光や保養の地として人気があった。一方、不治の病であった結核に有効な大気安静療法、海水浴療法などの適地として、山村暮鳥や石川啄木夫人など多くの療養者も訪れていた。その陰には、酪農・果樹など栄養価の高い食物のほか、キリスト教医師らの医療伝道があったことを忘れてはならない。
【B】城山エリア
テーマ:房総里見氏の城とまちづくり
『南総里見八犬伝』の世界
館山城は、房総半島南部(安房国)を170年間統治した里見氏の最後の居城。堀切・切岸・曲輪・土塁・御殿跡など、当時の城を物語る遺構が今も残るが、アジア太平洋戦争では頂上を8m削られ、砲台とされた歴史もある。
海路を通じて東日本の玄関口だった館山は、支配者にとってその湊が重要だった。里見氏は対岸の後北条氏と海の支配権をめぐって40年争った後、交易の和平策に転換したが、1614年、江戸湾口部の外様大名として排除され、伯耆国に国替となった。館山から里見氏がいなくなってから200年後、江戸深川に生まれた曲亭馬琴が日本最長の小説『南総里見八犬伝』を書いたのである。
@。
【C】赤山エリア
テーマ:赤山地下壕(戦争遺跡)
米軍上陸地と平和学習
東京湾要塞の拠点として館山湾を埋め立ててつくられた館山海軍航空隊は、戦闘機の開発とパイロットの養成を担い、通称「陸の空母」と呼ばれていた。近くの赤山に掘られた巨大迷路のような地下壕は、誰が、何の目的でつくったのだろうか。
第二の沖縄戦が想定され、戦争末期には7万の軍隊が配備され、空・海からの特攻基地が造成された。終戦直後には、アメリカ占領軍3,500名が上陸し、本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたことは世界史的な出来事といえる。
戦時下、農民は花づくりを禁止され、子どもたちは軍事利用のためのウミホタル採取を命じられていた。人びとはどんな思いで生きてきたのだろう。
【D】北下台エリア
D.北下台(ぼっけだい)エリア
テーマ:近代水産業発祥の地
海洋民の交流の歴史
館山湾(鏡ヶ浦)の浜は、地引網漁と交易の湊として江戸期より栄え、明治期以降は遠洋漁業や捕鯨漁の基地として栄えた。その中央に位置する北下台は古くは北下崎と呼ばれ、海に突き出た小岬だったが、繰り返し起きる地震の隆起によって陸続きの高台となった。
北下台には、近代水産業と発展と水産教育に貢献した関澤明清の顕彰碑や正木燈台の痕跡、遭難船の供養碑のほか、古代の海食洞穴や、中世に武士や僧侶の墓として作られた「やぐら」など、海とともに生きた人びとの遺跡が多く残る。
安房水産高校のハワイ・マグロ実習船「千潮丸」の体験乗船と、ロープワークを実践してみよう。
土曜日は、ありがとうございました。
お陰様で充実した”平和ツアー”になりました。
参加者からも
「勉強になりました」とか
「戦跡を巡り、平和のありがたさに感謝しています」
「戦争を知らない世代ですが、これで子供達に戦争の悲惨を語れます」
「語り部の方の話に引き込まれました」
「NPOの方達がこのような活動をしているのを初めて知りました」
等々、沢山の喜びや、感謝の言葉をいただきました。
池田さんには何から何まで、お世話を頂きありがとうございました。
心より感謝致しております。
また、愛沢先生には、お忙しいなか御挨拶を頂き
ありがとうございました。
「愛沢さんからこの運動を進めていくうえでの苦労話や、
我々が協力出来る事についての話をもっと聴きたかった」
という参加者からの言葉もありました。
それから、「赤い鯨と白い蛇」の上映会の希望もありました。
私個人ですが、この連休にレンタルショップでDVDを借りて見てみました。
噂にたがわず、素晴らしい映画でした。
大げさに平和を語る訳でないのに、心に染み入るものを感じました。
各世代の女性の気持ちが繊細に綴られていて、あっという間の時間でした。
最後の宮地真緒演じる孫娘が赤ちゃんを抱いている姿に
命をつないでゆく、女性の素晴らしさを感じました。
何かの機会をとらえて、上映会をしたいと思っております。
その時は、またお世話をおかけしますが、よろしくお願いします。
ところで、私達が名乗っている「養育院」は悲しい事にもはや存在しないのです。
組合の支部名にのみ残っている状態です。
養育院は百年以上もの歴史を持つ東洋一の福祉施設だったはずなのですが
昭和47年に美濃部都政のもと、介護・医療・研究の三位一体で
老人福祉(30年以上も前に、老人問題)に取り組んだ頃をピークに
徐々に、養育院は解体されていってしまいました。
特に石原都政になってからは、国にならって民で出来る事は民でと
どんどん公社化、民営化されて今直営で残っている老人病院も
まもなく行政独立法人になる予定です。
全ての人が幸せに暮らせる福祉こそが、平和の礎と思うのですが
福祉が切り捨てられて行くのを目の当たりに見て本当に悲しくなります。
今回ツアーに参加してくれた方達は、この厳しい状況のなかで、
医療や介護を担っている方達なのです。
参加者の中には夜勤あけで参加してくださった看護士の方もいました。
せっかく御案内していただいたのに、充分に時間がとれなかったのは
このような事情なので、どうかお許し下さい。
でも、皆、また行きたいね!と話しています。
今度は、ゆっくりとお訪ねしたいと思います。
お礼のメールが愚痴めいたメールになってしまいました。
お許し下さい。
最後に、池田さんのお心配りに心より感謝致しております。
本当にありがとうございました。

映画『赤い鯨と白い蛇』を観て
千葉大学教育学部 川上 和宏
.
私は、教育を志す千葉大学の学生です。3年前に習志野市において、生涯学習まちづくりを目指し、〝さんまぷろじぇくと〟という活動団体を立ち上げました。〝さんま〟の意味は、「仲間・空間・時間」という3つの〝間〟であり、さまざまな世代の住民が集い交流できる場を創るという目的をもって活動をおこなっています。
生涯学習まちづくりを実践し、地域の活性化に貢献しているNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムをゼミの教授から紹介された縁で、この1年間に4回館山を訪問しました。NPOの主催する事業に参加させていただくことを通して、世代も、住んでいる場所も違う方々と交流し、思いを共有できたことは、私たち学生にとってこの上ない喜びでした。
また、生涯学習まちづくりの拠点のひとつとして、館山市が一般公開している赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡を案内していただきました。戦争も貧困も経験したことのない世代の私にとって、戦争というものを身近に感じ、それに向き合う良い機会となりました。もし終戦が延びていれば、この美しい南房総が「第二の沖縄戦」の場になっていたかもしれないということや、終戦直後には本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれたということもはじめて知り、大きな衝撃をうけました。戦争がもたらす痛み、悲しみ、悲惨さ、そしてくだらなさを、私は考えるようになりました。殺人事件が日常的に報道されるようになってしまった現代社会において、子どもたちに命の重みをどのように伝えていくかは、教育の緊急課題です。戦争遺跡は、単に平和教材というだけではなく、命の教育においても重要な学習の場であると思いました。
そんな折、館山の戦跡を舞台に撮影された映画『赤い鯨と白い蛇』を鑑賞しました。戦地に赴く男性を見送ることしかできなかった〝女性〟に焦点を当て、せんぼんよしこという〝女性〟の監督が描いた映画です。もちろん戦争だけがテーマとはいえず、女性としての生き方に関わってくる描写がたくさんあり、男性の私としては、想像の域を脱しないというか、すんなり理解できないところもありました。けれどもこの映画は、私にまったく別の価値観を与えてくれました。
映画の後半、ひとりの女性がこう語ります。「私があの人のことを忘れたら、彼は二度死ぬことになる」…戦争で残された女性が、亡くなった人を思い続けることしかできないというのは、あまりにも悲しすぎます。愛する人を守るために、他国へ行き、誰かを殺し、自分も死ぬというのは、戦争を美化した幻想にすぎません。この映画を観て、私にはある決意が芽生えました。それは、どんなに後ろ指をさされようが、どんなに非難されようが、愛する人とともに生きる手段を考えたいという願いです。
また青年将校は、「自分に正直に生きてほしい」というメッセージも女性に残しています。たくさんの人間の人生を大きく巻き込み、翻弄させてしまう戦争という時代の中で、自分に正直に生きるということは難しかっただろうと思います。それでは、現代はどうでしょう。私自身はとても困難な時代だと感じています。自分に正直に生きることができる社会とは、一体どのような社会なのでしょうか。それは、国家や世間が作り出した一定の価値基準の中でしか生きられないのではなく、一人ひとりがもつ多様な価値観や生き方を尊重できる社会だと思います。これも、現代社会で教育に課せられた大きな課題といえるかもしれません。
この映画は、館山を舞台に撮影されたこと、そして館山に存在している戦跡を用いたことに大きな意味があると感じます。それは、戦時中の館山で女学生だったという監督ご自身の、ふるさと館山に対する愛情があふれているからです。それと同時に、実際に私が館山の戦跡でNPOのガイドを受けていたからこそ、この映画の内容がリアルなものとして実感できたところも否めません。つまりこの映画は、館山での平和学習をした人にとっては効果的な〝復習教材〟であり、これから訪れる人にとっては〝予習教材〟になるということです。
人と人とのつながりが希薄になったと言われる昨今、もっとも重要なことは、性別も、生きた時代も異なる世代の、多様な価値をもった人びとが集う〝交流〟の場なのかもしれません。映画では、5人の女性たちが導かれるようにかつて暮らした古民家に集い、語り合い、思いを共有する中から、それぞれが次の一歩を踏み出しました。人々が支えあって生きていかれる社会を目指すうえで、この映画にはたくさんのヒントがあるように思えます。私はこの映画からそんな希望をもらいました。
【日時】2007年10月23日(火)13:30〜15:30
【会場】小高記念館
【講師】愛沢伸雄さん(NPO会員)
【テーマ】「快鷹丸」遭難100年の韓国浦項訪問
拝啓
錦秋の候、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。
過日は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
歯切れの良く、解り易い座学をして頂きまして勉強になりました。
最初は、座学より見学をしたいと思いましたが、間違っていました。
座学を受講して本当に良かったと思いましたのは、私ばかりでは有りませんでした。
又、雨の中、真面目に解説してくださったガイドさん、本当に有難う御座いました。
帰りのバスの中、『赤い鯨と白い蛇』が茂原で上映されましたら、茂原法人会へ今年推薦の映画にして、貸切観賞会を行なって貰いたいと思います。そして、皆で「見に行こう」と話し合っていました。
私は子供の時(4〜5歳)に満州から引き揚げてまいりましたが、実戦争体験はありません。
多くの犠牲者のお陰で今の平和が有るとの事の再認識と、今でも戦争の傷を引きずっている人達が居る事を忘れてはいけないと心が痛みました。
貴重な体験をさせて頂き、有難う御座いました。
参加の皆さんも、又今回参加出来なかった皆さんから、次回もこの様な企画をして下さいとの要望もあり、その際はまたよろしくお願いいたします。
甚だ整いませんが、お礼の言葉とさせていただきます。敬具